住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『泉州・犬鳴山義犬伝説』(その1)

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 昔むかしの平安時代の話じゃ。
 ある時、紀州(今の和歌山県)から山を越え、ひとりの猟師が飼い犬を連れて、泉州(今の大阪府泉佐野市)にやって来た。
 それはもちろん、大きな鹿を捕える為の旅だったんじゃ。
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 猟師は山の奥へ奥へと入って行った。
 そして、ついに大きな立派な鹿を見つけたんじゃ。
 鹿はこちらに気づかず、崖の上でじっと空を見ていた。
 「おお、やっとの事で幻の大鹿を見つけたぞ!」と、猟師はつぶやいた。
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 猟師はそっと弦を張り詰めて、その矢を放とうとした時、
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 突然、「ワンワン、ワンワン!」と飼い犬が鳴き始めたんじゃ。
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(令和の泉佐野市・犬鳴山)
 つづく

紙芝居:『ダルマ大師』(その7 最終回)

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150歳になったダルマは、「もうまもなく、自分の死期がやって来る」と悟ります。
 がしかし、ダルマにはまだ自分の心をかき乱す煩悩が消えませんでした。
(どんな煩悩や?・・いや、人間やってる限り[煩悩]は消えないものかもしれない・・)
 そこでダルマは、最後の修行に入りました。
 それは(修行とは、もはや言えない)、『念仏三昧(ざんまい)』という修行でした。
「無くそうとすればする程、煩悩はいつまでも(150歳になっても)燃え上がる。・・だから、煩悩あるがままに仏にお任せして、そのまま救って頂く[他力]の教えに、身をまかせよう。これしか無い・・。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀。」と称えながらダルマは亡くなりました。行年150歳。
 後、中国(唐)の皇帝より、ダルマは「大師」の名が送られ、『ダルマ大師』と呼ばれるようになりました。
 ・・一説によりますと、最後、ダルマは暗殺されたという話もあるのですが、この紙芝居では、念仏三昧説を取りました。
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「ダルマさんが転んだ!」、「ダルマさん、ダルマさん、にらめっこしましょ」などの遊びの中に、ダルマ大師の不屈の精神は、現在も我々の心にうったえかけて来るように感じます。(それは僕だけでしょうか?)
「七転び八起き」の精神を持ち、権力にも媚びず、大きな目玉をパッチリ開けて、常に前進し続けたダルマ大師。
我々に今、「何度転んでも、起き上がれ!大きな目玉を開けて進め!」と、ダルマ人形を通して叱咤激励し、エールを送ってくれているように感じます。
おしまい

紙芝居:『ダルマ大師』(その6)

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ダルマが、少林寺で壁を見続け坐禅をつづける修行に入ってから、9年が経ちました。(これを「面壁九年(めんぺきくねん)」と言います。・・しかしなんで10年でなく9年なんでしょう?・・中途半端やなぁ、9という数字に意味があったんやろか?)
 まぁそれはエエとして・・、それは過酷な修行でした。
「本来の禅の行とは、こういうものだ!」と言わんかのように、目を開いて壁を見続け、座り続けました。
この時の修行の為に、ダルマはまぶたを自分で切り、眠気を覚ましたとか、又、座り続けた為、手足が朽ちたとかいう伝説が生まれました。(これがダルマ人形のモデルとなります。)
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 そして、9年間の坐禅修行を終えた時・・ダルマには、その真摯な姿を見て弟子入りを希望するたくさんの弟子たちが増えておりました。
 ダルマはその者たちの弟子入りを許し、多くの立派な弟子たちを育ててゆくのでした。
 ところで、ダルマの教えの一つに『以心伝心(いしんでんしん)』というものがあります。これは即ち、正しい心を言葉を使うことなく、そのまま相手の心に伝える、という意味です。難しいですよね。
 又、『不立文字(ふりゅうもんじ)』という教えもあり、これも言葉や理屈で仏法を、伝えるのでは無く、体験によって伝えるというものだそうです。
 これらの教えは、坐禅修行の体験から学ばねばわからないものなのでしょうね。つづく

紙芝居:『ダルマ大師』(その5)

武帝と決裂したダルマは思いました。
『この国はまだ、本当の仏教を学ぶという機が熟していない。・・その時まで私はもう少し待つとしよう。(何才まで待つんや?)
と、ダルマは一人舟に乗って揚子江を北に向かいました。
 ところで、ダルマの赤い衣ですが、何故、彼は赤い衣を好んで着ていたのか?
 それにはいろんな説があるのですが、その一つは[赤衣は徳の高い高僧の印だったので]という説。二つ目は[赤衣は悪い魔を跳ね除けるので]という説。さらに、今回学芸員さんからお聞きした説で[あの決裂した武帝から貰ったので着ていた]という説。・・と、どれが本当かはわかっていませんが、武帝プレゼント説が本当なら、あの決裂は実際無かったのではないか?仲良しになったのか?と思われます。・・どれが実際本当かは分かりませんが、まぁどうでも良いのですが(笑)あのへんこな性格のダルマ大師が好んで着ていた赤衣、この謎だけでも楽しんで想像でき、酒のあてに一杯やれそうです。(私もへんこ仲間かもしれません(笑)・・以上、余談。
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さて、北に向かったダルマは、「少林寺」という寺で草鞋をぬぎました。
 そう、あの「アチョー!」で有名なブルース・リーの少林寺拳法で有名になったお寺です。(一説によると、少林寺拳法をこの寺で教えたのはダルマだったとか?・・という事はブルース・リーの先輩、いや先生やん。アチョー!)
 で、ダルマはこのお寺で、この国の機の熟すまで、9年にわたる坐禅修行に入ったのでした。つづく
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(しろあと歴史館所蔵)

紙芝居:『ダルマ大師』(その4)

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武帝は、ダルマに向かって話し始めました。
(武帝)「おっほん。・・ダルマよ、わしは武帝じゃ。さて、わしはこの国で大変、仏教を大事にしてきた。・・いくつもの大寺院を建てた。坊さんたちの世話もした。又、わし自身、写経も多くした。」
(ダルマ)「・・・」
(武帝)「さて、ダルマよ。・・このわしに、どれぐらいの仏の[功徳(=ご利益)]があるじゃろうのう?」
 するとダルマは・・、
「皇帝、功徳などありませんよ。」と言った。
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(武帝)「何!!功徳は無いだと?どういう事じゃ?」
(ダルマ)「皇帝、それは自己満足というものです。」
(武帝)「む、む、む、・・では、本当の[功徳]とはどういうものなのじゃ⁈」
(ダルマ)「見返りを求めず、ただ善いと思う事を行う。それが結果的に[功徳]になるのです。・・皇帝の行なわれた事は善い事です。・・が、見返りを求める心がお有りのような気がいたします。それでは、仏の功徳は手に入りませんよ。
 ・・話しは変わりますが、そもそも、皇帝にはたくさんの功徳があるからこそ、たくさんの善を成す事が出来たのではないですか?それ以上、何の功徳が必要なのですか?功徳を求める行いは[欲]というものです。貴方様は仏教というものをわかっておられない。」
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(武帝)「む、む、む、偉そうに!そういうお前は何様じゃ!」
(ダルマ)「さあね。知らんよ。」
(武帝)「自分が誰かも知らんだと?!こいつ、話しにならん。さっさと帰れ!」
 そして、武帝は怒りまくり、奥に引っ込んでしまいました。
(余談ながら、実際このような会話はあるんやなぁ・・。僕はダルマみたいには、よう言わんけど。)
このように、武帝とダルマの問答は見事に決裂したのでした。・・知らんけど。つづく
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(しろあと歴史館所蔵)

紙芝居:『ダルマ大師』(その3)

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 100才を越えたダルマは高齢、いや超後期高齢者ではありましたが、「中国に行って、坐禅(ざぜん)を中心とした仏教を広めたい!」と決意します。(すごいねぇ・・高齢者の鏡やねぇ。ひょっとすると、言い出したら言うことを聞かんへんこな年寄りやったかも?・・今でも居りそう。ウィーアーザ、チャンピオンズ!)
 その頃、ダルマにはたくさんのお弟子が居て、皆、引き止めましたが(当たり前やねえ・・)、ダルマの決意は固く、ついにインドから中国に旅立ったのでした。
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 そして三年間掛かって、ようやく中国に到着しました。 
 ダルマ伝説では、すでにこの頃幾多の試練があり、ダルマの年齢は120才を越えていたと云われています。
 その頃、中国には[梁(りょう)]と言う大国の『武帝(ぶてい)』と言う名の国王がいて、仏教の教えをとても大切にしていたそうです。
・・その噂を聞いて、ダルマはその国に向かったのでした。
 一方、武帝も「‥何っ、はるばるインドから仏教のマスターがやって来ただと⁉ぜひ、会ってみたい!」と思ったのでした。
 そして、武帝はダルマを宮殿に招き入れました。
 そしてそして、世に有名な『武帝とダルマの禅問答』が始まったのでした。つづく
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(しろあと歴史館所蔵のダルマ)

紙芝居:『ダルマ大師』(その2)

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 王子は尊者から、『ボダイ・ダルマ』という名前をもらい、厳しい修行に励みました。
 そして、いつしか40年の歳月が流れました。
今や一人前の僧侶となったダルマは、こののちインド中をくまなく歩き、自分が信じる正しい仏教を伝えて回りました。
 こうして、いつしかダルマは100才を越える年齢になっておりました。(超長生き!)
(余談ながら、若き日(もはや中年以上かも)のダルマの顔を描くに当たって、これは誰かに似てるな?と思った。皆さんはクイーンのボーカル「フレディ・マーキュリー」をご存知だろうか?大きな丸い目とでかい口、濃いヒゲと胸毛・・若きダルマはフレディに似ているのである・・と思ったので、この紙芝居はクイーンのDVDとダルマの人形を見ながら描いた。(笑))
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 余談のついでながら、この紙芝居を完成させるにあたって、先日、高槻市の「しろあと歴史館」に行って来た。
 それは、この歴史館で『ダルマさんが並んだ』という(日本各地のダルマ人形やダルマの絵画展覧会などの)企画展が開催されているのを偶然見つけたからだ。
 で、この企画展の学芸員さんに(迷惑だったかもしれないが、ご縁を感じ、わらおもすがる思いで)手紙を出して、ダルマ大師について教えを乞いに行って来たのだ。
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 短い時間ではあったが、ダルマについては今は唯一の同士だと思っていろいろとお聞きしてみた。・・なぜダルマは赤い衣を着ていたのだろうか?それをいつから着たのだろうか?などを・・。それはこの紙芝居でおいおい御伝えするとして、お忙しい中たいへんご親切にいろいろ教えて頂きありがとうございました。・・さてここらで本筋に戻らねば。つづく
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(しろあと歴史館の早田学芸員さま)

紙芝居:『ダルマ大師』(その1)

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『だーるまさん、だーるまさん、にらめっこしましょ。笑たら負けよ、アッププのプッ!』
日本人なら誰でも知ってるダルマさん。
 ギョロとした大きな目。赤い衣(ころも)。武将ヒゲ。
 そして、どうして手足が無いのでしょう? 
・・ダルマは、実在したお坊さんです。インドに生まれ中国で亡くなりました。
 さぁこの物語は、実在する[ダルマ大師]のお話です。はじまり、はじまりー。
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 紀元四世紀の終わり頃、南インドに[コウシ国]という小さな国かありました。
 この国の王様には三人の息子が居て、仏教の教えを大変大事にされていました。
 ある時、この国にハンニャタラ尊者という偉いお坊さんが訪れました。
 そして、大変尊いお説教をされたのでした。
 それを聞かれた三番目のボダイタラ王子は、自分もお坊さんになって、お釈迦様の教えを広めたいと思いました。
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 やがて、この国の王様が亡くなり、ボダイタラ王子は人の世の無常を感じ、出家を決意し、ハンニャタラ尊者の弟子になったのでした。
 そう、彼がのちのダルマ大師です。つづく
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(大阪府高槻市立しろあと歴史館所蔵「ダルマ大師」)

紙芝居:『犬たちをおくる日(リメイク版)』(その4 最終回)

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さて回収車でやって来て、選ばれて助かった子犬達は、その後どうなったでしょう。
 この子犬達は、最低一ヶ月はセンターで飼育されます。
 人や他の犬に慣らされてから、新しい飼い主が待つ譲渡会(じょうとかい)にだされるのです。
 人に捨てられ、ここで一度は救われた命が、又人間の身勝手で捨てられることのない様に、しっかりと子犬の社会化トレーニングが行なわれるのです。
 犬の世話は、ただ餌をやり散歩に連れ出せば良いというのではありません。 
 たくさんの人間に可愛がられて抱いてもらう事で、人間への信頼を深めた子犬は誰からも可愛いがられる犬に育つのです。
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 さあ、新しい飼い主との出会いの日、「譲渡会」がやって来ました。 
 しかしその前に、犬を飼いたいと希望する人達に事前、講習会を受けてもらいます。
 この講習会では「命を預かる責任の重さ」を感じてもらう為に、犬が殺されてゆくビデオを見てもらいます。そのビデオを見て涙ぐむ子供や眉間にシワ寄せる人もいますが、犬達のその最後は、きっとこの人達に「その命、無駄にはしない」というメッセージを語りかけるに違いありません、
 小さな命を愛し大切にしようとする時、人の心に幸福感が生まれ、その心は満たされます。
 心が満たされた時、人は生きている事に喜びを覚えます。
 つまり、ペットを幸せにする事は、自分も幸せになる事なのです。
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 さてさらに講習会では、飼い主募集にいくつかの厳しい条件を出しています。
 たとえば、
[家族全員が動物を飼うことに賛成ですか?]
[死ぬまで、飼えますか?]
[経済的、余裕はありますか?]
[ご近所に迷惑を掛けずに飼えますか?]
など、八つの項目があり、すべてに同意できない人には譲ってもらえません。
 こうして「命を預かる責任の大きさ」を理解して下さった人だけに、子犬達は旅立ってゆくのです。
 きっと、子犬達に未来に幸せが待っているでしょう。
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 今、センター内には、動物慰霊碑が一つ建っています。
 今日は殺処分の日。
 一人の職員が手に小さな花束とドックフードを持って、手を合わせにきました。
 いつか、「犬や猫達の処分がゼロ」となり、この慰霊碑が不要になる事を願いつつ、今日も自ら仕事に真摯に向き合い、「日本一の愛護センター」を目指す職員達の奮闘は続いています。 
おしまい

(終わりに)
僕がこの紙芝居の取材に、四国の動物愛護センターにお邪魔したのは、今から10年ほど前だ。
 所長さん達にいろんなお話を聞かせていただき、又施設内を案内していただき、深い感銘を受け、紙芝居がより深いものになった気がしている。
 今も犬たちの遠吠えのような悲しい声を覚えているし、ここには描かなかったが、子猫たちの死骸が、一輪車でまるで雑巾のように運ばれてゆく光景が今も鮮明に目に残っている。
 この紙芝居は、今だからこそ皆さんに観て頂きたい一作品である。

 

紙芝居:『犬たちをおくる日(リメイク版)』(その3)

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ここは処分機の横のコンピューター制御室です。
ここからボタン一つで、犬たちはゆっくりと処分機に追い込まれて行きます。
それは職員にとって辛い仕事です。
ほとんどの犬が驚いた様子で、慌てて処分機へと移ります。
そしてボタンが押されて、ガスの注入が始まるのです。
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犬たちは驚き、一斉に暴れ始めます。
そしてガスが充満するに従い、犬たちは顔を上に向け、口を大きく開け喘ぎます。
そして数分後、犬たちはおり重なる様にその場に倒れます。
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やがて、ガスが完全に抜かれた部屋の扉が開かれると、糞尿と共に重なりあった犬たちの遺体が出てきます。
 その顔は殺されても、尚飼い主を信じているかの様に穏やかです。
職員はその犬達の首輪を一つ一つ丁寧に外し、その後再び処分機に戻して、ボタン操作で荷台へと移します。
焼却が始まるのです。
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摂氏800度の焼却炉の中、約三時間程で犬達は完全に骨となり、その後細かく砕かれ、土嚢に詰め込まれ産業廃棄物となって処理されます。
 犬たちの命は、決して灰になる為に生まれてきたのではありません。
生きる為に生まれてきたのです。
その命に対する責任は、捨てた飼い主だけの責任でないかもしれません。
 私達みんなで、その為に何が出来るかを考えてみようではありませんか。
 つづく

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