住職のつぼやき[管理用]

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『気持ちが合う』瞬間!(《信仰を持つ者》と《持たない者》)

 老人ホームには、さまざまな宗教・宗派の方が居られる。
・・で、施設内で『法話会』をするに当たって気をつけている事は、一つの教え(教義・教学)に執わらず、他宗の批判をしない事。そして皆が納得できるような『道徳』に近いような救いのある話をする事。
 又、皆が仲良く生活できるような実生活に活かせるような話をする事。これ等を、いつも心に留めおいてお話している・・つもりだ。
 ・・であるから、僕の苑内でやっている『法話会』には、色々な宗教(浄土真宗・浄土宗・日蓮宗・曹洞宗・融通念仏宗・真言宗・キリスト教・天理教など)の方がお出でになる。(ある意味でエエ加減な話しか、僕はできんから、皆さんは気楽に来られるのだろう。〔笑い〕)
 これらの方々とは、《教えの違い》こそあれ、どんなお話をしていても、『ピタッ』と気持ちが合う瞬間が毎回ある。
 『ツゥ』と言えば『カァー』と解ってくださるのだ。
 そんな時、何らかの《信仰》を持つ者同士の共通認識(わからん表現ですんません)を毎回感じる。
 ・・が、がっ、である。信仰をまったく持っていない人には、(タマに『法話会』に来られるのだが、)それが無い。話が通じないのだ。
 僕もこれ以上、《何かを信じる事によって得る安らぎがある》という事をどう説明(表現)して良いか、わからなくなるのだ。
 そんな時、自分の説明できない力不足を感じつつも、信仰というものは、やはり《個人の内面のもの》なのだと思ってしまう。

 ・・僕の『法話会』は、《信仰》を持ってもらう為の会ではない。
 何らかの《心の安らぎ》を一瞬でも、感じてもらう為の会だと思っている。
 そう思いながらも、《信仰を持たない方》に対して、信仰を持つ事の大切さを『紙芝居』で感じて頂きたいと常に思っているのである。
 そんな矛盾する、おせっかいな変な自分がいるのである。

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