住職のつぼやき[管理用]

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唯称寺さまの定例法座(彼岸会)への出前

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 先ほど、大阪市港区にある「浄土真宗本願寺派:唯称寺」さまの『定例法座(彼岸会)』に、「お寺の出前」が「お寺へ出前」に行って来た。
 さて、今回の出前先は〔港区〕で(大阪湾の近くでもあり)、今撮っているNHKの(大阪の津波のニュース特集)取材にぴったりマッチするとの事で、(記者の方がお寺にアポをとられ、取材OKも出たので、)紙芝居法話のライブを撮影する事となった。
 で、話が終ってから、御聴聞された皆さんに、記者さんが「津波の話の」感想などをお聞きになられたようだ。
 その場に僕は居なかったので(放映を見ないと)詳しくは解らないが、記者さんに後でお聞きすると、「皆さん、この「津波の石碑」の存在自体は知っているが、その(漢文で書かれた)意味までは知らなかった。勉強になった」と、たくさんの方がおっしゃられたそうだ。
 その感想をお聞きして、「ああっ、この紙芝居をこちらでやらせてもらってホンマに良かった」と、心から思った。
 さて、まだ、今回撮影の放送日は決まっていないらしいが、どのように編集されているか、今から放映が楽しみである。・・また、でっちどん姿で、皆さんに笑って頂きましょう。

七回目の『ゆうせいデイサービス』への出前

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 先ほど、富田林市にある『尾崎クリニック』内「ゆうせいデイサービス」へ、お寺の出前に行って来た。
 こちらは、年2~3回のペースでお話に行かせて頂いている。(今日で七回目だ)
 一番初めに「僕の顔を覚えておられる人は手を上げて下さい」と言うと、半分程の方が手を挙げられたので、結構顔見知りになって来たと思った・・。
 で、今日は「お彼岸」も近く、又「敬老の日」も近いという事で、テーマは〔老いと悲しみと死と心の再生〕として、紙芝居は『二つの墓穴』という話と、新作の『でんでんむしのかなしみ』という二本を持って行き、お話させてもらった。
 僕が話を始める前から、「・・何ごとも人を怨んだらあかんのや。怨んだら地獄落ちや」と、一生懸命に僕に話掛けて下さる老女性の方が居られて、この二つの紙芝居を熱心に聴いて下さったのち、「そや、感謝や。感謝が大切なんや。怨みはあかん」と、感想を述べられ、何か深く考えておられたようだ。(時間が無かったから、それが何かは聞かず終いやった)
 又、最後に「今日は何かしんどくて、デイサービスを休もうと思ってましたが、お話が聞けてホンマ来て良かったです」とおっしゃってくださった方もあり、まだ喉の調子が万全で無い僕であったが、寄せて頂いて良かったと心から思った。
 で、最後に(いつも僕をお招き下さる)担当の職員の女性と、センターの前で記念撮影。
 車の送迎係りのおじさん、うまく写して下さってありがとうございます。
 良い思い出になりました。それこそ感謝。
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「はい、住職さん質問です。・・ 『幸せ』っていったいどんな気持ち何ですか?」

 老人ホームで「法話会」をしていると、時々、もの凄く難しい質問をしてくる人がいる。
 先週の金曜日にも、そんな質問が出た。
 その日、僕は『でんでんむしのかなしみ』という紙芝居をした。
 ・・それは、「或る日、一匹のでんでん虫が自分の殻の中に〔悲しみ〕が一杯詰まっている事に気づく。そして、悩んだ末にそのでんでんむしは、いろんな友達のところに行って相談するが、皆同じ体験をしていて、自分ばかりではないと気づき、その後、元気に生きようと決心する。」というお話である。
 僕はこの紙芝居をした後、「悲しみを一杯抱いて生きてるのは、自分だけではないのですよね。・・悲しみの大小の違いはあってもみんな一緒ですね。・・不平不満よりも感謝の気持ちを持って生きた方が〔幸せ〕なんじゃないでしょうか?そんな風に生きませんか?」と言い、内心『よっしゃぁ~、うまくまとまった。・・さぁ帰ろ。』と思ったら、その時、一人の老婦人が手を挙げられたのだ。

 「はい、質問です。・・あの、私はずっと父親に言われ続けた言葉があります。それは『お前が生まれた時が一番幸せやった。・・そやけど、その後、ずっと何一つ良いことが無く、人生不幸のままやった』と。そして父は亡くなりました。・・この言葉が今も頭から離れません。
 私は今ここ(苑内)で、何不自由なく暮らさせてもらってますけど、『だから幸せか?』と言われたら、何かそうでもないような気がしてます。
 住職さん、『幸せ』っていったいどんな気持ち何でしょうか?」と、来た。
 難しい質問だ。・・お経の中にこの回答が載っているのだろうか? いや、お経の中の回答を探してきても、この人は納得されるだろうか?

 ・・で、僕は(自分が思ったままを)言った。
 「・・残酷なことをお父さんに言われはったように感じました。何か、『お前はこの家にやって来た貧乏神や!』と言われたような感じですよね。・・でも、お父さんにとっては、あなたが生まれた時が、一番幸せやったんかもしれませんね。そんな事が言いたかったのかも。・・けどずっとその後、苦労をし続けはったんで、あなたを見たらそんな言葉がポツポツ出たんかなぁ?
 ・・結局その言葉はお父さんの愚痴みたいなもんやったんとちゃいますやろか?・・でも言われたもんは、たまったもんやないですよね。

 さて、ご質問の『幸せって何?』ということですけど、人によって違うように思います。・・お金持ちでも幸せでない人も居るし、貧乏でも満ち足りた精神の人も居るし、・・やっぱり人によっての心の取り方とちゃいますやろか?
 『僕はどうなのか?』と言われたら、さてどうやろ?・・仕事もあるし、まぁまぁ健康やし、家族も居てるけど、時々、他の左うちわの大寺院に比べて、僕はなぜこんなに(色んな意味で)苦労せなあかんのかなぁ?と思ったりします。これって、幸せじゃないですよね。さぁ困りました。・・さて、皆さんはどう思いますか?」と、後は皆に振って逃げた。
 その結果、誰も何も言わんかったので、「じぁ、今日は時間が無いのでこれで終わりましょう。」と言って、法話会を終ったが、車の中で自分自身にずっと自答し続けた。
「お前は今『幸せ』か? お前にとって『幸せ』って何か?」と。 宗教でご飯食べてる僕が、このざまです。
 ・・はてさて、その答えは?? 
 いつか、見つかるんかいな?
 
 

第10回ドクター南氏主催:観念寺協賛の「紙芝居創作合宿」

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 昨日と今日の両日、観念寺にて「第10回紙芝居創作合宿」が、例によって例の如く、粛々(縮々=人数が少ない〔笑〕)と行われた。
 今年の『在宅ホスピスあおぞら』のドクター南氏の紙芝居は、「いのちの紙芝居 たとえば君が傷ついて」と題して、製作開始。
 完成までには至らなかったが、「果たして、老人同士の友情は可能か?」をテーマに、岩手県の(東日本大震災の)「奇跡の一本松」などのエピソードなども(フィクションで)挟み、鶴吉と亀吉の友情物語を作り続けられた。(完成が楽しみだ)
 毎年、妻と合宿が終ってから語るのだが、南先生の創作意欲というのは、本当にスゴイ!・・とても79才とは思われない。
 今も「紙芝居」製作の他に、ギター教室に通い、小説を書き応募し、俳句を作って交換日記なるものをし、又、介護ロボットを作ろうとし、又パソコン教室にも通い、自分のオリジナル紙芝居をCDに焼き付けて、願わくば出版社に売り込もうとされている。(笑い)
 このエネルギーはどこから来るのか!?
 二回も脳梗塞を起された方とは思えないではないか。
 南先生、ちょっとそのエネルギーを僕に注入してよ!
ファイル 964-2.jpg(ドクター南氏と、隣はわが息子)

『両川口津波記』の「紙芝居」テレビ取材、再び

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 今、NHK大阪放送局からの依頼で、『両川口津波記(紙芝居名は「大阪に津波が来た日」)』という大阪の津波被害の「紙芝居」の取材を受けている。(テレビ放送は今月中になるということらしい)
 で、今日はその撮影の為、実際に浪速区にある「津波慰霊碑」に行き、この慰霊碑を建てられた方の御子孫である〔増井建蔵〕様宅をお訪ねした。(今もこの地に住んで居られるのだ。)
 その増井さんのご自宅で、「津波碑」を今も護る町内の方がたや、歴史地震研究会会員の〔長尾武〕様(=この方は〔両川口津波記研究の第一人者だ〕)を前に、この紙芝居を演じさせて頂いた。
 ホントに「不思議だなぁ」と思ったのは、この津波碑を建てられた増井さんの(先祖の)仏壇の前で、僕が増井さん達の先祖(の役)に成り切って、子孫である増井さんに、この石碑を立派な守ってくれて有難うと、感謝を述べる場面だった。
 それはまるで実際に、僕に増井さんの先祖が憑依して、子孫に御礼を言っているような錯覚におちいった感覚だったのだ。
 「この紙芝居(の役目の一つ)は、この石碑を大事に守ってこられたご子孫に対して、(増井さんたちのご先祖が)感謝を述べることにあったのではなかろうか?」とそんな事を思ってしまった。
 人は、自分の意思で(自由に)動いているように思っても、実は、もっと不可思議な世界から操られているのかもしれんと思った、そんな今日の不思議体験であった。
ファイル 963-2.jpg(増井さんとともに)

京都:上東組仏教壮年会ご一行の来院

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 本日、京都から〔同朋観光(株)〕さんのバスツアーで、浄土真宗本願寺派の上東組『仏教壮年会』のご一行が、観念寺においで下さった。
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 そして、いつものように「仏教紙芝居」を見て頂く。(毎回、(同じ宗門の)ご門徒さんに見て頂くのはホンマに恥ずかしい。・・それで、今日も紙芝居読みをちょい噛みしてしもた。すんません。・・あぁ、噛むのはいつものことか。〔笑〕)
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 それでも、終ってから、皆さんから暖かいご感想を一杯一杯頂き、本当に嬉しかった。
 次にバスは、堺の方に向かって行かれるというお話であったが、どうぞ皆さん、(ここ最近、南大阪を突然襲う大雨に遭わぬよう)旅の安全をお念じ申し上げております。 
 では、これに懲りず、また来て下さいね!合掌

松山への紙芝居取材の旅(後編)

ファイル 961-1.jpg(愛媛県動物愛護センター)
 次の日、今回の目的である『愛媛県動物愛護センター』に向かう。
 奥道後からさらに深い山中に、こちらのセンターは在る。
 あらかじめ、「こちらでの捨て犬や猫たちのお話を紙芝居にする為取材させて下さい」と主旨を説明し、許可を得ていたので、僕達が着くとセンター職員さんはすぐに出て来て下さり、親切丁寧にセンター内を案内して下さった。
ファイル 961-2.jpg(愛護棟)
 この今作ろうとしている今回の『紙芝居』は、ノンフィクションであり、非常にデリケートな(『殺処分』という、一つ間違えたら誤解を生んでしまうような)所が多いお話なので、慎重に慎重に時間を掛けながら、実際の職員さんからの教えと許可を乞いながら、作ろうと心がけている。
 だから、今回もゆっくりと施設全体を案内して頂きながら、お話を聞きつつ廻らせて見学させて頂いた。
 それで、たくさんの写真も撮らせて頂いたのだが、デリケートな部分も多い為、このブログには載せない。(それらの写真は、デフォルメして紙芝居の絵にしたいと思っているので、その『紙芝居』発表まで待って下さい)
 さて、こちらのセンターには、動物のしつけ教室やふれあい教室などの業務を行う〔愛護棟〕と、犬猫の収容と処分を行う〔管理棟〕がある。
 僕達は〔愛護棟〕を見学させて頂いたのち、〔管理棟〕を案内して頂いた。
ファイル 961-3.jpg(ふれあい動物舎)
 そして、ここでしつけられ、やがて新しい飼い主に譲渡される運命の元気な人なつこい子犬たちの〔ふれあい動物舎〕を見学させて頂く。
ファイル 961-4.jpg(譲渡犬たち)
 僕達が近づくと、一せいに集まって来て、尻尾を振りあいそを振りまく子犬たちに癒された。(この子犬たちの未来に幸あれ!)
ファイル 961-5.jpg(慰霊碑)
 しかしながら、こちらで二酸化炭素ガスで殺処分されてゆく運命の犬や猫たちもいる。
 このセンター内の小高い丘に立つ『慰霊碑』は、まさにそんな動物たちへの「慰霊」と「鎮魂」の気持ちが込められ建てられている。・・僕と妻は一緒に合掌した。

 さて、こちらのセンターでは子供たちへの施設見学会も行なわれているという事で、今年の夏休みも連日、賑やかだったそうだ。・・が、この日は小雨もあり比較的静かであった。
 さてさて、最後に職員さんからの印象深かったお話を一つ紹介して終りたい。
 それは、最近の(何人かの)子供たちの職員さんへの質問内容なのだそうで、実際の動物たちが死んでゆくところを、どうか見せて欲しいとせがむ子供が居るというお話であった。・・それもどこか、楽しんでいるような感じで聞いてくるらしい。
 それって恐いことだ。「これは(戦争や殺戮をリアルに描く)テレビゲームの影響なんでしょかねぇ?」と職員さんはそうおっしゃられた。
 『一つしかない命の大切さを、まじめに描いてこの紙芝居を作らねば!』と、そう固く誓い、愛護センターの職員さん達に深く御礼を述べて帰宅することにした。
 僕のわがままなお願いをたくさん聞いて下さった、センター職員の皆さん、本当にありがとうございました。お陰様で充実した取材旅行になりました。
 紙芝居が完成したら、(コピーして)是非一巻、送らせて頂きます。合掌

松山への紙芝居取材の旅(前編)

ファイル 960-1.jpg(因島:因島水軍城)
 お盆の忙しさも終り、昨日おとといと二日間、僕と嫁さんは春から計画していた『四国:愛媛県松山』への「紙芝居〔犬たちをおくる日〕」製作取材の一泊旅行に行って来た。
 行きは、〔山陽自動車道〕から〔しまなみ海道〕を通って、自家用車で四国に入り、帰りは〔松山自動車道〕・〔高松自動車道〕を使い、淡路島を通って帰って来たので、長時間の運転で結構しんどかった。(何度もパーキングで休憩した)
 それで、今回はその取材旅行のことを書こうと思うのだが、その前に(おまけと言ったら何だが)その途中に立ち寄った観光地のことを書いてみる。
 まず初めの休憩地に選んだのが、広島から〔しまなみ海道〕二つ目の島、因島の「水軍城」である。
ファイル 960-2.jpg(村上家の墓)
 こちらは写真の通り、小高い山の上にその〔村上水軍〕の(小さい)お城がある。
 以前、〔村上水軍〕についての小説を読んだことがあり、一度行ってみたかったのだ。
 お城の中が、資料館になっていて、水軍(つまり海賊軍)の歴史や、武器・鎧などが展示してあった。
 興味深かったのは、妻がその等の展示物を見て一言。「海賊って、まともな仕事やないねぇ。(そらそうやろ。)・・もっと地道に『魚とって商売する』とかして、生きられんかったんかいな」と言ったことだった。(ほんまやなぁ・・。でも、その海賊軍が作った兵書がのちに、海軍軍人:秋山真之によって研究され、『日本海海戦』の作戦ヒントになるんやから、全くの悪ではなかったようにも思える。以上、余談)
ファイル 960-3.jpg(大山祇(おおやまずみ)神社)
 その後、大三島(おおみしま)に渡り、しまなみ海道、唯一のパワースポットと呼ばれる歴史ある『大山祇神社』にゆく。(こんなん好っきやわぁ~)
ファイル 960-4.jpg(タオル美術館)
 そして四国に着いたら、まず嫁さんが行きたかった、今治『タオル美術館』に寄る。(ごっつい田舎の中に突如と現れた、お城のような大美術館。・・結構、遠方からの観光客がいてはった。用は現地での魅力なんやなぁ。勉強になった)
ファイル 960-5.jpg(宝厳寺)
 そして松山市に入り、一遍上人誕生の寺『宝厳寺』へ。(僕は一遍さんが大大大好き。・・その内、いや一遍、一遍さんの紙芝居を作るつもりだ)
 そして、『坂の上の雲ミュージアム』なども拝観し、この日の宿泊地、奥道後の『ホテル奥道後』へ。 つづく

特養「白寿苑」の盂蘭盆法要と法話会

ファイル 959-1.jpg(白寿苑)
 今日は、特養老人ホーム「白寿苑」の盂蘭盆法要の日。
 この一年間で、苑内でお亡くなりになられた入居者の方のお名前を御仏前でお読み上げし読経する。
 もちろん、故人のご親族の方もお招きしてだ。
 この行事は、今年でもう17回目を迎えた。
ファイル 959-2.jpg(盂蘭盆法要)
 今年は、お亡くなりになられた方が多かった。(全員で39名の方のお名前を読み上げた)
ファイル 959-3.jpg(職員の生演奏)
 その後、第二部へと続き、例年のように職員によるギターとバイオリン&サンシンの生演奏。
 こちらも例年と同じく、曲は「千の風になって」と「涙そうそう」で、皆と一緒に歌う。
ファイル 959-4.jpg(皆で歌う)
 なぜ、この二曲は「盂蘭盆法要」にぴったりとマッチするのだろう。
 職員にその事を話すと、「それは『千の風になって』は、故人のあの世から我々に対しての〔メッセージソング〕で、『涙そうそう』は、逆にこの世の残された者の故人への〔思い出ソング〕だからではないでしょうか。・・この二曲は、あの世とこの世をつなぐ曲なんですよ。だから我々の心を打つのだと思います。」と云われた。
 「なるほどっ!・・だから皆が、読経の後で自然と涙を流すのですね」と、僕は(完璧に)納得してしまった。
ファイル 959-5.jpg(法話会)
 第一部の盂蘭盆法要が終ったら、一時間半の休憩を挟んでのち、第二部はいつもの(入居者の方に向け)「法話会」を行う。
 この日は、いつものように、『盂蘭盆法要』の模様などを皆さんにお話し、亡き人たちを偲んだお話などをさせてもらった。
 毎年、ここでの行事が終ったら、ようやく僕の長い夏は終るのである。
 ・・ああっ今年の夏は長かったなぁ。合掌

河南荘:地蔵盆法要への出前

ファイル 958-1.jpg(河南町:河南荘)
 今日は、地蔵盆の日。
 こちらの軽費老人ホーム「河南荘」の、『地蔵盆法要』への出前も今年で15年目(第15回)を迎えた。
 ・・もう今回で、何人目の新しい施設荘長さんとご挨拶を交わしたであろう。(職員の方皆が、公務員さんなので何年かに一回はトップが替わるのだ)
 今年も新しい(女性)荘長さんと名刺交換をした。
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 さて、そんな事はどうでも良い。
 今日もいつものように、苑庭に祀られているお地蔵さんを、一時苑内ホールに引越をして、皆でお勤めする。
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 その後は、お話と紙芝居。
 今年は、新作の『共命鳥の話』と『でんでんむしのかなしみ』を披露してきた。
 皆さん、真剣に紙芝居も聞いて下さり、その後「又、来年も来て下さいや」という暖かい声をお聞きしつつ、苑を後にした。
 ・・さあ、今日は後もう一つ、夕方に町内の地蔵盆のお勤めがある。
 なんとか喉を調整させて、お参りさせてもらうか。
 

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