住職のつぼやき[管理用]

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北海道:小樽仏教会広報紙『あ』からの原稿依頼

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 北海道の「小樽仏教会」からの電話で、広報紙『あ』の(次年度の)原稿依頼が来た。
 電話の依頼主さん(お寺の住職さん)に、「『あ』ってどういう意味ですか?」と聞いたら、
「『あ』とは、『物語のはじまり』、『よりかかる』、『親しみ』、『曲がり角』という意味があります。この様々な意味の『あ』を仏教に縁の無い一般の方々に、「スーパー」や「コンビ二」、はたまた「レンタルビデオ店」、「CDショップ」の店頭に置いてもらって無料で読んでもらっています。・・ですから、できるだけ一般の人向けの解り易い文章でお願いしたいのです・・。」と言われた。
 さらに、テーマは『一歩前へ!』という事で、震災を乗り越えて、皆が元気が出るような文が望ましいと付け加えられた。字数は3000字ぐらいで、「中身は任せる」という事だった。
 ・・今月末が締め切りだ。(原稿用紙七枚ぐらい)
 僕は『お寺から、一歩前へ!』と題を決め、出前活動の事を(おもしろおかしく、又、読んで元気が沸いてくるように)書こうと決めたのだが、まだ1000字ぐらいしか書けてない。
 ・・焦る、焦る、焦る。
 スーパーのトイレに行って、男性用便器の前で『もう一歩前へ』という『注意書き(張り紙)』を見ても、焦る、焦る、焦る・・ゆっくり出けへんやんけ。
 「あっあっ『あ』かんっ」、こんな事を書いてる場合ではない。
 早く書かなっ! 頑張ります!
 

今年一年(平成23年)を振り返る・・

 平成23年もあと幾日・・・。
 今日は例によって例の如く、今年一年の「お寺の出前」を大急ぎで振り返りたい。
 まず、今年は何と言っても、よくマスコミに出た一年であったと思う。
 1月は、TBS系列の『ごごネタ!きらきらTV』というミニ番組に出た。(これは全国放送だったので、各地から「出前」の問い合わせが相次いだ。)
 2月は、日経新聞の社説『春秋』に、僕の活動が紹介された。(企業からの「出前」の問い合わせが、この時から増えた。)
 3月は、旅の情報紙『ノジュール』に「お寺の出前」が紹介された。(しかしこの月、東日本大震災が起こり、日本中、旅行ブームどころでは無くなる。)
 4月、産経新聞に、ちょうど前月完成したばかりの「稲むらの火」紙芝居が紹介される。(これを機に、関西のあちこちの場所(西本願寺などのお寺や、老人会、老人ホーム、子ども会など)で、この紙芝居をすることになる。)
 5月、この月、縁あって今回初めて『レストラン』内で、ランチコンサートならぬ、ランチ紙芝居法話をする。又、病院や企業組合員の研修にも出前する。
 6月、大阪の寺院布教団に「お寺の出前」活動を紹介。法話の新しいカタチをアピールする。
 又、NPO法人や全国の企業組合員研修(場所:岡山県)、さらに岐阜のお寺に出講する。
 7月、関西テレビ『よーいドン!』「隣の人間国宝さん」というコーナーに出る。(テレビの影響でお寺パニック。この頃から連日「出前」に行く為、疲れが溜まり出す。・・というか、毎日自分で何をやってるか解らんようになりだす。)
 8月、一年で一番忙しいお盆参りが終り、休みが取れたので念願であった「東北:宮城県の被災地」へボランティアに出る。帰ってからすぐ、特養老人ホームでのお盆法要を終えて、その流れでNHK「ニューステラス関西」のテレビ取材を受ける。・・頭パニック。さらに、それから連日、ケアハウス、奈良の子ども会、そして子育て支援センター、などへ出前して、ついに2・3日ダウン。
 9月、毎年恒例の自坊での「紙芝居合宿」を終えた後、NHKテレビ「おはよう日本」(全国版)に出前活動が紹介され、さらに忙しくなる。・・敬老会、岐阜の寺院婦人会の記念大会、宗派を超えた彼岸法要にも出講する。
 10月、震災の為のチャリティイベントがお寺などで続き、なるべく出講する。さらに、母子福祉協議会や社会人大学への講座、珍しいところでは『太子灯路まつり』にも出講する。
 11月、テレビの影響か?!ついに、観光バスツアーが「観念寺」へ、紙芝居を見にやって来られる事となる。(このツアーは、さらに来年の11月まで予約が入ることになる。・・それまで僕は生きてなあかん事となる。〔笑〕)
 さらに、東大阪での『地域ふれあい事業』というイベント模様がケーブルテレビで紹介された為、『いきいきふれあい活動』という老人会などへの出前予約が増えだす。
 12月、今年の9月に大きな台風被害を受けられた奈良県黒滝村へ「紙芝居法話」を出前。
 又、各地の「いきいきサロン」への出前も増えて出講することになる。そやそや、各地域の伝説・伝承の話を紙芝居にして作って欲しいという注文も今、入っている。
 そういうたら、今年は6本しか紙芝居の新作は作れんかったなぁ・・。来年こそは腰を落ち着けて10本は作りたいなぁ。
 こうやって見たら、なんと今年の「出前」の多かったことか。
 年間80回の出前をついに越してしまった。4・5日に一回、出前をした計算となる。・・50歳越したのに、こりゃ無理やで。
 しかし、すでに来年の11月まで「出前」が入っているので、とにかく体調をコントロールして、無理な出前は引き受けず、なるべく一日一回講演の出前ペースを守り、なるべく毎月五回ほどに出前は押さえたい。だってボランティアやもん。仕事中心にした生活送らななぁ・・。まぁ、これは希望であるのだが? それでは皆さん、良いお年を! 合掌
 
 

紙芝居:「素晴らしき哉、人生!」のあとがきに代えて

 フランク・キャプラ監督のアメリカ映画「素晴らしき哉、人生!」は、クリスマスの日に起こる奇跡の物語である。
 アメリカ映画というのは、本当に、大なり小なりよくクリスマスの日に奇跡が起こる。(事実、神の子、奇跡の子〔イエス〕様が、お生れになった日なのだから当然かもしれんが・・。)
 しかしながら、はじめにこの映画を見た時、僕は『この映画は、仏教(お釈迦さま)の根本思想のひとつである《縁起(えんぎ)》を云わんとしている』と思った。
 縁起とは、つまり『世界の一切は、直接にも間接にも、何らかの形でそれぞれ〔関わりあって〕生滅変化していくのだ』という考え方である。
 人間はひとりで存在しているのではない。
 この世の一切のものは、他のものに縁(よ)りて(依存して)、起きているのだ・・。
 こんな、考え方を云わんとしている映画なのではないかと、僕は思った。・・だから「これって、仏教や~ん」と捉え、勝手に日本版に作り変えて製作したのである。
 実は、何度も文章は書き直した。・・が、まだもうちょっと書き直さねばならないとも思っている。(自分の中で、まだ熟していないのが本音だ。)

 後一つ。完成品を妻に見てもらったのだが、次のような感想だった。
「言わんとしている事はよく解ります。・・が、はたしてこの話は、今の日本社会で孤独に生きてる人の救いの話になるのでしょうか?」と言われた。
 又以前にも、他の人にも次のような事を言われた。「この話は、善きアメリカの時代の話じゃないですか?・・今の日本では通じるかどうか?」とも。
 ・・僕は妻に「その事をもうちょっと解りやすく説明してくれ?」と言うと、妻は「この長一には、家族があり、関わりのある人々がいる。・・だから人と人との『絆』に気がついて、もう一度やり直そうと思った。・・だけど、今、家族も居なくて、親戚とも関わりを持たず、友達もいなく、仕事も無い人って居てるよ。・・そんな人には、この話はやっぱり綺麗事に写れへんやろかなぁ?」と言うのだ。
 ・・確かに、このお話は一昔前なら通じた物語で、今はどうだか?と、思ってしまう。(その通り、このお話は老人ホームよりも、(家族との関わりを常に持つ)ディケアセンターや、地域の家族会の方々の方が遥かに反応が良い。・・これは間違いない。)
・・この紙芝居(お話)を今、あえて皆に見てもらう意味があるのか無いのか?・・少し迷うのだが、やはり僕はこの古臭い物語が、現代人に何か大切な事を思い起させるキッカケになると信じ、これからも演じていきたいと、今のところ思っている。

 さて、最後に余談ながら、この主人公の〔長一(ちょういち)〕と言う名は、映画では〔ジョージ〕であり、〔半人前地蔵〕は、映画では〔翼の無い二級天使〕という名で登場している。
 ・・これも余談の余談だが、妻に「本当に〔半人前地蔵〕っているの?」と聞かれたが、僕の勝手な創作で、こんな名の仏さま、居てはる訳無い!・・です。
 又、映画では、悪役〔ポッター〕という人物が登場するので、僕も初校の段階では、悪徳高利貸し〔堀田・栗兵衛(ぼったくりべえ)〕として登場させていたのだが、煩わしくなって(このお話に悪役は必要無いと思い)カットした。
 ・・まぁ、以上はどうでも良い余談なのだが、ちょっと書き足しました。 終り
 
  
 

映画「阪急電車」のプロローグ

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 『人はそれぞれ皆、いろんなやりきれない気持ちを抱えて生きている。
 死ぬほど辛いわけではないけれど、
 どうにもならない想いを抱えて生きている。
 ・・そして、その気持ちは誰にも言えないのだ。
 誰かに言っても仕方のない事だと 諦めるしかない。
 皆、そう思っている。
 自分自身で解決するしかないんだ。

 この世界には こんなにもたくさんの人がいるのに、
 同じ場所で 同じ時間を一緒に生きている人が こんなにもいるのに、
 それは 何の意味も持たない。
 名前も知らない人達は、私の人生に何の影響ももたらさないし、
 私の人生も誰にも何の影響も与えない。
 世界なんて、そうやって成り立っているんだ。
 そう思っていた。 
 でも・・・。』 映画「阪急電車」のプロローグより

 歳末恒例の「今年の漢字」は《絆(きずな)》に決まった。
 この《絆》という言葉を、まるで暗示するかのように、今年上映された映画が、『阪急電車 =片道15分の奇跡=』ではなかろうか? 
 僕は今年見た映画〔邦画ナンバー1〕にこの映画を挙げたい。
 あまりにこの映画が気に入った為、映画を見た後、原作を買い、サントラを買い、そして先日ついにDVDまで買ってしまった。
 まぁ阪急電車には、学生時代に(通学で)いろいろとお世話になったという思いいれもあってのことだと思うが・・。
 この映画の内容を、ちょっとだけ述べる。
 「宝塚~西宮北口間を15分で走る、えんじ色の車体にレトロな内装の、阪急今津線。
 その電車に、さまざまな『愛』に悩み、やりきれない気持ちを抱えながら、偶然乗り合わせただけの乗客たちがいた。
 電車内という限られた空間で、それぞれの人生がほんのちょっと重なり合い、影響し合い、そして離れていく。
 数々の出会いが重なり、そこに生れる小さな愛の奇跡。 
 勇気を持って踏み出せば、いつもとは違う景色が、人生が、そして素敵な出会いが待っている・・。」という、有川浩さん原作の(皆が主役の群像劇)の名作である。
 もう一度云う。・・僕の今年見た邦画ナンバーワンである。

善いと思ってお話しても、良くないことがあるのです

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 善いと思ってお話しても、良くないことがあるのですね・・。
 昨日の『特養白寿苑』での法話会のことです。
 新作紙芝居「カルピスを発明した僧侶」のお話を披露した後、あるご婦人に言われました。
 「私にとってカルピスは毒なんです。」と。
 「えっ?!」と僕。
 「私、とってもカルピスが好きで、牛乳と混ぜて飲むのが好きだったんだけど、今、糖尿病なの。・・だから、飲みたくても飲めないの。残念ですが・・。だから毒なのです」と言われました。
 自分では、健康についてのお話をしたつもりだったのが、返ってこの人にはつらい思いをさせてしまったようです。
 『自分は正しいことを言っている、つもり』の姿勢。
 これは、考えものですね。反省。
 (カルピスって、五倍ぐらいに薄めても糖尿の人にはあかんのやろか? いや、六倍、八倍、十倍に薄めては?・・でもそれじゃ、おいしくなさそう。)
 

母親(オカン)に叱られた話

 先日、和歌山の被災地にボンティアに行き、その時〔土産〕に「さんま寿司」を買って、母親の所に持って行ったら叱られた。
 家に入るなり、こう言われた。
(オカン)「あんたは、自分の身体の事をもうちょっと考えなあかんよ。・・もう若ないんやから、無理して若い人に混じって労働奉仕して倒れたらどうすんの?!・・それこそ、檀家さんに迷惑かけるねんで。ボランティアは他の人が居てはるけど、檀家さんの法事やお葬式をやる人は、あんたしか居らんやろ!・・ええかげんにしいや。」と。
 僕は「はい、お土産〔さんま寿司〕。今が旬や、美味しいと思うで。・・もう、無理せえへん。」と、うつむき呟き、すぐに退散した。
 帰り車の中で、『何で怒られなあかんねん!ほんま腹立つわ。土産なんか買わんといたら良かった・・』とブツブツ呟きながら帰った。
 ・・で、家に帰って妻にその事を言ったら、
(嫁はん)「どうせ、言うても聞かへんのになぁ。・・私なんか、とっくに諦めたわ。お父さんは、やりたい事をやって死ぬねんもんなぁ」と言いよった。
 これはこれで、寂しいもんがあった。・・完

映画「エンディングノート」を見て

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 日本映画「エンディングノート」(砂田麻美監督)を見てきた。
 新聞広告を見たら、わずか一週間だけのロードショーみたいだったので、急いで見て来た。

 ストーリーは、熱血サラリーマンだった主人公(砂田知昭氏〔実名〕=69才)が、会社を退職し、第二の人生を歩み始めた時、末期の胃ガンが発見され、余命半年を宣告される。
 その時、主人公は、残される家族の為、そして自分の人生の総括の為に「自分の死の段取り=エンディングノート」を作成し始める。
 そんな姿を、実の娘で(この映画の監督でもある)麻美さんが、カメラで(臨終の時まで)、時に可笑しく、時に悲しく、日常を追うという(ある意味凄みのある)ドキュメンタリー映画である。
 
 僕が気になったのは、主人公が俄かクリスチャンになって、教会でお葬式をして欲しいというシーンで、「どうしてクリスチャンになったの?」と監督(=娘さん)が聞くと、「(別にキリスト教に救いを求めた訳では無く)教会がキレイで気に入ったのと、キリスト教のお葬式の値段がリーズナブルだったから」という場面である。(ただし、主人公はカメラに向かって「ここは撮影を止めてね」と言っているのだが、監督は回し続けた・・。)
 ここは、我々仏教者に対する痛烈な皮肉である。(坊さん(お寺)の葬式は、値段が高いというのが世間の常識になっているのか?・・トホホホッ。)
 この映画、妻と娘と一緒に見たのであるが、妻も「そら、神父さんは、お葬式でお金をぼったくるというイメージは無いはなぁ。」と後で言ったので、僕にはダブルパンチであった。(言っときますが、観念寺はリーズナブルですよ。(笑い))
 長くなったがもう一つ。ラスト近くで意識が薄れてゆく主人公の父が、病院のベットで「これからいいところへ行く」と、ポロリというシーンがある。それに対して集まった家族は「それはどんな所なの?」と問うと、「それはちょっと、教えられない」と言って、家族みんなを笑わせる。
 またラストのシーン。・・教会でお葬式が終った後、霊柩車は斎場に向かって出発する。その時、娘がナレーションとして「それで今、どこにいるの?」と聞くと、父に変わって又、娘(=監督)が「それはちょっと、教えられない。」というシーンで終っている。
 この場面、実に感動的なラストシーンだったのであるが、僕の娘は気に入らなかったらしい。
 娘はムッとして言っていた、「俄かでも、クリスチャンになったんやったら『今、すばらしい天国にいます』とか言わんかいな。」と・・。
 『そやなぁ・・』と思わず僕も思ったが、でも、僕も最後の時を迎えたら同じ事を言うかも・・『今から極楽浄土に往きます。それで極楽浄土ってどんな所かって?・・それはちょっと教えられない』と。
 

宮澤賢治の故郷:『花巻』へ (後編)

『雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ 夏ノ暑サニモマケヌ・・』で始まる有名な宮澤賢治の詩は、東日本大震災の後、マスコミを通して、日本全体、電波に流れた。
ファイル 756-1.jpg(賢治の手帳〔復刻版〕買いました)
 それほどこの詩は、人を癒し元気にする効果があると、皆が感じられたからに違いない。
 余談になるが、実はこの詩には、実際モデルになる人があった?と言われている。今回とは主旨が違うので長々と書かないが、賢治には、同郷〔花巻〕の知り合いで、熱心なクリスチャンであった『斉藤宗次郎』という友人がいて、彼がこの詩のモデルだと云われているのだ。斉藤宗次郎は(ある意味)壮絶な生き方をして、賢治は(宗教は違うが)彼を大変尊敬し、『ソウイウモノ二 ワタシハナリタイ』と心から思い、この詩を(病状悪化の中)書いたと言われているのだ。(もっと詳しく知りたい方は『斉藤宗次郎』でウィキペディアで引かれると出るので参考に。とにかく凄い人です!)
ファイル 756-2.jpg(宮澤賢治記念館)
 さて、僕は今回(短い時間の中)、できるだけ宮澤賢治のことを調べてみたいと思ったので、『宮澤賢治記念館』に向かった。
 そして館内を見学し、先ほどの『賢治の手帳』の現物が見たいと思い、学芸員さんに聞いたのだが、実物は現在『宮澤家』が大切に保管しているために、ここではレプリカ(複製)しか見れないと云われた。
 僕は、そこをもうちょっと食い下がって、では、その『手帳』には、他に何が書かれてあるのかをしつこく聞いた。
 熱心な奴だと思われたのか、それともヘキヘキされたのか、「それでは、中身もそのままの〔復刻版〕を買われませんか?」と聞かれたので、値段はちょっと高かったが(二千五百円)で、その復刻版を買った。
 これも余談になるので、細かく書かないが、とにかくこの手帳の中身は、落書きのようにいろんな事が書きなぐってあり、やたら『南無妙法連華経』という文字がよく出てきて、賢治の信仰の篤さがよく解る。この他、例の『雨ニモ・・』の詩の後のページに『凡ソ 栄誉ノアルトコロ 必ズ 苦禍ノ因アリト 知レ』と書かれてあって、これも又、賢治が自分自身に言い聞かせていた言葉なのだと興味深く思った。 余談終り・・。
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 その後、賢治が愛用していた『チェロ』を見たり(あまりうまくなかったらしい)、実際の原稿やお経の本なども見学した。
ファイル 756-4.jpg(レストラン『注文の多い料理店』)
 その後、記念館前に建つレストラン『注文の多い料理店〔山猫軒〕』で、ミルクを飲んで一休みした。(この『注文の多い料理店』の話は以前、紙芝居にしたことがある。)
ファイル 756-5.jpg(レストラン入り口)
 僕はこの『注文の多い料理店』の話は、前々から不思議に思っていたことがあり、こんな機会は二度とないだろうと、又、学芸員さんを摑まえて聞いた。
 それは、このブラックな童話は、賢治の信仰心がピークに達している、その若き晩年の頃に書かれたお話なのだが、この話は一向に宗教臭くない。『それはなぜか?』を聞いてみたかったのだ。 
 聞いてみると、学芸員副部長さんが出て来られ、次のように語って下さった。
「・・この『注文・・』の童話は、正に賢治の寿命が尽きようとしている頃に書かれたお話で、その信仰心も(賢治自体が生き仏のようになっていて)正にピークになっています。しかし、私も不思議に思うのですが、この頃の童話はあまり説教臭くないのです。神とか仏とかが姿を消して、『すべてを(善いも悪いもずるいも)ありのままに受け入れて、ただ生きぬく』という心境になっているのですね。・・それはなぜかは、私もわからないのです」と云われた。
 その言葉を聞いて、僕はなぜ、宮澤賢治が好きなのかが解ったような気がした。
 賢治は、(その若き晩年に)一つの宗教宗派(イデオロギー)の思想の枠を超越してしまったのではないかと思うのだ。そして行き着いた先にあったのは、(努力はするが、又泣いたり、喚いたりするが、)自然をそのままに受け入れるという心境になっていたのだはなかろうか?・・そう思うのだ。
 宮澤賢治が今、この東日本大震災に遭遇したらどうするか?
 おそらく、おろおろ、うろたえ、泣きながらも、細々とボランティア活動を続けるのではなかろうか?
 そんな事を思いながら、僕も『ソウイウモノ二 ワタシ(モ) ナリタイ』と思って、東北を後にした。  おしまい

宮澤賢治の故郷:『花巻』へ (前編)

 『世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない』(宮澤賢治著「農民芸術概論綱要」より)

 ・・台風12号が、近畿地方を中心に被害を出し襲った。
 今日現在(9月7日)で、百名以上の死者・行方不明者を出している。亡くなられた方、行方不明の方、又、被災地の方々は本当にお気の毒なことである。 一刻も速い復旧を望みます。又、協力できることは、微力ながら何でも協力させて頂きたいと思っています。(今できることを模索中) 合掌
 さて、東北被災地と宮澤賢治の故郷の事を中心に書こうと思っていたのだが、又、このような天災が起こってしまったので、賢治氏の(上記)の言葉から始めた。説明は要らない。正に賢治氏のいう通りだと思う。
ファイル 755-1.jpg(新花巻駅)
 東北ボランティアの帰り、急遽時間を作って、宮澤賢治の故郷、岩手県「花巻」まで向かったことは、前回述べた。
 JR「新花巻」駅に着き、案内所で行く所を定め、(時間がなかったので)すべてタクシーを使って回ることにした。
 まず、行きたかったところは、賢治が農業学校の教師を止め、お百姓さんの真似事をしながら、一人自給自足の暮らしを始めた家が、(『羅須(らす)地人協会』といったそうだ)現・花巻農業高校の内に残っているというのを聞いたので、そこに向かった。
 その『現・賢治先生の家』と呼ばれている邸宅は、今も自由に出入りできた。  
ファイル 755-2.jpg(花巻農業高校敷地内『賢治先生の家』)
 写真で有名なこの宮沢賢治の像の姿は、賢治が尊敬したベートーベンの姿を真似して写してもらったらしい。(あの写真、気分はベートーベンだったのだ!)
 その奥に邸宅がある。
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 有名な『下ノ畑二居リマス』というこの黒板は、今も大切に保管されていて、消え欠けたら、農業学校の生徒たちが上から描くらしい。
 又、これは地元の方から聞いた裏話なのだが、この『下ノ畑』というのは、賢治の土地では無くて、無断で借用して使っていたらしい。(それが、ちょっと問題になったとの事だ。・・歴史に埋もれたエピソードである)
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 そしてこの家の中で、賢治は小説を書いたり、生徒たちを集めて勉強会をしたり、チェロを弾いたりしていたらしい。(『セロ弾きゴーシュ』のヒントとなる)又、今もオルガンも残っている。
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又、『風の又三郎』に描かれたマントも展示されていた。(これも賢治が、寒さで苦しむ貧しい生徒の為に、このマントをプレゼントした事が、作品のヒントになっていったらしい)
 又、先の『農業芸術概論綱領』もこの家の中で書かれた。

 宮澤賢治は、熱心な仏教徒であった。 
 だから、どうすれば、人は皆幸せに生きる事ができるのか(仏さまのようになれるのか?!)を考え続けた人であった。
 おそらく、この家の中で賢治は、一生懸命その事を考え続けたに違いない。 
 ただ、理想を追求しすぎて、身体を壊し37才の若さで亡くなってしまった。
 僕は、『今こそ、あなたのような人が必要とされています』と呟いて、この地を後にした。 つづく 

一番気に入ってる「紙芝居」

 一昨年、出前に行った先の病院の医師に尋ねられた。
 「宮本さんの作った紙芝居で、一番気に入ってる作品は何ですか?・・やはり、お釈迦さまの物語ですか?それとも昔ばなしですか?」と。
 はっきり言ってどちらでもない。
 僕自身が(今のところ)一番気に入ってる作品は「夫婦善哉」である。(出前メニュー86番)
 僕はこの大阪の下町を舞台にした〔織田作之助〕氏の作品が、大好きなのだ。
 お人好しだが頼りない夫と、そんな夫をしっかり支え引っ張る妻が、健気に明るく生き抜く、そんな(仏のホの字も出てこない)この物語が、好きでたまらない。
 きっと僕は、この主人公のような(ずぼらで狡い)生き方に憧れているのだと思う。(いや、僕の本性は案外コレなのかもしれん。)
 でもこの作品、「お寺の出前」に持ってゆく事はまずない。(仏のトの字も出てこないからである。・・つまり、仏教的教訓がないからだ)
 ・・でも、できれば一度で良いから、「仏のケの字も、〔教え〕もいらんから、一辺、住職はんのいっちゃん好きな作品をやっておくんなはれや! わてら喜んで見せてもらいまっせ」と、誰か言ってはくれないだろうか?
 そんな奇特な方がおられるなら、僕はルンルン気分で、(仏、ホットケと、)どこへでも『出前』させて頂くのだが・・。(仕事さぼってでも・・こらあかんか?!)善き哉(かな)、善き哉。

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