住職のつぼやき[管理用]

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南郡組(なんぐんそ)仏教壮年会への出前

 昨日、浄土真宗本願寺派[南郡組(=泉南地区)]仏教壮年会の研修会へ、「お寺の出前」が、お寺へ出前に寄せて頂いた。(・・写真を撮るのを忘れてしまいました)
 開始時間が、夜にも関わらず、多くの仏教壮年の皆さんが、お集まり下さっていて、こちらもたいへん緊張した。(・・嘘である。僕も壮年の年齢層なので、何かみなさんのお顔を拝見したら、「みんな、(おっちゃん同志)仲間や、気が楽やと思いました。」・とさ)
 お寺の周辺で、だんじりの鐘と歌声の練習が響く中(・・もう、秋祭りの季節やなぁ)、僕は、仏教紙芝居(「三尺三寸のお箸」・「アミダ仏物語」・「共命鳥のはなし」)の三本をさせて頂いた。
 紙芝居を見て下さっている、壮年の方たちの少年のような表情が、何とも言えぬ幸せ空間を作り出していたような、そんな昨日の壮年会でした。
 「(僕と)個人的に友達になりたい」と、おっしゃって下さった司会者さんを含め、南郡組の(各お寺様、そして各お寺の壮年会の皆さま、会所寺院の正永寺の皆さま)、たいへんお世話になり、ありがとうございました。(・・わーい、友達、一人増えた!) 合掌

 

カッコいい生き方?

 今日、『特養老人ホーム甍』の講話クラブに行って来た。
 今日の講話の演目(紙芝居)は、『捨聖 一遍上人』。
 そして、テーマは「捨てる」である。
 そう、今日は一遍上人の人生行路を「紙芝居」で解説しながら、その生き方を紹介して、その後、みなさんに「(大事なものを)捨てて生きて、果たして幸せは来るのか?(執着を無くす生き方)」をテーマに話し合ってみた。
 偉大な聖人:一遍さまの事はさておき、「捨てる」をテーマにした話し合いは、(白熱して)面白かった。
 「家族や財産などを捨ててしまったら、後に[虚しさ]しか残らないのではないでしょうか?」とか、「それは仏教でいう[無]ということですか?([空]のことか?)」とか、高尚な質問が出て、どう答えて良いか解らず、こちらも頭の中が[無]になった。(笑い)
 でも、途中に「それって(なんとなく)解る、解る」というお方が現われて、僕は最後に「(心の中の執着を含めた)『捨てる』生き方って、案外実行すると楽かもよ。
 今、『断捨離(だんしゃり)』っていう本もヒットして、そんな(心のお掃除、整理する大切さを表す)言葉もできてるのですよ。・・まぁ、僕はとても出来ませんけど。僕はどっちかというと、『断捨離』より『檀蜜』の方が好きですけど。ところで、みなさん檀蜜って知ってますか?余談ですけどね。・・まぁ、だから今日のお話は、いわゆるひとつの憧れということで。」と、まとめてみた。
 職員さんが、最後に「今日の話はおもしろかったー」と、言ってくれたので、ちょっとホッとした。

 先日、プライドを捨てて、坊主活動している僕に対して、ある方が、「あなたはカッコいい生き方をしています!」と、真剣に言って下さった。
 いつも、回りから変人に思われてる僕を、そんな風に見つめていてくれてる人が、一人でも現われたこの事実に、僕は心から「このまま前進しよう」という勇気が沸々と湧いたのであった。(褒められて伸びる中年なので・・)
 でも、その言葉も、いつか[執着]になる可能性がある。
 ・・だから、心の中にしまっておきたいが『捨てねば』・・な。
 

金子みすゞ紙芝居、制作の難しさ

 今、『金子みすゞ』女史の紙芝居を作っている最中なのだが、思ってもみなかった困難にぶつかっている。
 「果たして、この紙芝居は無事に完成する事が出来るのだろうか?」・・などの不安が、毎日僕を襲う。(夢にも出てくる)
 それは、つまりこの紙芝居の構成をどうしたらよいか?という基本的なことに悩んでしまっているのだ。
 最初の構想では、彼女の少女期から、大人になるまでを描き、最後にポツンと死を入れて終ろうと思っていた。
 彼女の有名な詩は、少しだけ(途中に)入れれば良いと安易に考えていたのだ。
 しかし、彼女の詩集を読んでいると、どうしても(本文中に、)この詩も紹介したい、この詩も紹介したいと思うようになっていった。
 そして、ストーリーの節目節目に、その詩を入れていこうとしたら、いつしか、詩だけで『八枚』になってしまった。
 ・・チョイスしてチョイスして、詩を選んだつもりなのだが、詩の紹介の多さに、彼女の一代記をぼやけさせてしまったのだ。(通常、紙芝居は十二枚程度なので、詩が多すぎるのだ) 
 しかし、どれも、カットできない。
 『詩』と『一代記』、どちらに重点を置いて完成させるか、思ってもみなかった[やっかいな悩みが]、今、制作を遅らせている。
 第一部、彼女の一生。第二部、彼女の詩の紹介、と、もちろん考えたのだが、やはり、彼女の一生とともに詩を入れた方がよいと、いう結論に今、達している。
 いったい、この紙芝居はどうなってゆくのか?
 紙芝居を作る人間は、そんなことで悩むのです。
 

特養ホーム『白寿苑』と軽費ホーム『河南荘』のお盆法要

 昨日今日と、二つの老人ホームで、お盆法要を行って来た。
 昨日が、毎月法話会で行かせて頂いている特養『白寿苑』での盂蘭盆法要。
 そして、今日が、一年に一回行かせて頂いている軽費老人ホーム『河南荘』での地蔵盆法要である。
 どちらも、結構お付き合いが長く、今年で17回目ぐらいだろうか?
 どちらも、まず会場での勤行から始まり、お焼香をして頂く。
 そして、短い法話。
 その後、『白寿苑』では第二部として、職員さんのギターとバイオリン・サンシンによる生演奏で『涙そうそう』と『千の風にのって』を遺族さんと入所者のみなさんで歌う。(今年も感動的でした)
 そして、『河南荘』では、僕の紙芝居法話と仏教質問コーナーで盛り上がる。
 毎年、こんな感じでやっていて、今年も無事に盛大の内に終わった。
 が、やはり今になって、疲れが出てきたのか、昨日あたりから、のどが腫れ出して、とても痛い。
 薬を飲んでも腫れがひかなくて、これはしばらくおとなしくしていた方が良さそうだ。
 ・・が、僕のサガで、つい御仏縁があると、思いっきりお話ししてしまい、回復を遅くする。
 ・・これは今年も同じだ。 僕って成長せんなぁ。(笑)
 
 
 
 

山口県:長門市仙崎に行ってきました

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(金子みすゞさんが愛した青海島の王子山公園より見た仙崎の町)
 昨年の秋より、制作を(少しだけ)開始している『(仮題)金子みすゞと仏さま』という紙芝居の取材の為に、昨日おとといと、山口県の長門市[仙崎]の町まで行って来た。
 早朝の出発でも、(山陽自動車道を使い)車で、到着まで、約八時間掛かった。(もう行き帰りだけでへとへとでした)
 長門市に着いたら、さっそく取材を開始。(他の観光地には行かず、ただただ[金子みすゞ]さんの事だけに絞りました。)
 金子みすゞさんの生まれ育った仙崎の町は、潮の香りのする静かで小さな漁村。・・それは今も変わらない。
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(再現された[自宅]金子文英堂[金子みすゞ記念館])
 まずは、[みすゞ通り]を歩いて、自宅を再現された[金子文英堂]へ。(当時のままに再現されていて、金子みすゞ女史の部屋も見学できます。
・・ここで少し余談。みすゞさんの実の弟の正佑[まさすけ]さんは、ご長寿で平成元年まで生きられます。そのお仕事は主に『劇作家』であったそうです。そこまでは知っていたのですが、その書いたお芝居の一つに[古川ロッパ劇団]の『笑いの王国』の作品があったそうです。・・これは知らんかった。弟さん、コメディ書いてはったんや。余談の余談ですが、僕はこの『笑いの王国』をパロッた[三谷幸喜作品]『笑いの大学』が大好きです。・・ほんま余談でした。)
 そして、その隣は、現在『金子みすゞ記念館』が併設されていました。(しっかりと直筆の手紙などの資料を取材してきました)
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(遍照寺さま内:金子みすゞ墓所)
 その後、そこから歩いて10分ほどのところにある浄土真宗本願寺派『遍照寺』様の境内にある、みすず女史の(小さくかわいい)墓所に、(紙芝居を作らせて頂くご報告をして、)お参りさせて頂きました。(金子みすずさんは、熱心な浄土真宗門徒でした。)
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 それで、彼女の詩は、そのまま『お念仏の味わい(=教え=感想)』になっているのです。
 僕の作ろうとしている紙芝居も、彼女の生涯はさらっと流して、彼女の想いに寄り添って作ろうと思っています。(それは非常に難しいことですが・・)
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(鯨(くじら)墓)
 その彼女の命に対する優しい心の(核)となったものが、父親の実家のあった隣の町=島[青海島]『通』(かよいと読みます)の古式捕鯨の様子(風土)ではなかったかと僕は思うのです。
 それで、『通』の[くじら資料館]に行き、捕鯨との命のやり取りの現場を見て、そして、鯨に対するその優しさの表われとして残っている『鯨墓』(生まれることが出来なかった鯨の胎児が祀られています。(一頭一頭の戒名もあります))をお参りさせて頂いて来ました。
 非常な強行軍で、たいへんしんどかったですが、しっかりと[取材]させて頂いてきたつもりです。
 いよいよ、この秋から実質的な制作に入る予定です。・・お楽しみに。
 

今年のお盆のこと・・

 現在、『一遍上人』の紙芝居を(長期)連載中のため、個人的なこと(日記)を、まったく書いていない。
 で、今回はちょっと閑話休題ということで、今年のお盆でのことを少し書いてみたい。

 相変わらず、今年も[お盆]は忙しかった。
 七日には、富田林の専念寺さま、そして十五日には、太子町の光福寺さまの[盂蘭盆法要]へ、紙芝居法話に行かせて頂き、その間、九日には例年の村のお墓参りがあり、それが終われば、檀家さん(全宅)へのお盆参りが続いた。
 今年は、非常な暑さのため、その対策には万全を期して対処したつもりなのだが、それでもやはり体力は消耗した。
 また、お盆の終わり頃には、ある檀家さんのお葬式も入ったため(あっちこっちへ)分刻みで、車と自転車で走り回ることにもなった。
 ・・でも、なんとか、無事に怪我なくトラブルなく、今年も無事に乗り切りました。
 さて、来年はどうなることか?それはその時、考えましょう。
 まずは(今年のお盆は)、めでたし、めでたし・・でした。
 

お盆まいりが始まってます。

 残暑見舞い申し上げます。
 さて、今年も、来るべきものがやって来ました。
 そう、お盆です。
 おそらく、私にとって、一年で一番忙しい「時」でしょう。
 年々、加齢による体力の衰えを感じる今日この頃ですが、これが終わらないと、僕にとっての「休暇」も来ない。
 頑張って今年も無事に乗り切りたいと思います。合掌
 
 

加賀田公民館「紙芝居講座」の予定

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 加賀田公民館の館長様からのご依頼で、この秋、先の公民館で「紙芝居講座」を開くことになった。
 題して、紙芝居講座『願わくば、花のしたにて春死なん~西行法師の一生~』。
 わが町〔河南町〕で、西行法師はお亡くなりになった。
 うちのお寺から、車で15分ぐらいの場所に、その墓所とお寺〔弘川寺〕がある。
 僕は、その場所が近いため、よくお参りに行く。
 それは、西行という人が好きでもあるが、お寺の静寂な雰囲気が好きな為でもある。(今流に言えば、癒されに行くのだ)
 そして、その『西行法師』の紙芝居を作った。
 はっきりいえば、僕は〔西行法師〕研究家でもないので、詳しい事はよく解らない。
 ただ、その生き様が好きだから、紙芝居化しただけだ。
 が、その紙芝居を、「市民講座でせよ」という依頼がきた。
 素人に毛が生えたようなような僕には、専門的な話はできない。
 しかし、それを(おそらく)承知で、僕に来た依頼だ。
 出来る範囲で、精一杯「西行法師」の魅力を伝えさせていただこう・・と思う。
 よろしければ、河内長野市民の皆様、おいで下さい。合掌

一遍上人の御廟所

 現在制作中の紙芝居『捨聖 一遍上人』が、ようやく完成のめどがついた。(99パーセント出来上がった)
 それで今日、一遍上人のご廟所(お墓)がある、神戸市兵庫区の「時宗 真光寺」さまにお参りに行かせて頂いて来た。
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 大きな境内の中にある『ご廟所』。
ファイル 1155-2.jpg(一遍上人ご廟所)
 そう、「捨て聖(ひじり)」と呼ばれた『一遍智真上人』は、愛媛県松山に生まれ、二度の出家を経て、旅に生き(歴史に名を残す)名僧となられた。
 そして、過度の栄養失調(?)により、この地で倒れて亡くなられた。
 僕は今日、上人のお墓の前で報告した。「お上人の紙芝居が完成しました。どうか、この紙芝居を見た人が、お上人の生き方に感銘してくれますように。」と。
ファイル 1155-3.jpg(真光寺本堂)
ファイル 1155-4.jpg(一遍上人ご木像)
 その上人の行年は、五十一歳であったという。
 上人の生涯は、極めてインドのお釈迦さまに似ておられる。
 豪族の家に生まれ、結婚もし子供も儲けるが、無常を感じて出家。
 そして、旅に生き旅に死んだ。
 その最後は潔く、死期を悟った時、すべての持ち物を焼き尽くし、正にすべての執着を捨て果てて死んでいった。
 こんなように、僕も生きたい。
 さて僕は、上人のように、死期を悟った時、すべての『紙芝居』を燃やし尽し、死んでいけるだろうか?
 最近、そんなことばかり考える。
 後の人に、作った物を残すことが良いことだとは、僕は思っていない。
 なるべく、『捨て果てて』潔く死にたい。・・一遍上人のように。(まだ死にませんが。〔笑い〕)
 そんなことを思いながら、この紙芝居を作った。
ファイル 1155-5.jpg(境内にある熊野権現社)
 最後に、境内に建つ上人に、悟りのヒントを与えたといわれる『熊野権現社』に合掌して、帰って来た。
 近々、この紙芝居は、ブログにアップしたいと思います。

今年の「玄清寺」寺子屋教室

ファイル 1154-1.jpg(浄土宗 玄清寺)
 今回で七回目となる、東大阪市の浄土宗「玄清寺」の『寺子屋教室』に、昨日『紙芝居法話』に行って来た。
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 相変わらず、子供たちは元気一杯だ。
 なぜに、今、大人は元気が無いのに、子供はあんなに元気なのだろうか?
 ストレスが無いのか?(いやいや、そんなことは無いだろうが・・)
 しかし、それにしても・・、本堂を走り回る!飛び回る!喋り捲る!・・元気の一言!(笑い)
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 さて、昨日の演目は『三尺三寸のお箸』と『注文の多い料理店』。
 前者は、「思いやりの大切さ」をテーマとし、後者は、「命の大切さ」をテーマとした作品だ。
 元気一杯で、本堂を走り回っていた子供たちも、紙芝居が始まったら、静かになり、そして真剣に見つめていてくれて、なんかとても『純』な魂たちと接触したような気がして、こちらが清めてもらった気がした、そんな今年の『寺子屋教室』だった。

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