先日、T市内を車で走っていたら、『テレビに出た!』という宣伝文句が大きく屋根に書かれてある《たこ焼き屋》さんを発見した。(・・ちょっと寄って買いたかったが時間がなかったので断念した)
これを見て、「僕も昔〔テレビ〕に出た事あるねんで!」と、《ブログ》に書いて自慢したくなった。(・・まったく僕は、このような嫌らしい根性を持ったセコイ僧侶でごじゃりまするが、まぁ話の種に読んで下さい)
実はテレビには過去、二回出た事がある。ついでにいうとラジオにも出た。(別にこれはどうでも良いことだが・・これも自慢という事で許してね)
一度目は『宗教の時間』という早朝番組で、二度目は夕方の報道番組である。・・それで、今回は『宗教の時間』について書く。

それは突然、テレビ局から「新聞であんたの記事を見つけたので撮影取材をさせて欲しい」という電話が掛かってきて、その後《番組ディレクター》が前もってちゃんと来られ、「老人ホームで自家製紙芝居を毎月やっている変なお坊さんの特集番組を作りたい』とその番組の趣旨を丁寧に説明してくださった。それで了解させてもらった。
・・撮影は二日間続いた。一日目はお寺で〔勤行風景〕・〔紙芝居を描いている処〕そして〔インタビュー〕などを撮った。そして二日目は、現場である《老人ホーム》の了解を得て、撮影は行われた。

まず、僕が〔施設に入苑し職員に挨拶する所〕から撮影したいというので、ピンマイクを付けて入ったのだが、着物にマイクが擦れて音が悪かったというので、三回程ドアを出たり入ったりとやり直した。この時、役者さんてさぞかし大変なのだろうなと思った。
そして〔紙芝居を演じている処〕とその後〔お部屋を訪問してお年寄りと会話をしている処〕を撮り、撮影は無事終わった。
そしてオンエア当日、早起きして家族みんなで見た。
もちろん、お寺の檀家さんにも宣伝しておいたのだが、後で聞いたら〔寝過ごして見れませんでした~〕と言われた方が結構多かった(笑い)。
放送されてからの後日談だが、知らない方から電話が掛かって来たり、町で知らない人から「テレビ見たよ」と声を掛けてもらったりして結構うれしかったを覚えている。
・・こんな体験させてらったので、最初の《たこ焼き屋》さんみたいに『ここはテレビに出た《お寺》!』と掲示板に出して宣伝してみようかなぁ。・・でもやっぱりお寺というのは商売やないからヤメトコ・・。
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『テレビに出た!』・・のか。
聖徳太子の話の続き~『十七条憲法』を読む!
聖徳太子の生涯は『紙芝居』を通して前回簡単に述べた。
・・が、まだ書き足りない気がするので、今回は太子が作ったという『十七条憲法』を読むことによって太子の人間像に迫ってみたいと思う。
そこには一千四百年前に作られたとは思えない程、《今でも通じそう》な内容が書かれてあり、太子は《何》を大切に《生活の指針》を築こうと考えておられたかが伺えるのだ。・・おもろいねん、これが・・。
《書くに当たり勝手に『現代語』に直した事と、多少『省略』した事はお許し願いたい》
一にいう。《和》を大切にし、人といさかいをせぬように。人にはそれぞれ付き合いがあるが、この世には理想の人間は少ない。・・だからお互いニコやかに、睦まじく話しあえば、自然と道理にかなってどんな事でもうまくいく。
二にいう。篤く三宝〔仏・法・僧〕を敬え。いつの世も人も、この三宝を貴ばぬ者はない。(そうかなぁ~《笑》〔僕のつぶやきでした〕)思うに、救いようのない悪人など滅多にいないから、この三宝に帰依して教え導けば必ず従うだろう。
三にいう。天皇の命を受けたら必ず従うこと。・・秩序が大切なのだ。
五にいう。食におごらず、財宝への欲望を捨て訴訟を公明に裁け。
六にいう。悪しきを懲らしめ、善きことを勧めよ。人の善行は隠すことなく知らせ、悪事は必ず改めさせよ。(あんたは〔桃太郎侍〕かい!)
十にいう。怒りの気持ちを捨てよ。人は自分の心にとらわれ自分が正しいと思い、他人が間違っていると考えてしまう。自分も他人も共に賢い面と愚かな面を持っているのだ。・・自分の考えに道理があると思っても、人の意見をよく聞いて皆と一緒に行動せよ。
十七にいう。物事は独断で行なってはならない。皆と論じあって行え。些細なことは良いが、大事を議論する場合はもしや見落としがあるかもしれない。皆で検討しあえば結論は道理にかなったものにする事ができよう。
・・どうでしたか?面白かったでしょう。「これって本当に『憲法』なの?」と思ってしまいますよね。・・まるで、、今でも書店に並んでいる『人間関係をうまくする為の方法』の本。・・の様ですよね。太子ってこんな事考えて奨励していたんですね。太子って本当に《理想主義者》だったのかもしれません。でも僕はこんな人こそ、今の政治家になってほしいなと思います。・・それはそうと、今も昔も人間って変わってないのかもしれまへんなぁ~。
「《ボランティア》なんて大嫌い!」
先日、「・・住職さん、私、《ボランティア》なんて大嫌いなんです!」という言葉を、或る年配のご婦人からお聴きした。
この方は一昨年、ご主人を〔老人ホーム〕で亡くされた。
・・そこで、今度は《お世話になった恩返し》と思い、この〔老人ホーム〕に自分が《ボランティア》として関ろうと決心されたそうだ。
その《ボランティア》の内容は主に〔食事介助〕であったらしい。(これなら〔できる〕と思われたそうだ。)
・・が、すでに〔関わり〕を決意された時には、他の〔ご婦人グループ〕がボランティアとして入っておられた。だからこの方はその〔グループ〕に合流するという形で関わりを持たれたらしい。
この〔ご婦人グループ〕というのが、いわゆる〔『ざ~ます』調の優雅なご婦人方〕の集まりであったそうで、その日のボランティア活動が終わったら、皆で高級レストランに行き、食事を取りながら、ワイワイとおしゃべりをされていたそうだ。このご婦人も〔雰囲気的〕に断れず、何度か食事を一緒にされたらしい。・・それは良いのだが、この食事中の会話が嫌だったそうだ。
・・というのが、「私たちが《ボランティア》をしてやってるざ~ます。困ってる人を『助けてる』ざ~ます。私たちのお蔭ざ~ます。(なんかドラえもんの〔スネオ〕のママみたい)」的な会話ばっかりだったらしいのだ。
結果的にこれが嫌になってボランティアを辞められ、一番先の言葉へと繋がっていく。
《気持ちはわかる!》・・が、僕としてはここで、もうちょっと我慢して続けて欲しかった。実際そう言った。
もうちょっとココで踏ん張れば〔金魚すくい〕の薄い紙が破けるように自分の気持ちも変化していったのではないかと思うのだ・・。 〔してあげる事〕によって、自分も沢山のモノを、そのお世話をした方から〔頂いている事〕に気づくかもしれない・・と思ったからだ。上もなければ下もない。すべて〔フィフティ・フィフティ〕の関係なのだ、と思う時が来たかもしれないと思ったのだ。
・・最初は誰でも仕方がないと思う。誰だって善い事をしたいという気持ちはあるし、それをすれば、その気持ちを誰かに話したい、誇りたい。また認めてもらいたいという気持ちが沸く!それが当たり前だ・・と思う。
又、極端なことを言うが・・、《ボランティア》というのは〔究極的〕に考えたら僕は《エゴ》だと思っている・・。自分が楽しいからやっているのだと。・・僕はそう思って続けている。
だから、特別この〔ざ~ます婦人〕のような人達を非難はしない。だからと言って好きでもないが。(毎回食事をおごってくれたら好きになるかも・・。〔冗談ざ~ます〕)
さて、この今回の《ブログ》、段々とどこでまとめたら良いかわからんようになってきた。
まだまだ書き足りん気もするし、さっさと終わってしまいたい気もする。
いったい《ボランティア》って何なんだろう?・・ようわからんので、最後は『辞書』に助けてもらうことにする。
そこには《公共福祉のために自主的に(多くは無報酬で)活動をする人》とあった。僕はこの《公共福祉のために》の次に《自分のために》という語句もくっ付けてくれた方が正直で良いと思う・・。
・・又、この語句の『《原義》は〔志願兵〕』と書いてあった。・・そやったのか、最初は《ボランティア》って、自分で志願した〔兵隊〕という(意味)やったのか。だからボランティアって簡単にいうけど、本来は〔討ち死に〕の覚悟を持ってやらなあかん事なのかもしれん。〔戦死〕しても〔危険な目にあっても〕自分で志願したんやから誰もせいでもないし・・。《ボランティア》ってやっぱり大変ざ~ますねー!オッホッホッホッ。
『《冷や汗》は突然に・・・』
老人ホームでお話をするというのは、難しい事だと思う。
『お寺の出前』をやり出して10年以上経っている今でもそうだ・・。
今日はそんな〔出前の現場〕で《冷や汗》を流した三つの思い出をお話をしたいと思う。
一つ目の《冷や汗》~それは『特養ホーム白寿苑』での事。
それはまだ《法話会》を始めて2~3回目ぐらいの駆け出しの頃だった。
僕がお話を始めたら、前列左の車椅子の老婦人が突然、「こんなん、つまらんわ!」と言って床につばを吐いて、僕の前をゆうゆうと通り過ぎて帰ってしまわれた。この時は体が凍りつき脇から汗が流れた。この後、何をどうしゃべったか覚えていない。・・が、帰ってから夜眠れなかったのは覚えている。(この時、僕は数年後にこの女性のお葬式をする事になろうとは夢にも思わなかった。・・が、それは又別のお話。)
二つ目の《冷や汗》~それは和歌山の或る『特養ホーム』での事。
この時は『紙芝居』の最中だった。最後列の老男性が、突然「何言うてるかワカラン!」と叫ばれた。しかし止めるわけにいかんので『紙芝居』をさらに続けたら、又「何言うてるかワカラン!意味がワカラン!」と叫ばれた。この時は額から汗が流れた。(この時から、僕は話はできるだけ〔シンプル〕に〔短く〕〔わかりやすさを心掛ける〕と決めた。)
三つ目の《冷や汗》~それは『特養 甍』での事。
確か《お盆》の意味を説明していた時だったと思う。前列の老男性が、突然何を思ったか、「・・長崎は~、今日も~、雨だった~・・」と大きな声で唄われ出した。僕は《お盆の話》どころではなくなり、「・・長崎のご出身ですか?・・あそこはチャンポンやカステラが有名ですね~」と受けて歌をストップさせ、この先どうやって又、《お盆の話》に戻そうかと汗をかきながらお話したのを覚えている。
こうやって改めて思い出すと、まだまだこんな話はありそうだ。・・が、今回はこの辺にしておく。
・・さて、突然起こるこのような〔ハプニング〕を色々経験し、果たして僕は精神的に強くなったのか?はたまた、ただの図太いあつかましいおっさんへと変っていってしまったのか?・・それはワカラン。
・・が、それにしても本当に〔ハプニング〕は突然起こってくるもの。・・確か歌手の《小田和正》の歌に『ラブ・ストーリーは突然に』というヒット曲があったと思うだが、まさに『出前流』に置き換えると、『《冷や汗》は突然に・・』という感じがせんでもない。「・・あの日~、あの時~、あの場所で~、君が叫ばなければ~、この僕はいつまでも~、ただの気弱なおっさんのまま~・・(笑)」。
『お寺の出前』という名前の由来・・
「『お寺の出前』って、素敵なネーミングですね!」と、(たまにであるが・・)言われる事がある。
まだこの〔名前の由来〕をHPに書いていなかったので、ここに簡単に述べることにする。
実はこの『お寺の出前』という名は、僕が考えたものではなく、和歌山の或るお寺の住職をされている〔Y本正廣〕さんという方が一番最初に考え出されたものなのである。
この方は《えんの会》という〔宗派を超えて病院などにボランティア活動する団体〕の事務局をされていて、僕とは9年前の《日本ホスピス・在宅ケア研究会〔岡山大会〕》で偶然に知り合い、その時からのお付き合いなのである・・。
Y本さんは大学時代、東京におられた。そこで《落語研究会》が主催する〔落語の出前〕という『出張・落語サービス』の名に感銘を受けられ、この〔お寺版〕を作ろうとパクられ、いや考え出されたのが『お寺の出前』という名の始まりなのである。
僕はこの『お寺の出前』という名を聞いて感動した。
「なんと親しみやすい名前なのだろう!まるで《お寺》という権威(敷居の高さ)を感じさせない。僕が求めていたのはこれだ!」と早速、Y本さんに交渉して、このネーミングの使用の許可を得た。それで始めたのが『お寺の出前の会』なのだ。
・・そして会を解散した今でも、まだこの名前に愛着があり、『お寺の出前!(紙芝居屋亭)』と取り入れて使わせていただいている。
・・おエライ《大・寺院》の先生方からは「何が『お寺の出前』じゃ!お寺の権威を何やと思っておるんじゃ!」と今でもイジメられたりするが、僕はこの『お寺の出前』という名に大変誇りを持っているのである。
ここは地獄か、極楽か?
3年前の話になるが・・。
大阪は西成区に釜ヶ崎、通称『あいりん地区』と呼ばれる地域があり、この場所に研修に行った事がある。
この研修、名づけて《おっちゃんガイド釜ヶ崎研修ツアー》といい、主催は《釜ヶ崎の町再生フォーラム》という会が運営している。
その会の趣旨を簡単に述べる。
〔ホームレス問題やこの地域での町づくりについて、現地訪問をして学びを深め、それを通じて市民社会とこの地域との《架け橋》になる事〕とある・・。
そして、その方法は〔主に生活保護で暮らしてる《単身高齢者》と《再生フォーラムのスタッフ》が地域ガイドをし、そこに住んでいる人々の暮らしぶりや、人々が取り組むさまざまな活動について説明をする。〕・・とある。
このツアーに参加した。真冬でもあったのだが、参加者は3名だった。
我々を《ガイド》してくれたスタッフは、この地域を舞台に描く漫画家でもあり、西成区労働福祉センター職員の〔ありむら潜〕さんであった。
ありむらさんの作品には『かまやん』という自由人が笑いを通して、〔あいりん地区〕で活躍する大作漫画がある。(写真参照)
そして、もう一人の《ガイド》は、この漫画のモデルの一人であるNさんだった。
この御二人に案内してもらい、人やハトがごっちゃがえす〔労働福祉センター〕内や、野犬の多い〔四角公園〕、そして炊き出しで有名な〔三角公園〕、人のあふれる〔聖フランシスコ会〕、簡易宿泊所を改造した〔サポーティブハウス〕などを回らせていただいた。
正直、テレビでしか知らない世界を案内していただき、感動とともにその現実の凄さにショックを受けた。
僕達を案内してくれたNさんが、最後に僕に尋ねられた。
「今日一日、この町を見てきはって、ここを〔地獄〕やと思いましたか?〔極楽〕やと思いましたか?」と・・。
仕事をせずにお酒を飲んで一日ウダウダしている人は一見〔極楽〕の中にいるように見えるが、凍死や餓死、そして喧嘩などで亡くなる可能性もあるので〔地獄〕のようにも思える。
僕は、何も答えることができなかった・・。
すると、ありむらさんがボソッと口を挟んだ。
「ここが地獄か極楽かはわからんけど、間違いなくココは《現実》です」と・・。
この言葉が今も頭の中にしっかりと刻み込まれている。
この体験から、夏の三角公園での《盆踊り大会》参加へとつながっていくのだが、長くなったので今回はここでひとまず終わり!又機会があれば、《あいりん地区》のことについて書きます。
紙芝居の《絵》のヒント
「紙芝居の絵はいったい何を参考にして描かれるのですか?」という質問をよく受ける。
その答えは《図鑑》であったり《漫画》であったり、色々あるのだが、一番多いのは《映画の一場面》の複写〔パクリ〕だ!
僕は〔洋画〕も〔邦画〕も大好きで、月に1回は映画館に見に行っている。
パンフレットも必ずといって良い程買っている。
映画の一場面は、僕に強烈なインスピレーションを与える。
ここから絵を考え出すのだ。
たとえば、『極楽讃歌(仏教もの36)』という紙芝居の中で、金の亡者の主人公が心を入れ変える場面がある。これは《ショーシャンクの空に》という僕の大好きな映画の中から、主人公が見事に刑務所から脱獄成功した場面〔笑〕から複写した。(写真参考)

又、『二河白道物語(仏教もの12)』という紙芝居では、最後の場面で、〔極楽浄土〕に無事着いた主人公が阿弥陀仏に抱きしめられるという絵がある。これは《ミッション》というキリスト教宣教師の映画から複写した。(だってこれしか絵のイメージ浮かばなかったんやもん・・〔まるでパロディの様、でも真剣〕)

又、『アミダ仏物語(仏教もの18)』は、あの有名な《スターウォーズ》のプロローグからパクッた。
(だって『仏説阿弥陀経』というお経を読んだ人はわかると思うけど、この絵しかイメージがわいてこなかったんやもん・・〔笑〕)
まぁ、僕の《紙芝居》の絵って、だいたいこんなもんなんっす!〔笑って許して《仏さま》!〕
3K・・『あなた達はエライ!』
《3K》って何でしょう?
世間では、〔きつい〕・〔きびしい〕・〔きたない〕の頭文字を取って、こう呼んでいる様です。
・・いや、今は〔きゅうりょう(給料)安い〕も入って〔4K〕と呼ばれているのでしょうか?
そう、これは《やりたくない、嫌な仕事》を表す名称なのですね。
老人ホームなどに『お寺の出前』に行って思うのですが、まさにここは《3K》、いや《4K》の職場だと感じるのです。
僕は言いたい!『ここで働く若い介護職員さん達、あなた達はエライ!』と・・。
ご老人の介護って本当に大変です。腰を痛めて、長期休暇を取らざるを得なくなった職員さんを何人も知っています。
先日或る老人ホームで、夜の〔法話会〕が終わってから、一人の老人の車椅子を押し、お部屋まで同行し帰る途中、廊下に〔便〕が点々と落ちているのを見ました。
僕はS字カーブをとりながら、この〔便〕を踏まないように進みました。・・そして、きっとこれも当直の職員さんが、見つけたらただ黙々とお掃除されるのだなと思いました。
又、汗まみれになりながら、絶えず笑顔で〔入浴介助〕をされているお姿には、本当に頭が下がります。
好きで選んだ道でしょうが、『自分さえ良かったらエエねん』という若者が多い中、《よくぞこの道を選ばれました!》と感動するばかりです。
まぁ、〔言葉づかい〕など、気になる職員は居るにはいますが、それでもやっぱり思います。『あなた達はエライ!』と・・。
最後にこれを読んでおられる若い介護職員さん(自称、若くても良い)に言いたい。疲れたり、辞めたくなったら、次のマザー・テレサの言葉を思い出してみて下さい。
『疲れた時には、少し休みなさい。そして、笑顔が戻ったら、又仕事を続けなさい。すべての愛は、笑顔から始まるのですから』という言葉を・・。
今年一年を振り返る~これも出前、たぶん出前、きっと出前~後編
前回のコラムの続き~
今年の夏には『寺子屋教室〔命の授業〕』と題して、東大阪のお寺に〔小学生低学年〕相手に「紙芝居法話」に行ってきた。(写真参照)
そこで「ゲームみたいに《命》はリセットでけへんねんぞー。大事にせえよー!」と叫んできた。
子供といえば、夏休みに地元の〔学童保育〕にも呼んでいただき、ここでも小学生たちに《命の大切さ》のお話をしてきた。・・ついでに〔地獄の恐ろしさ〕の話もして震え上がらせてしもた。(これは失敗、失敗、ワハハハッ)
秋には、毎年恒例の《紙芝居創作合宿》を自坊でやった。(写真)
深夜まで、取りとめもない話をべちゃべちゃと話し面白かったなぁ。そういえば、この合宿主催の〔ドクター南〕師の今年の《クリスマスパーティー》には、お寺の忘年会と日が重なって行けなかった・・。すんませんでした。
・・・その他、地域の老人会、グループホームなどなど、子供からお年寄りの集まりまで、色んなところへ行かせていただいた。
ダメ押しは《往生極楽チャリティライブ》だった。(写真)
今年もこれに出演することにより、ストレスで寿命が一年縮まった。(まるで『恐怖新聞』みたいなイベントや!ほんま「往生しまっせ!!」〔笑〕)
まぁ、ざっと振り返ったらこんなとこか・・。
でも本当に今年も色んな出会いがあり、計画が狂ってしんどかったけど、僕は幸せ者だと思います。
幸せといえば、今年一番の《幸せ》はこのホームページが完成したことだ。ブログも書けて、少しずつだが『紙芝居』の紹介もできるようになった。うれしい限りである。今は好奇心もあり、2~3日に一回、『つぼやき』を更新しているが、ちょっとしんどくなってきたので、来年はもう少し間を取ってゆっくり書かせてもらおうと思っている。・・それでは皆様、良いお年を!来年もどうぞ『紙芝居屋亭』をよろしく、御ひいきに!合掌
今年一年を振り返る~これも出前、たぶん出前、きっと出前~前編
何度も書いてきたが、今年は『お寺の出前』を休むつもりでいた。(長年やってる月例法話会は別として・・)
・・が、これも有難いご縁というべきか、皆様方のご要望もあり、春に復活!『紙芝居屋亭』として再起動することとなった。
そして今振り返れば、今年は全61回の出前に行ったことになる。細かくいえば6日間に一回は〔紙芝居〕を持ってどこかに出張していたことになり、まぁ結論から大阪弁で丁寧に言うなら「いっこも休まれんかったやないけー!」ということになるだろう。・・まぁそれはいい。好きでやってることやから・・。しゃあない。
・・・ということで、ボヤキはそのへんにして、そんな今年一年をざっと振り返ってみる。
まず、春に地元で《社会貢献支援員・交流会》という会合にゲストで呼んでいただいた。この会は簡単にいえば、〔民生委員のようなお仕事をされている方々の集まり〕で、大阪府社協がバックアップするお助けマンたちの集会とでもいうのだろうか・・?(ようわからん!) まぁそこで『福祉と宗教のタッグはどこまで可能か?』というようなテーマでべちゃべちゃしゃべって来た。
又、少し前になるが神戸にも行った。(写真参照)
ここはモダン寺といって大きくてハイカラなお寺だった。(本当は浄土真宗本願寺派〔神戸別院〕という)ここの土曜講座という一般の人向きに「紙芝居法話」をやってきた。
お寺といえば、大阪の北御堂(〔津村別院〕という)にも《花まつり》のイベントで呼んでいただいた。《花まつり》というのは、〔仏教クリスマス〕みたいなもので、お釈迦様の誕生日をお祝いする日である。僕はここで《仮面ライダー電王ショー》の前座として、『お釈迦様のご一生』という紙芝居をした。本当は〔ライダーショー〕が終わってから、衣姿でライダーと握手する記念写真を撮ってもらおうと思ってたのだが、小雨が降り始めて断念仏・・いや断念することになってしまった。残念仏!いや、残念!(もうエエか・・)
その他、浄土宗や融通念仏宗などの違う宗派にも呼んでいただいた。ご縁が広がり楽しい春の出前であったと思う。このコラム(後編)に続く・・。

