本日は、現在、制作途中の『紙芝居』をピックアップしてみたいと思う。
(『妙好人 物種吉兵衛さん』)
まずは、現在80パーセントの完成。後は色を塗るだけの『物種吉兵衛さん』の紙芝居。
泉州[堺]出身の妙好人の生涯を描いたものだ。
これは、去年の後半期から作り始めた僕の魂を込めた作品である。
この作品は、今年、泉州のお寺に出前に行く手土産として作ったものである。
今年の初めに、各お寺でお披露目したいと思っている。
(『悲劇の哲学者 三木清伝』)
続いて、70パーセントまで仕上がった紙芝居『哲学者 三木清』伝。
これも実在した現在の妙好人の話だ。
昨年の播州龍野市の取材を終え、ようやく完成まで至ったものである。
(『妙好人 播州の宇右衛門さん』)
これも同じく、播州の妙好人の生き様を描いたものだ。
この作品は僕の頭の中では、ほぼ完成しているが、実際はまだ20パーセントしかできていない。(笑)
(『妙好人 六連島のお軽さん』)
最後に、山口県下関の『六連島のお軽さん』。
これも、まだ10パーセントしか完成していない。
この作品も現地取材してからの完成となるだろう。・・今年の半ばぐらいに出来るかな・・。
以上、上の四本は今年上半期までに作ろうと思っている。
妙好人ファンの方はご期待を!
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現在、製作途中の紙芝居!
観念寺新年会in2016
新春、出雲・境港への旅(後編)

(鳥取県の境港、対岸は島根県)
水木しげる師の故郷[境港(さかいみなと)]は、観光客で一杯!
この観光地の賑わいは、水木さま様、鬼太郎さま様であろう。
(境港駅(別名「鬼太郎駅」)前)
駅前から続く、水木先生ブロンズ像や妖怪ブロンズ像の数々、半端じゃない『水木しげるロード』。
(鬼太郎と)
この[水木しげるロード]を歩いていると、鬼太郎やねずみ男たちの着ぐるみに出遭える。(僕は狡くて、怠け者のねずみ男が大好きだ。・・それと、目玉のおやじの寝床は、鬼太郎の片目の中だって、知ってましたかっ⁉)
(水木しげる師の義手)
水木しげる師は、『紙芝居屋』の画家でデビュー。しかしまったく売れず、その後『貸本屋』専属のマンガ家に。しかしこれも売れず、貧乏のどん底の道をまっしぐら。・・しかし『悪魔くん』・『ゲゲゲの鬼太郎』の大ヒットで、やがて、天皇陛下から勲章をもらう大売れっ子作家へなられた。
・・しかも戦争で片手を失くされたのちの話なのだ・・凄い。
この写真の義手は、結婚式の時だけ使用したという物である。
片手で、数々のマンガを描き続けたのだから並ではない。凄い!
[描く!]、そして[生きる]というパワーをもらえた気がした今回の旅行。有り難かったです。
(水木しげる記念館)
それでは、最後に『水木しげる記念館』に書かれていた、故水木師の名言録を。
『世の中のエライ人は、みんな人の力を利用して、幸福になってんのョ。わかる。』
『仕事は、驀進(ばくしん)と停止の、二つしかありません。』
『人間はいろいろなものを食べますが、死ねば大地に食べられるわけです。』
『死は、カミサマの最大のプレゼントかもしれないよ。』
『水木さんは80歳を越してから、幸せが溢れ出してこぼれてきとるんですわ。だからアンタ、水木さんの後ろを歩いとったら、幸せが拾えるかもしれん。』
『ナマケモノになりなさい。』
最後、『のん気にくらしなさい。』 おしまい
新春、出雲・境港への旅(前編)

(初めて乗った、小型ジェットプロペラ機)
明けましておめでとうごさいます。
今年のお正月はちょっと贅沢して、飛行機で[島根県:出雲と鳥取県:境港]の旅行に行ってきました。
伊丹空港から、プロペラジェット機で『出雲縁結び空港』へ。
(出雲縁結び空港)
50分の旅、あっという間です。
(映画で有名なローカル列車『一畑電鉄』)
そして、映画『レールウェイズ』で有名になった[一畑電鉄]に乗りました。(中年の運転士、中井貴一、かっこ良かったな!)
(小泉八雲ゆかりの大橋旅館)
今日のお宿は、小泉八雲ゆかりの老舗旅館『大橋館』。
明治時代、小泉八雲は初めて船でここに降り立ち、出雲(松江)に滞在されたという事です。
(旅館から見た宍道湖)
八雲も見て感動されたという宍道湖、日本の面影が今もあります。
さぁ、後半はいよいよ、紙芝居大先達の(故)水木しげる先生の故郷、境港へ。つづく
[生きた]と[生きる]
「院主さんっ、・・大病から一年経ち、院主さんの今年を表わす漢字の《一文字》は何ですか?」と、檀家さんに聞かれた。
僕は「漢字一文字やったら、『生きた』の『生』です。
何かよう解らんから、一文字ではないけど、やっぱり『生きた』かな。・・そして、来年の抱負もついでに言うと『生きる』やな。・・とにかく、何としても生き延びることですわ。お寺と檀家さんの為にも、家族と僕自身のためにも。」と答えた。
すると、「院主さんやったら、『生きる』と違って『生かされてる』と違うのですか?」と又、言われた。
僕は「宗教者としては『仏に生かされてる』と、言いたいとこやけど、やっぱり自分自身、『生きる』の方がしっくりきますわ。」と答えて会話が終わった。
帰ってから、自分の言った言葉を考えてみた。
僕は『他力本願』の浄土真宗やから、仏に『生かされてる』の方があってるかもしれない。
だが、心の一番奥の奥では、やはり『生きる』だ。
生かされてる事は、十分承知の上で、最後のとこは、気力(自力)で、何としても、仏にすべてを任せながら『生きるぞ!』なのだ。
これは、理屈ではない。病院で、生死の境をくぐった者しかわからないと思う。
話は変わるが、池波正太郎の歴史小説で『真田太平記』という大河物語がある。
随分昔に読んだので、記憶が間違ってるかもしれないが、確か、ラストのテーマが『生きる』だったのでは無かっただろうか。
真田兄弟の弟の[幸村]は、武士らしく潔く死ぬ。
しかし、兄の[信幸]は、その生き方を選ばず、お家を護る為に、家臣や家族を守る為、智慧を絞って『生きる(存続)』の道を選ぶ。
この最後のテーマが、今だ僕は忘れられない。
僕は、真田信幸のように『生きる!』。
紙芝居を描くためにも、僕が味わった仏の教えを皆さんにお伝えするためにも・・。
干支のちぎり絵教室、開催
播州妙好人の取材旅行(後編)

(真宗大谷派[浄因寺]さま)
播州旅行二日目。
娘と僕は、龍野市からタクシーに乗り、隣町の太子町へ。
国道179線沿いの[太田]という町中に、真宗大谷派[浄因寺]様は在る。
僕等がお寺に入ると、ご住職は待っていて下さった。
(境内に建つ妙好人[宇右衛門]像)
広い境内に建つ、妙好人[宇右衛門]像を横目で観つつ、本堂に入る。
(浄因寺ご住職と)
そしてご住職から、宇右衛門さんの妙好人エピソードを、色々と聞かせて頂く。
又、立派な妙好人を育てた褒美として、こちらの先先々?代のご住職が殿様から頂かれたという、貴重な絵(掛け軸)も見せて頂いた。
又、本堂には、宇右衛門さんの生涯を、紙芝居風にした絵が何枚も飾ってあり、人間像を想像するにたいへん参考になった。
(宇右衛門さんのお墓[顕彰碑])
帰りはご住職の車で、ちょっと離れた宇右衛門さんのお墓まで案内して頂き、本当に親切にしていただいた。
僕はお墓に「宇右衛門さん、あなたの紙芝居を作らせて下さいね。お願いします」と挨拶して、大阪に帰還したのであった。
浄因寺のご住職、太子町役場の[企画政策課]の皆さま、色々お世話になりました。本当に有難うございました。合掌
播州妙好人の取材旅行(前編)

(播州:龍野市)
夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か・・。
あまりにも有名な[三木露風]の代表作、『赤とんぼ』。
露風の出身地は、龍野市で、この故郷を偲んでこの曲を作ったとされる。(一日三回、午前七時と、午後五時と夜の十時に、町全体にこの曲が流れる。・・夜の十時に曲が流れてきた時は、さすがに驚いた。)
先週、この歌で(昔から)町興しをしている[播州:龍野市]と、隣町[太子町]へ、播州門徒妙好人の[紙芝居]の取材旅行に、一泊二日の日程で行って来た。
お供は、僕の娘に頼んだ。
(霞城館[かじょうかん])
初日、雨の中、大阪駅からJR新快速で出発。
龍野市に到着後、目的地の一つ、日本三大思想家の一人、哲学者[三木清]の資料館の[霞城館]へ行く。
三木清氏のことは、いずれ書こうと思うが、ドイツ・フランスで本格的哲学を学んだ日本を代表する哲学者の一人であるのだが、「私は浄土真宗の一信者として死んでいきたい。」と、このような事を述べながら、思想犯として日本の特高警察に捕まり、獄死したという人物である。
(三木清氏の資料)
彼の人物像を「紙芝居」で表わすのは、(『彼は清潔な人柄だ。・・いや違う。』と賛否両論あり)、非常に難しいのだが、僕はシンプルに(『アラビアのロレンス』の映画のように、)自分に正直な人物像として、彼の「紙芝居」を作りたいと今、思っている。
その為の、今回は貴重な取材になったと思う。
三木清氏の取材で、一日終わり、この日は国民宿舎[赤とんぼ荘]に泊まる。
(龍野城)
次の日、午前中、時間が空いたので、紅葉の美しかった龍野城や、うすくち龍野醤油資料館などを散策して、時間を過ごす。
(お城の中:娘と)
そして午後、浄因寺ご住職とのお約束時間に間に合わす為、タクシーを使って、播州[太子町]へ。
妙好人[播州の宇右衛門]の故郷、[浄因寺]様に向かう。
つづく
播州の妙好人
来週、播州(龍野市と太子町)に、『紙芝居』の取材で、行って来ようと思っている。
その『紙芝居』主人公の調査のひとりは、龍野市の生んだ『哲学者妙好人』(こんな言葉はないのだが?[笑])、[三木清]さん。
この方は、京都学派を代表する方で、ドイツ・フランスへの留学ののち、ヨーロッパの最先端の知的成果を取り入れ、やがて日本を代表する哲学者・作家になられた。(「人生論ノート」などの著作は有名)
が、最後は太平洋戦争末期(昭和20年)、思想犯で治安維持法違反により、東京拘置所・豊多摩刑務所に入れられ、48歳の若さで刑務所にて獄死。
その最後は、親鸞聖人の思想に大傾倒しながら、亡くなられたらしい。
・・すごい、生涯だ。
僕は、徹底した(西洋の)合理的思想を身に着けながら、最後は、なぜ「親鸞聖人」思想に傾倒したのか?、そのなぞの人物像に興味があって調べてみたい。
それで、その現代人も抱える悩み(西洋的合理性を持ちながら、日本の古い宗教に惹かれるその理由)を探りたい。
そして、彼のできるだけわかり易いエピソードを取り上げて、(何とか)描き出してみたいと思っている。
その為の取材だ。
それと、もう一人。
同じ、播州太子町の妙好人[播州の宇右衛門]さん。この典型的妙好人の人物像も調べたいと思っている。
この方のエピソード本『播州の宇右衛門』(玉田賢治著者)は、すでに読んだのだが、今ひとつ、解からない部分もある。
それで、この方の銅像のあるお寺[真宗大谷派の『浄因寺』様]に、お参りさせて頂き、ご住職から宇右衛門さんの人物像を、いろいろと教え頂きたいと思っている。
どこまで、描けるかわからないが、何とか勉強して、できるだけ解りやすく、親しみやすい[人間物語]を描いてみたいと、今思っているのである。








