住職のつぼやき[管理用]

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最初から最後まで・・「うるさいっ、帰れ!」やった・・

 今、とある特養老人ホームへの『お寺の出前』から、帰って来た。
 今日はたいへんやった・・。
 「法話会」が、始まる前から、重度の認知症のお年寄り(女性)二人が、後列、車いすで座っておられ、始まる前から終わりまで、ずっと叫んでおられたのだ。
 お一人は、話す僕に対して・・、
 「うるさいっ!」とか。(そっちの声の方がデカイと思うねんけど・・)
 「帰れ!」とか。(ご自分の方が帰ってくれたらエエのにとちょっと思ったで。・・だって他の人に迷惑やもん。前の人が怒ってたので。喧嘩にならんかとひやひやした。職員さんも何度も横についてくれたけど、どうにもならんかったなぁ。途中、あんまりうるさいので、職員さんに連れられ、一度お部屋に戻られた。けど、すぐ帰ってこられたなぁ。やっぱり、一人ぼっちは寂しいねんやろなぁ・・。)
 又、「メガネっ!」とか。(そうや、僕はメガネを掛けてるで。・・でも、ちゃんと、僕の顔を認識できてるんやと、ちょっと歓心したなぁ・・。)

 又、その横の女性は、ずっとノートと鉛筆を握りしめ、何やら、ぶつぶつ声を出して、「さぁ、これからが大事な計算やな」と言って、何かの計算し始めたで、・・それも「今やらんでもエエやろ」と思ったけど。いったい何の計算やねん。)
 まぁ、そんな感じやった。
 でも、(この方たちと)ご縁(仏縁)があるから、今日のこの時間の御出会いになったんやろなぁ。
 そんな思ったことも、ちょっとお話(法話)に混ぜながら、なんとか法話会を終わらせて頂きました。
 でも、みなさん、終わってるのに、中々お部屋に帰られなかったなぁ。
 やっぱり、これでもエエ雰囲気作りができてたという事かなぁ。
・・手前味噌やけど、まぁ、そういう事にしとこか。合掌
 

根来寺の覚鑁(かくばん)上人について

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(和歌山県岩出市[根来寺(ねごろじ)])
 昨日、和歌山県の岩出市にある『根来寺』に行って来た。
 そう、ここは、新義真言宗の開祖[覚鑁(かくばん)]上人が建てたお寺である。
 覚鑁上人は、弘法大師空海の再来とまでいわれた(平安後期の)天才僧侶なのだが、ダークなイメージが強いお方でもある。
 それは、当時の高野山宗門の有り方に反発して、お山を下り、新たな宗門を開いたお方だからだと云われている。(今の政治の政党の中でもありそうな・・・。)

 お上人は、若くして高野山で厳しい修行をされ、宗門内の出世街道をひた走りに走り、やがて高野山のトップにまで登り詰め、宗門の大改革に成就される。
 ・・が、そのあまりに早い覚鑁上人の出世による他の僧侶の妬みと、大改革の反発が起こり、やがて高野山を下りざるを得なくなり、ここ岩出の地で[根来寺]を建て、新たなる宗門を開かれるのだ。
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 が、お上人は49歳の若さで、急な病で突然お亡くなりになる。
 覚鑁上人は、別名、[懺悔(さんげ)のお聖人]と呼ばれ、決して誰も責めず、たえず自分の心の中に目を向け、そして反省し、内観的な生き方をされた。(それはまるで、敬虔なクリスチャンのようでもある)
 そして、当時、一部の貴族のだけのものになっていた仏教を、庶民を救う為の宗教へと変化させようとされたのだ。
 ・・が、志半ばで倒れられてしまい、そのイメージはいつの間にか、歪曲されて現代に至った。
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(覚鑁上人ご廟所)
 又、覚鑁上人は、その当時、相対していた『密教』と『念仏信仰』との融合もお考えになっておられた。
 が、そんな極論は、とても当時、受け入れられなかった。(今でもやなぁ・・)
 が、が、その覚鑁上人の(宗教は万民を救う為のものである!という)思想が、やがて法然上人・親鸞上人の思想を生み出してゆくきっかけになったとも言われているのだ。(これはあまり知られていないのだが・・)
 僕は、今、そんな覚鑁上人に胸キュンなのだ。(ちょっと古いか、)
 で、昨日、覚鑁上人のご廟所(お墓)の前で、お念仏を称え、心の中で誓った。
 「微力、いや無力ではありますが、覚鑁様のお生涯の紙芝居を、いつかきっと作り上げます。そして、ご縁のある場所で、ご披露させて頂きたいと思います。よろしくお願いいたします!」と。合掌

NHK旅情報番組「えぇトコ」放送予定日、決定

 「お住っさん、昨日、NHKテレビに映ってはりましたなぁ。・・『あっ、住職さんが映ってる!』と思ったら、すぐ消えてしもて・・。あんなけですか?」と、今日、お参りに行ったら言われた。
 「それは、予告編やと思います。・・本編は、今週の金曜日。もうちょっと、映ると本人は思ってますねんけど・・。さて、どうでしょうか?」と、お答えしておいた。
 そう、先日から宣伝してます、NHK旅情報番組『えぇトコ』の放送予定日が決まりました。

 10月25日(金) 総合 よる8:00~8:43
 (再放送)11月1日(金) 午後4:05~4:48、です。

 そして題は、『お寺 工夫してまっせ ~眞鍋かをり&酒井敏也 大阪ひと味違うお寺旅~』です。

 又、下記の『えぇトコ』ホームページでも、上記のおばちゃんが見た[予告編]動画がご覧になれますので、マニアの人はどうぞ。
 http://www.nhk.or.jp/osaka/program/eetoko/

 本篇も、僕の出番、これだけやったりして・・・(笑)。

河内長野市加賀田公民館「紙芝居講座」への出前

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(河内長野市加賀田公民館)
 昨年は、河内長野市の[千代田公民館]という所で「紙芝居講座」をお引き受けしたのだが、今年は、場所を変えて[加賀田公民館]という所からご依頼を受け、昨日、そこで『西行法師』の紙芝居の出前をさせて頂いた。
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(会場)
 こちらは初めての場所なので、迷って遅刻してはいけないと思い早めに出発したら、めちゃめちゃ早く着いてしまい、職員さんのお仕事のお手を止め、(たっぷり雑談をして振り回し)迷惑をかけてしまった。(すんませんでした)
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 で、今回は『西行法師』の話という事だったのだが、僕は、西行研究家でもなんでもないので(ネタが無く)、『あっ』という間に、西行さんの話は終わってしまい[笑]、後は(例の得意の)雑談やら、河内長野市にゆかりの偉人の紙芝居などをさせてもらった。(ブーイングが起こらんでよかったわ)
 ・・でも、後でご参加の皆さんの[アンケート用紙]結果を見せて頂いたのだが、「雑談がたいへん面白かった」というものがとても多くて、僕も「たいへん面白かった」。(なんじゃこりゃ)
 皆さん、ホンマ拙いお話ですんませんでした。
 でも、これが私の限界なのです。はははぁ。合掌

朝日新聞記事『お坊さまは、紙芝居師』

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 昨日の朝日新聞朝刊の[大阪版]に載りました「お寺の出前」の記事を、(原文をそのまま、・・そして私の心の声(つ・ぼやき)を交えながら)載せさせて頂きます。
 題して、『お坊さまは紙芝居師』。(・・これって『奥様は魔女』のもじり?・・いっそのこと、『探偵はバーにいる』みたいに、『坊さんは老ホーにいる』でも良かったか。・・いやいや、『謎解きはディナーの後に』に掛けて、『紙芝居は夕飯の後で』もありか?!・・いやいや、『極楽は晩ごは・・』、もうやめとこ。)
 はじまり、はじまり~。
 
『9月のある日、大阪市西成区の特別養護老人ホーム白寿苑1階の広場に、河南町にある観念寺の住職、宮本直樹さん(53)が袈裟姿で現れた。
 紙芝居の前には、入所するお年寄り15人が座る。(記者さん、参加人数勘定してはったんや。)

「むかし、むかし、インドのある小さい国にひとりの若い王様がおりましたーー」。この日読んだ紙芝居は『王様と老人』。老人の知恵が国を救い、老人は役立たずと考えていた王様が改心した、という話だ。(この話は、日本の姨捨伝説の元になったお経の話です。)

 10分間の上演を終え、宮本さんは語りかけた。「『年をとったらあかんねぇ』ではなく、若者や老人が話し合えば大きな問題も解決できると思うのです」

 話にうなずいていた女性(93)は「いつも楽しみ。気持ちのいい心になります」。
 別の女性(87)は、「紙芝居の前後に町中の話も聞かせて頂けるのでありがたい」。
 紙芝居がきっかけで宮本さんに悩みを打ち明ける人もいるという。

 宮本さんは大阪市城東区の酒屋の長男。
 信心深い祖母の寺参りについていくうち、手を合わせる人の穏やかな表情に引きつけられるようになった。
 仏道に興味をもち、家業を継ぐのを条件に仏教系の大学に入った。
 
 卒業後、父の仕事を手伝ったが、「客を奪うのが苦手で、ようせんかった」。
 そんな時、檀那寺が人手不足になった。
 住職の資格を取って寺を手伝うと、終末期ケアのボランティア活動にのめり込んだ。病院で「仏様の話が聞きたい」と言って亡くなった祖母を思い出した。

 福祉施設から法話を頼まれ、楽しく聞いてもらおうと紙芝居を始めた。
 初めて作ったのは芥川龍之介の『蜘蛛の糸』。
 高齢者が見やすいように、原色を使いフェルトペンで縁どりした。

 それから15年余り。(正確には17年)
 心を動かされた昔話やお経の話、人物伝を紙芝居に仕立てる。依頼があれば、紙芝居を持って、府内の福祉施設や病院をまわる。
 今ではボランティアでの活動と、他の寺院での披露が半々で、月10回近く。年内の予定はすべて埋まっている。
 
 宮本さんは「ただ好きでやっているだけです。『また楽しみにしています』と気にかけてくれるのがうれしくて。私の知らない戦争体験などを教えてもらうことも多いのです」。

 白寿苑で披露した晩、車のハンドルを握り、1時間かかる河南町に帰っていった。』(文責:五十嵐聖士郎記者)

 ・・以上。素敵な記事をありがとうございました。合掌

 
 

紙芝居「石山合戦始末記」の取材

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(長浜城)
 「金子みすゞ」さんの紙芝居が完成して間もないのだが、次の紙芝居制作にすでに入っている。(すぐに作り始めないと、未完成「紙芝居」が、溜まる一方なので・・。)
 ・・で、今「石山合戦始末記~東西本願寺分裂秘話~」という作品に取り掛かっている。
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(お城から見た琵琶湖、美しい!)
 その[石山(いしやま)]というのは、大阪の昔の地名で、今の大阪城のあるあたりのことだ。
 戦国時代、そこに「本願寺」があった。
 そして、そこの立ち退きを命じて来た織田信長に立ち向かい、11年間も抗戦したのである。
 戦争ものの紙芝居を作るのは、苦手なのだが、檀家さんからよく「どうして、本願寺は、西と東に別れたのですか?」とよく聞かれる為、その問いに答えるべく制作に入った。
 すでに取材の為、大阪城や両本願寺などには、何度も足を運んでいるのだが、先日、新聞記事で、今、滋賀県の長浜城博物館で、『顕如・教如と一向一揆』企画展開催という欄を見つけ、「タイムリ~やん。行かなあかんなぁ」と、昨日行ってきたのだ。
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 「行って良かった!」というのが、正直な感想で、石山合戦についての貴重な資料や、そこで起った人間臭いドラマを一杯仕入れて来た。
 さぁ、年内には完成さすぞ。
 ・・でも、その前に大きな法要も控えているので、しっかり、仕事せななぁ・・。

NHk旅情報番組「ええトコ」撮影騒動記in[白寿苑]

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(スタッフ&レポーター入苑)
 昨日、今日と、NHkの旅情報番組「ええトコ」の『お寺の出前』への取材撮影があった。
 場所は昨日が「特養白寿苑」。そして今日が「観念寺」での撮影であった。
 この番組は、タレントレポーターさんが、各テーマ別に、いろんな場所へ旅をして、レポートするという情報番組である。
 それで、今回は大阪の(変わった活動をしている)お寺特集という事で、レポーターは、タレントの真鍋かをりさんと、酒井敏也さんであった。(大物やんけ!・・緊張したわ)
 最初は、お二人が[白寿苑]に入って来られ、窓口で「今日はここで『お寺の出前』があると伺ったのですが。」とお聞きになって、撮影が始まった。
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(撮影開始)
 そして、(予定通り)僕に挨拶をされて、紙芝居法話会の開始。
 大物タレントが来られるというので、今日はいつもよりギャラリーの多い事、多い事。・・ちょっと戸惑ったわ。
 でも、まぁ始まったらいつもの通り、大きな声で『紙芝居』を披露した。(声は裏返りませんでした。[笑])
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(歌の時間)
 その後、いつもの(お手伝いの)松葉みどりさんによる歌の時間。
 今日は、僕が急きょドラマー役をさせられた。(汗かいたわ。)
 そして、(同じくお手伝いの)吉岡千恵美さんによるまとめの法話で〆る。
 皆さん、お疲れ様でした。
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(レポーターとトーク)
 その後、二人のタレントさんと僕のトーク撮影。
 実は、このお二人は、真鍋さんが「愛媛県」出身で、酒井さんが「岐阜県」出身と(事前に、)調べて解って、僕はたいへん驚き興奮した。
 なぜなら、今年の夏、僕は愛媛県出身のお坊さん「一遍上人」と、岐阜県出身の「円空上人」の紙芝居を作ったばかりだったから。
 偶然と呼ぶには、あまりにも劇的で、とても嬉しかった。
 それで、お二人に、それらの紙芝居を直接見て頂いた。(酒井さんは、なんとサービスで、最初の紙芝居の部分を少し読んでくださった。・・放送はカットされてるかなぁ。)
 お二人とも、その事をお話したら、たいへん喜んでくださって嬉しかったなぁ。
 そんな、こんなで不思議でもあり、たいへん嬉しくもあった今日のお出会いであった。
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(記念撮影)
 その後、もうひとつのロケが残っているというので、急いでお二人とスタッフは、この場を去っていかれた。
 後には、テンションの上がったままの興奮冷めやらぬ僕と仲間たちが残され、うだうだと感想などを語りあい、秋の夜は、こうして更けていったのであった。

 何とも言えない素敵な空間を作って頂いた、白寿苑の職員の皆さま、そして今日は特にメイクが濃かった入所者の皆さま、番組スタッフの皆さま、本当に有難うございました。
 良い思い出ができました。合掌

 尚、放送予定日は、10月25日(金)午後八時です。

福島県:川内村避難所(仮設住宅)への出前

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(福島県JR郡山駅)
 前からの夢であった(東北)福島県被災地への「お寺の出前」が、友人の尼僧[笹邊さん]のお導きによって、昨日、ようやく実現した。
 僕はまだ一度しか、東北の被災地に行っていない。(笹邊さんは毎月、(音楽ボランティアで)訪問されているのだから、凄い!)
 それも僕の場合、その訪問時は、虚弱な(笑)肉体労働でしか復興の為のお手伝いが出来なかったので、いつか自分の紙芝居を被災地の皆さんに観て頂ける機会が来ないだろうかと、ずっと思っていたのだ。
 それが、ようやく実現した。
 実は、笹邊さん自身も、男の僧侶来望の声を避難所の皆さんから聞いておられ、解りやすく宗派にこだわらない話をする(変わった)僧侶を探しておられたらしいのだ。それが、今年の春の笹邊さんとの不思議な出会いから、トントン拍子に話は進み実現した。・・ほんま、待ち望んだご縁でした。合掌。
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(川内村避難所(仮設住宅))
 さて、不安な気持ちも持ちながら、早朝から新幹線を乗り継ぎ、JR郡山駅に着いたのは、お昼頃。
 そこから、タクシーで、一路、川内村避難所(仮設住宅)へ。
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(集会所)
 こちらの避難所は、全国からのボランティアさんの来場が非常に少なく、「自分たちは忘れられているのでは?」という焦燥感を多くの方が持っておられ、「イベントを開いても、人の集まりは悪いのです。」と、お聞きしていた。
 だから僕は、聴聞者は一人でも二人でも良いと思っていた。
 しかし、ふたを開けたら、「ほんまもんの坊さんが、紙芝居を演じに来るらしい」と(変な)うわさがうわさを呼んだらしく、たくさんの方がお集まり下さった。(嬉しかった!)
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(笹邊さんのピアノ演奏)
 そして、まず笹邊さんのピアノ演奏で、会の幕は開き、皆で秋の歌などを唄う。
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(小型紙芝居を実演)
 その後が、僕の出番。
 しかしまだ、どこか緊張感が抜けないような雰囲気だったので、僕は「吉本興行で有名な大阪の河内から来ましてん。だから、ガラの悪いのは許してくださいや。また、話に落ちをつけずはおられないのが、大阪の人間ですから、そこもご勘弁。」とまず、自己紹介したら、笑いが大きく起こって一ペンに場が和んだ。皆さんも緊張してはってんなぁ。
 そして、一通り、僕は予定していた紙芝居を披露して、そしてオチをつけて法話を終える。
 その後、帰りの新幹線の時間が心配であったのだが、茶話会ということで、色んな仏事に関する質問が出た。
 でも、半分ぐらい、東北弁の方言が理解できず、笑いでごまかしてしまったが・・。あかんなぁ。
 印象に残ったのは、今現在、放射線量の影響が薄くなってきた為に、(そのままの形で残っている自宅に)何度も帰れるようになったというお話だった。それで「自宅の仏壇のご先祖さまが、しっかり家を護ってくれてるような気がしているんですよ。」と言われたことだった。(うまく書けないが、これを方言で表わすと「ずぃたくのぉ、ぶっっあんさぁの、ごぉ先祖さぁまがぁ、すっかりと、うちを護ってくださってる気いがしてぇぇ、ありがていことだなっす」。・・こんな感じやったかなっす。)
 そして、最後は「ありがてい話だった。今度はいつ、来てくれるかなっし。今度は泊まっていってけろ」と言われたのだが、僕は確実なお約束ができない為、「綺麗どころの皆さんが、僕の横に添い寝してくれるのでしたら、すぐに来るのですが。はははぁ。・・冗談はさておき、又、寄せて頂きますね。」と言って、お別れした。(いずれ、又!)
 最後、集会所から、皆さん顔を出され、手を振ってお別れしてくださったので、照れくさい僕は、ここで最後のオチをと思って、「投げキッスの方が、うれしいのですけど!」とタクシーの窓を開けて言ったら、おばあちゃん方が、ほんまに皆で投げキッスをして下さった。 ・・冗談やがなぁなっす。

滋賀教区:蒲生下組門徒推進員の皆さまの団参

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『関大校友会』への出前から、急いで帰って来た僕は、午後から来られる、同朋観光(株)の団体参拝バス旅行の皆さまをお迎えする準備にすぐ入らねばならなかった。
 今回のお客様は、『滋賀教区』の「蒲生下組:門徒推進委員」の皆さまである。
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 おそらく、皆さま方は、お腹が一杯で眠たかったのではなかろうか?
 しかし、せっかく南河内くんだりまで来て下さったのだから、しっかり紙芝居を観て頂いて、サービスせねばと思いながらも、いつものように僕は、ダラダラと前置き話をしゃべり続けた。(後で、坊守に「皆さんは前もって、(僕のことをパンフレットでちゃんと)予習して来られておられるのやから、くどくど自己紹介など喋べり過ぎ!」と叱られた。とほほ・・。すんません。
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 まぁ、でも、無事に終わり、最後は皆さんと共に記念撮影。
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 そして、バスの前でも記念の一枚をパチリ。
 皆さん、お気をつけてお帰りになって下さいね。合掌
 

関西大学校友会への出前

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 本日、富田林市民会館で、『関西大学校友会(総会&同窓会)』が行われ、そこに「お寺の出前」に行って来た。
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 関大卒でもない僕が、卒業生の皆さまの前でお話するのは、たいへんおこがましい事ではあったのだが、「知り合いのお寺の総代さんが呼んで下さったんやから、まぁ、ええか~」と、軽い気持ちで、思いっきり言いたいことをお話してきた。
 内容は、『稲むらの火』と『三尺三寸の箸』の紙芝居を入れて話して欲しいという事だったので、この二つはとにかく入れて、後は好きなことしゃべろっとって、感じで時間一杯使わせて頂いた。
 その後、「一緒にお食事を、」と言われたのだが、今日この後、同朋観光(株)のバスツアーの団体参拝の皆さんが、来られる為、早々に引き揚げた。
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 今日のブログは、この後まだ、『団体参拝編』に続きます。

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