住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「捨聖 一遍上人」(その9 最終回)

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 一遍さまの『遊行』は、その死の直前まで続きました。
 その休むことのない、その過酷な行脚は、いつしか一遍さまの体をボロボロにしておりました。
 そして、ついに摂津の国(現在の神戸市兵庫区)の『観音堂』でお倒れになります。
 (その病の原因は、極度の栄養失調ではないか?といわれています)
 そして、死期を悟られた一遍上人は、ある日、ご自分の書物(経典類)など、すべて焼き尽くされます。(まさに捨て聖!)
 この時、一遍さまは『一代の聖教みなつきて 南無阿弥陀仏になりはてぬ』というお言葉を(弟子の記録により)残されておられます。
 死に臨み、一遍さまは『自分の遺体は、野に捨ててけだものに施すべし』と言われたそうです。(実行されませんでしたが。)
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 一遍上人は、正応二年(1289)、このお倒れになられた地で、五十一歳でお亡くなりになりました。
 ご廟所(お墓)は、現在、神戸市兵庫区の『真光寺』さまの境内にあります。
 又、本堂には一遍上人のお木像も安置されています。
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 一遍上人のその教えの特徴は、
 『念仏こそが人生で一番大切な教えなのである。その妨げとなる欲望は、すべて捨てなさい。』というものでした。

 一遍さまは、それを実践され、往生されました。
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(ご廟所入口)
 それでは最後に、私の好きな一遍さまのお言葉を書かせていただいて終わりにしたいと思います。
 『・・・念仏の行者は、知恵をも捨て、愚痴をも捨て、善悪の境界をも捨て、貴賤高下の道理も捨て、地獄をおそるる心をも捨て、極楽を願う心をも捨て、又 諸宗の悟(り)をも捨て、一切の事を捨てて申す念仏こそ、弥陀超世の本願に 尤もかなひ候へ・・・。』
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(ご廟所『真光寺』)
 「となふれば 仏も われもなかりけり 南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ」(一遍)
 おしまい

紙芝居:「捨聖 一遍上人」(その8)

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(一遍)「ナムアミダーブ!(鐘の音=チン、チンッ)・・、ナムアミダーブ(チン、チンッ)」
 何やら賑やかで、楽しいそうなその響きに、町中の人々が集まってきました。
 そして、一遍さまは集まった人々に、『念仏札』を一枚一枚丁寧に配って歩き、阿弥陀様のお救いの話をされました。
 地位の有る人無い人に関係なく、老若男女の隔てもなく、病気の人にも進んで接して、お念仏の教えをと説いてゆかれました。
 こうして、いつしか多くの人々が、一遍上人を慕い、自ら弟子と称してついて来るようになったのでした。
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 その弟子の中から、やがて楽しさのあまり、念仏と共に踊りだす者も現われ、これがいつしか『念仏踊り』へと変わっていったのでした。
 そして、その『踊り念仏』の人気は全国各地へと広まり、一遍上人一行は、どこへ行っても大歓迎で向かい入れられるようになったのでした。
 しかし、一遍上人は威張らず、また一か所に安住せず、お寺も創らず、いつも謙虚に歩き続けられました。
 その旅の途中のエピソードに、次のような話が伝わっています。

 一遍上人が行くところ、よく不思議な自然現象が起こったそうです。
 それは、(めでたい現象と云われる)紫の雲が、(一遍上人の居る場から)よく天へと立ち昇った事でした。
 それを見た、一人の弟子が一遍さまに言いました。

(関西出身の弟子)「一遍さまっ、ほんま、毎度毎度、不思議でんなぁ。まさにミラクルや!・・これは、我らをいつも神仏が護って下さってるという事でっしゃろ?・・一遍様は、ほんまに生き仏様や!神や神さまや、そしてわしら高弟たちは、神セブンや!」と言うと、一遍様は冷やかに、こうおっしゃったそうです。
(一遍)「花のことは、花に問え。・・紫雲のことは紫雲に問え。・・一遍知らず」と。
 そんな(不可思議な)現象が起こったなどと、いちいち騒ぐな。そんな現象など、この一遍のまったく知らぬこと。そんなことは、天の雲に直接聞いてくれ。お前はそんな暇があるのなら、ただ念仏を称えよ。・・とおっしゃりたかったのかもしれません。 
 次回、いよいよ最終回 つづく
 
 

紙芝居:「捨聖 一遍上人」(その7)

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(熊野本宮大社)
 ・・ここで余談を書く。
 実は先日、この紙芝居の主人公『一遍上人』が、神勅(神仏のお声)を頂かれた、和歌山県[熊野本宮大社]に行って来た。
 さすがに、ここは大きな有名神社で、この日もたくさんの観光客で賑わっていた。
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(奥が工事中の証誠殿)
 さて、僕の目的は一遍上人の神勅を受けられた場所一本。
 がしかし、現在この社殿は、一昨年の台風被害により、大改築中で、はっきりとしたそのお姿は望めなかった。(お参りはさせて頂きましたが。)
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(旧社地にある「一遍上人名号碑」)
 そして、この本殿から15分ほど歩いた地の[旧社地]に、向かう。
 ここには、[南無阿弥陀仏]と刻まれた、一遍上人名号碑が建っている。
 ここは、あまり観光客が来ない場所みたいなのだが、おそらく鎌倉時代は、この場に本殿があり、ここに一遍さまが籠られ、神勅を受けられたのだろう。
 あまり、人によって踏み荒らされてなく、静寂で清らかな場所であった。(僕はここが一番気に入った。・・ここで(一遍さまに紙芝居の完成報告と)お念仏を申してきました)
 この後、一遍上人もお参りに行かれた[熊野那智大社]にもお参りに行ったのだが、そこは(世界遺産にはなっているが)完全な観光地化されていたので、ここには書かない。
 さぁ、いよいよ、この紙芝居も佳境です。
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 一人旅となった[一遍上人]は、やがて、
(一遍)「・・そうだ、昔、[空也]というお坊様が、京の町を鐘を打ち鳴らしながら念仏を称えて、教えを説いて廻られたと聞く。・・私も[空也]様の真似をしよう!」と、思われました。
 そして、ご自分も鐘を打ち鳴らしながら、お念仏を称えて、お札を配り始めました。
(一遍)「ナムアミダーブ!」(チンチン)。「ナムアミダーブ!」(チンチン)と、何やら楽しそうなその様子に、たくさんの人たちが集まって来ました。 つづく

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