住職のつぼやき[管理用]

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北御堂:〔花まつり〕な一日

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 昨日、大阪本町にある〔北御堂〕へ、花まつり(お釈迦様のお誕生日をお祝いする日)の『紙芝居講演』に行って来た。
 晴天にも恵まれ、老若男女、たくさんの参拝客で賑わった。
 この日は、朝から本堂で〔法要〕があり、その後、境内特設ステージにて、色々な催し物〔イベント〕があった。
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 さて、僕もその〔イベント〕の一つとして、『お釈迦様物語』という「紙芝居」を披露させて頂いた。
 ・・さてさて、面白かったハプニングであるが、司会者のお姉さん(イズミナツコさんとおっしゃった)が、僕をステージで紹介される時、「それでは、今から《マツモト ナオヤ》さんによる『紙芝居』が始まりますよ~」と、思いっきり(苗字も名前も)間違えて下さって、(一瞬僕は、『もう一人紙芝居をする人がおるんかいな?』と凍ったりもしたが、)小さな声で「・・ミヤモト ナオキです。」と訂正させて頂いたら、「もう一度やり直しましょうー」ということで、僕ももう一度、幕裏に引っ込んで、今度は〔拍子木〕を打ち鳴らしながら、出て来る事とした。(・・まぁ、ええけどな。〔苦笑い〕)
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 ・・まぁ、そんでもって、無事僕の出番も終わり、その後、『仮面ライダーショー』などもあり、子供たちは多いに盛り上がっていた。
 ・・実は僕も『ライダーショー』を見ようと思っていたのだが、遠縁の親戚のおじさんに、境内でつかまってしまい、本堂内で、おしゃべりをしていたので見逃してしまった。(残念!・・だからライダーを写した写真はありませんです。・・はい。)
 

コウメちゃんの難産

 残念ながら、コウメちゃんの初めての子供は死産であった。
 ・・犬の話である。
 コウメちゃんとは、うちの寺の近所の門徒さん宅の〔柴犬〕である。
 おとといの夕方、〔お参り〕とは別の用事で、そこの御宅を訪ねた時、奥さんが犬小屋の前でしゃがみ込んでおられた。
 『何をされているのか?』と近づいて見れば、コウメちゃんのお腹を一生懸命に「頑張れ、頑張れ」と言って、さすっておられるのだ。
 そして、コウメはというと、子犬を出産しかけたまま、足がひっかかり、なんとも言えん苦しそうな声で鳴いているのだ。(ひっぱり出せない!)
 奥さんが言われるには「朝に破水したまま、まだ産み落とせないのです。・・いつも行ってる病院は土曜で休みやし、体力も落ちて来たみたいやし、どないしょうかと思って、今旦那に電話したところなのです」と言われた。
 僕はとっさに、〔動物病院〕で勤められてる別の檀家のお嬢さんの事を思い出して、「電話してみますわ!」と言って、寺に帰り連絡を取った。
 上手いこと家にお嬢さんは居られ、病院に連絡を取って下さり、帰って来た旦那さんと奥さんは、コウメちゃんと一緒にそこの病院へ向かった。
 ・・夜、寺に電話があって「子犬(一匹だけだった)はダメでしたが、コウメは手術せず出産できて命は助かりました。今、コウメも家に帰って来て休んでいます。元気です。ありがとうございました」という事であった。
 はじめての子供は残念だったが、コウメは助かって一応ホッとした。
 僕は、〔犬〕というものはすべてにおいて〔安産〕なのだろうと思っていたが、やはり、一つの命を生むというのは、(どんな動物でも)そんな安易なものではないのだと、改めて考えさせられた。(犬は難産の場合、無事に子供を産んでも育児放棄をする確率が高いらしい。それで子供の死ぬ確率も高いと言う事である。・・以上、余談)
 ・・こんど、お見舞いに〔ジャーキー〕をコウメちゃんに持っていってやるか。 
 
 
 
 
 

特養『甍』からの感謝状

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 昨日、特養老人ホーム『甍』さんから、感謝状(写真)を頂いた。
 今年で、特養『甍』は開設10周年を迎える。
 それで先日、その10周年記念式典(パーティー)が、大阪市内のホテルで、関係者・功労者(ボランティアを含む)を招き、行われたのだ。
 僕はこちらのホームとは、平成13年からの『講話クラブ』という法話会・偲ぶ会を通してのお付き合いである。
 だから、僕も〔招待状〕を頂いたのだが、あいにくその日は〔法務〕が入っていたので、欠席させてもらった。(行きたかった!みんなの前で表彰されたかった!そんなん、卒業式以来やもん。)
 それで式典に欠席した為、昨日の『偲ぶ会』の終了後、その式典で頂けるはずであった〔感謝状〕と記念品を戴いたのだ。
 賞状を頂いた時、僕はそれをマジマジと見つめながら、「ニーン、ニーキ、ニーンニーン。ニキニキニンニンニーン・・」と一人で〔表彰ソング〕を口ずさみながら、賞状を受けたのだった。(偶然、それを見ていた一人の認知症のお婆ちゃんが、わけがわからんまま拍手をしてくれた。・・そういえばこのお婆ちゃん、この日僕が〔偲ぶ会〕で『お焼香』した時も拍手してくれたなぁ・・。『お焼香』して、拍手してもらったん始めてや。笑いそうになったで!)
 さて、この『賞状』、名前のところに『お寺の出前 (宮本直樹)』と〔肩書き〕が入っているのが、ちょっと笑えてステキだ!お寺で大切に飾ろうっと!

 

言うべきか?言わざるべきか・・?

 お彼岸のお参りが続いている。
 お彼岸の時だけ、『読経』を頼んでこられる檀家さんがあって、一年の内、春と秋の二回しかお会いしない。
 それで、そのお参りの時のご挨拶が「お変わりございませんか?」で始まり、たいていは「はい、元気でやっております」と返事が返ってきて、『読経』が始まる。
 ・・が、しかし、今日は違った。
 「お変わりございませんか?」とお聞きすると、そこの奥さんが「ええ、ちょっと色々ありまして・・。」とおっしゃり、ご主人と顔を合わせられた。
「どうされましたか?」とお聞きすると、奥さんのお兄さん(75才)が危篤だということだった。
 病名は癌で、今、病院で身体中、〔チューブ〕状態らしい。
 それで、相談を受けた。
 奥さんには、まだこの危篤の兄以外、四人〔兄弟姉妹〕がおられるそうなのだが、この《状態》を知っているのは、その内〔弟・妹〕だけらしい。
 後の〔兄と姉〕は知らないとのことである。
 つまり〔兄・姉〕には、仲が悪くて連絡していないのだそうだ。(若い頃は皆、仲が良かったらしい・・)
 ・・が、今、危篤状態である。
 亡くなった後からだと、きっと知らされなかった兄と姉、いや、みんなが後悔するのではないか?と、先の檀家さんの〔妹夫婦〕は悩んでおられるのだ。
 「知らせたら良いじゃないか」と、簡単に僕なんか思ってしまうが、この危篤状態の兄は、「自分に何かあっても絶対に兄と姉には教えるな!」と、奥さんと子供に常日頃から、(伝言を)言っておられたらしい。
 だから、その奥さんは皆に伝えていない・・との事だ。
 ・・でも、僕は言った。
「それは守らなくても良い〔伝言〕だと思います。いや、守った方が良くない〔伝言〕だと思います。
 奥さんは旦那さんの病気の状態を見て、今、《平常心》ではなくなっているのだと思います。だから旦那さんの〔伝言〕に固執してしまっているのではないでしょうか?
 ・・後悔を後に残さない為にも、その〔伝言〕は破ってお伝えすべきだと僕は思うのですが・・。第三者が偉そうなことを言ってすみません。」と、思うことを言って、あと謝った。・・が、僕はやはり今もそう思うのだ。
 後、どうされるかは、奥さんのご親戚内で決められる事なので、僕は何もわからないが。・・又、半年後、この結果はお聞きすることができるだろう。・・が、長い半年だ。

「お住(じゅ)っさん、待ってたよ・・」

 前回、突然の檀家さんとの『別れの話』を書いたが、今回は、打って変わって嬉しかった話。
 それは昨日、団地で一人暮らしの〔檀家〕のお婆ちゃんのお家に〔月参り〕に行った時のこと。
 僕がお家に入るなり、「・・ああ、お住っさん、待ってました。なんと待ってる一ヶ月の長い事。私、毎月のこの(月参りの)時間が楽しみで楽しみで・・。」と、(この暖房の効きすぎた部屋で)涙ぐんで熱烈大歓迎された。
 あっけに取られて、僕は思わず、「・・何かあったんですか?」と聞き直した。
 このお婆ちゃんは「私、足が悪くなって、毎日話するのはヘルパーさんぐらいやろ。息子もたまにしか来てくれへんし、嫁には気兼ねするし、お住っさんと一緒に〔仏壇〕にお参りした後、お茶飲みながら、世間話するのが一番楽しいねん・・。今日はゆっくりできるの?(なんか、怪しい関係のような?〔笑い〕)」と、続けて言われた。
 僕は、今日は日曜やから〔ご法事〕があって、ゆっくりできませんねん。すみませんなぁ・・」というと、又涙ぐまれ、「じゃぁ今度、ゆっくりお話聞かせてなぁ。ホンマ楽しみやねんで。待ってるからなぁ。いろんな話聞かせてや。」と、ダメ押しなぐらい言って下さった。
 寂しかったとはいえ、こんなに歓迎して下さり、待っててくださっていると言う事実に、こっちが感激してしまった。そして「坊主冥利に尽きる」と思った。
 仏さまは、落ち込む僕をちゃんと慰めて下さったのだ。・・という事にしておこう。
 

不況の波~突然の別れ・・

 先日、ご門徒宅へ、『月忌参り』に行かせてもらった時のこと。
 お家に入るなり、そこの奥さんから「院主さん、私等(夫婦)、来月早々引越して、娘の家に同居することになりましてん。・・それで寂しいけど、今日でお別れですねん。長いこと有難うございました」と突然、言われた。
 「えっ、それじゃ、この新しいお家どうされますの?」と聞くと、
「もう、別の人に売れましてん。・・ホンマ、計画が狂いましたわ。主人のボーナスを当てにしてローンを組み、この家建てたのに、仕事がなくなってしもて、・・リストラですわ。それで、仕事を探して回ったんやけど、なかなか無くてね。この年齢でしょう。・・あきませんわ。・・それで、決断しましてん。」と言われた。
 今まで何も言われなかったが、さぞかし悩まれたのだろう・・。 これからの新生活、うまくいけば良いのにと、心から思った。
 ・・不況の波は回りまわって、お寺にも来ていると、痛感した一日だった。

 

親鸞聖人750回大遠忌お待ち受け 近畿大会

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 昨日、小雨降る中、〔大阪城ホール〕にて《親鸞聖人750回大遠忌お待ち受け 近畿大会》という大イベントが行われた。 
 (写真)はそのイベント風景です。見難いかもしれませんが、前面に巨大な阿弥陀如来様のお掛け軸が掛かっています。まるで巨大な仏壇が現れた様・・・。(これがホンマの〔大阪城ホール〕への『お寺の出前』!・・失礼)
 この巨大なセットと動員数(約9000名)は、もはや「待ち受け」とは思われない!
 ・・まぁそれで、昨日、近畿各地(大阪・京都・奈良・兵庫・滋賀・和歌山)から、ご門徒の皆さんが観光バス等でお集まりになり、皆でこの〔プレゼンテーション的・大イベント法要〕を、盛大にお勤めする事ができた。
 そのイベント内容は、記念法要、御法話の聴聞、そして、由紀さおり・安田祥子さん(名づけて安田シスターズというらしい。自分たちで言っておられた)のメモリアルコンサートもあったりした。(例のお二人でハモる「トルコ行進曲」もあった。・・《生》はやはり引き込まれます)
 さて、普通の人なら、年忌法要はだいたい〔50回忌〕でお勤めは終ってしまうのだが、そこはやはり一宗派の〔ご開祖〕様という事で、750回忌前の《待ち受け法要》でもこの規模だ。本番はどないなんねんやろ・・。人もお金も動くのやろうなぁ。凄い話である。・・が、肝心のその〔教え〕も、思いっきり動いて浸透してもらわないと・・。
 さてさて、私の友人の僧侶も含めて、このイベントの準備はとてつもなくしんどかったろうと思う。・・どうか、お疲れ出ませんように。合掌

親鸞聖人の夢

 昨日、親鸞聖人の夢を見た。
 もちろん夢なので、何故登場されたのかは解らない。
 ・・おそらく今、親鸞聖人の『出家とその弟子』という「紙芝居」を作っているので、夢という形で〔幻影〕が現れたのであろう。
 夢の中の親鸞聖人は、笠を被り、小さな身体で、杖を持ち、シルエット(影絵)で、(なぜ、シルエットなのか訳が解らん。)僕の前に出て来られた。
 僕は、これは絶好の機会だと思って、夢の中で色々と質問した。
 お聖人は一つ一つ丁寧に答えて下さった。(夢でもうれしい・・)
 たとえば、僕はお聖人に「この(西洋のキリスト教的視点からも見た『出家とその弟子』という)紙芝居を作っても良いでしょうか?・・間違ったお聖人の教えを伝える事にならないでしょうか?」と問うた。
 お聖人は、「神仏の教えを伝える事に、これは間違いだとか、間違いではないという事は、自分で決めることではない。その判断は仏様にお任せせよ。自分が感じたまま思ったままを作りなさい」と答えてくださった。
 又、「僕がよく老人ホームでやっている「子供を亡くしたゴータミー」という紙芝居ですが、これはお聖人の教えではないですが、良いでしょうか?」と、いう質問に対しては、
 「その(ゴータミーの)話は、私の説いた教えではない。・・が、同じお釈迦様の教えである。私の教えもお釈迦様の教えである。だから結果的に一緒である。自信を持って布教せよ。」と言われた。
 又、「老人ホームとか病院とかでの布教は、自分のお寺の繁栄にならないですが良いでしょうか?」とかも質問すると、
「そのような場所での布教こそが、本当の布教である。自信を持て。力一杯回れ。お寺の繁栄にならなくても、それこそが私が望むものだ」と言われた。
 ・・今、このブログを書いていて、どうやら、どれもこれも、このお聖人の声は、自分の心の声の反映のような気がする。
 たかが夢、されど夢。・・でも良い。なぜか今、僕の心は安心観で一杯なのだ。

三度目の〔ゆおびか〕

ファイル 459-1.jpg (グループホームゆおびか)
 昨日、午前中の「月忌参り」を済ませ、お昼から車を飛ばして、大阪市東成区にある『グループホームゆおびか』に、三度目の「お寺の出前」に行って来た。
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 一回目は去年の〔春〕、二回目が〔秋〕で、そして昨日が三度目、はじめての〔冬〕の出前となった。
 話の内容は、例によって例の如く、職員さんから「極楽へうまく往く為の方法(その3)を伝授して欲しい」と、リクエストされ、そこのトコは前回と同じで、お経さん『阿弥陀経』を頼りに、ちょこちょっことだけお話し、後は「紙芝居」を見て楽しんで頂いた。
 僕は、いつも同じようなお話しか出来ない! ・・が、103才の女性を筆頭に、皆さん真剣に「うんうん」と頷き、初めて聞いたようなお顔をされるので、こちらも初めてお話しするような顔をしながらしゃべった。(笑い) 
・・・あの~、この場を借りて一言。『極楽往きの話(その4)』はもう無いですから・・。 今度は皆さんが「どのようにすれば極楽に往けると思うか!?」というお考えを、私に聞かせて下さいね。

淡路島へゆく!

ファイル 457-1.jpg (淡路島から見た明石海峡大橋)
「・・さぁさぁ、ものの始まりが一ならば、国の始まりは大和の国、島の始まりは『淡路島』・・。」ではじまる『男はつらいよ』の寅さんの〔口上〕。 
 僕は映画で、この口上を聞く度に、「日本のルーツの島は『淡路島』なんや・・。この島に住みたい!」と、この島に淡い憧れを覚えていた。
 現に僧侶に成る前は、『人間らしく生きるとは、大地と共に働く事だ!』と、(今から考えれば子供のような夢を抱いて・・、)憧れの淡路島で〔お百姓〕に成ろうと志し、何度も知り合いを頼って、〔たまねぎ畑〕のある物件を探して回った。(今から25年程前の話であるが・・。又〔世捨て人〕にも憧れた。・・ほんま嫁さんには心労を掛けまくった)
 そんな僕は夢破れて、いや、『仏さまの思し召し』で僧侶となった。
 ・・が、その時の思いが今もあって、今でもよく『淡路島』に遊びに行く。 ・・それで昨日も行って来た。
 今はもう、(体力的にも無理で)お百姓さんになろうとは思わないが、この海と山と畑と温泉の出る町が、すぐ近くに全部そろっている島が、今でも大好きなのだ。
 作家の〔灰谷健次郎〕さんも、一時この島に住んでおられて、会いにも行った。
 又、江戸末期の豪商〔高田屋嘉兵衛〕氏の子孫の方ともお会いした。
 あぁ、願わくば、晩年はこの島で、空を見て海を見て生きてみたいなぁ・・。
 甘い〔淡路たまねぎ〕をかじりながら、今日もそんな事を思った。
 

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