住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「妙好人 六連島のお軽さん」(その1)

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 『JR下関駅』近くから出航する下関市営渡船に乗れば、約20分で[六連島(むつれじま)]に着く。
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 ここが、『妙好人お軽(かる)さん』の故郷である。
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 この紙芝居制作の取材のために、今年の夏に(この島へ)行って来た。・・小さな島であった。
 お軽さんは、ここで生まれ、ここで結婚し、ここで子供産み、ここで悩み、ここで妙好人となって・・、ここで亡くなった。
 前置きはここまでとして、それでは[お軽さん]の紙芝居を観て頂きましょう。はじまり、はじまり~。
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 妙好人というのは、苦悩に満ちた人間世界で、仏様の本願を信じ、喜ぶ念仏者をいいます。
 [おかる]、というこの紙芝居の主人公もその一人です。
 下関の港から、少しばかり沖に出たところに[六連島]という、小さな島があります。
 おかるさんは、この島で生まれました。
 男勝りだったという、おかるさん。
 嵐の日でも、自ら小舟をこいで、北九州や下関のお寺に聴聞に行かれたそうです。
 でも、なぜ?
 このお話は、そんなおかるさんの物語です。つづく
 

 

紙芝居:「播州の宇右衛門さん」(その5 最終回)

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 ある年の冬のこと。
 日頃より、宇右衛門さん事が嫌いでしょうがないある男が、「宇右衛門をからかってやろう」と思い・・、
 「やぁ宇右衛門さん、今晩、うちの家で[報恩講]という法要をやろうと思っているんだ。ぜひ、おいで願えんか?」と、言いました。
 「それは是非、参らせていただきます」と、宇右衛門さん。
 しかし、その日は大雪の日でした。
 雪の中、難儀しながら、その男の家に到着した宇右衛門さん。
 なんと明かりが消えて戸が閉まっています。
 実は、わざと明かりを消して、男は中で寝たふりをしていたのです。
 すると、何やら外から、宇右衛門さんの声が聞こえます。
「これは何か急用が出来て、出て行かれたに違いない。せっかく来たんじゃ。外から家の中の仏様に拝ませて頂こう。」と、大きな声でお経を挙げられ始めました。
 それを聞いて、自分のやっている事が恥ずかしくなった男は、戸を開けて誤り、家の中で一緒にお勤めしたという事とです。
 このように、宇右衛門さんの真心は、多くの人の心を変えていきました。
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 妙好人 宇右衛門さんは、七十五才で往生されます。
 若い頃、下駄で殴られた浄因寺の『泰凰(たいほう)』住職のことを、自分に仏さまのご縁を付けて下さった御方と、一生、そのご恩は忘れなかったといわれています。
 そして、檀那寺『浄因寺』をとても大切にされました。
 それで、いまではお寺をとても大事にされた妙好人ということで、境内に立派な銅像が建っています。
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(『立派な妙好人[宇右衛門]を、よくぞ育てた』と、殿様が、浄因寺さまを褒めて下さり、その時に頂いたという[褒状]と[掛け軸]です。お寺で拝見しました。合掌 《浄因寺の御住職とともに》)
 おしまい

紙芝居:「播州の宇右衛門さん」(その4)

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 宇右衛門さんが、有名な念仏信者と呼ばれるようになった頃のお話・・。
 ある日、宇右衛門さんは、あるお金持ちの家に頼まれて、その家の仏壇のお参りに行きました。
 そして、お参りが済むとゆっくり立ち上がって、帰ってゆきました。
 さて、その日の夜のこと。
 そこの主人が、仏壇の中にしまっておいた二十五両のお金が無くなっていることに気がつきました。
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 「ひょっとして、犯人は宇右衛門さんではなかろうか?・・・いやいや、そんなことは決してない。」と、主人。
 「でも、宇右衛門さんも凡夫のひとり。お金に困ってつい、盗んでしまったんじゃないでしょうか?」と妻。 
 そこで、失礼を承知で、宇右衛門さんに聞いてみることにしました。
 すると、宇右衛門さん、
 「はい、私が盗みました」と言ったのです。
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 「はい、すまぬことをしてしまいました。」と、宇右衛門さんは詫びて、お金を返したのでした。
 ・・ところがです。
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 しばらくして、そこの息子が帰って来て言いました。
「そっそのお金は私が借りたんだよ。宇右衛門さんが犯人じゃないよ!」と。
 そこで、その親子は大慌てで、宇右衛門さんの家に謝りに向かいました。
 すると、宇右衛門さんは「あぁっ、そうですか。・・では、私が前世で借りたお金では無かったということですね。・・あぁっ良かった」と、喜んだということです。(・・天然ちゃんか、生き仏か?)
 次回、最終回 つづく

紙芝居:「播州の宇右衛門さん」(その3)

 余談になりますが、宇右衛門さんは、奥さんとは縁が薄かったようです。
 生涯、三度結婚されていて、その内、二人とは早くに死に別れ、一人とは離縁されたようです。(いろいろ事情があったのですね・・)
 子供さんは何人か居られたようです。
 そして、現在も子孫の方は、浄因寺さまの近くの立派なお家に暮らして居られます。(浄因寺さまにご案内して頂きました)
 さて、ストーリーに戻りましょう・・。
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 立派な妙好人となられた宇右衛門さん、歳月は流れ、今では子や孫と暮らすと信心の篤いおじいちゃんになっておりました。
 ・・しかしです。
 息子の嫁は、たいへん気性が激しく、何かと言えばすぐに仏様の話をする舅の宇右衛門が、うっとうしくてたまりませんでした。
 今日も今日とて、皆で畑仕事をしている時、嫁の横着な仕事の在り様を見て、宇右衛門さんが注意しました。
 すると突然、その言葉にカッときた嫁が、手に持った[木槌]を宇右衛門さんに投げつけたのでした。
 木槌は、宇右衛門さんの頭に見事に(あかん、あかん)命中!
 血を吹いて、宇右衛門さんは倒れました。(あぁ、バイオレンスやなぁ・・)
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 それを見ていた息子はびっくり!
「お前、何ちゅう事をするんじゃ!・・おっとう、大丈夫かえ?」と、宇右衛門さんを介抱すると、嫁の首根っこを捕まえて「お前とは離縁じゃ!」と叫びました。
 その時、宇右衛門さんが・・、
「息子や、このおやじが悪いんじゃ。地獄一定の愚痴、浅ましい心のわしが叱ってしもうた。・・これは、まったくわしが悪い。嫁を許しておくれや。南無阿弥陀仏」と謝りました。
 自分の仕出かした事の大きさに、恐れおののく嫁でしたが、この時、初めて義父の心の広さを知りました。
 「お義父さん、本当に申し訳ありせんでした。私は鬼でした。どうか、どうか許してください。」と謝りました。
 「いやいや、鬼の心を持つのはこのわしじゃ・・」と宇右衛門さん。
 こうして、(バイオレンス親子)嫁と舅の心は一つになりました。
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(浄因寺境内に建つ宇右衛門銅像)
つづく

紙芝居:「播州の宇右衛門さん」(その2)

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ある日、宇右衛門さんは『ああっ退屈じゃ、ケンカの相手でも探そうかのう』と、(たちの悪いやっちゃのう)、姫路の大寺の縁にドカッと座っていました。
 その時です。
 本堂から、お説教が聞こえてました。
「・・仏法を聞くとは、ただ聞けば良いというのではないのじゃ。幾度もいくども、自分の事として、仏様の真心を、南無阿弥陀仏のいわれを聞く事なのじゃよ・・」と。
 この時、どういう訳か?宇右衛門の心が動きました。
『そうじゃ、ワシも南無阿弥陀仏のいわれを聞かせてもろて、生まれ変わろう・・。』と。

 ・・余談ですが、おそらく宇右衛門なりに?心の中の(自分は生まれ変わりたい!という)大きな悩みが(日頃から)あって、この時ビビッと何かを感じたのかもしれません・・。僕自身、この時、宇右衛門さんにどんな心境の変化があったか調べてみましたが、はっきりとは解りませんでした。信仰心の篤かった母親の影響もあったのかも?
 でも、この時から、なぜか?宇右衛門さんは生まれ変わるのです。
 お寺参りを繰り返し、繰り返し、お説教を聴聞しまくり、お念仏を称え、やがて熱心な念仏信者に変わっていったのです。 
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 別人のようになった宇右衛門さん。
 仏壇に手を合わせ、朝早くから熱心に働き始めました。 
 ある日、宇右衛門は暑さの中、水車を熱心に踏んでいました。
 すると、ある若者が、それを見てからかいました。
「こう暑い日ばかりで、さぞ、大変じゃろう」と。
 すると、宇右衛門さんは
「お天気が続いてくださるので、物が良く実ってうれしいことじゃ」と。
 ・・宇右衛門さんは、雨の日にも風の日にも、雪の日にも愚痴を言わず、感謝の言葉しか言わなかったそうです。(ほんまに生まれ変わりはったんやねぇ・・)
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(浄因寺様の近くに建つ、立派な[宇右衛門]さんのお墓)
 つづく

紙芝居:「播州の宇右衛門さん」(その1)

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 純粋な信仰心のレベルの高さにおいては、飛びぬけた境地にある人・・。
 それを妙好人(みょうこうにん)といいます。
 江戸時代中期の播州(今の兵庫県:姫路)に生まれた宇右衛門(うえもん)さんも、その一人です。
 宇右衛門の家は、代々のお百姓さんでした。
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 ・・が、宇右衛門はまじめに働かず、若い頃はケンカやバクチに明け暮れていました。
 ある日・・、
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 宇右衛門さんは、殺生を禁止されていた川で、ひそかにカニを捕っていました。
 それを見つけた檀那寺の『浄因寺(じょういんじ)』の住職さんは、自分の下駄を脱いだかと思うと、いきなり、宇右衛門の頭を一撃!
 ころがって川に落ちる宇右衛門さん。
 バイオレンスなこのご住職は、網の中のカニを逃がすと、静かに去っていきました。
 「おのれ、クソ坊主!」と宇右衛門は、家に帰ってこん棒を持ち出し、お寺に殴り込もうとしましたが、
 その時、母親が「お寺の住職なればこそ、お前の後生を憐れんで、厳しく叱ってくれたんだぞ!」と、泣いて止めました。
 それを聞いて、さすがの宇右衛門さんも、「・・わしが悪かった。」と反省したそうです。
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(宇右衛門さんがカニを捕っていた川。ここで一撃!)
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(愛の下駄の一撃をくらわせた住職のお寺『浄因寺』様 左に宇右衛門さんの銅像が見える)
 つづく

紙芝居:「妙好人 物種吉兵衛さん」(その8:最終回)

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 晩年の吉兵衛さん。
・・求道の為に、先祖代々からの田畑財産を売ってしまったがゆえに、貧乏でした。
 それで、魚の行商をして暮らしを立てていたそうです。
 やがて、吉兵衛さんの妻[のぶ]は、或る日[中風]になり、バッタリ倒れてしまいます。
 寝たきりになった妻を、吉兵衛さんは村人たちが感心するほど、よく看病しました。
 それは苦労をかけた妻への感謝の気持ちがあったのでしょう。
 妻は、最後に吉兵衛さんの信心に深く感化され、感謝しながら亡くなったそうです。
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 年を取り、一人ぼっちになった吉兵衛さん。
 悩みを聞いてもらったり、助けてもらったご門徒たちが、今度は吉兵衛さんのために、みんなでお金を出し合って、一軒の《説教所=居宅》を建てました。
 これが、『要聞庵(ようもんあん)』です。
 晩年、吉兵衛さんはこの『要聞庵』で、七十七才で往生されるまで過ごされました。
 
・・それでは最後に、集まって来られたご門徒たちに、語った味わいのある言葉を二・三あげて、紙芝居を終わるとしましょう。

 「仏法を聴聞するについては、二通りある。
 一つ目は、仏法を聞けば、自分がだんだん良くなっていくという事。 
 二つ目は、(仏法を)聞けば聞くほど、『自分には値打ちがない』と知れて来る事。
 ・・(一つ目の)聴聞してな、自分が良くなるのではないんや。
 聞けば聞くほど、自分に値打ちがないと、知れてくる。これが、仏法の聞きようや。」

 「あるひとが、あんたのようになったら、もう腹なんか立たんやろうと言うた。
 わしは言うた。何、言うてるんや。腹立たんでかい、凡夫やもの。さりながら、根っこを(仏さんに)切ってもろてるから、実はならんのや。」

 「迷う道は広いが、助かる道は、(南無阿弥陀仏)ただ一筋や。」と、お念仏を絶えず、称え続けた吉兵衛さん。
 
 今、お墓は生まれた場所のすぐ近所の[浄土真宗本願寺派 元立寺]様の境内にあります。 おわり

紙芝居:「妙好人 物種吉兵衛さん」(その7)

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やがて、「是非、吉兵衛さんのお話が聞きたい!」という、悩みを持つ多くの人が、吉兵衛さんの回りに集まってきました。
 それらの人々に、吉兵衛さんは《生きる》意味について、次のようなお話をされています。

 「今日の日は、わが(自分の)人生に、もう一遍、暮らし直し(やり直し)ができん。
 《また(二度と)と無い日》やと思って、味おうて暮らしておくれや。
 朝が昼となり、昼が晩となる。片時も同じところに、じっとしておらんのや。一息、一息、放り出されているのや。」と。
 このように、吉兵衛さんの言葉は人々の心を癒していきました。
 そしてその言葉は、感銘を受けた人々によって、やがて『物種吉兵衛語録』として、記録され残されることになるのです。つづく

紙芝居:「妙好人 物種吉兵衛さん」(その6)

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 師匠の元明師が太鼓判を押したように、吉兵衛さんはもう「このままでは、とても死んで行けましぇ~ん」と言うようなオロオロした面影は無くなっていました。
 吉兵衛さんは、《絶対他力》の境地に達したのです。
 吉兵衛さんが、[死]について語った次のような言葉が残っています。
 「この世界で、人が一番嫌がること(=話題)は、死ぬことや。・・死ぬ事を思うと、してる仕事も手に付かんと申す。
 又、『死ぬことを聞くのも嫌!知らずして暮らしている方が良い』と、思う人がいる。
 それは、大きな間違いや。
 死ぬ事を思ったがゆえに、死ぬで無し。又、死の話を聞いたがゆえに、死ぬで無し。
 (しかしながら)聞かずにいたら、長生きするでも無い。
・・本当に死ぬ事が知れたら(理解できたら)、毎日、勇んで(元気に)日々が送れるんや。」と。

紙芝居:「妙好人 物種吉兵衛さん」(その5)

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「このままでは、死んでいけましぇ~ん」が、吉兵衛さんのギャグ!・・ではなく、遇う人、会う人、に真剣に問うていた吉兵衛さん。
 ついに[善知識=(仏道・悟りに導きいれる師匠)]に出遭い、聴聞して聴聞して、心に《阿弥陀さまの呼び声》を聞いたのでした。
 ・・・・
 晩年、吉兵衛さんは、その時のことを次のように語っています。
 『・・自分の心が、阿弥陀さんの光で包まれる。そんな体験は、いつ起こるんか解らんのや。仕事中に起こるかもしれんし、道を歩いている途中に起こるかもしれん・・。「ははん、これはしたり!」という心が内から起こってくるのや』と。(これは一種の神秘体験やったのかもしれん⁈・・余談)
『阿弥陀様の呼び声を聞いた』という吉兵衛さん。
 そんな噂を聞いた師匠の元明師が、ある日、ひょっこり訪ねてきました。
 「吉兵衛さん、お前さん、大そう有名になってきたそうやが、阿弥陀さんの呼び声を聞いたんか?」と、元明師が訪ねました。
 すると吉兵衛さんは、きっぱり答えました。
「・・聞いたとも言えません。と言って、聞いてないとも言えません。」と不思議な答え方をしました。
 すると、元明師は、
「そのとおりや!大事なことに出逢ったのぉ!」と、言われたのでした。
 それは、まるで『禅問答』の答えを得たかのような(二人のみが解る)対話でした。 つづく

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