住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「捨聖 一遍上人」(その6)

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(一遍)「そうじゃ、わしはただ[阿弥陀仏]のお救いを、皆に知らせるだけで良いのじゃ。・・わしは阿弥陀様の宣伝マンじゃ。それに撤しよう!・・そして皆に、(阿弥陀さまを知って頂けた、)そして(阿弥陀様とご縁を結んで下さった)その記念(証し)としてこの[念仏札]を配ろう!」と、一遍さまは固く誓ったのでした。
 しかし、その決意の中でひとつ気がかりがありました。
 それは、一緒に旅をしている(妻と子)のことでした。
(一遍)「・・しかし、わしが[阿弥陀]さまの宣伝マンに撤して、多くの場所を巡り、多くの人たちとご仏縁を結ぶ為には、もうひとつ(大きな自分の執着を)捨てねばならぬ。・・それは妻と子だ。」
 そこで、一遍さまは妻と子に別れを告げる決意をしました。
(一遍)「超一、超二や、辛いけれどもここで別れよう。お前たちは故郷に帰るも良し、どこか別の場所で庵を持つも良し、自由にしなさい。私はこれから一人で行く。
 私は、決してお前たちの事が嫌いになったんじゃないよ。
 お前たちのことは本当に愛している。
 しかし、お前たちとずっといると、常に私は、お前たちのその日の宿や食事のことを心配し続けなければならない。
 自由な心が束縛されてしまうのだよ。
 私はもう、お前たちの夫や父親ではない。私一遍は阿弥陀様のものなのだ。阿弥陀様の一遍なのだ。
 だから、ここで別れておくれ。」と、妻と子に涙ながらに伝えられました。
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 そして、一遍さまは、妻と子をお供に託して、別れを告げました。
 そして、一遍上人は、この時から、まさにすべてを捨てた『捨て聖』となって、念仏流布の旅を続けられることになったのでした。 つづく

紙芝居:「捨聖 一遍上人」(その5)

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 一遍さまは、自分の行っている『(念仏札を配り)、阿弥陀仏を信じて、救われてほしい』と、説いて廻ることは間違いなのではないかと、深く悩みました。
 そこで、本地仏(神と仏は本来、同体であるという考え)として[阿弥陀如来]が祀られている神社、『熊野本宮 証誠殿』に籠り、ひたすら祈りました。
 ・・すると、ある晩のこと、
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 ご神殿から、山伏姿をされた[熊野権現]さまが現われて、一遍さまに言われました。
(熊野権現)「・・念仏を進めている聖よ。お前は間違っている。
 そなたは、自分が人を救うつもりでいる。
 とんでもないぞ。
 阿弥陀仏が人を救うのじゃ。
 阿弥陀仏の救いはのう、もうすでに完成しておる。
 すでに数億年も昔から、その救いは完成しておるんじゃ。 だから、皆、もうすでに阿弥陀仏に救われることは決まっておるんじゃ。
 ・・自分が浄らかだとか、不浄だとか、・・信心があるとか、無いとか、そんなことは関係ない。
 すでに阿弥陀仏の救いは完成しているのだから・・。
 だから、お前はそんなことを気にせず、阿弥陀仏によって救われていることを、皆に自信を持って伝え、念仏を勧めれば良いのじゃ。・・一遍、自信を持って[念仏札]を配れ!」と告げられ、やがて消えてゆかれました。

(一遍)「そうだ、そうなのだ!・・私は自分がお札を配ることによって、人を救うつもりでいた。
 違うんだ!
 すでに、阿弥陀様は永久の昔より、我々を救ってくださっているのだっ。
 そのことに(皆に)気づいてもらうだけで良い。
 その為に、私はただお念仏のお札を配る。・・それだけで良いのだ。
・・ああっ、楽になった。」と、一遍さまは今ここに、大きな悟り(気づき)を得たのでした。
 つづく
 

今年のお盆のこと・・

 現在、『一遍上人』の紙芝居を(長期)連載中のため、個人的なこと(日記)を、まったく書いていない。
 で、今回はちょっと閑話休題ということで、今年のお盆でのことを少し書いてみたい。

 相変わらず、今年も[お盆]は忙しかった。
 七日には、富田林の専念寺さま、そして十五日には、太子町の光福寺さまの[盂蘭盆法要]へ、紙芝居法話に行かせて頂き、その間、九日には例年の村のお墓参りがあり、それが終われば、檀家さん(全宅)へのお盆参りが続いた。
 今年は、非常な暑さのため、その対策には万全を期して対処したつもりなのだが、それでもやはり体力は消耗した。
 また、お盆の終わり頃には、ある檀家さんのお葬式も入ったため(あっちこっちへ)分刻みで、車と自転車で走り回ることにもなった。
 ・・でも、なんとか、無事に怪我なくトラブルなく、今年も無事に乗り切りました。
 さて、来年はどうなることか?それはその時、考えましょう。
 まずは(今年のお盆は)、めでたし、めでたし・・でした。
 

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