住職のつぼやき[管理用]

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母は福

「母は福」。
 これは、僕のオカンの事ではない。
 88-29。これを[ハハはふく]と読む。
 ・・僕の軽自動車のナンバープレートなのだ。
 実は、僕はこの番号を『葉っぱの肉』と呼んで覚えていたのだが(・・なんという、俗っぽい僕)、先日、布教で呼んで頂いた堺・極楽寺のご住職に「『母は福』ですか・・。有り難いナンバーですね。知ってて貰いはった番号ですか?」と聞かれたのだ。
 僕は「ちゃうちゃう、僕は『葉っぱの肉』とタヌキの馬鹿仕合みたいに覚えてただけやん。・・でも、その覚え方エエなぁ。」と答えた。
 さすが、極楽寺の親孝行住職!モノの見方が違うやん。
 この日、僕は反省し、お寺に帰って実家の母に久々に電話しました。合掌
 

今日は[仏滅]で『お釈迦さま(仏様)の誕生日』?

 今日は『六曜』でいうと、[仏滅]。
 しかし、四月八日は『お釈迦さま(仏様)の誕生日』。
 「死ぬ(滅)のに、生まれる⁉」なんと哲学的な響き!
 「これいかに?」と、今日、月参りの檀家さんで聞かれた。
 正直、知らんかった。・・おもろすぎるやんけ。
 僕は「知りませんでしたわ。」と言って、笑いながらごまかした。
 ・・が、寺に帰って来て、改めて『六曜』を調べてみた。
 『仏滅』とは、元々「物、滅」が『仏滅』に変わったと書いてあった。
 ええ加減な当て字なのです。
 全国のお祝い事を(今日)される方、気にすることありません。
 僕は思う。・・『物(仏)が滅するが故に、縁起が悪い』と世の中の人は云うが、神羅万象、地上に存在するモノはすべて「滅する」のです。物も人も。
 『諸行無常、諸法無我』という言葉で、(今日お生まれになった)お釈迦様が「そのように」真理を教えてくださいました。
 なんや、じゃ、今日は『物滅』という[真理]を教えて下さった方が生まれた、エエ日なんや!合掌
 

堺[極楽寺]様『永代経法要』と、阿倍野組[研修会]への出講

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(堺[極楽寺]さま)
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 昨日、おとといと『紙芝居法話』の出講が続いた。
 おとといが、堺[極楽寺]さまの[永代経法要]。
 そして昨日が、阿倍野組[僧侶研修会]への出講であった。

 阿倍野組研修会は、会所(えしょ)が、著名な[梯実円]さまの寺院『広台寺』様で、びっくりぽん!(ちょっと古い)
 緊張しながら、お話させて頂きました。
 前坊守さまの「私の夫(故・実円先生)は、如来さまだと思って日々を過ごしてきました。」というお言葉が、深く僕の心に残ったのであった。

真宗大谷派『山陽教区神戸組』の皆さんのご来院

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(『山陽教区神戸組』の皆さん)
 昨日、神戸より真宗大谷派『山陽教区神戸組』の皆さん(お寺の信徒さん)が、お越しになられた。
 でっかい観光バスで、ご参拝下さったので、久々にびっくりポン (この流行語も古くなっていくのやろな・・)であった。
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 こちらの『組』の皆さんは、一昨年の春、うちの寺の参拝を希望され、予約してくださってたそうなのだが、僕の入院で、それは突然中止になってしまった。
 今日は、その「再度の参拝挑戦。ようやく願いが叶った」と、ご年配の方がおっしゃって下さった。
 有難うございます。・・いつもより、『傘は回っております』ではなく、たっぷり紙芝居をさせていただきました。
 そしてこの日の最後、うちの寺の次に、大阪の「四天王寺」にご参拝されるというので、予習として、四天王寺を作られた『聖徳太子』の紙芝居をさせて頂きました。
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(観光バスは次の目的地へ、四天王寺へ)
 『山陽教区神戸組』の皆さん、ようこそのお参りでございました。有難っとさんよう教区。合掌

仏花を伐る、切る、斬る

 『お彼岸法要』が終われば、[仏様]にお供えしていた[仏花]を切って捨てねばならない。
 まだ咲いているお花に、ハサミをいれるのは忍びないものだ。
 でも、これを(いつか)しないと水も濁り、腐り悪臭を放つ。・・斬るタイミングが難しい。
 花を生けるのは妻の仕事だが、それを処分するのは、僕の役目である場合が多い。
 花にハサミをいれながら、心の中で『・・法要は無事に終わりましたよ。あんた(=お花)の、皆の心を癒す役目は無事に終わりました。ご苦労様でした』と、つぶやいて伐る。
 でも、まだ綺麗なので嫌なものだ。
 人間ならどうか?・・いや、僕ならどうか?
 「君の役目は終わりました。さようなら」と言われれば、僕は「あっそう」と言って、素直にこの世にグッドバイと言えるか。
 そんな事を今日も考えながら、仏花に感謝の言葉を云いながら、後片付けをした。合掌

春・彼岸の事Ⅱ~シンクロニシティ

 お彼岸参りのはなしの続き・・。
 お彼岸の時しか、お参りに行かない檀家さんがある。
 今回はその話。
 そのご婦人は一人暮らし。三年前にご主人を亡くし、昨年、息子さんを40代の若さで亡くされた。
 「なんで私だけが、こんな目に遭わなあかんねやろ?」が口癖である。親戚も多いが慰めの言葉も耳に入らない。
 この奥さんにシンクロニシティ(意味ある偶然の一致)が起った。・・こんな話だ。
 (奥さん)「院主さん、私、仏さん(ご主人・あるいは息子さん)に救われたような気がして・・。」と話は始まった。
 「いつものように夜眠れなくて・・。その日、又『なんで私だけがこんな目に遭うんや・・』と思い始めると目が冴えて・・、それで深夜ラジオのスイッチを入れたんです。
 すると、ラジオのDjがハガキを読むコーナーでして、そのハガキの内容が『三年前に主人を亡くし、昨年、息子さんを亡くされた奥さんの話』でした。その奥さんは今、みんなの愛によって、ようやく救われているという話だったんです。
 『私と一緒やん!・・私だけじゃ無かった』と思ったら、その日はなんか安心して、よく眠れたんです。
 タイミングが良くて、不思議でした。」と言われた。
 僕は「それは、まさしく仏さんからのメッセージですよ。奥さん、良かったですね。」と言った。
 奥さんは、「やっぱり、そうですよねぇ。守ってくれてはるんですねぇ。」と嬉しそうにおっしゃられた。
 僕は「そうです。そうです。」と言って、奥さんとご一緒に仏壇に合掌したのであった。

春・彼岸のこと

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(河南町「善秀寺」さま)
 ようやく忙しかった[春のお彼岸]行事が終ろうとしている。
 19日には『観念寺』の彼岸法要。
 こちらは、僕が[紙芝居法話]をした。
 そして21日には、同じ河南町の『善秀寺』さまの[彼岸・永代経法要]で、[紙芝居法話]をさせて頂いて来た。
 その他、檀家さんでのお彼岸のお勤めも多くあり、たいへん忙しかった。

 自坊観念寺の法要では、最後に皆で『千の風になって』を唄う。
 檀家の皆さんは、よく、お彼岸にはお墓参りをされる。
 されど、この歌は「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません。」という歌詞が続く。
 お墓参りをするのに、仏さまはお墓にいない。
 これを、どう説明するか考えた。
 僕はこう思って説明した。
 この歌の(二番)は、亡き人は『秋は光になって畑にふりそそぐ。冬はダイヤのような雪になる。朝には鳥に成り、夜には星になる」・・ということは、[お墓]にもなっても良いじゃないか。・・そう思いませんか。要は、お墓の前でいつまでも『泣いちゃ』、そして『悲しんでは』ダメなのだ。
 亡き仏さまに感謝をして合掌する。
 そこには、お墓に仏様が変身される可能性だって十分ある。・・この歌は主旨は、きっとそうゆうことにある。
 と、僕はそう理解し、檀家さんにこのようにお話した。
 皆さん、しきりに頷いておられたので、賛同して頂けたのではないかと思った。

 今年のお彼岸は、感動的なお話をたくさん檀家さんからうかがった。それは又、別の機会に・・。

大人の遠足~『富田林市じないまち雛めぐり』

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(ちょっとした試練の[山中田坂])
 三月十三日、観念寺・大人の遠足を決行。
 総勢20名で出発。
 最初の街に入る関門は『山中田(やまちゅうだ)坂』。
 大人は、何でもない上り坂だが、お年寄りには、関門坂。
 しかし20名も居たら、あっという間の試練阪。助け合って登りました。
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「昔、あそこに料亭があってんでぇ」、「あっ知ってる知ってる」とか、懐かしい思い出話も弾み、登りきったところから眺める、南河内の風景は最高でした。
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 そして、たくさんの観光客から、こちらは大人の迷子を出さないように(笑)、寺内まちの[雛めぐり]を見学しながら、約二時間半の散歩(遠足)は無事に終わりました。
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 最後は、皆で記念撮影。
「次は、どこへ行くの?」という、次回の催促の声を聞きながら、楽しい時間を過ごしました。合掌

観念寺大人の遠足~富田林『寺内まち雛(ひな)めぐり』の下見

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 次の日曜日、観念寺『大人の遠足』に、檀家の皆さんと行く。
 総勢17名、ちょっとした団体だ。
 平均65歳、年齢層が高いので(笑)、ケガをしたらあかんので保険にも入ってゆく。
 場所は、隣町[富田林市]寺内まち。
 町中に飾られた『お雛様』を観に行くのだ。
 その下見に今日行って来た。
 そのわけは、街に入るには一か所だけ難所があるのだ。
 それは、『山中田(やまちゅうだ)坂』という坂だ。
 小さな坂なのだが、日頃、ショッピングカートを押して歩いておられるご夫婦にとっては、難所なのだ。
 「お雛様たちを見たい!」と、熱烈にそのご夫婦はおっしゃった。
 願いを叶えてあげたいではないか。
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(山中田(やまちゅうだ)坂を上から見た所)
 今日、その場所に行って(怪しいやつと思われるほど)、何度もその坂を下調べした。
 みんなで、助け合えばきっと登れると思う。
 老夫婦に「大丈夫ですよ。」と、さっきお伝えして来た。
 さぁ、みんなで行きましょう!
 大したことないけど、『隣町へ!(笑)』

北陸・野々市(ののいち)市への旅行~富樫奏高(とがし・やすたか)の調査

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(JR野々市駅)
 サンダーバードに乗って、北陸の[野々市]市へ、日帰り旅行に行って来た。
 脳出血の手術をして丸二年。ひとり旅もできるようになりました。 
 さて、野々市市というのは、金沢市のちょい南にある街である。
 金沢の街は、新幹線景気に浮かれているようだが、隣町の野々市に、その恩恵はなかった・・ようだ。つまり、寂しい駅、そして寂しい街であった。
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(富樫館石碑)
 そんなことは、どうでも良い。
 僕は、戦国時代初期の守護大名[富樫奏高]の事を(以前にも書いたが)調べに来たのだ。
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(富樫館の中にあった云われている[布市神社])
 いずれ、紙芝居に描こうと思っているので、ごちゃごちゃとした説明は書かないが、この[富樫奏高]というのは可哀想な武将なのである。
 中世の政治・宗教によって、その運命を、もてあそばれたようなところがある。
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(役場近くに建つ富樫大名像)
 [奏高]は、名門[富樫家]の次男に生まれたので、小さい頃、京都の醍醐寺に預けられ僧侶となる。(跡目争いの起こらぬように)
 が、兄(長男)が足利将軍から嫌われ大名をクビになった為、[泰高]は還俗(坊さんを辞めて)、北陸に帰って、大名となった。
 しかし、兄弟・親族間の確執が続き、最後は、浄土真宗(一向宗)の勢力の助けを得て、(人徳と人気もあったと云われている)三度、富樫家の大名をやったり辞めたりしながら、戦国の世を生き抜いた。・・そんな武将である。
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(富樫奏高が描いたと云われている?馬の絵)
 難しい親族間の人間関係、そして宗教の持つパワーと恐ろしさを味わながら、そのしんどい人生を生きぬいた[富樫奏高]。
 彼は晩年、趣味の[馬のお絵描き(文芸活動)]に精神の安定を求めて、生き抜いたようである。
 人間的に優しくもあり、弱くもあり、ちゃっかりしていたところもあった大名[富樫奏高]。
 現地でたっぷり調査をしてきたので、いずれ、紙芝居にしたいと思う。
 

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