住職のつぼやき[管理用]

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北陸・野々市(ののいち)市への旅行~富樫奏高(とがし・やすたか)の調査

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(JR野々市駅)
 サンダーバードに乗って、北陸の[野々市]市へ、日帰り旅行に行って来た。
 脳出血の手術をして丸二年。ひとり旅もできるようになりました。 
 さて、野々市市というのは、金沢市のちょい南にある街である。
 金沢の街は、新幹線景気に浮かれているようだが、隣町の野々市に、その恩恵はなかった・・ようだ。つまり、寂しい駅、そして寂しい街であった。
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(富樫館石碑)
 そんなことは、どうでも良い。
 僕は、戦国時代初期の守護大名[富樫奏高]の事を(以前にも書いたが)調べに来たのだ。
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(富樫館の中にあった云われている[布市神社])
 いずれ、紙芝居に描こうと思っているので、ごちゃごちゃとした説明は書かないが、この[富樫奏高]というのは可哀想な武将なのである。
 中世の政治・宗教によって、その運命を、もてあそばれたようなところがある。
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(役場近くに建つ富樫大名像)
 [奏高]は、名門[富樫家]の次男に生まれたので、小さい頃、京都の醍醐寺に預けられ僧侶となる。(跡目争いの起こらぬように)
 が、兄(長男)が足利将軍から嫌われ大名をクビになった為、[泰高]は還俗(坊さんを辞めて)、北陸に帰って、大名となった。
 しかし、兄弟・親族間の確執が続き、最後は、浄土真宗(一向宗)の勢力の助けを得て、(人徳と人気もあったと云われている)三度、富樫家の大名をやったり辞めたりしながら、戦国の世を生き抜いた。・・そんな武将である。
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(富樫奏高が描いたと云われている?馬の絵)
 難しい親族間の人間関係、そして宗教の持つパワーと恐ろしさを味わながら、そのしんどい人生を生きぬいた[富樫奏高]。
 彼は晩年、趣味の[馬のお絵描き(文芸活動)]に精神の安定を求めて、生き抜いたようである。
 人間的に優しくもあり、弱くもあり、ちゃっかりしていたところもあった大名[富樫奏高]。
 現地でたっぷり調査をしてきたので、いずれ、紙芝居にしたいと思う。
 

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