住職のつぼやき[管理用]

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開け!ホームページ

平成12年から始めた『お寺の出前の会』は約7年間で幕を閉じた。
この間、毎月コラムを書き、「出前だより」と名づけ、行く先々の福祉施設などで配った。
その「たより」はけっこう評判も良く、友人のホームページの片隅に、毎月掲載もしていただいていた。
そして、そのホームページを見たからという出前の依頼者も少なからず現れ、この時ホームページの力(チカラ)を改めて思い知った。
・・が、平成18年末で会を閉じ、このようなコラムも二度と書くことはないと思った・・そんな時、ご縁ある方々からの後押しがあり、再びコラムを書く機会が与えられた。しかもそれは個人的なホームページを作るという形で。
それがこの『紙芝居屋亭HP』である。
しかも、今度は「ちらし」の時にはできなかった写真もジャンジャン載せることができる。又、直接コラムの感想も書き込んでもらえ、携帯からも見ることができるのである。
これは「お前、お寺の出前はやめてはいかんのだ。窓口を広げ、仏との縁をさらに紡ぐのだ!」という仏様からのお声だと思うことにしたい。・・そして、さらにこのHPを充実させ、少しでもご縁ある人々と多く出逢いたいと切に思っているのである。

話すこと、聴くこと、寄り添うこと・・

「住職さん、出前講演会はどんな題名にしましょか?会のレジメに書かなあかんので・・」と、出前の依頼者から時々尋ねられる。そんな時はたいてい、「題は『話すこと、聴くこと、寄り添うこと』にしてください」とお答えする。この題名は『お寺の出前の会』の時分からも、よく使っていた。今回はこの《お題》について話をしたい。
そもそも、どうしてこんな題にしたのか。それは僕の大好きな宗教者の言葉に由来する。19世紀のインドに聖ラーマ・クリシュナという偉いお坊さんがおられた。この方の言葉に「信仰者の性格ってどんなものか知っているかい?オレが話すから、お前はお聞き、お前が話すならオレは聞くよっていうようなものさ・・」というのが残っている。ここから取った。
この言葉の部分だけでは、聖ラーマ・クリシュナの凄い所がわかってもらえないであろうが、とにかく僕はこの方の大ファン!なのである。僕の『出前』活動はこの方の影響を受けて始めたといっても過言ではない。ちなみに僕の紙芝居は、この方のお話から作ったものが多い。(仏教もの紙芝居№16『仏様の思し召し』・№17『先生にならなかったお坊さん』・№23『すべてのものは仏さま』である。)難易な宗教哲学を子供でも分かるようなたとえ話にされてお話されるこの聖人。是非一度、図書館などでこの方の本を探して、読んでもらいたいと思う・・。以上は余談。
さて、題の最後の『・・寄り添うこと』は、どこから取ったか。
これは僕の友人の言葉からヒントをもらっている。友人はこんな話を僕にしてくれた。「幼い子供が亡くなった時、お経をあげに来てくれた坊さんが、お通夜が終わっても、すぐに帰らんと、長いこと一緒に居てくれた。そして色んな話をしてくれたんや・・。うれしかった。・・寄り添ってくれてたんやなぁ、今でもよう覚えてる」。・・この言葉から付けた。
人間のコミニュケーションの基本でもある、この『話すこと、聴く事』を、宗教者として、『寄り添いながら・・』、活動していきたいと常に僕は思っているのである。

紙芝居事始め

今回は、私がなぜ『仏教紙芝居』を作るようになったのかを書かせていただきます。
題して『紙芝居事始め』のはじまり、はじまり~。
 《 むかーし、昔といっても・・平成8年。
 或るところといっても・・大阪は西成区に『白寿苑』という特別養護老人ホームがあったそうな。
 ここの施設長は、仏教的な癒しの力を、とても評価していた。
 ある時、施設長は考えた・・。「この頃、うちのお年寄り達は、夜になってもよく眠れんと言っておる・・。おおっそうじゃ、確かうちに毎月ボランティアでやって来るあの《宮本》という若者(本当は中年)は、自分を坊さんだと言っておったなぁ。よし、一度あの男に、うちで『法話会』を開いてもらうように頼んでみよう。年寄り達はきっと、仏様の話を懐かしく聴いて眠れるようになるに違いない」と。
 そこで、すぐに施設長は、その男に訳を話してみた。
 男は「それはうれしい!仕事冥利につきるわい」と言ってすぐさま引き受けた。
 しかし・・、困った事に施設の中では、目の悪い方や、耳の遠い方がたいそう多かったんじゃ。それでなかなか、仏法の話がうまく通じんかった。
 それで、この男は「そうじゃ・・、大きな紙芝居を作り、それを使って、仏様の話をさせてもらおう。きっと年寄りたちは懐かしく思って話を聴いてくれるに違いない。目が悪くても、耳が遠くても、ゆっくりお話をさせてもらい、仏様の教えをそこから味わってもらおう・・」と考えた。この坊さんは、絵を描くのが好きだったので、それが苦にはならんかったんじゃな。
 ・・・それからというもの毎月、毎月この坊さんは、紙芝居を作って、そこの施設で法話会を開いたそうじゃ。
 そして、お年寄り達は、毎月開かれる、その『紙芝居』の法話会を楽しみに集まり、いつしか、夜もよく眠れるようになったという事じゃ・・。めでたし、めでたし・・・。》
 
 

僕が住職になった理由(わけ)

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後悔しない生き方として酒屋をやめ、僕は8年近くお寺で勤めた。そんな僕に再び、人生の転機がやってきた。
それは平成10年の春---。
突然、師から「大阪は南河内に跡継ぎを探しているお寺がある。新住職として迎えてくれるから、良ければそこに来ないか」という話が舞い込んできたのだ。
「ただし・・、」と師の話は続いた。
そこからが重大で、「すでに、その寺には留守職をされている老姉弟がいる。その姉弟と同居するのが条件だが・・」と言われた。
これは僕にとって冒険であった。
見知らぬ土地で、見知らぬ人達と一緒に住むのだから・・。
しかも、妻と子供も一緒に来てほしいという。
この時は悩んだ。
僧侶となったからには、一度は一ヶ寺の住職になってみたい。
しかし、そのような形の生活がはたしてうまくいくのだろうか・・と。
それから、いろいろと起こってくるだろうと思われる問題を想定しながら、家族で話し合った。
そして、その夏にはやるだけやってみようという、結論に達した。
一方、お世話になったお寺の方も、ご子息が跡を継ぐことで話が決まり、そちらの方も安心した。
そして、その年の秋に引越し。
見知らぬ土地で、他人との同居生活が始まった。
が・・、しかし、やはりうまくいかなかった。
お互いの生活習慣の違いから話がこじれ、やがて老姉弟は寺を離れ、新しい土地に新しい家を建て、引越しをされた。
そして結果的に、お寺には僕達家族だけが残り、現在に到っているという訳だ。
こうして僕は観念寺の住職になったのです。(写真参照・観念寺)

僕が僧侶になった理由(わけ)

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僕は酒屋の長男として生まれた(写真参照 《在りし日の宮本酒店》)。
店は僕で三代目。当然の如く、小さい頃は自分も大きくなったら、酒屋をやるものだと思っていた。しかし、いつの頃からか、宗教に興味を持ち、学校も仏教の大学を選んだ。
大学卒業後は、跡取りとして店を手伝い始めたが、心はどうしても満たされず、神や仏、そして精神的なものに向いていた。
ちょうどそんな時、私の家にお経をあげに来てくださっていたお寺の御住職が腰痛の為にお参りができなくなってしまわれた。御住職にはご子息がおられたが、まだ学生さんだったので、誰か近くで手伝ってくれる人を探しておられるとの話を耳にした。
この話が、その時、自分の心の中の闇を照らす一筋の光明のように思え、早速お手伝いを申し出た。
午前中は衣を着て『檀家さん宅へのお参り』、そして午後からは前掛けをして『お酒の配達』という、二束のワラジを履く生活が始まった。
しかしその後、店の仕事がおろそかになり始め、父が怒り出し「商売をするのか、僧侶でいくのか、はっきりしろ!」と最終通告を出した。悩んだ末、私の恩師に相談にいくと、師は次のように言われた。「人間というものはいつか必ず死ぬ。それがいつかはわからぬが、その臨終の時に『この仕事を選んで良かった』と思える道をゆきなさい。君はどっちが後悔しないかな」と。
僕はこの一言で僧侶の道を選んだのです。

ネ(寝)コロンビア・レコードにデビューしたい

きのう、或るご門徒さん(お寺の檀家さんの事)から電話があった。「住職さん、今晩、居酒屋で一杯やりにいきまひょか?」というお誘いの電話だ。思わず一言「ハイ!」。夕方、その居酒屋で焼酎の水割り(梅干入り)を三杯ほど飲んだ。僕はアルコールに弱い。しかし、門徒さんの色んな話をお聴きしている内につい勢いで飲んでしまった。その内、隣の知らない河内のおっちゃん達も話に参加しだし盛り上がった。おまけに今日近くの汚ーい泥池から獲ってきたというバケツ一杯の小さなエビを差し出して「これうまいからあんたも食べ!」と言って跳ねているそのエビたちを皿に入れてポン酢をかけて差し出してくださった。門徒さんは「やめとき・・、食べる振りだけしとき、菌があるかもしれんから・・」と僕にそっと耳打ちされた。そして「住職さん、このエビなんとかするから、その間におっちゃん等の目をそらす為、1曲カラオケで歌っといて」と言われた。僕はおっちゃん等の目をこちらに引きつけるために大きな声で河島エイゴの『時代遅れ』を歌った。作戦はうまくいき、エビはその間無事処理できた。おっちゃんのひとりが歌を終えた後ボソッと言った。「あんた歌うまい。でも・・コロンビアレコードに売り込むのは無理やなぁ。しかし、寝(ね)コロンビアレコードやったらデビューできるかもしれんでぇ」と言われた。酔っ払ってるとはいえ、そのユーモアのセンスに感心してしまった。と同時に、おっちゃん等に悪いことしたと少し罪悪感が残った。でも食べなくて良かったとも・・やっぱり思う。しょうもない話ですんません。ブツブツ・仏 合掌

『つぶやき』ではなくて、『つ』・《ボヤキ・・》なのです

このコーナーの題名に間違いはないのです。
ここは私の心の中のボヤイテル部分を書いていきたいと思います。まぁ、昔の漫才の故・「人生コオロ」師匠を思い浮かべながら読んでいただけましたら幸いです。
 さて・・、「まぁ皆さん聞いてください・・。最近の老人ホームは苑外、つまり施設の外、わかり安う言うたら『施設のご近所に住んではる地域の人々』との交流会が少なすぎる!すぐ近くに大きな老人ホームのビルジングが見えてるのに、あそは姨捨山(おばすてやま)みたいな所や。だから、あんまり近づかんとこ。話題にせんとこ。と思てはる人が結構居てはる。・・そやけど、ちょっと気になる・・自分もいずれは行かねばならんかも・・入苑料はいくらか、一ヶ月どれぐらいお金がかかるか、そんなことがちらほら気になる。僕はそれはご近所の人々の素朴な気持ちやと思う。施設側は、その気持ちを敏感に察知して、苑の門を大きく開き、地域参加型のイベント交流会をもっと多く持つべきやと思う。そして老人ホームをもっとよく知ってもらうべきや。これが大事やと思う。そら、色々な問題も出てくるやろけど、僕はメリットの方がずっと大きいと思う!施設職員の上の人は言うやろ・・「そやけど、日常業務で手一杯ですねん・・。そんなのする為には職員の休日まで出てきてもらわなあきませんし・・、まぁ2~3年後には考えますわ」と。そんなん言うとったら永遠にできんぞ!それに、それまで何人のお年寄りが亡くなってしまうか・・こらちょっと言い過ぎた。福祉と宗教はサービス業やぞ!これも言い過ぎた。手が足りんかったらボランティアを募集するなりして智慧だせぇい!そうせんと今に老人ホームは地域から孤立して、人があんまり来なくなるぞ!今の日本のお寺みたいに!責任者出てこーい。マタマタ言いすぎ。最近『お寺の出前』をしてこんなこと感じるのです。ごめんちゃい。」合掌

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