住職のつぼやき[管理用]

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ペットとの相性

 ご門徒さん宅にお参りに行かせていただいていると、毎日様々なペットと出会う。
 犬や猫、小鳥(ジュウシマツ・インコ・文鳥・鳩)、熱帯魚、エトセトラ・・・。
 僕の仕事は〔仏壇の仏様〕を拝むことで、たいてい仏壇は家の〔奥〕の部屋におまつりしてある為、その場に行く途中その家のペットとよく出会うのだ。
 それで・・、いつも思うのだが、ペットとは〔相性〕があると感じている。
 僕と相性の悪い犬は、僕が読経している間ずっと鳴いている。〔室外犬なら良いが室内犬の場合は・・・。〕
反対に相性の良い犬は、僕が行くと喜んで喜んで離れない。〔これも又困るのだが・・、たまに家の方がいない時に鼻にコンパチ(中指で弾く)攻撃をするとびっくりして逃げて行く!僕は悪い坊主である(笑い)〕
 ・・猫の場合、相性も割とクールで・・、良い猫は仏壇の前に座れば必ず〔しっぽ〕で着物にスッと触れて挨拶してくれる。反対の場合は出て来もしない。
 又、面白いのは読経しているとずっと一緒になって鳴くインコたちだ。これも読経が終われば鳴き止むので、きっと僕に対抗意識をもっているのだろう。(いつか餌で引き寄せてコンパチしてやろうと思っている!)
 又、ペットの名前も面白いのがある。(そのお宅の家族の名は覚えてないのにペットの名は覚えてしまうから、あかん坊主やなぁと自分を褒めてやりたい〔笑い〕)
 ポチ、おそめ、たろう、ゆず、マイケルとジャクソン〔兄弟〕、ジャッキーとチェン〔ご主人が俳優のファンだそうだ〕エトセトラ・・。
 昔は何とか〔相性〕の悪いペットとの関係を修復しようと〔ジャーキー〕などを持って行き、手なずけ様と試みたのだが、二度ほど手を噛まれたので、この作戦はもうやめて、今は完全無視作戦を行っている。(その内、コンパチ作戦を決行したいと思っているのだが、返り討ちにあわんようにせねば・・)

 

『ロッキー』を聴きながら・・・

 ・・最近、《お葬式》が続いたせいか疲れ気味である。
 二~三日休みたいが、《お参り》は誰も代わってくれないので、頑張るしかない。
 それで、せめて〔気力〕だけでも出さねばと、先日映画『ロッキー』のサントラ版CDを買って今、車で聴いている。
 この古いCDアルバム、確かに効き目がある・・と感じた。
 先日も〔法事〕に遅れそうな時、CDの威力か!着物姿で駐車場からお家まで走って間に合った。ただし後の読経では息がぜいぜいして苦しみ、年を感じたが・・〔笑〕。
 又、大音量で聴いてたら、高速道路の料金所で窓を開けた瞬間、窓口のおっちゃんに笑われた。
 「へんな坊主やなぁ」と思われたのだろう。
 それでも元気になったら、こっちのもんや!
 その内、檀家さんの家の前で、「エイドリア~ン!(ロッキーの恋人)」と叫ぶかもしれないが、その時はタオルを投げて許してほしい・・。
 

春が来ると思い出す・・・

 今年もようやく春らしくなって来た。
 僕は毎年、この季節になると思い出すことがある。
 それは、大阪の〔不二家〕というケーキ屋さんの店先で、路上〔紙芝居〕をやった時のことである。
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 ここの店長は、僕の前に勤めていたお寺の〔総代〕さんで、熱心な仏教徒であった。
 店長の口癖は「わしは仏教徒やけど、ケーキ屋やから毎年〔クリスマス〕には盛大ケーキを売って儲けさせてもろてます。・・そやけど、やっぱりキリストさんの誕生日だけではなく、おシャカさんの誕生日にも何かせんとアカンと思ってまんねん」であった。
 それで或る年の4月の《花まつり》から、店先で《仏像》を出して〔甘茶かけ〕を通行人にしてもらい、シュークリームをプレゼントするというイベントを始められた。
・・が、ある時、うちに電話を掛けてこられて、「今ひとつ、通行人に〔甘茶かけ〕の意味が理解してもらわれへんのです。それで申し訳ないけど、店先でおシャカ様の『紙芝居』をやってもらえんやろか?・・わしが客引きして、店の前に椅子用意して座ってもらうようにするから・・」とむちゃくちゃな吉本の若手芸人がやるような話をしてこられた。
 ・・それでオモロそうだったのですぐ受けた。
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たくさんの車と、忙しく自転車で人が行き交う中、店先で《店長》が、「さぁさぁ、寄ってらっしゃいよ・・今から『おシャカ様の紙芝居』が始まるよ!」と言って、無理やり通り掛かりの人を何人か集めて来て、そこで僕が拍子木を鳴らして『紙芝居のはじまり、はじまりー』と調子を合わせて演った。
 一日何回、同じ紙芝居を演ったであろう・・、よく覚えていないが、とにかく恥ずかしかった。・・が、面白かった。排気ガスでのどが痛かったが、《ギャラ》としてシュークリームとケーキとペコちゃん人形をもらったので〔まぁええ〕とした。

 それから何年か経ち・・よく流行っていたこの店も、今はもう閉店して無い。それは店長の跡継ぎ息子さんが病気で亡くなり、それから店長は働く《気力》を無くしてしまわれたからである。・・が、いつか又、必ずこのオモロイ店長は不死鳥のように《復活》されるであろう!・・と思う。僕はそう信じている。
 

『正しいこと』って何?

 前回、『八正道』について簡単に説明させてもらったが、今回はそれについて少し補足したい。
 たとえば〔正見(ショウケン)〕とは『正しく見る』と説明したが、・・では『正しく』って何なのだろうか?
 ・・現代の世界の中の《局地的戦争》一つ取っても、皆が「これは我が国の《正義》の戦いである!」という大義を掲げて戦い、人を殺している。
 『正しい』ということの意義づけは〔政治〕を通して見ると実に難しい・・。
・・では〔仏教〕ではいったいどのようなことが『正しい』というのか?
 その答え・・。
 仏教の『正しい事』とは、《自他(ジタ)〔自分と他人〕を活かし共に喜ぶこと》を云う。
 反対に『悪い事』とは、《自他を殺し、悲しませること》を云う・・のだ。
 仏教では『他の人を泣かすような〔正しさ〕などはない!』・・。実にシンプルな答えである。
 つまり〔正見〕とは『偏らず皆が幸せになるような見方をする』という事になる。

 ・・この考え方でいけば《聖戦》なんてモノはないのかもしれない・・と僕は思うのだが、皆さんはいかに・・? 

おしゃか様は何を悟られたのか・・?

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 ・・昨日の続きになるが、おしゃか様は〔悪魔〕に打ち勝ち、ついに35才で《悟り》を開かれる。
 では、おしゃか様はいったい何を悟られたのか・・?
 ・・いったいどのような〔苦〕の解決法を考えだされたのか?
 今日はその内容を簡単にお話したい。
 結論からいうと、おしゃか様は三つの事を《お悟り》になったと云われている。
 その一つ目は〔縁起(エンギ)〕・・。
 これは『縁(ヨ)りて起(オ)こる』という意味で、〔この世の一切のものは、他の物に縁りて(依存して)起きるのだ〕。つまり物事は独立してあるのではなく、お互い関係しあって在るのであ~る、という意味。(だから、〔苦〕にも必ず〔原因〕があり、それを無くせば〔苦〕も消えると考え出された)

 二つ目は〔四諦(シタイ)〕。
 この〔四諦〕とは《四つの真理》という意味で、〔苦諦(クタイ)・集諦(ジッタイ)・滅諦(メッタイ)・道諦(ドウタイ)〕を云う。
・・ややこしくなるから、できるだけ簡単に説明する。
〔苦諦〕とは『人生は〔苦〕だ!楽しい事があっても、いずれ必ず悲しみに変わってしまうも~ん』という真実=《真理》。
〔集諦〕とは『〔苦〕があるという事は、必ずそれを作る〔原因〕がある!』という真実=《真理》。
〔滅諦〕は『〔原因〕があるならば、必ずそれを〔消滅〕させる事が出来る!』という真実=《真理》。
〔道諦〕とは『〔苦〕の原因をつきとめ、必ずそれを〔消滅〕させる〔具体的方法〕はある!』という真実=《真理》。

 三つ目が〔八正道(ハッショウドウ)〕。
 これは〔道諦〕の《具体的八つの実践方法》である。(読まれている方は、だんだんと頭がパニくッて来られたかもしれないが、ここは避けることができない大事なトコなので勘弁してほしい・・)
一、正見(ショウケン)『「お~ママ、ママ~」それはショーケンや!ちゃうちゃう、本当は〔正しく見る〕』
二、正思惟(ショウシユイ)『正しく考える』
三、正語(ショウゴ)『正しく語る』
四、正業(ショウゴウ)『正しい行い』
五、正命(ショウミョウ)『正しい生活』
六、正精進(ショウショウジン)『正しい努力』
七、正念(ショウネン)『正しい道を想い念じる』
八、正定(ショウジョウ)『正しい精神統一』
・・以上が、簡単そうでなかなか困難な『八正道』という〔苦〕を消滅させる〔具体的実践方法〕である。

・・大急ぎで、おシャカ様の《悟り》の内容を説明してきたが、・・ではこの『八正道』が実践できそうもないという人はどうしたら良いのか・・?
 その答え!できない人の為に『南無阿弥陀仏』という「ワテ何も修行できまへんけど、阿弥陀仏様にすべてお任せしてます。だから安心なのよ、ありがとう!」というお念仏がありまんねんで・・。以上。おわり 合掌

『ゴメンください、ドナタですか、アミダ仏です・・ありがとう』

 先日、或るお寺の〔お説教専門〕の先生がこう教えて下さった。
 「浄土真宗の〔他力本願〕の教えというのは・・、
 アミダ仏の『人間を救うぞ!』という願いが、我々の元に届いたその証として、私たちの口から『〔仏様ありがとう〕という意味の《ナムアミダブツ》という感謝の《お念仏》』が出てくるのです」と言われた。
 考えてみればこの理論はややこしく難しい・・。
 この考え方でいけば、我々は困った時でも、「仏様っ!救ってくださ~い」と《お念仏》を称えるのではなく、「仏様っ!救って下さっているのですね、ありがとう」と言っていることになる。
 つまりもう結果がでているというべきなのか・・。
 困ったままに《感謝》をすべきという事なのか・・。
 又、これでいくと《仏様》と《私》は、常に対象的にあるのではなく、《仏様》がすでにこの《私》を統括してくださっていると考えて良いのだろうか・・。
 つまり、この私は《仏様》の救いの中で悩んでいるのか?
 《仏》と《私》ではなく、《仏》の中の《私》・・か。
 ああ、頭の回線がコンがらがる!
 一晩考えて、僕は『吉本新喜劇』流にこう結論を出した。(なんで『お笑い』に走るねん・・〔笑い〕)
 新喜劇には〔クワバラカズオさん〕という芸人がおられ、劇中でいつも登場する時、「ごめんください、どなたですか、私は○○に住んでるクワバラと申します、お入り下さい、ありがとう」と全部一人でやってのけ笑いを誘うギャグを披露する。
 僕は、《仏》と《私》の『お念仏』での関係は、この〔ギャグ〕で表せると思ったのだ。(「怒られるで、しかし・・」)
 つまり僕の勝手な《仏の中の私》という《お念仏》解釈はこうだ!
『(ゴメン下さい、どなたですか) 私は皆ができない難しい修行をみんなの代わりにやって仏となった《アミダ仏》というものです、だからあなたはもう修行をしなくて良いのです、すでに救われているのですよ、信じますか、信じてますよ、ありがとう、いえいえこちらがありがとう』・・・と一人でやっている、これが浄土真宗の《お念仏》ではないだろうか・・?!
 「なんか僕、間違った事言うてまっか!」・・今度いっぺん偉い先生に聞いてみたろ!(「やばいで、しかし・・」)
 もういっぺん言おか・・。『ゴメン下さい・・やめとこ』

『やぃ われ!』・・・

 大阪市内から、《南河内》のお寺に引っ越して来て、約10年が経った・・。
 同じ《大阪府》ではあるが、〔大阪市内〕の方言と〔南河内〕の方言は少し違う。
 ・・それで、やはり僕は《他所(タショ)〔河内弁でよそ者の事〕》の人間なのだなと思うことがある。それは檀家さんの家の《ブッタン〔河内なまりで仏壇の事〕》に、法事などでお参りに行かせてもらった時、そこのご主人の僕に対しての〔はなし言葉〕と家族や親戚に対しての言葉使いが微妙に違うからだ・・。
 やはりそこに、僕に対しては分かりやすい言葉を使ってくださっているように感じる・・やんけ。しかし、親戚同士の会話からこっちに話を振られた時、わからぬ方言があり・・理解出来なかったり、たまにであるが寂しい想いもする。
 それでなんとか〔河内弁〕を初級コースぐらいはマスターしたいと思っていたら、ついに地元の本屋で『南河内ことば辞典 やぃ われ!』という本を見つけた。これは《富田林 河内弁研究会》という所が『構想8年 製作3年 塩漬け2年(本の帯に書いてある!)』をかけて生まれた『辞典』らしい。・・すぐ買った。
 これは実際にたいへん役に立つ本だ!(僕にとっては・・)。少なくとも英語の辞書より役に立つ。〔笑い〕
 長くなったが、おもしろいので、この本から少しその〔方言〕をピックアップしてみたい。
 まずこちらでは《本家・分家》の事を〔母屋(オモヤ)・隠居〕と呼ぶ。・・そしてこの〔隠居〕とは、『水戸黄門によく出てくる〔ご隠居〕様という〔引退した人〕の意味ではなく、独立・分家した家の事を意味するのだ』。・・だいぶ前になるが、実はこの意味が解った時は嬉しかった・・。(まるですべてのなぞが解けた推理小説のようで・・)
 又こちらでは〔世話をかける事〕を〔あやかす〕という。・・たとえば『ほんまに、えろうアヤカシまんなぁ』とは『本当にずいぶん世話をかけますねぇ』という意味になる。・・この〔あやかす〕の意味が解った時も嬉しかった・・(これ、ばっかり)。その他〔あらくたい(あらっぽい)〕・〔おとましい(めんどくさい)〕・〔せたらう(背中に担ぐ)〕・・などがあって切りがないのでこの辺でやめるが、この本は当分手離せないなと思う。まぁ〔せぇだい(精一杯)〕ワカラン言葉があったら活用させてもらいます!
 

寅さんの名(迷)言に感動!

 ビデオ・カセットの時代は終わり、今はDVD全盛の時代なのか・・、先日《レンタルビデオ屋》に行ったら、『男はつらいよ』のビデオがなんと一巻〔百円〕で売られていた。
 ・・それで思わず、何巻か買った。
 僕は〔渥美清さん〕のファンなので、ほとんどこの映画のシリーズは見てると思うのだが、改めてビデオを見たら、感心する言葉が多く、思わず何回か巻き直してメモした。
 今日はそれを一つを紹介したい・・。
 場面は〔寅さん〕と甥の〔満夫〕の会話である。
 悩める満夫が寅さんに聞く・・。「大学に行くのは何のためかな?」と。すると寅さんは「決まってるでしょう。それは勉強をするためです」と答える。
 それで満夫は「じゃあ、何の為に勉強するの?」とさらに質問を続ける。
 すると、寅さんはこう答える。「そういう難しいことは聞くなって言ったろう。・・つまり、あれだよ、ほらっ。人間長い間生きてりゃ色んなことにぶつかるだろう。そんな時に俺みたいに勉強してない奴は、振ったサイコロの出た目で決めるとか、その日の気分で決めるよりしようがない。・・ところが、勉強した奴は自分の頭できちんと筋道を立てて、『こういう時はどうしたらいいかな』と考えることが出来るんだなぁ。だからみんな大学に行くんじゃないか」・・と。
 この言葉はドキッとする!・・僕は大学は出たものの、ちゃんと筋道を立てて考えず、その日の気分で流されながら今も行動して生きている・・。反省しかりだ。ちきしょうめ!このやろう!あかん、だんだん僕も〔寅さん化〕して来た。
 それでは、ここらで僕も〔寅さん流〕に反省するとするか。「・・想い起こせば、ワタクシ恥ずかしき事の数々、僧侶になった今もただただ反省と後悔の日々でございます・・。どうか愚かしき私ではございますが、御いっとう様、何卒これからもご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
 車 (直)次郎」 

法事の席で紙芝居、お通夜の席で紙芝居・・

 最近、あちこちで『紙芝居』ばかりやってるから、口コミで広がるのか、檀家さんからも『紙芝居』のリクエストがある。
 ・・たとえば先日も、「住職さん、今度の〔法事の〕席で、読経が済んだら『紙芝居』やったってくれませんか?子供等もぎょうさん来よるので・・」と頼まれたので、・・演った。
 その後、「やぁ~、楽しい法事でしたわー。盛り上がりました!故人もきっと喜んでくれてると思います」と言われて、喜んでいいのか、又《盛り上がっていいものなのか?》と思い・・複雑な気持ちだった。
 又、別の話・・。
 葬式屋さんから電話があって、先日お葬式をひとつ頼まれた。
 その時「いや~、住職さん、亡くなられた方の奥さんが〔うつ〕の状態でして、落ち込み方がひどいので、お通夜の読経が済んだら、ひとつ例の『紙芝居』を演ったってもらえませんか?」と頼まれた。・・証拠にもなく又その席でも・・演った。
 祭壇を背にして・・。
 それで、奥さんが和んでくださった。
 その後、オードブルやおすしを摘んで一緒に食事をし、故人のカラオケビデオを見たりして、べちゃべちゃおしゃべりをして盛り上がって帰ってきた。
 故人の奥さんと葬儀屋さんは喜んでくれたが、・・こんな風に『紙芝居』を使ってもいいのだろうか?と少し僕は悩んでしまう。
 でも僕には、結局こんな風にしかお慰めできないのだから、『まぁええか・・』と自分に言い聞かし、今日も無事に一日を終えるのであった。・・なんのこっちゃ。
 

紙芝居の展覧会

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 大阪は天王寺区に『應典院』というちょっと変わったお寺がある。このお寺、一見《美術館》のような形をしている。
 ・・というのも、ここのお寺の御住職は元映画プロデューサーで、感覚が《現代的アーティスト》であり、たとえば・・「お寺の存在価値って何だろう?」とか、「皆が気軽に寄れるお寺はどうあるべきか?」又、「お寺は芸術・文化の発信基地であるべきなのだ!」などと云う事を常に考えておられる。だからこのお寺では《仏事》を勤めるよりも、演劇会やコンサート、又は美術展などを開催している時の方が多い。(いつも若者がウジャウジャしてるホンマ変わった寺です)
 僕はラッキーな事に、この御住職と親しくして頂いていて、そのご縁で、三年前にここで《紙芝居展覧会》を開かせて頂いたことがある。
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 延べ九日間に渡る《展覧会》であったが、いつも『出前』に行かせて頂いている『老人ホーム』のお年寄りの皆さんや、僕の活動に賛同して下さっている『医療・福祉』関係の友人達も来て下さり、大変貴重なひと時を過ごさせていただいた。今思い出しても大変感慨深く、感謝感謝である。
 又、いつか機会があればこのようなイベントをさせて頂きたいなと思っている。(ご要望があればの話ですが・・?)合掌

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