
本日、豊中市:法雲寺様の永代経法要にお招き頂き、紙芝居法話に行かせて頂いた。
今日の演目は「阿弥陀経の話」や「共命鳥の話」、「聖覚法印さまの話」など三本の紙芝居。 
(録画してくださいました。)
緊張したが、結果的に楽しい実りある時間を御門徒の皆さまと過ごさせて頂いた。
法雲寺のご住職、坊守さま、ご家族の皆様、御門徒の皆様、今年もお世話になりました。ありがとうございました。合掌
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記事一覧
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豊中市:法雲寺さまの永代経法要in2022
富田林『土間でおはなし 住職さんの紙芝居』in杉山家住宅
八尾の魅力セミナーへの出前
今日は、八尾市の[アリオ八尾]という巨大ショッピングセンター内にあるイベント用舞台へ、紙芝居の出前に行って来た。
テーマは[八尾の魅力セミナー]、つまり八尾にご縁のある偉人の紙芝居お話会である。
演目は「中甚兵衛」、「大石順教尼」、「妙好人おしも」の三本。
奇しくも、今日は4月21日,大石順教尼さんのご命日。
不思議なご縁で頂いた、紙芝居会でありました。
八尾市観光ボランティアガイドの皆様、そしてご協力頂いたFMチャオさま、ありがとうございました。
大阪市城東区:栄照寺さまの[灌仏会]の出前と取材

昨日は大阪市城東区の『栄照寺』さまの灌仏会法要(お釈迦様の誕生を記念する法要)にお招き頂き、紙芝居法話をさせて頂いた。
演目はもちろん紙芝居『お釈迦様物語』。
そして今、世界情勢が不安であるため『三尺三寸の箸』、『共命鳥』の紙芝居も披露して、世界平和についても少しお話させて頂いた。
そして、今日は月刊誌『地域寺院』という(お寺専門の)雑誌の取材もあって、午前中は観念寺で、午後からは[栄照寺]様での取材と忙しい一日であった。
榮照寺の皆さま、又地域寺院のジャーナリスト北村敏泰さま、フォトグラファーの成田舞さま、大変お世話になり有難うございました。
夏頃に発刊予定との『地域寺院』と『中外日報』、楽しみにしています。よろしくお願い致します。合掌
堺市:極楽寺様の永代経法要への出前
昨日は堺市極楽寺さまへの17回目の紙芝居法話の出講だった。
今、檀家さんが一番気に留めておられる事は、ロシアの武力侵攻との事。
この戦いは我々に無関係ではないのだ。
法話はタイムリーで生き物でなければいけないと僕は常に思う。
そこで紙芝居は、与謝野晶子さんを演じて、皆で「君死にたまうことなかれ」の詩をご一緒に読んだ。
地元堺市での法要でもあり、皆さん大きな声で読んでくださった。
お墓参り写真展
今年で11回目となる全国公募『お墓参り写真展』。
お寺の檀家の石屋さんが、石屋産業青年会で立ち上げたプロジェクト、今年もやるらしい。
「院主さん、今年もポスターが出来たのでお寺で貼ったください!」と元気よく頼まれた。
「コロナ禍なので効果薄いと思うで〜」と言いながら、頑張っている青年店主に応援のつもりで、今年も院内に貼らせていただきます。
びじゅチューンEXPO!リターンズ展に行ってきました

世界情勢が不安定な時ではありますが、前売り券を買っていたので、梅田へ『びじゅチューンEXPO!リターンズ』展へ行ってきました。
知る人ぞ知る、NHK教育テレビの人気美術?番組のマニアック展です。
僕も紙芝居を描くので、このミニ番組が好きなのです。録画して見ています。
案外、展覧会は空いてました。
余談ですが、昔、僕の中学校に、そろばんで絵を描く有名な美術の先生がいました。僕は尊敬していました。が、教育者では無かった。・・それはこんな事があったからです。
誰が見てもヘタな絵というか?上手くない絵を描く友人がいました。
彼はその先生に、自分の絵を「先生、僕の絵うまいでしょう!通知表で4を(5が最高)付けてください!お願いします!」と誰が見ても才能が無いような絵に高得点を願い(相手がしつこいから、それに負けて)先生は付けてました。その事を実際、先生から「あいつはしつこいから面倒やねん」と聞いてしまったのです。絵に点数を付けるという方針もおかしいですが、僕はがっかりしました。
先生はアーティストであるが、教育者では無かった。
さて、僕も「お前は紙芝居ばかり描いていて、本当に宗教者なのか?」と聞かれたら自信はありませんが、「坊主が宗教的境地を少しでも絵でお話しで表したい為に紙芝居を描いている変な宗教者なのです」と答えたい。
決して力(権力、圧力)に妥協したくない。そんな事をいつも思っているのです。
『楠木正成親子』の紙芝居・三部作、制作中
紙芝居『神武東征記(じんむとうせいき)』取材

(東大阪市・日下直越道)
今、神武天皇の[東征ものがたり]の紙芝居を作っている。
神武天皇といえば、伝説の初代天皇である。
この紙芝居、取材も終りほぼ完成した。(本当は和歌山にも行く予定であったが、コロナ禍で断念した)
奈良の橿原神宮や畝傍山東北陵にもすでに行き、後は東大阪の日下直越道(神武天皇が一番苦戦されたであろう激戦の地。この紙芝居でも一番のメインになる場所)にどうしても取材に行きたくて、思い切って行って来た。
(神武天皇聖蹟孔舎衙坂顕彰碑・大激戦の地)
この物語は作っていて思ったのだが、これは冒険小説のようなお話である。
40才を過ぎた、九州(宮崎県出身)の豪族の四男坊(のち神武天皇)が、兄さん達と共に船を作って、東に向かって旅に出る。
そして、大阪まで船旅は順調であったが、東大阪の日下(くさか)の地で、生駒の山を越えて奈良県に入ろうとした時、初めて大きな地元の敵と出くわして、大激戦となる。
(五瀬命碑文・厄山)
ここで神武天皇は、敵の攻撃を受け兄が負傷。その結果、戦死される。そして味方は撤退。
(日下公園)
この頃、大阪は中心が大きな湖であり、東大阪は海辺であった。
その証拠が、この写真の[日下公園]。くじらのモニュメントがある。(ここの貝塚からクジラの骨が出たらしい。)
(神武天皇盾津顕彰碑・住宅地の中である)
この海辺まで撤退した神武軍は、ここで初めて盾(たて)を並べて防戦したらしい。(この場所を[盾津]という)
そして、神武天皇は雄たけびを挙げた!・・らしい。(さぞや悔しくて復讐戦を誓ったのか・・、それともものすごく悲しかったのか⁈)
ここから、神武軍は大阪を船で離れ、和歌山を回り上陸し、困難な陸戦を経て(三本足のヤタガラスの助けも得て)大回りして、リベンジ戦を経て、奈良の橿原の地で初代天皇として即位をされる。
この紙芝居はここまでを描く。もう完成します。乞うご期待!
お正月
今年のお正月は、息子夫婦が新年の挨拶に来てくれた。
「還暦のお祝いに、お父さん達と旅行に一緒に行こうと思ってたが、このコロナのご時世なので止めておきます。」と言って、息子からお祝いをたくさんいただいた。
ああ、自分の子供からお祝いを貰う年齢になったのかと、嬉しい気持ちと一緒に、このコロナ禍の経済的にしんどい時に、お前の家計は大丈夫なのか?と余計な事を思ってしまった。でも本当にありがとう。思い出話をいっぱいして、楽しいお正月でした。
でも自分の息子が顎髭伸ばしてたの驚いたわ!マスクするから会社ではわからんらしいけど・・。
漫画オタクの息子夫婦よ、今度来る時、「鬼滅の刃」のコミック、全巻貸してや!









