住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「半人半鳥 カラヴィンカ(迦陵頻伽)の話」(後編)

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心の中でカラヴィンカは、つぶやきました。
(カラヴィンカ)「あぁっ、声がでない、声が出ない・・。
 もう、私は一生唄えないのかしら・・。・・ああっ、私はこれから何を生きがいにして生きていけば良いの⁉」と。
 その心の声を聞いた仏様が、極楽浄土から降りて来られました。
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 仏様は、カラヴィンカに向かって言われました。
(仏様)「カラヴィンカよ、お前は本当に良くやってくれた。
 私の仕事を代わりをやってくれたんだよ。
 たくさんの動物たちの心を救ってくれた!
 お前の歌声は、仏の声そのものであった。
 ・・さぁ、極楽浄土に参ろう。
 お浄土で、きっとお前の声はよみがえるであろう。
 それまで、リハビリのつもりで、この笛を吹いてなさい。
 さぁ、カラヴィンカよ、こんどは極楽で、お前の歌を披露しておくれ。」と。
 カラヴィンカは、それを聞き、目を涙をいったい浮かべて深く頷きました。
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 そして、カラヴィンカは、仏さまと一緒に[極楽浄土]へと向かいました。
 言うに及ばす、カラヴィンカの声は、極楽の国で見事に蘇りました。
 そして、さらに美しい声に磨きをかけて、今も極楽一の歌声を披露しながら、優雅に飛び回っています。
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 この伝説の鳥[カラヴィンカ]は、やがて『迦陵頻伽(かりょうびんが)』という名で、日本の雅楽の演目の一つとなりました。
 そして、仏教行事の舞楽として、今も子供たちがカラヴィンカに似せた装束をつけながら、優雅な舞いを披露しています。
 おしまい

紙芝居:「半人半鳥 カラヴィンカ(迦陵頻伽)の話」(中編)

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 やがて、カラヴィンカは成長して、空高く舞い上がり、いろんな所へ、歌を届けるようになりました。
(カラヴィンカ)「みんなーっ、私の歌を聞いてー!」
 カラヴィンカは、素敵な歌を唄いながら空を飛び回りました。

 (◎余談ながら、病院内でこの紙芝居を演じていた時は、本当にここで「それじゃ、唄うのが楽しくてしょうがないカラヴィンカのように、ここで皆さんと一緒に歌を唄いましょう。それでは『手のひらに太陽を』をです。・・[僕らはみんな、生きているー・・]と、ワンフレーズを看護師さんと一緒に歌った。・・そう、この紙芝居は(僕のリハビリも兼ねて)『唄える参加型紙芝居』にしたのです。
・・又、話は違うが、先日テレビで、参加して歌えるディズニーの映画があるというのを見て驚いた!・・考えることは(規模は違うが)一緒やんっ!て。余談おわり)

 本当にカラヴィンカは、歌が上手でした。
 カラヴィンカが唄うと、みんなうっとり聞き惚れて・・。
 そして、たくさんの鳥や動物たちも集まって来て、一緒に歌いました。
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 そして、カラヴィンカはいろんな所へ歌を届けに行きました。
(カラヴィンカ)「まぁ、なんて可愛い雛たち。たくさん生まれたのね!お母さん、おめでとう。それじゃ、子育てのお祝いに一曲、唄わせてもらいますね。」
 と、カラヴィンカは、心を込めて歌を唄いました。
 (◎余談ついでに、ここでは「さぁ、みなさん、小鳥のお母さんを元気づけるように、カンさんの『愛は勝つ』をワンフレーズ唄いましょう」と唄った。)

(母鳥)「カラヴィンカさん、本当にありがとう。私、こんなにたくさんの子供たちが生まれて、うれしい反面、子育てに不安だったの。
・・でも、歌を聞いて、何か元気が出てきたわ!」と、母鳥はカラヴィンカに御礼を言いました。
 カラヴィンカも、それを聞いて幸せな気持ちになりました。
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 又、カラヴィンカは、悲しみの現場にも寄り添いました。
(カラヴィンカ)「まぁ、象さん、どうしたの?」
(小象)「おっお母さんが、病気で死んじゃったんだ~。
・・僕はもう、一人ぼっちだ。
 とても、生きていけないよ~。」と、小象は答えました。
 それを聞いて、
(カラヴィンカ)「あっ、そうなの。・・悲しいことね。・・私には何も出来ないけれど、・・心が癒されるような、そんな歌を唄わせてもらうわ。」
 と、カラヴィンカは、優しい優しい歌声で、小象のために歌いました。
(◎これも余談ついでに、ここでは「さぁ、皆さんも小象を慰めるように『涙そうそう』を唄ってください」と、看護師さんと唄いました。)

(小象)「カラヴィンカさん、ありがとう。」
 と、小象とカラヴィンカは、静かで温かい時間を過ごしたのでした。
 このような、心の優しいカラヴィンカでしたが・・、
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 あまりに、あちこちで歌を唄い過ぎたせいか、ついに、のどを痛めてしまいました。
 そして、声が出なくなってしまったのでした。
 つづく
 

紙芝居:「半人半鳥 カラヴィンカ(迦陵頻伽)の話」(前編)

 この作品も、[リハビリ病院]に入院中に完成させたものだ。
 ・・なんだかこの作品を描いていて、主人公と自分自身が重なってしまい、切なくなってしまったのを覚えている。
 それでは、「入院三部作」[第二段]のはじまり、はじまり~。
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 『迦陵頻伽(かりょうびんが)』という名前で、知られている[極楽]の鳥を、皆さんはご存じですか?
 この鳥、正式には、古代インド語で「カラヴィンカ」と呼ばれています。
 上半身が「人間」の姿。そして、下半身が「鳥」の姿をしたカラヴィンカ。
 それでは、今も美しい声で、極楽を飛び回っているという、この鳥のお話を聞いていただきましょう。
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 昔むかしの大昔。
 雪深いヒマラヤの森の中に、一つの大きなタマゴがありました。
 このタマゴ、まだ孵化していないのに、中からきれいな歌声が聞こえて来ておりました。
 そのあまりの不思議なことに、森の動物たちが、みんな集まって来たのでした。
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(おさる)「これは、どういう事だろう?
 中からどんな生き物が生まれてくるんだろう⁈
 ・・鳥かな?・・いや人間の歌声のようにも聞こえるな?」
 その時です!
 タマゴがパリパリッと割れて・・、
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(カラヴィンカ)「みなさーんっ!こんにちはー!・・私、カラビィンカ!
 歌うのが大好きな[鳥人間]でーーす!
 もう、外に出るのがまちきれなくて・・、うずうずして、タマゴの中でも唄っていたのよ!」と、カラヴィンカが飛び出てきました。
 それを見て、一匹のうさぎが、
(うさぎ)「君はどうして、そんな身体をしているんだい?」と聞きました。
 するとカラヴィンカは、
(カラヴィンカ)「そんなこと知らなーーい!・・きっと唄うのが大好きなので、いろんな所へ歌を届けるために、鳥の羽があるんだと思うわ!」と、カラカラカラと笑いました。
 つづく

紙芝居:「新・三尺三寸の箸」(後編)

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(若者)「仏様っ、もう[極楽]の住民たちは、きちんと席についておられるようです。
 行儀良く、合掌して、ご馳走を頂こうかと・・・⁈
 ぎょぎょ、あのお箸は!
 [地獄]と同じものではありませんか⁉
 ・・・と、いうことは、
 むっむっむっ、やはり、伸びました!
 仏さまっ、やはり、極楽でもご馳走は食べれないのでしょうか⁈」
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(仏様)「見よっ、若者よ。地獄とは違って、極楽では、皆あのように、お互いが食べさせ合うのじゃ。
 あーーーんと、口を開けてなっ。」
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(若者)「あっ、解った!わかりました、仏さま。

 [地獄]と[極楽]の違いが!

 [地獄]では、自分さえ満足できれば良いと、思うがゆえに、幸福になることが出来ない。

 反対に[極楽]では、思いやりの気持ちが、皆を幸せにしてゆく。

 これが、[地獄]と[極楽]の違いなのですね!」
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(仏様)「そうじゃ、その通りじゃ!よくぞ、悟った、若者よ。
 これから、お前はその思いやりの気持ちを忘れずに、生きるのじゃぞ!・・では、さらばじゃ。又会おう!」
 と言って、Vサインをして去ってゆかれました。
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 やがて、この若者は綺麗なお嫁さんをもらいました。
 
 そして、赤ちゃんが生まれました。

 家事に子育てに忙しいお嫁さんに、この若者は、あの夢で見た[三尺三寸のお箸]を実際に作って、あーーーーんと、食べさせてあげて、末長く末長く、幸せに暮らしたということです。
 
 めでたし、めでたし。  おしまい

紙芝居:「新・三尺三寸の箸」(中編)

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(地獄の住民)「腹ヘッタ~、腹ヘッタ~・・。」

(若者)「仏さまっ、地獄の住民たちが、我や先、我や先と、目の前の[お箸」を手に取りました!」
(仏さま)「そうじゃ、ここではみんな、あのお箸で頂くのがルールなのじゃ。」

(若者)「あっ、仏さま⁉」
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(若者)「不思議です!・・お箸が、のっのっ伸びました!・・三尺三寸はあるでしょうか⁉・・地獄の住民が困っています。
 ・・あっ、おかずは掴めたのに口まで運べません。
 ・・あ~っ、みんなポロポロこぼしてます。
 ・・あ~っ、結局、誰も食べることができずに、時間がきて、泣く泣く諦めて食堂を出ていきました・・。」
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(仏さま)「・・地獄の住民たちは、ご馳走を目の前にしながら、食べられずに残念じゃったのお~。

 ・・さぁ、次は極楽に行ってみようぞ。」
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(仏さま)「着いたぞ。ここが極楽浄土じゃ。」
(若者)「・・花の良い香り、黄金の宮殿、美しい池、・・あ~っ、何とここは良いとこなんでしょう!」
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(仏さま)「じゃあ、お前を[極楽の食堂]へ案内しようかのぉ。」
(若者)「えっ、又、食堂ですか⁉」

(仏さま)「まぁ、そう言わずについて来い。」 つづく

紙芝居:「新・三尺三寸の箸」(前編)

 さて、久々に「紙芝居」を載せるとしよう。
 この作品は、僕が入院中にベットの中で、スケッチブックに描いたものだ。
 だから、何も見ないで頭の中だけで想像して描いた作品なので、どうしても絵が雑だ。
・・ただ、前からリメイクしたかった作品なので、思い入れもある。
 では、僕の『入院三部作』の内の第一作目を見て頂きましょう。はじまり、はじまりー
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 一尺とは、30.3センチ。
 一寸とは、3.03センチ。
 つまり、三尺三寸とは、99.99センチ。・・つまり、約一メートルのお箸のことである。
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 昔むかし、あるところに、信心深い若者が、ひとり住んでいました。
 この若者には、一つの願いがありました。
(若者)「・・一度で良いから、極楽と地獄がどんな風に違うのか?見てみたいものだ・・。」と、思っていました。
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 そんなある晩、夢の中に、仏様が現われました。
(仏さま)「お前の願いをかなえてやろう!」
 そう言って、地獄・極楽めぐりの旅へと、連れ出したのです。
(仏さま)「さぁ、まずは地獄じゃ!」
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(仏さま)「・・ほら、見えてきたぞ。あそこが地獄じゃ。
(若者)「仏さま、なっなんか気味悪いところですねえ・・。」
(仏さま)「そうじゃのう・・。それでは、地獄の[食堂]へいってみようかのぉ。ふぉーっ、ふぉふぉふぉふぉ!いかん、喪黒福○みたいになってきたわい!」
(若者)「ゲッゲッ」
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(仏さま)「さぁ、着いたぞ。・・地獄食堂に。それじゃ中をそおっと、覗いてみようかのぉ。」
(若者)「あっ仏さま。地獄の住人たちが、入ってきました!・・それにしても、地獄にも、あんなご馳走があるんですねえ・・。」 つづく

紙芝居:「石山合戦始末記」(その5 最終回)

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 激動の時代を生き抜かれた『本願寺』第十一代[顕如]上人でしたが、京都に移られた翌年、文禄元年(1592)行年50歳で示寂。・・お亡くなりになります。
 そして、第十二代御門主には、長男の[教如]上人が就任されました。
 が、まもなくして天下人[豊臣秀吉]から、教如上人に呼び出しがありました。
 秀吉公は、「教如さんよ~。おみゃーさま、本願寺の第十二代御門主の地位をすぐに退任せりゃ~。そして、弟の[准如(じゅんにょ)]上人にその地位を譲りゃーも。
 こりゃなぁも、あんたの父の顕如上人の意志でもあるだがねぇ。・・ちゃんと、顕如上人の直筆の(准如上人への門主の地位の)『譲り状』がここにあるんだで。・・あんたの親族から、この秀吉の手元に届けられたんだがねぇ。つべこべ言ってんと、退任せりゃー。」と言われました。
 教如上人はまさに寝耳に水。びっくりしました。
 しかし、天下人の命令です。・・その命令は絶対でした。
 こうして、弟の[准如]上人が、正式な十二代御門主に成られたのです。

 教如上人は「・・おかしい。お父上の直筆の『譲り状』だと。私は、父上からそんな事一度も聞いてないぞ。・・又なぜ、そんなものがあるならば、父上が亡くなられた時、すぐにそれを出されなかったのだ。これは誰かの陰謀かもしれん。偽の『譲り状』なのかも。・・いや、もしかすると、父上は一度対立した私を、ずっと信用していなかったのかも・・?」と、悩みに悩みました。
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 そんな姿をじっと見ていたのが、徳川家康でした。
 天下人秀吉が亡くなり、関ヶ原の合戦が起こり、その戦に勝利し、事実上の天下人となった徳川家康は、或る日、[教如]上人を呼び出しました。

 家康は「教如さんよー、この家康が天下を盗ったからには、何と言ってもおみゃ~さんを(又名古屋弁や)、本願寺のご門主の地位に戻してやりたいが、大阪城にはまだ秀吉の息子の秀頼がおるでぇ。・・そんで今、おみゃ~さんたちの本願寺後継ぎ騒ぎに、わしが介入したら、又、どえりゃあ騒ぎになって、大戦がおこるかもしれんでねぇ。
・・それで、わしはエエことを思いついたんだわー。
 今の本願寺の横に、もう一つ別の[本願寺]を作るっちゅうのはいかんかねぇ。わしが許可だしたるでぇ。そうせりゃー。決めてちょう。」と言いました。
 これは、本願寺の巨大な力を分裂させようという、家康の政治的もくろみであったと思われますが、家康と仲の良かった[教如]上人は、これを受けられました。
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 こうして、弟[准如]上人が後を継いだ、通称(西)本願寺と、兄[教如]上人から始まった通称(東)本願寺に別れ、江戸・明治・大正・昭和を経て、平成の今にまで至っているというわけなのです。 おしまい
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 ちょっとだけ、あとがきに変えて余談を。
 この東西本願寺を分けた[顕如]上人の『譲り状』は、はたして本物だったのだろうか?
 それは今も、なぞのままなのである。
 今月の初め、上の写真の[中外日報]という宗教新聞に載っていた記事から読むと、『譲り状』の筆跡鑑定からみると、これはまさしく[顕如]上人の直筆であると発表された。
 もう一度いう。・・昔に解ったことでない。これは平成26年2月の今に発表された事なのである。
 でもまだ、なぜ?が残る。なぜ、教如上人が御門主を継がれる前に、この『譲り状』を直接、教如上人に見せなかったのか?
 そして、その手紙がなぜ、直接秀吉の手元に渡ったのか?
 ・・はっきり言って、この『譲り状』の真偽は(じっちゃんの名にかけても)まだ解らないのだ。

 ・・しかし、本願寺が分裂したのは、歴史の事実。
 僕の結論。「もう、どっちでもええやん。・・西と東に仰山、お念仏を称える場が増えたんやから、エエとしょうや!」

 ほんまに、おしまいだぎゃーも。
 

紙芝居:「石山合戦始末記」(その4)

 ・・余談になるが、ここまで読んで頂くと、長男[教如(きょうにょ)]上人ってタカ派なの?って、思われる方も多かろう。
 確かに、戦国武将のような勇気と人間的魅力を持たれた御方であったと思われる。 
 しかし僕は、やはり教如上人も(誰もが持つ)人間的弱い部分を一杯もっておられたの方ではなかろうか?と思うのだ。
 実は昨年の10月、この紙芝居を作る為に、滋賀県の『長浜市長浜城歴史博物館』へ教如上人の事を調べに取材に行って来た。(ちょうど『顕如・教如と一向一揆』という、特別展が開かれていた為だ。)
 そこで、教如上人の直筆で書かれた、石山本願寺を退出するに当たっての母親への手紙というのを拝見してきた。
 その手紙には、(脱出時の)教如上人の不安な気持ちが、母親宛にいっぱい書かれてあった。(長くなるので内容は書かない。アニメ一休さんの終わりの歌「母親さま~、お元気ですかー」みたいなもの?・・ちょっと違うかな⁈)
 人間を一律に[タカ派]と[ハト派]に決めてはいけないような、そんな気が僕はしたのだった。(長い余談終わり)
 さて、『紙芝居』に戻りましょう。
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 大阪城を脱出された[教如]上人は、その後、紀州(和歌山)・美濃・高山(岐阜)、そして越前を転々と秘回されます。(・・絶望的な気持ちであったかもしれません)
 が、しかし、又歴史が動く時が来ました。
 織田信長が、天正十年(1582)に、家臣の反逆によって、本能寺で自害するのです。
 信長は「是非に及ばずだぎゃー(「仕方がない」、大阪弁でいうと「しゃーない」という意味)」と言って、この世から去りました。
 この事件によって、のち、主君の仇討を果たした豊臣秀吉が天下人になります。
 そして、信長軍に追われていた[教如]上人も許されて、父[顕如]上人と和解。
 ようやく、又親子は仲よく?一緒に暮らすことができたのでした。
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 そして顕如上人たちは、やがて和歌山を離れ、大阪府貝塚にある『願泉寺』を本願寺の寺基(じき=ご本山)として、転入されました。
 さらに、そこから大阪の「天満」に移り、やがて天下人秀吉からの助言(命令?)によって、京都の「堀川」(今の西本願寺の場所)に「荒れた京都の町を本願寺の力で、又復活させてちょう。頑張ってもらわんといかんわぁ。」と言われて移るのでした。 つづく

紙芝居:「石山合戦始末記」(その3)

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 長い長い戦さは続き・・、
 本願寺の門徒軍も信長軍も、多くの犠牲者を出し、お互いがいつしか疲労の極致にまで達していました。
 そして、ついに[顕如]上人は、講和を決意したのでした。
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 「・・これ以上戦うことは、ご門徒を苦しめるだけだ。私は朝廷に間に立ってもらい、講和をしてここを安全に出ようと思う。・・皆はどう思うか?」
 と、[顕如]上人が口を開くと、長男の[教如(きょうにょ)]上人が、声を大にして反対しました。
 「お父上、・・いやご門主さま、それはなりません。信長という男、約束を守らぬ残虐な奴でございます。もし、皆が槍を捨て、ここを出たとしたら、そこを狙って必ず襲ってきます!・・父上がここを出られても、私は残ります!そして戦い抜きます!」と叫びました。

 こうして、父[顕如]上人派と、長男の[教如]上人派は対立し、別れることになったのでした。
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 こののち、顕如上人たちは無事、石山本願寺を退出することができました。
 一方、残った教如上人たちは、この後あくまでも抵抗を続けました。
 がしかし、多勢に無勢、やがて教如上人たちも、闇夜に紛れて脱出を決意。
 この脱出の後、何者かによって石山本願寺から火の手が上りました。
 そして、本願寺はすべて焼失してしまいました。(あぁ、もったいな・・)

 そして、今度は長男[教如]上人が信長に追われることになりました。
 教如上人は、先に退出し、今は和歌山の鷺森(さぎのもり)に居られる父[顕如]上人を頼られます。
 しかし、顕如上人は、息子の教如上人を義絶して、匿う事を拒否しました。(一時的に匿ったとも云われているが・・?)
 それで、教如上人は、各地を転々として逃げ続けることになるのです。
 「教如よ、すまん。お前を匿えば、信長は又我々を疑い、攻撃をし掛けてくるだろう。・・なんとか逃げてくれ。」と顕如上人は心の中でつぶやきました。 つづく

紙芝居:「石山合戦始末記」(その2)

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 その当時の本願寺の御門主は、第十一代[顕如(けんにょ)]という御名前のお上人でした。

 「困ったのお~、いったいどうすれば良いのじゃ。」と、悩みに悩まれた顕如上人。
 本願寺では、連日、白熱した会議が続きました。
 そしてその結果・・、
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顕如上人「・・もはや、やむを得ない。ご開山[親鸞聖人]様以来の、お念仏のご法灯をここで絶やす訳にはいかない。
・・信長は約束を守らぬ者と聞く。おそらく、我らがおとなしく本願寺を退出しても、門から出た所を狙って、われ等を襲う可能性は十分ある・・。いや、きっとそうするに違いない!・・さすれば、こちらが先手を討つか⁉」
 と、お上人は全国のご門徒に『檄文』をしたためました。
 そして、信長軍へ宣戦布告をしたのでした。
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「仏敵、信長を討てー!」
「お寺を守るんじゃー!」
「なまんだーぷ、ナムアミダーブ!」
 と、ついに、本願寺教団と信長軍との戦いが始まったのです。
 この戦いは、のち『石山(いしやま)合戦』と呼ばれ、途中、何回かの休戦和睦があったのですが、結果的に十一年間の長きに渡り、続くことになるのでした。(ながーっ) つづく

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