住職のつぼやき[管理用]

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最近、恥ずかしかった二つの話

 今日は最近あった《二つ》の恥ずかしかった話を書きます。
 一つ目。
 僕はいつも近くの檀家さんへは自転車でお参りに行くのだが、その日は天気も良く、田んぼ道を割と大きな声で「フフフッ~~ン、フフーン・・」と〔鼻歌〕を歌いながら、走っていた。
 その時、フト、人の気配がしたので後ろを見ると、檀家の奥さんが、自転車ですぐ後ろを一緒に走っておられた。奥さんは、少し笑った顔で目を合わさず会釈をされ、僕を追い抜いて行かれた。
 僕は顔から火が出るぐらい恥ずかしかった・・。そこで一句、『気をつけよう、誰かが聴いてる、そのフフフーン』・・失礼。

 二つ目。
 今、僕の住む町で〔町議員選挙〕をやっているのだが、その《出陣式》に事務所に顔だけ出してくれ、と言われて行ってきた。
 その時、近所のおっちゃんが、時間待ちの退屈まぎれに僕に「この前、京都の寺に研修行って来たそうやなぁ。どやった試験は、うまくいったか?」と聞かれたので、僕はうかつにも「あかん、あかん、落ちた、落ちた」と言ってしまった。その時、ふと斜め前を見ると、〔立候補者〕がおられ、僕と目が合った。僕は必死で「あなたの事ではございません、ございません・・」と目で言ったが、うまく通じたか・・?。そして、〔選挙事務所〕の中の《禁句》、『落ちる、すべる、下る!』との張り紙をしっかり熟読させて頂いた。・・ホンマ、うかつやった!そこで一句、『気をつけよう、うかつな一言、オチ・スベ・クダル』・・字余り〔笑い〕。 失敬!

『気持ちが合う』瞬間!(《信仰を持つ者》と《持たない者》)

 老人ホームには、さまざまな宗教・宗派の方が居られる。
・・で、施設内で『法話会』をするに当たって気をつけている事は、一つの教え(教義・教学)に執わらず、他宗の批判をしない事。そして皆が納得できるような『道徳』に近いような救いのある話をする事。
 又、皆が仲良く生活できるような実生活に活かせるような話をする事。これ等を、いつも心に留めおいてお話している・・つもりだ。
 ・・であるから、僕の苑内でやっている『法話会』には、色々な宗教(浄土真宗・浄土宗・日蓮宗・曹洞宗・融通念仏宗・真言宗・キリスト教・天理教など)の方がお出でになる。(ある意味でエエ加減な話しか、僕はできんから、皆さんは気楽に来られるのだろう。〔笑い〕)
 これらの方々とは、《教えの違い》こそあれ、どんなお話をしていても、『ピタッ』と気持ちが合う瞬間が毎回ある。
 『ツゥ』と言えば『カァー』と解ってくださるのだ。
 そんな時、何らかの《信仰》を持つ者同士の共通認識(わからん表現ですんません)を毎回感じる。
 ・・が、がっ、である。信仰をまったく持っていない人には、(タマに『法話会』に来られるのだが、)それが無い。話が通じないのだ。
 僕もこれ以上、《何かを信じる事によって得る安らぎがある》という事をどう説明(表現)して良いか、わからなくなるのだ。
 そんな時、自分の説明できない力不足を感じつつも、信仰というものは、やはり《個人の内面のもの》なのだと思ってしまう。

 ・・僕の『法話会』は、《信仰》を持ってもらう為の会ではない。
 何らかの《心の安らぎ》を一瞬でも、感じてもらう為の会だと思っている。
 そう思いながらも、《信仰を持たない方》に対して、信仰を持つ事の大切さを『紙芝居』で感じて頂きたいと常に思っているのである。
 そんな矛盾する、おせっかいな変な自分がいるのである。

「ありがとう」って言わなくなって・・・

 先日、老人ホームで月例『法話会』が終り、後片付けをしていた時の話・・。
 ひとりの女性が来られて僕に「住職さん、最近の子供は『ありがとう』って余り言わなくなったそうやねぇ。テレビでそう言うとったで」と言われた。
 それで僕は「じゃ、何か頂いた時とか、それに変わる言葉は何なんでしょうかねぇ」と言うと・・、
 その女性は「『どうも』・・やそうや」と答えられた。
「へぇー、そうなんですか」というと、「何か、大人みたいでマセとんなぁ。ハァハァハァ」と笑って車椅子で帰って行かれた。
 これは、ただの世間話だったのかもしれんが、大事な事を言って下さったような気がする。
 やっぱり《お礼の言葉》は『どうも』や『すみません』より『ありがとう』の方が、心がこもっていて良いような気がする。
 僕は、その女性の後ろ姿に『良いことを教えてくださって、ありがとう』と言って別れた。

ちょっと、オモロかった話・・

 先日、一週間、京都に居たという話をしたが、宿泊は《西本願寺》近くの《ビジネスホテル》を利用していた。
 その時にあった、ちょっとオモロかった話。
 毎日、エレベーターを使って〔宿泊部屋〕と〔フロント〕までの移動をしていたのだが・・、
 ある朝、遅刻しそうになって、急いでエレベーターまで走って駆け込んだ。
 その時、ずっと〔待機ボタン〕を押して、僕を待ってて下さったのが、ひとりの初老の白人外国人の方であった。
 有難かったので、僕は力を込めて、「さんきゅー、べりーまっち!」と大阪弁で言った。
 そしたら、向こうは日本語で、丁寧に優しく「ドウイタシマシテ」と言われた。
 僕は思わず、「逆やんけ・・」とつぶやいたら、向こうも笑っていた。(意味がわかったかどうかは不明?)
 それだけの話なのだけど、安物のコントみたいでとても面白かった。以上

お寺は《社会の凝縮図》!?

 テロとの戦いはまだ〔国際社会〕で続いているようだが、僕のお盆参りの暑さと自分との戦いは無事に終った!(自分で言ってて意味がわからん!夏バテです・・)
 今年はお盆参りの最中、三ヶ寺のお寺の〔お盆法要〕に、《紙芝居法話》という形で『出前』させて頂いた。
 その中で、ひとつ〔心に残った〕御住職さんのお話を今回は書かせて頂く。
 こちらのお寺で、どのような《紙芝居》をさせて頂こうかと考えていたら、今回、御住職さんから〔リクエスト〕があった。
 それは、「先月、子供さんを亡くされ、落ち込んでおられる檀家さんのご両親を癒す為に、『子供を亡くしたゴータミー』という《紙芝居》をして欲しい」というものであった。
 僕の『紙芝居』に、人の心を癒す力があるかどうかはワカランが、そのお話を聴いて是非そのようにさせて戴こうと思った。
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 ・・幼い子供を亡くし、悲しみのあまり、死んだ子供を抱いたままインド中を走り回り、助けを求めるゴータミーという母親。
 おシャカ様は、ゴータミーに「お葬式を出した事のない家から『ケシの実』をもらってきたら、子を助ける方法を教えよう」と言われる。
 それを聴き、必死になって一件一件の家を訪ね『ケシの実』を求めようとするゴータミーであったが、世の中に《お葬式を出した事のない家(死別の悲しみを知らない家)》は、結局一件も無かった。・・が、ゴータミーは、それぞれの家で様々な〔別れのお話〕を聴かせてもらっている内に、誰もが経験しなければならない《真理》を悟る。そして人の思いやりや優しさにも気づくことができたというお話・・。
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 このお話を《死》をどのように受け入れるかという〔テーマ〕にしてお話させてもらった。
 ・・結果、その紙芝居を見られ、ご両親はタオルを顔に当てて号泣されていたそうだ。
 〔法座〕が終ってから、ご住職と僕は色々と話し合った。
 「あの流された涙によって、悲しみの気持ちが少し和らいだか、ハタマタ増幅させてしまったかどうかは、実際にご本人に聴いてみないとわからないが・・、本堂で話を聴かれ、号泣されている人を見るのは初めてで、不思議な感じがした」と正直に言われた。
 又、もっと不思議さを感じたのは、「号泣されているその人の横で、何もないかのように居眠りをされている人が居たという事実であった」と、言われた。
 そしてそれは、「片や戦争や貧困で悲しみ、今泣いている人がいると思えば、その一方、平和を享受して何も感じないで生きている人があるように、このお寺の本堂の中にも《社会の凝縮図》が確かに有り、それを見たような気がした」と言われた・・。
 この言葉は強烈だった!
 ご住職のおっしゃられたように、お寺であっても、人がそこに集まれば、そこに《社会の凝縮図》が間違いなくできる。
 『紙芝居』に沿ったお話を一つするにしても、単なる自己満足的・宗教観念論ではなく、今そこにある《現実の社会》に向き合う気持ちで真摯にお伝えしなければいけないと思った。
 ・・このような《御法座》とお出逢いできた事、又意義深いお話を聴かせて頂けた事、私心から喜んでおります。本当にありがとうございました。では又、来年!(来年度の宿題テーマじっくりと考えておきます・・。そのうち・・) 合掌

作りかけの《紙芝居》!

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 今年も半分以上が過ぎてしまったが、今、作りかけの《紙芝居》が6本ある。(写真参照)
 おそらく、今年中には、全部『完成』しないと思う・・。
 いつ出来上がるかは、全くわからないが、一応、未完成作品を本日紹介させていただきたいと思う。
 未完成作品№1『目蓮さまの最後』 (これは『お盆のお話』の続編である。この『お盆』の紙芝居を見て下さった方が、「・・さぞや〔目蓮〕様は、良い亡くなり方されたのでしょうねぇ」と言われたので、神通力がありながら、己の意志で非業の死を遂げた〔目蓮〕様の最後を語りたくて、作りかけている作品)
 未完成№2『お隠れになったアマテラスの神』、№3『ヤマタノオロチを倒せ!』(『古事記』三部作を作ろうと思って表紙だけ作った)
 №4『弘法大師 空海さま』、(老人ホームの方のリクエストから、作りかけている作品。高野山・四国は取材済み)
 №5『願わくば花の下にて春死なん~西行法師の一生~』(私の住んでる河南町で亡くなった《西行法師》を是非紹介したくて書きかけている作品。西行さまの長い垂れた〔眉毛〕がチャームポイント)
 №6『不思議なクマグス』(和歌山の巨人〔南方熊楠〕の一生を是非紹介したくて書きかけている作品。『お寺の出前』で和歌山の白浜に行った時、熊楠資料館を寄って、是非この方の悲しくそして、オモロイ不思議な一生の『紙芝居』を作ってみたいと思った)
 ・・今、僕の頭の中は、これらの作品をどう完成させたら良いか!で一杯である。来年度には、すべて作ってしまいたいが、〔気力〕が沸かないと筆が進まない。又、もっと時間も欲しい・・と思う。
・・が、ボチボチいく。

お盆への道!

 いよいよ、8月の『お盆参り月』に入った。
 1年間で一番忙しい月だ!
 僕の地域では、檀家さん宅への(11日~15日までの)『お盆参り』とは別に、9日に、檀家さんのすべての〔お墓〕へのお参りがある。
ファイル 146-1.jpg (写真参照)
 うちの地域では、小さな山ひとつが、村の全部のお墓になっているので、この日、半日(朝5時前からお昼頃まで)、山を登ったり降りたりしながら、炎天下の中、すべてのお墓参りをする事になっている。(もちろん、雨天決行である・・いや雨の方が涼しくて案外有難いような・・)
 この日の為に、(ボクサーではないけれど)体調を整える。 マジで・・。〔笑い〕
 今年は7月に入ってから、任天堂の〔wiiフィット〕を買ってきて、外で運動できない分、室内で《ランニング》などして身体を鍛えた・・!?。〔笑い〕
 又、アルコールもやめた。
 その甲斐あってか、3キロほど痩せた。
 これで、山を走り回る(時間がないので、走って移動しないと、昼までに終れないのだ!)ハード墓参りにも耐えられるだろう。
 又、体重を落とした分、長時間の〔正座〕も耐えられるに違いないと、・・とちょっとだけ思う。
 後は、〔キューピーコーワゴールドA〕と、〔リポビタンD〕に命を任せることにする。
(頼むぞ!栄養・ドリンク剤!)

さまざまな、それぞれの悩み・・

 〔お寺〕の仕事をしていると、さまざまな人と『ご縁』ができ、そして、さまざまな方が来院される。
 先日も、自死された若い男性のお葬式をさせて頂いたのが、ご縁で、その方の奥様とお子様達が、自坊にお参りに来られた。
 この亡くなられた男性は、仕事や人間関係、そして借金などの悩みを抱え、最後は、自ら命を絶つという選択を取られたのだが、・・後に残された家族はたまったもんじゃない!
 長い長い月日と時間、〔その事〕を引きずりながら、これから生きてゆかねばならないのだ。
 生活の心配もあるが、この残された家族の〔心のケア〕は、いったい誰がしてあげれば良いのだ!
 少なくとも僕にはできない・・。
 この亡くなられた男性のご両親は、今、この奥さんの事を怨んでおられる。
 もちろん、どうしようもない事だと解っていながら、「どうして息子に一番近いあなたが、察知して止められなかったのか!」と思っておられるのだ。
 親としては当然の気持ちであろう。
 でも、お嫁さんにも言い分はある。「死にたい、死にたいとあれだけ言っていた人なので、今は本当に楽になったろうなと思っているのです。あの人の気持ちが一番解っていたのは私です。・・でもやっぱり寂しく、つらいのです」という・・想いがある。
 僕は、その〔義理〕の親と子の間にたって、お互いの今の気持ちをそれぞれに聴き、お互いへ、その言葉のキャッチボールをしてあげるぐらいしかできない。
 今はただお話を聴き、一緒にお参りをするだけなのだ。
 この自死された方の奥さんは、今、毎日、亡くなったご主人への手紙を書いておられる。
 それを持ってお寺にお参りに来られるのだが、「この手紙、後はどのように始末すれば良いですか?」と聞かれる。
 それで、「今はそのまま大事に保管しておいて下さい。その内にお寺で〔お炊き上げ〕させてもらいますので・・」と僕は言っている。
 その手紙は、いつか、ご両親にお見せしてお話してあげたいと思っている。
 
 

淀川キリスト教病院・ホスピス病棟への出前

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 何年か前に、大阪の『淀川キリスト教病院』〔ホスピス病棟〕へ、《お寺の出前》に行ったことがある。 (写真参照)
 まず、この病院から、『出前』依頼の電話があった時に、僕が言った言葉は、「僕は仏教徒ですが、そちらにお話に行かせて頂いても良いのですか?」と云う言葉だった。
 答えはもちろん「OK」だった。
 ・・それは、この病院の名には《キリスト教》が入っているが、それは〔治療の精神〕を表すものであって、入院患者さんは、〔仏教徒〕や〔無宗教〕の方が多く、又、《信仰の自由》も大事にしているから・・らしい。
 でも、《僧侶》のかっこうでお話するにしても、やはり《キリスト教病院》ということで気を使い、『紙芝居』は、外国のお話で『幸福の王子』という、天使や神が登場するものにして、益々、違和感が倍増したかもしれない。〔笑い〕

 この〔写真〕は、エレベーター前の〔休憩談話フロアー〕で、ここを会場にして、各お部屋から《ベット》ごと移動してもらい、『紙芝居』を皆さんに見てもらった。

 ホスピス病棟は、自分の限りある《命》の時間を大切にされておられる方ばかりなので、言葉も一語一語噛み締めるように、こちらもお話したのを覚えている。
静寂の中で、不思議な温もりを感じさせる《淀川キリスト教病院・ホスピス病棟》・・。又、ご縁があれば、是非行かせて頂きたいと思っている。
 
 

『死ぬに死ねん』悩み?

 先日、或る『老人ホーム』であった実話!
 『出前法話』も終わり、後片付けをしていたら、一人の車椅子の女性が、職員さんと一緒に「話を聞いて欲しい」と来られた。
 その内容は「人が死ぬと火葬される。その火葬される時、熱くはないかと心配で、この悩みが解決しないと、『死ぬに死ねん』」という事であった・・・。
 笑い事ではなく、真剣な顔で来られたので、ちょっとまいった。
 ・・が、ここは、力強く言っとかんとダメだと思い、「大丈夫!お経の中に、人が死んだ時には《仏様》が、ちゃんと〔極楽浄土〕から、迎えに来て下さると書いてあります。だから安心して下さい。火葬されるのは、セミの抜け殻みたいなもんで、熱くも何ともないのです!」と、ちょっと大げさに言わせてもらった。
 「これで安心しました・・」と言われ、又、職員さんと一緒にお部屋に帰って行かれた。
 考えてみれば、我々が思うより、ずっと真剣に『老人ホーム』のお年寄りの方は、《死》を考えておられるのだろう。
 これからも、そんなお年寄りの悩みに寄り添って行きたいと思う。

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