住職のつぼやき[管理用]

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大人の遠足~『富田林市じないまち雛めぐり』

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(ちょっとした試練の[山中田坂])
 三月十三日、観念寺・大人の遠足を決行。
 総勢20名で出発。
 最初の街に入る関門は『山中田(やまちゅうだ)坂』。
 大人は、何でもない上り坂だが、お年寄りには、関門坂。
 しかし20名も居たら、あっという間の試練阪。助け合って登りました。
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「昔、あそこに料亭があってんでぇ」、「あっ知ってる知ってる」とか、懐かしい思い出話も弾み、登りきったところから眺める、南河内の風景は最高でした。
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 そして、たくさんの観光客から、こちらは大人の迷子を出さないように(笑)、寺内まちの[雛めぐり]を見学しながら、約二時間半の散歩(遠足)は無事に終わりました。
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 最後は、皆で記念撮影。
「次は、どこへ行くの?」という、次回の催促の声を聞きながら、楽しい時間を過ごしました。合掌

観念寺大人の遠足~富田林『寺内まち雛(ひな)めぐり』の下見

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 次の日曜日、観念寺『大人の遠足』に、檀家の皆さんと行く。
 総勢17名、ちょっとした団体だ。
 平均65歳、年齢層が高いので(笑)、ケガをしたらあかんので保険にも入ってゆく。
 場所は、隣町[富田林市]寺内まち。
 町中に飾られた『お雛様』を観に行くのだ。
 その下見に今日行って来た。
 そのわけは、街に入るには一か所だけ難所があるのだ。
 それは、『山中田(やまちゅうだ)坂』という坂だ。
 小さな坂なのだが、日頃、ショッピングカートを押して歩いておられるご夫婦にとっては、難所なのだ。
 「お雛様たちを見たい!」と、熱烈にそのご夫婦はおっしゃった。
 願いを叶えてあげたいではないか。
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(山中田(やまちゅうだ)坂を上から見た所)
 今日、その場所に行って(怪しいやつと思われるほど)、何度もその坂を下調べした。
 みんなで、助け合えばきっと登れると思う。
 老夫婦に「大丈夫ですよ。」と、さっきお伝えして来た。
 さぁ、みんなで行きましょう!
 大したことないけど、『隣町へ!(笑)』

北陸・野々市(ののいち)市への旅行~富樫奏高(とがし・やすたか)の調査

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(JR野々市駅)
 サンダーバードに乗って、北陸の[野々市]市へ、日帰り旅行に行って来た。
 脳出血の手術をして丸二年。ひとり旅もできるようになりました。 
 さて、野々市市というのは、金沢市のちょい南にある街である。
 金沢の街は、新幹線景気に浮かれているようだが、隣町の野々市に、その恩恵はなかった・・ようだ。つまり、寂しい駅、そして寂しい街であった。
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(富樫館石碑)
 そんなことは、どうでも良い。
 僕は、戦国時代初期の守護大名[富樫奏高]の事を(以前にも書いたが)調べに来たのだ。
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(富樫館の中にあった云われている[布市神社])
 いずれ、紙芝居に描こうと思っているので、ごちゃごちゃとした説明は書かないが、この[富樫奏高]というのは可哀想な武将なのである。
 中世の政治・宗教によって、その運命を、もてあそばれたようなところがある。
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(役場近くに建つ富樫大名像)
 [奏高]は、名門[富樫家]の次男に生まれたので、小さい頃、京都の醍醐寺に預けられ僧侶となる。(跡目争いの起こらぬように)
 が、兄(長男)が足利将軍から嫌われ大名をクビになった為、[泰高]は還俗(坊さんを辞めて)、北陸に帰って、大名となった。
 しかし、兄弟・親族間の確執が続き、最後は、浄土真宗(一向宗)の勢力の助けを得て、(人徳と人気もあったと云われている)三度、富樫家の大名をやったり辞めたりしながら、戦国の世を生き抜いた。・・そんな武将である。
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(富樫奏高が描いたと云われている?馬の絵)
 難しい親族間の人間関係、そして宗教の持つパワーと恐ろしさを味わながら、そのしんどい人生を生きぬいた[富樫奏高]。
 彼は晩年、趣味の[馬のお絵描き(文芸活動)]に精神の安定を求めて、生き抜いたようである。
 人間的に優しくもあり、弱くもあり、ちゃっかりしていたところもあった大名[富樫奏高]。
 現地でたっぷり調査をしてきたので、いずれ、紙芝居にしたいと思う。
 

シンクロニシティ(意味ある偶然の一致)

 「シンクロニシティ」とは、『共時性』とか『意味ある偶然の一致』とかいう(確か不思議な心理学者のユング博士が言い出した)言葉だっかなぁ?・・しっかりと調べてません。ごめんなさい)
 つまり、遠く離れた身内が亡くなった同じ時間に、偶然、同じ身内の靴の紐が切れたり、手鏡が割れたりすることだ。
 ・・規模は小さいが、先日そのような事が起った。
 土曜日にお寺の会議があり、そのお茶菓子を買いに「狭山市」のケーキ屋さんまで行った。
 その帰り、まだ時間もあり、お天気も良かったので、散歩に[狭山池博物館]に偶然寄った。
 博物館に入ると、なんと『重源』和尚像の前で、(博物館ガイドボランティアの)Kさんが、僕の作った重源さんが活躍する『狭山池の紙芝居』をたくさんのお客さんの前で、(拍手喝采の中)演じておられるではないか。
 びっくりしました。
 そこで、僕もお客さんに交じって後ろから拝観させて頂きました。
 おもしろいものです、自分の作った紙芝居のどんな部分に、お客様が感情を動かしてくださるかを見つめるのは・・。
 紙芝居が終わって、Kさんに挨拶と御礼だけ言って、すぐ引き上げたのだが、『これが、シンクロニシティ(偶然の一致)というのだな』とつくづく思い、重源像に深く御礼を言って帰りましたさ。
 

 

大阪府介護者(家族)の会連絡会への出前

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(会場:河南町保険福祉センター)
少しずつ、ほんの少しずつ、今(医療・福祉団体への)『お寺の出前』を復活させている。
 もちろん、[近場]だけだが。
 昨日、今年初めて、福祉に関わる場への『出前』に行って来た。出前先は、(大阪府の)介護者家族の連絡会である。
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 その持ち時間は、45分。
 「病を越えて、寄り添って生きる」というテーマで、『介護者をされる者も、介護をする者も、みんな一人じゃない。仲間がいるよ』という話を『紙芝居』を絡めてお話した。
 紙芝居は、『仏様からの三つのご縁』と『素晴らしき哉、人生』の二本をさせて頂く。
 話が終わってから、早速、他の地区から『出前依頼』のお話が来たのだが、すでに僕の予定は今年の12月まで入っているので、受けるかどうかは慎重に決めたいと思っている。
 

宗教に操られた男、富樫泰高

 今、一人の男のことを調べている。
 男の名は、富樫奏高(とがしやすたか)。
 『応仁の乱』の頃の、加賀の国(石川県)の[殿様]だ。
 この殿さま、波乱にとんだ人生をおくっている。
 大名の(次男)で生まれたがゆえに、若き日は京都の真言宗[醍醐寺]に預けられ出家。僧侶となる。
 がしかし、後を継いだ兄(長男)が、室町将軍から疎んじられ、大名を失脚。
泰高は、急遽、[還俗(げんぞく)]=[坊さんを辞める事]して、帰還。富樫家の大名となる。
 が、応仁の乱が勃発。日本中が、東軍・西軍に別れての大戦争が起こり、富樫家([泰高])も巻き込まれる。そして、再び、長男筋(兄)との大名相続争いが始まる。
 その頃、蓮如上人の元、超急成長していた宗教教団[一向宗=浄土真宗]が、この内紛闘争に参加。
 そして、浄土真宗教団(主にお百姓門徒)は、片一方の[富樫家]勢力を攻め滅ぼしてしまう。
 でもさすがに、大義名分が必要と感じたのであろう。
 旗頭に、もう一方の[富樫泰高]軍を取り込むことに成功する。
 こうして、富樫泰高は、浄土真宗の[操り人形国守]となるのだ。
 こうして、加賀の[百姓と僧侶]が持ちたる国の持続は、織田信長の登場まで続くのだ。
 この操り人形大名、富樫奏高は、自分の人生をどのように味わいながら生き抜いたのであろう。
 一説によると、絵が上手であったらしい。(有名な『雪舟』とも交流があったらしい。)(それは、現実逃避術として趣味の世界に逃げたのだろうか?・・いや、元々の才能だったか?)
 泰高は「宗教は怖い!人間を操る。」と、もちろん思ったのであろう。・・しかし、それだけだったのか?宗教を通して善い世界観を見つけることはできなかったか?
 この人物に、非常に関心がある。
 来月は、この人物を探りに、石川県まで行って来ようと思っている。
 又、この話の続きは、いずれ・・。
 
 
 
 
 

夜景に泳ぐジンベイザメ

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 昨日の夜、阿倍野の[ハルカス300]展望台に(初めて)登った。
 地上300メートルから見る大阪の夜景は、(ありきたりな感想だが)すべてが、小さく瞬く星のように見え綺麗だが、現実に戻ると足がすくみ怖い。
 こんな超高層ビルを作った人間という物は、天空から見れば小っボケな存在かもしれんが、大きいモノ(存在)でもあるとも思った。

 面白かったのは、今、ここの360度天上回廊窓ガラスで、海遊館とのコラボで、3Dマッピングをやっているということだった。
 大阪の夜景の上空を、子供を乗せたジンベイザメの絵が泳ぐ。
 五分ほどのものだが、今の時代の最先端イベント[3Dマッピング]で、こんな事もできるのだ。・・まさに何でも在りの時代だ。

 私事だが、以前、空を飛ぶ[幽体離脱]のような夢を見たことがある。
 それは、ウルトラマンのように天空を飛ぶ夢だった。僕の描く紙芝居に出て来るような・・。
 僕の魂?は、身体を抜け出し空へ舞い上がる。
 上昇気流に乗りながら、不安定さを両手でバランスを取り青空を上がっていくと、真下に綺麗な大海原が見え、ハワイのような(実際には行ったことは無いのだが、)大きな島の岸壁が見えた。
 そして、地上に何人の人影が見えたので、僕は着陸した。
 すると、その人影の一人である(白い着物のような物を羽織った)男の老人が僕に親しげに話しかけて来た。
 何をそこで喋ったかは覚えていないのだが、この場面は今でもハッキリ覚えている。
 その後、又、僕は舞い上がった。
 そして、「あーっ、気持ちエエわー。」と思っていたら、その時、一陣の風が吹きバランスを崩して、僕は下に落ちた。
 そして、布団の中で目覚めた。
 あの気持ち良さは、今でも身体が覚えているから不思議だ。
 あぁっ今度は、今夜の3Dマッピングイベントのように、ジンベイザメに乗って、夜空を飛んでみたいものである。
 
 

年忌法要の紙芝居

 「院主さん、今度の13回忌法要には、孫たちがぎょうさん(沢山)来よりますので、読経が終わってから、いつもの『紙芝居』をたのんますわ。」と、先月の月参りの時に言われて・・、
 僕は「はい、解りました。」と、にやっと笑って御引き受けした。
 確かに、その法事の日は、連休もあってたくさんのお子ちゃまが集まっておられた。
 読経の時はあまり姿を見せずにいた子供ちゃん達が、終わってからお父さんが、「さぁさぁ、院主さんの紙芝居が始まるでー!」と言うと、後ろの台所から(表現は悪いが)降って沸いたかのように(口におやつか何かを入れながら)ドドッと走って来て、一番前に集まり正座をして集まる。
 そして、仏様の紙芝居が始まる。
 時間にして15分ぐらいで紙芝居は終わり、その後ちょこっと、今の話の解説を僕はする。
 それが終わると、子供たちは又、地響きをたてながら台所に去っていく。
 「お経は聞かんと薄情なもんやで。」と親御さんは僕にそう言いながらも、けっこう嬉しそう・・。
 『これで良い、これで良い』と、僕はそう思いながら、「じゃあ、今からみんなでお墓詣りに行きましょか。」と明るい雰囲気になった仏間から(しびれた足をさすりながら)席を立った。

新作紙芝居の最初の観客は自分⁈

 新しい『紙芝居』が出来た。
 その最初の初演観客は自分なのである。
 どういう意味か?
 初演は、鏡に向かって演じるのだ。
 どういう風に映るのか?話は解りにくくないか?・・などを考えながら、演じてみるのである。
 今回もそれをやった。
 それで、いつも同じように思うのだが・・今回も感想はこうだ。
『なんで、こんなおもんない紙芝居を作ってしもたんやろ。一部の宗教マニアの者しか面白ないわ。いや、マニアも面白ないかも?・・僕はこの話を通して何が言いたかったんや!』と反省するのだ。
 それでも、まだ作り続けたい思う自分が、時々いやになる。
 そしてこの作品は、お蔵入りやなとも思ってがっかりする。

 ・・しかし。
 しばらく置いて、二・三カ月してから、もう一度、鏡に演じてみると、・・その時、『これ、けっこう面白い紙芝居やわ!』と、一回目と全く違う思いを感じてしまう事もある。(まるで『白雪姫』の魔女の鏡のよう・・)
 こんな繰り返しが何べんもある。
 この違いはなぜか?
 はっきりとは解らんが、きっと劇場で、同じお芝居を演じ重ねる俳優たちと同じような感じなのではないだろうか?・と思うのだ。
 何べんも同じものを演じていると、深味が出てくるのだ。
 今日完成した紙芝居も『つまらん!』と思ったのだが、きっと、演じている内に味が出て来て、いつか代表作の一つになることを願う。
 そんなことを考えながら、鏡に向って演じていると、いつの間にか、妻が後ろから何やら難しい顔をして、変に僕を見ていた。
 そう、僕はこんな変な人間なんですよ。と言っても、妻は何も言わん。あきらめとるんやろな・・。
 あぁ、『鏡を鏡、鏡さん。この紙芝居が受けますように!それと、妻に捨てられませんように』。

司馬遼太郎記念館に行ってきました

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 東大阪市にある『司馬遼太郎記念館』へ行ってきた。
 僕は、司馬遼の大ファンなのだ。
 中はまず、その蔵書の多さに驚きます。
 一つの作品を執筆されるのに、こんなに多くの資料を読み込まれるのやなぁ・・と。凄いです!
(隣にある自宅は、玄関を開けたら[サトウのごはん]ではなく、すぐ本棚なのだそうです。(玄関開けたら、資料の御本![失敬])
 どこまでも『本棚』が家の空間を占領する自宅。きっと奥さんは「落ち着かん家やで。・・しかし。」と、思ってはった事やろなぁ・・。自宅図書館状態。)
・・又、専門的な宗教書の多さにも驚いた。『わぁっ、こんな宗教専門書もあるわっ!』とびっくり。仏大の図書館みたいやで、しかし。
 この人の道楽は、(バンダナ集めの他は、)『資料集め、本道楽』やってんやろなぁ。
 ちなみに僕は、一本の紙芝居を作るのに、大抵は資料を二~三冊しか読み集めません。・・規模が違うわねぇ。とほほ・・。
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 ガラス越しに書斎が外から見えるのだが、庭にはミニ樹林の自然が一杯。
 執筆の途中、木々や花々を見てホッとしてはったんやろねぇ・・。
 余談であるが・・(出たっ、司馬遼調、)記念館の中の写真撮影は禁止されていて、写すことはできず残念やったんやけど・・、
記念館ガイドさんから「ここから天井を見て下さい。竜馬の心霊写真が、天井に浮き出てるのが見えますよ。」と言われて見たら、確かに打ちっぱなしのコンクリートの端に、坂本龍馬の顔の影のようなシミが出ていて見えた。(ちなみに誰でも見えます)
 一度、見に来てください。面白いですよ。
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 最後に、(庭の)周りが菜の花一杯の司馬遼『花供養碑』にお参りして帰りました。合掌

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