住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『星に願いを~岩橋善兵衛ものがたり』(その2)

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「よしっ、わしは学問をする!一生懸命勉強して、西洋にも負けない[望遠鏡]を作るぞ!・・そして、あの星の流れやその秘密を明かしてみせるぞ!」と、善兵衛さんは志をたてました。
 そして、メガネレンズを売って儲けたお金を、旅費と学問費に充てて旅に出ることにしました。
 善兵衛さんは、望遠鏡レンズの事をよく理解している自然科学・物理学の先生(医者で文化人・学者の[橘南谿(たちばななんけい)]師や儒学者・文化人の[皆川淇園(みながわきえん)]師)を探し出し、それらの先生が京都に居られる情報をつかんで旅立ちました。
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 が、もともと仕事が忙しく、学問をする時間も無かった善兵衛さんです。
 だから、先生の塾に入門しても、難しい言葉やその意味を必死で勉強しなければなりませんでした。
 が、頑張り屋の善兵衛さんは、長い時間を掛け、根気よく、熱心に勉強したのでした。
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(善兵衛の作った望遠鏡)
つづく

紙芝居:『星に願いを~岩橋善兵衛ものがたり』(その1)

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今からおよそ、200年ほど前の江戸時代のお話。
日本一優れた[望遠鏡]を作り、日本初の天体観望(かんぼう)会を開いた一人が、今からお話します、大阪は泉州(今の貝塚市)出身の岩橋善兵衛(いわはし・ぜんべえ)です。
 彼はメガネ職人からスタートし、独自の研究でやがて科学技術者の一人となりました。
 それでは、たぐいまれな科学技術者、岩橋善兵衛さんの生涯を紙芝居で見ていきましょう。はじまり、はじまりー。
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 善兵衛さんは海沿いの町、貝塚脇浜新町で生まれました。
 実家は魚屋で、次男坊に生まれた善兵衛さんは、長男が親の後を継ぐため、自分はもう一つの副業である(メガネレンズ)磨きの仕事をしておりました。
 そう、江戸時代にすでにメガネはあったのです。
 そしてこの頃、大阪でもガラス細工を加工する仕事が盛んだったそうです。
 善兵衛さんは、小さい頃から手先が器用で、この仕事が得意でした。
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一日の仕事が終われば、善兵衛さんは外に出て、夜空を毎日眺めていました。
 善兵衛さんは星を見るのが大好きだったのです。
「ああ、このメガネガラスを重ねたら、星が大きく見えるなぁ!今夜は月が綺麗が良く見えるぞ。・・でも、本当に月にはウサギがいるのかなぁ。・・月に行く事は出来ないけれど、このガラスを重ね工夫すれば、月の表面は見えるかもしれないぞ!」と、善兵衛さんは妄想にふけながら夜空を眺めておりました。つづく
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(岩橋善兵衛像・貝塚市[善兵衛ランド]より)

紙芝居:『泉州・犬鳴山義犬伝説』(その4 最終回)

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 その後、猟師はこの近く寺で出家した。
 そして、ここに飼い犬の墓を作り、一生供養したということじゃ。
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 やがて、時の天皇である[宇多天皇]は、都でこの話を聞かれた。
 そして、この話に感動した天皇は「おおっ、それは主人の恩を忘れぬ立派な義犬じゃ。・・皆の者、これからその墓のある山を[犬鳴山(いぬなきやま)]と呼ぶようにせよ。」と言われた。
 それから、この山は『犬鳴山』と呼ばれるようになったんじゃと。
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(日本遺産『犬鳴山』)
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(猟師が出家した[七宝龍寺])
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(泉佐野市のゆるキャラ[イヌナキン]・・名前っそのままかい⁉)
 おしまい

紙芝居:『泉州・犬鳴山義犬伝説』(その3)

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そこには、大きな[大蛇]が木の枝から首をたらし、血を流して死んでおった。
 そして大蛇の首には、犬の首が噛みついておったんじゃ。
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 「おおっ、お前は[大蛇]からワシを守ろうとして吠えたのか⁉・・そんな事も知らんで、ワシはお前を殺してしもうた。‥許してくれ、許してくれや・・。」と猟師は泣いたんじゃ。
 そしてその場に犬の墓を作り、猟師は髪のもとどりを切った。
 そして言ったんじゃ。「もう殺生はやめじゃ・・」と。
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(現在の犬鳴山、義犬の墓前で)
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つづく

紙芝居:『泉州・犬鳴山義犬伝説』(その2)

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 その鳴き声に、大鹿は飛び上がって驚き逃げ出してしまった。
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 「この阿呆がっ⁉逃げてしもうたではないか!」と猟師は怒った。
 しかし、まだ飼い犬はワンワンと吠え続けた。
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 猟師の怒りは頂点に達して、自分の刀を抜いて飼い犬の首を斬りはらった。
 犬の首は宙を舞い、空高く飛んだ。
 が、首はなかなか地上に落ちてこなかったんじゃ。
 不審に思った猟師は上を見上げると、なんとっ⁉ 
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(義犬の墓)
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(現在は義犬の墓の横に一般の動物たちの骨を埋葬する事もできるそうだ。)
 つづく

紙芝居:『泉州・犬鳴山義犬伝説』(その1)

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 昔むかしの平安時代の話じゃ。
 ある時、紀州(今の和歌山県)から山を越え、ひとりの猟師が飼い犬を連れて、泉州(今の大阪府泉佐野市)にやって来た。
 それはもちろん、大きな鹿を捕える為の旅だったんじゃ。
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 猟師は山の奥へ奥へと入って行った。
 そして、ついに大きな立派な鹿を見つけたんじゃ。
 鹿はこちらに気づかず、崖の上でじっと空を見ていた。
 「おお、やっとの事で幻の大鹿を見つけたぞ!」と、猟師はつぶやいた。
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 猟師はそっと弦を張り詰めて、その矢を放とうとした時、
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 突然、「ワンワン、ワンワン!」と飼い犬が鳴き始めたんじゃ。
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(令和の泉佐野市・犬鳴山)
 つづく

紙芝居:『ダルマ大師』(その7 最終回)

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150歳になったダルマは、「もうまもなく、自分の死期がやって来る」と悟ります。
 がしかし、ダルマにはまだ自分の心をかき乱す煩悩が消えませんでした。
(どんな煩悩や?・・いや、人間やってる限り[煩悩]は消えないものかもしれない・・)
 そこでダルマは、最後の修行に入りました。
 それは(修行とは、もはや言えない)、『念仏三昧(ざんまい)』という修行でした。
「無くそうとすればする程、煩悩はいつまでも(150歳になっても)燃え上がる。・・だから、煩悩あるがままに仏にお任せして、そのまま救って頂く[他力]の教えに、身をまかせよう。これしか無い・・。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀。」と称えながらダルマは亡くなりました。行年150歳。
 後、中国(唐)の皇帝より、ダルマは「大師」の名が送られ、『ダルマ大師』と呼ばれるようになりました。
 ・・一説によりますと、最後、ダルマは暗殺されたという話もあるのですが、この紙芝居では、念仏三昧説を取りました。
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「ダルマさんが転んだ!」、「ダルマさん、ダルマさん、にらめっこしましょ」などの遊びの中に、ダルマ大師の不屈の精神は、現在も我々の心にうったえかけて来るように感じます。(それは僕だけでしょうか?)
「七転び八起き」の精神を持ち、権力にも媚びず、大きな目玉をパッチリ開けて、常に前進し続けたダルマ大師。
我々に今、「何度転んでも、起き上がれ!大きな目玉を開けて進め!」と、ダルマ人形を通して叱咤激励し、エールを送ってくれているように感じます。
おしまい

紙芝居:『ダルマ大師』(その6)

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ダルマが、少林寺で壁を見続け坐禅をつづける修行に入ってから、9年が経ちました。(これを「面壁九年(めんぺきくねん)」と言います。・・しかしなんで10年でなく9年なんでしょう?・・中途半端やなぁ、9という数字に意味があったんやろか?)
 まぁそれはエエとして・・、それは過酷な修行でした。
「本来の禅の行とは、こういうものだ!」と言わんかのように、目を開いて壁を見続け、座り続けました。
この時の修行の為に、ダルマはまぶたを自分で切り、眠気を覚ましたとか、又、座り続けた為、手足が朽ちたとかいう伝説が生まれました。(これがダルマ人形のモデルとなります。)
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 そして、9年間の坐禅修行を終えた時・・ダルマには、その真摯な姿を見て弟子入りを希望するたくさんの弟子たちが増えておりました。
 ダルマはその者たちの弟子入りを許し、多くの立派な弟子たちを育ててゆくのでした。
 ところで、ダルマの教えの一つに『以心伝心(いしんでんしん)』というものがあります。これは即ち、正しい心を言葉を使うことなく、そのまま相手の心に伝える、という意味です。難しいですよね。
 又、『不立文字(ふりゅうもんじ)』という教えもあり、これも言葉や理屈で仏法を、伝えるのでは無く、体験によって伝えるというものだそうです。
 これらの教えは、坐禅修行の体験から学ばねばわからないものなのでしょうね。つづく

紙芝居:『ダルマ大師』(その5)

武帝と決裂したダルマは思いました。
『この国はまだ、本当の仏教を学ぶという機が熟していない。・・その時まで私はもう少し待つとしよう。(何才まで待つんや?)
と、ダルマは一人舟に乗って揚子江を北に向かいました。
 ところで、ダルマの赤い衣ですが、何故、彼は赤い衣を好んで着ていたのか?
 それにはいろんな説があるのですが、その一つは[赤衣は徳の高い高僧の印だったので]という説。二つ目は[赤衣は悪い魔を跳ね除けるので]という説。さらに、今回学芸員さんからお聞きした説で[あの決裂した武帝から貰ったので着ていた]という説。・・と、どれが本当かはわかっていませんが、武帝プレゼント説が本当なら、あの決裂は実際無かったのではないか?仲良しになったのか?と思われます。・・どれが実際本当かは分かりませんが、まぁどうでも良いのですが(笑)あのへんこな性格のダルマ大師が好んで着ていた赤衣、この謎だけでも楽しんで想像でき、酒のあてに一杯やれそうです。(私もへんこ仲間かもしれません(笑)・・以上、余談。
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さて、北に向かったダルマは、「少林寺」という寺で草鞋をぬぎました。
 そう、あの「アチョー!」で有名なブルース・リーの少林寺拳法で有名になったお寺です。(一説によると、少林寺拳法をこの寺で教えたのはダルマだったとか?・・という事はブルース・リーの先輩、いや先生やん。アチョー!)
 で、ダルマはこのお寺で、この国の機の熟すまで、9年にわたる坐禅修行に入ったのでした。つづく
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(しろあと歴史館所蔵)

紙芝居:『ダルマ大師』(その4)

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武帝は、ダルマに向かって話し始めました。
(武帝)「おっほん。・・ダルマよ、わしは武帝じゃ。さて、わしはこの国で大変、仏教を大事にしてきた。・・いくつもの大寺院を建てた。坊さんたちの世話もした。又、わし自身、写経も多くした。」
(ダルマ)「・・・」
(武帝)「さて、ダルマよ。・・このわしに、どれぐらいの仏の[功徳(=ご利益)]があるじゃろうのう?」
 するとダルマは・・、
「皇帝、功徳などありませんよ。」と言った。
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(武帝)「何!!功徳は無いだと?どういう事じゃ?」
(ダルマ)「皇帝、それは自己満足というものです。」
(武帝)「む、む、む、・・では、本当の[功徳]とはどういうものなのじゃ⁈」
(ダルマ)「見返りを求めず、ただ善いと思う事を行う。それが結果的に[功徳]になるのです。・・皇帝の行なわれた事は善い事です。・・が、見返りを求める心がお有りのような気がいたします。それでは、仏の功徳は手に入りませんよ。
 ・・話しは変わりますが、そもそも、皇帝にはたくさんの功徳があるからこそ、たくさんの善を成す事が出来たのではないですか?それ以上、何の功徳が必要なのですか?功徳を求める行いは[欲]というものです。貴方様は仏教というものをわかっておられない。」
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(武帝)「む、む、む、偉そうに!そういうお前は何様じゃ!」
(ダルマ)「さあね。知らんよ。」
(武帝)「自分が誰かも知らんだと?!こいつ、話しにならん。さっさと帰れ!」
 そして、武帝は怒りまくり、奥に引っ込んでしまいました。
(余談ながら、実際このような会話はあるんやなぁ・・。僕はダルマみたいには、よう言わんけど。)
このように、武帝とダルマの問答は見事に決裂したのでした。・・知らんけど。つづく
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(しろあと歴史館所蔵)

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