
昨日と今日の両日、観念寺にて「第10回紙芝居創作合宿」が、例によって例の如く、粛々(縮々=人数が少ない〔笑〕)と行われた。
今年の『在宅ホスピスあおぞら』のドクター南氏の紙芝居は、「いのちの紙芝居 たとえば君が傷ついて」と題して、製作開始。
完成までには至らなかったが、「果たして、老人同士の友情は可能か?」をテーマに、岩手県の(東日本大震災の)「奇跡の一本松」などのエピソードなども(フィクションで)挟み、鶴吉と亀吉の友情物語を作り続けられた。(完成が楽しみだ)
毎年、妻と合宿が終ってから語るのだが、南先生の創作意欲というのは、本当にスゴイ!・・とても79才とは思われない。
今も「紙芝居」製作の他に、ギター教室に通い、小説を書き応募し、俳句を作って交換日記なるものをし、又、介護ロボットを作ろうとし、又パソコン教室にも通い、自分のオリジナル紙芝居をCDに焼き付けて、願わくば出版社に売り込もうとされている。(笑い)
このエネルギーはどこから来るのか!?
二回も脳梗塞を起された方とは思えないではないか。
南先生、ちょっとそのエネルギーを僕に注入してよ!
(ドクター南氏と、隣はわが息子)
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第10回ドクター南氏主催:観念寺協賛の「紙芝居創作合宿」
『両川口津波記』の「紙芝居」テレビ取材、再び

今、NHK大阪放送局からの依頼で、『両川口津波記(紙芝居名は「大阪に津波が来た日」)』という大阪の津波被害の「紙芝居」の取材を受けている。(テレビ放送は今月中になるということらしい)
で、今日はその撮影の為、実際に浪速区にある「津波慰霊碑」に行き、この慰霊碑を建てられた方の御子孫である〔増井建蔵〕様宅をお訪ねした。(今もこの地に住んで居られるのだ。)
その増井さんのご自宅で、「津波碑」を今も護る町内の方がたや、歴史地震研究会会員の〔長尾武〕様(=この方は〔両川口津波記研究の第一人者だ〕)を前に、この紙芝居を演じさせて頂いた。
ホントに「不思議だなぁ」と思ったのは、この津波碑を建てられた増井さんの(先祖の)仏壇の前で、僕が増井さん達の先祖(の役)に成り切って、子孫である増井さんに、この石碑を立派な守ってくれて有難うと、感謝を述べる場面だった。
それはまるで実際に、僕に増井さんの先祖が憑依して、子孫に御礼を言っているような錯覚におちいった感覚だったのだ。
「この紙芝居(の役目の一つ)は、この石碑を大事に守ってこられたご子孫に対して、(増井さんたちのご先祖が)感謝を述べることにあったのではなかろうか?」とそんな事を思ってしまった。
人は、自分の意思で(自由に)動いているように思っても、実は、もっと不可思議な世界から操られているのかもしれんと思った、そんな今日の不思議体験であった。
(増井さんとともに)
京都:上東組仏教壮年会ご一行の来院

本日、京都から〔同朋観光(株)〕さんのバスツアーで、浄土真宗本願寺派の上東組『仏教壮年会』のご一行が、観念寺においで下さった。
そして、いつものように「仏教紙芝居」を見て頂く。(毎回、(同じ宗門の)ご門徒さんに見て頂くのはホンマに恥ずかしい。・・それで、今日も紙芝居読みをちょい噛みしてしもた。すんません。・・あぁ、噛むのはいつものことか。〔笑〕)
それでも、終ってから、皆さんから暖かいご感想を一杯一杯頂き、本当に嬉しかった。
次にバスは、堺の方に向かって行かれるというお話であったが、どうぞ皆さん、(ここ最近、南大阪を突然襲う大雨に遭わぬよう)旅の安全をお念じ申し上げております。
では、これに懲りず、また来て下さいね!合掌
松山への紙芝居取材の旅(後編)
(愛媛県動物愛護センター)
次の日、今回の目的である『愛媛県動物愛護センター』に向かう。
奥道後からさらに深い山中に、こちらのセンターは在る。
あらかじめ、「こちらでの捨て犬や猫たちのお話を紙芝居にする為取材させて下さい」と主旨を説明し、許可を得ていたので、僕達が着くとセンター職員さんはすぐに出て来て下さり、親切丁寧にセンター内を案内して下さった。
(愛護棟)
この今作ろうとしている今回の『紙芝居』は、ノンフィクションであり、非常にデリケートな(『殺処分』という、一つ間違えたら誤解を生んでしまうような)所が多いお話なので、慎重に慎重に時間を掛けながら、実際の職員さんからの教えと許可を乞いながら、作ろうと心がけている。
だから、今回もゆっくりと施設全体を案内して頂きながら、お話を聞きつつ廻らせて見学させて頂いた。
それで、たくさんの写真も撮らせて頂いたのだが、デリケートな部分も多い為、このブログには載せない。(それらの写真は、デフォルメして紙芝居の絵にしたいと思っているので、その『紙芝居』発表まで待って下さい)
さて、こちらのセンターには、動物のしつけ教室やふれあい教室などの業務を行う〔愛護棟〕と、犬猫の収容と処分を行う〔管理棟〕がある。
僕達は〔愛護棟〕を見学させて頂いたのち、〔管理棟〕を案内して頂いた。
(ふれあい動物舎)
そして、ここでしつけられ、やがて新しい飼い主に譲渡される運命の元気な人なつこい子犬たちの〔ふれあい動物舎〕を見学させて頂く。
(譲渡犬たち)
僕達が近づくと、一せいに集まって来て、尻尾を振りあいそを振りまく子犬たちに癒された。(この子犬たちの未来に幸あれ!)
(慰霊碑)
しかしながら、こちらで二酸化炭素ガスで殺処分されてゆく運命の犬や猫たちもいる。
このセンター内の小高い丘に立つ『慰霊碑』は、まさにそんな動物たちへの「慰霊」と「鎮魂」の気持ちが込められ建てられている。・・僕と妻は一緒に合掌した。
さて、こちらのセンターでは子供たちへの施設見学会も行なわれているという事で、今年の夏休みも連日、賑やかだったそうだ。・・が、この日は小雨もあり比較的静かであった。
さてさて、最後に職員さんからの印象深かったお話を一つ紹介して終りたい。
それは、最近の(何人かの)子供たちの職員さんへの質問内容なのだそうで、実際の動物たちが死んでゆくところを、どうか見せて欲しいとせがむ子供が居るというお話であった。・・それもどこか、楽しんでいるような感じで聞いてくるらしい。
それって恐いことだ。「これは(戦争や殺戮をリアルに描く)テレビゲームの影響なんでしょかねぇ?」と職員さんはそうおっしゃられた。
『一つしかない命の大切さを、まじめに描いてこの紙芝居を作らねば!』と、そう固く誓い、愛護センターの職員さん達に深く御礼を述べて帰宅することにした。
僕のわがままなお願いをたくさん聞いて下さった、センター職員の皆さん、本当にありがとうございました。お陰様で充実した取材旅行になりました。
紙芝居が完成したら、(コピーして)是非一巻、送らせて頂きます。合掌
松山への紙芝居取材の旅(前編)
(因島:因島水軍城)
お盆の忙しさも終り、昨日おとといと二日間、僕と嫁さんは春から計画していた『四国:愛媛県松山』への「紙芝居〔犬たちをおくる日〕」製作取材の一泊旅行に行って来た。
行きは、〔山陽自動車道〕から〔しまなみ海道〕を通って、自家用車で四国に入り、帰りは〔松山自動車道〕・〔高松自動車道〕を使い、淡路島を通って帰って来たので、長時間の運転で結構しんどかった。(何度もパーキングで休憩した)
それで、今回はその取材旅行のことを書こうと思うのだが、その前に(おまけと言ったら何だが)その途中に立ち寄った観光地のことを書いてみる。
まず初めの休憩地に選んだのが、広島から〔しまなみ海道〕二つ目の島、因島の「水軍城」である。
(村上家の墓)
こちらは写真の通り、小高い山の上にその〔村上水軍〕の(小さい)お城がある。
以前、〔村上水軍〕についての小説を読んだことがあり、一度行ってみたかったのだ。
お城の中が、資料館になっていて、水軍(つまり海賊軍)の歴史や、武器・鎧などが展示してあった。
興味深かったのは、妻がその等の展示物を見て一言。「海賊って、まともな仕事やないねぇ。(そらそうやろ。)・・もっと地道に『魚とって商売する』とかして、生きられんかったんかいな」と言ったことだった。(ほんまやなぁ・・。でも、その海賊軍が作った兵書がのちに、海軍軍人:秋山真之によって研究され、『日本海海戦』の作戦ヒントになるんやから、全くの悪ではなかったようにも思える。以上、余談)
(大山祇(おおやまずみ)神社)
その後、大三島(おおみしま)に渡り、しまなみ海道、唯一のパワースポットと呼ばれる歴史ある『大山祇神社』にゆく。(こんなん好っきやわぁ~)
(タオル美術館)
そして四国に着いたら、まず嫁さんが行きたかった、今治『タオル美術館』に寄る。(ごっつい田舎の中に突如と現れた、お城のような大美術館。・・結構、遠方からの観光客がいてはった。用は現地での魅力なんやなぁ。勉強になった)
(宝厳寺)
そして松山市に入り、一遍上人誕生の寺『宝厳寺』へ。(僕は一遍さんが大大大好き。・・その内、いや一遍、一遍さんの紙芝居を作るつもりだ)
そして、『坂の上の雲ミュージアム』なども拝観し、この日の宿泊地、奥道後の『ホテル奥道後』へ。 つづく
特養「白寿苑」の盂蘭盆法要と法話会
(白寿苑)
今日は、特養老人ホーム「白寿苑」の盂蘭盆法要の日。
この一年間で、苑内でお亡くなりになられた入居者の方のお名前を御仏前でお読み上げし読経する。
もちろん、故人のご親族の方もお招きしてだ。
この行事は、今年でもう17回目を迎えた。
(盂蘭盆法要)
今年は、お亡くなりになられた方が多かった。(全員で39名の方のお名前を読み上げた)
(職員の生演奏)
その後、第二部へと続き、例年のように職員によるギターとバイオリン&サンシンの生演奏。
こちらも例年と同じく、曲は「千の風になって」と「涙そうそう」で、皆と一緒に歌う。
(皆で歌う)
なぜ、この二曲は「盂蘭盆法要」にぴったりとマッチするのだろう。
職員にその事を話すと、「それは『千の風になって』は、故人のあの世から我々に対しての〔メッセージソング〕で、『涙そうそう』は、逆にこの世の残された者の故人への〔思い出ソング〕だからではないでしょうか。・・この二曲は、あの世とこの世をつなぐ曲なんですよ。だから我々の心を打つのだと思います。」と云われた。
「なるほどっ!・・だから皆が、読経の後で自然と涙を流すのですね」と、僕は(完璧に)納得してしまった。
(法話会)
第一部の盂蘭盆法要が終ったら、一時間半の休憩を挟んでのち、第二部はいつもの(入居者の方に向け)「法話会」を行う。
この日は、いつものように、『盂蘭盆法要』の模様などを皆さんにお話し、亡き人たちを偲んだお話などをさせてもらった。
毎年、ここでの行事が終ったら、ようやく僕の長い夏は終るのである。
・・ああっ今年の夏は長かったなぁ。合掌
河南荘:地蔵盆法要への出前
(河南町:河南荘)
今日は、地蔵盆の日。
こちらの軽費老人ホーム「河南荘」の、『地蔵盆法要』への出前も今年で15年目(第15回)を迎えた。
・・もう今回で、何人目の新しい施設荘長さんとご挨拶を交わしたであろう。(職員の方皆が、公務員さんなので何年かに一回はトップが替わるのだ)
今年も新しい(女性)荘長さんと名刺交換をした。
さて、そんな事はどうでも良い。
今日もいつものように、苑庭に祀られているお地蔵さんを、一時苑内ホールに引越をして、皆でお勤めする。
その後は、お話と紙芝居。
今年は、新作の『共命鳥の話』と『でんでんむしのかなしみ』を披露してきた。
皆さん、真剣に紙芝居も聞いて下さり、その後「又、来年も来て下さいや」という暖かい声をお聞きしつつ、苑を後にした。
・・さあ、今日は後もう一つ、夕方に町内の地蔵盆のお勤めがある。
なんとか喉を調整させて、お参りさせてもらうか。
かなはし苑ビハーラ訪問(ビハーラ奈良主催)への出前
(橿原市:かなはし苑)
お盆が終っても(・・いやお盆が終ったら、)出前は続く。
昨日は、『ビハーラ奈良』の会員さんたちが、二ヶ月に一回訪問されている、奈良県橿原市の「特養老人ホームかなはし苑」へ、紙芝居法話のゲスト出演に行って来た。
(仏壇のある会場)
会場は、フロアーに大きなご仏壇があり、会員さんの勤行から会は始まった。
その後、紙芝居法話。
僕はいつもの『三尺三寸の箸』の紙芝居と、新作『共命鳥のはなし』を披露。
約30分間、お話させて頂く。
その後、女性の会員さんによる「手遊びと童謡(唱歌)」の披露。
会場一杯のお年寄りの皆さんは、大きな声で歌い、楽しい一時を過ごしておられたようだ。
・・さて、困ったことなのだが、僕の喉の炎症はまだ完治していないようだ。
紙芝居が終って、最後の挨拶をしようとしたら、突然、声が出なくなってしまったのだ。
それでどうしようもなく、僕は森進一さんのような声で「あ・り・が・とう・ございました。」とだけ言って、引き揚げた。
汗出たわ。
やはり、ちょっと休まないとダメなようだ。
でも帰り際、名古屋のお寺さんの団体から、来年の夏の講演依頼が携帯電話で入った。
来年には喉も直っているだろうが、すでに来年の夏に向けて体力を調整しないといかんようだ。
「泉州キワニスクラブ」への出前

先ほど、難波にある「スイスホテル南海大阪」から帰って来た。
遊びに行って来たのではない。
出前だ。
今日は「泉州キワニスクラブ」へ、お寺の出前だったのである。
お盆参りが済んでも、忙しい。(ブツブツ・・仏)
それでは、まず僕も??であったように、「『キワニス』って何?」という意味から説明したい。(偉そうに説明できる身分ではないが)
キワニス=〔ロータリークラブ、ライオンズクラブと並ぶ、民間の世界三大奉仕活動団体の一つである。世界90ヶ国にあり、本部はアメリカにある。主に幼児虐待防止運動に力を入れている。〕、ということである。
そこの「泉州(南大阪地区)」の団体である。
(会場:スイスホテル南海大阪)
・・さて、場違いではあるが、一年ほど前から「出前」の依頼を聞いていたので、その団体への(例会)講演に行かせて頂いた。
(会場)
まず、会場で紙芝居を出して、ガサガサ、ゴチャゴチャ準備をしていたら、次から次へと見るからにエエトコの(社長・会長クラスの)人達が集まって来られ、僕のトコへ名刺を持って挨拶に来られた。
名刺を見て、皆さんあまりにもエテコの、いやエエトコの人過ぎて、ここには書かないで伏せておく。(びっくりするほど地位と名誉を持たれた人たちばっかりだ!)
いわゆる『人生の(大)成功者たち』の団体なのだろう。・・だから、人一倍努力もされ、時流にも乗り、苦労もされて来た人たちなのであろうが、まぁ、僕には直接、縁の無い世界の人たちだ。
地位と名誉をすでに手に入れた立派な人たちは、「・・世間の為に何か恩返しをせな。そや、社会奉仕や!」と思われたのだろうか。
だから、活動される。(「まぁそら、それくらいの事思っても当然か。」とも思ってしまう僕は、どうもお金持ちの人達に対してのひがみ根性があるようだ。いやただ単に、地位と名誉を持った上級クラスの人たちが羨ましいだけかもしれん。)
そんなことは、どうでも良い。
キワニス団体の皆さんは、月二回、今日のように集まって例会を開き、勉強をされているのだ。(もちろん、情報交換の意味もあろうが、やっぱり偉い人っていうのは偉いんや。)
最後に、なぜ僕がこの場に呼ばれたのか?・・声を掛けて下さった方にお聞きしたら、以前ロータリークラブで、僕が講演した時、聞いて下さった一人の方から「あの宮本っていう奴の話は、面白くて深いから、是非呼んでみぃ」と云われたというのだ。だから、呼んだということだった。
・・そうなんや、僕の話って『面白くて深い』って感じてくれる人があったんや。・・これは嬉しい言葉やなぁ。そや、この言葉を売り文句にして、一発当てるか?・・あかんわ。こんなこと平気で書いてるから、僕はいつまでも鳴かず飛ばずの小市民なんやわ。
でも、こちらの方がたのように、偉なったら偉なったで、そら、背負うものも大きくなって大変なんやろなぁ。
やっぱり僕は僕で、今のままでええわ。一生気楽な出前のでっちどんや。その方が僕らしい。ははは。
(会員さんと会長さんと)
いろいろあった今年のお盆参り
今年も無事にお盆参りが終了致した。
心配していた喉の炎症も大した事なく、ほんま良かった。
さて、それではお盆の行事を日付順に(簡単に)書かせてもらう。
十一日の夜は、今年も富田林の〔専念寺〕さまへ『お盆法話』に出講し、なぜか興奮してエンジン全開となり、新作紙芝居を中心に、しゃべりにしゃべってしまった。(行く前にチオビタ飲んで行ったからかなぁ。)
十二日から十四日までは、朝から夕方まで檀家さん宅へのお盆参り。・・毎年、へとへとになるのだが、今年は娘が半分ほどお参りを手伝ってくれたので、ほんま助かった。(感謝)
(光福寺さま)
そして十五日は、毎年恒例、今年で十一年目を迎える、太子町〔光福寺〕さまの『お盆法要』への「紙芝居法話」。
今年は、歌手の〔やなせなな〕さん指揮による、婦人部コーラスの初披露があった。
(中央がやなせさん)
僕も聞かせてもらって癒された。・・ほんまありがとうございました。
やなせさんの、途中ジャンプしたりする指揮、とっても良かったです。
又、終ってから、住職さんとやなせさんと一緒にお弁当を頂き、その時、やなせさんの歌手活動裏話などをいろいろと聞かせてもらって、ここでも笑わせてもらいました。ありがとう。(歌手やりながら尼さんもやるなんて、結構たいへんな事なんや・・。お疲れさんです。)
・・ああ、これで今年も無事に〔お盆行事〕が終了した。
まだ、いろいろとやらねばならん仕事はあるけど、一応これで、私のお盆は終りです。合掌
