昨日の産経新聞の夕刊に、私の(ちっちゃな)活動が載りました。
この記事を読まれた多くの方(特に最近元気のない関西人)が、少しでも元気・やる気を取り戻し、被災地復興へ協力できますように・・。
そして又、東日本にも新たな良き、善き〔ご縁〕が(紙芝居を通して)生れますように・・。
(電話取材も含めて)何度も、ご連絡下さいました〔秋山記者〕、本当にありがとうございました。
そして、快く取材協力くださいました『ゆうせいデイサービス』の職員の皆様、感謝申し上げます。
秋山記者さま、「一度お寺に伺って、すべての現物(生)『紙芝居』を見てみたい」と、おっしゃっておられましたね。
お待ちしております。・・新鮮な内にどうぞ。合掌
(下の産経ニュース:ホームページからも見れます)
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110426/wky11042615270005-n1.htm
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産経新聞〔夕刊〕に載りました
『稲むらの火』の時、大阪にも《津波》は来た!
先週の金曜、『特養老人ホーム甍』苑内、「講話クラブ」でのお話。
その時、例の『稲むらの火』の「紙芝居」をさせて頂いた。
その講話も終り、帰ろうとした時、一人の入所者の男性に声を掛けられた。
その男性は、次のような内容の話を僕にして下った。
「私のご先祖さんからの伝え聞いてる話ですが、大阪にも大きな津波が来て、そこで、たくさんの人が亡くなったらしいですよ。・・確か、その〔慰霊の碑〕が、(浪速区)大正橋の手前に建ってたと記憶しているのですが、・・一度行ってみられたらどうですか?」というものだった。
それで、昨日さっそく行ってみた。
その〔慰霊碑〕は、確かにあった。
しかも驚いたのは、この地震大津波の記録の〔慰霊碑〕は、あの『稲むらの火』と同じ(安政元年11月5日)同年、同月、同時刻に起こったものと一緒だったのだ。
そう、あの〔大津波〕は、大阪にも来たのだ!
(大津波両川口津波記の碑)
そしてその〔慰霊碑〕の裏には、津波被災の詳しい様子が書かれてあった。
又、横には、それを〔現代語〕に訳された碑も建てられていた。
それは、今の我々が読んでも、非常に興味深い内容なので、今回抜粋して書かせてもらいたいと思う。
〔大地震両川口(りょうかわぐち)津波記〕
『(前略)・・嘉永七年(=安政元年)十一月五日午後四時ごろ、再び大地震が起こり、家々は崩れ落ち、火災が発生し、その恐ろしい様子がおさまった日暮れごろ、雷のような音とともに、一斉に津波が押し寄せてきた。(『稲むらの火』の様子とまったく一緒や!)
安治川はもちろん、木津川の河口まで山のような大波が立ち、東掘まで、約1・4mの深さの泥水が流れ込んだ。
両川筋に停泊していた多くの大小の船の碇や綱は切れ、川の流れを逆流し、宇治橋、亀井橋(等々)の橋はすべて崩れ落ちてしまった。
さらに、大きな道にまで溢れた水に慌てふためいて逃げ惑い、川に落ちた人もあった。
道頓堀川に掛かる大黒橋では、大きな船が川の逆流により横転し川をせき止めた為、河口から押し流されて来た船を下敷きにし、その上に乗り上げてしまった。
(中略)南北を貫く川筋は、一面あっと云う間に壊れた船の山ができ、川岸に作った小屋は、流されてきた船によって壊され、その音や助けを求める人々の声が付近一帯に広がり、救助することもできず、多数の人々が犠牲になった。(犠牲者は三百五十人を越えたらしい)
(中略)地震が発生したら津波が起こることを十分に心得ておき、船での避難は絶対にしてはいけない。又、建物は壊れ、火事になることもあるので、お金や大事な書類は大切に保管し、なによりも『火の用心』が肝心である。(今と一緒や!)
(中略)津波というのは、沖から波が来るというだけでなく、海辺近くの海底などから、吹き上がってくることもあり、海辺の田畑にも泥水が吹き上がることがある。今回の地震で〔大和の古市〕では、池の水があふれ出し、家を数多く押し流したのも、これに似た現象なので、海辺や大きな川や池のそばに住む人は、用心が必要である。
津波の勢いは、普通の高潮とは違うということを、今回被災した人々はよく解っているが、十分に心得ておくように。
犠牲になられた方々のご冥福を祈り、拙い文章であるが、ここに記録しておくので、心ある人は時々、碑文が読みやすいように墨を入れ、伝えてほしい。(後世の我々の事まで、心配してくださってるんやね。・・ありがとうございます。) 安政二年七月 建立』
少し長くなってしまったが、今読むと、当時の光景と先月の〔東日本大地震〕の様子がリンクしてしまう。
「やはり、我々は先人からの言い伝えをしっかり守らなくては〔未来〕はないかもしれない。」
・・この写真を撮り、慰霊碑に手を合わしながら僕はそんな事を思った。
・・帰ろうとした時、〔潮〕の匂いが微かにした。
「そう、ここは海に近いのだ」と、改めて思ったのだった。
(奥に見えるは木津川と〔京セラドーム〕)
それって、おかしい?
おとといに、檀家の奥さんから聞いた二つの話。
一つ目。
「住職さん、私の茨城県に住む友達からメールが来ました。そこには、『〔震度4〕の揺れが普通になり、そんなに恐くなくなってきました。』と書いてました」と。
僕は思う、『それって、良い事なの?』、いやいや、『とても恐い事でしょう!』。
二つ目。
「一人暮らしの、私の年配の友人が、震災のテレビを見過ぎて〔うつ病〕になってしまいました」と。
再び僕は思う、『それって、異常な事?』、いやいや、『誰でもあの惨状を一人で見続けたら、そうなるかも』。
こんな時、私達はどうすれば良いのでしょう?
そうだ、こんな時、平常時には不必要な(笑い?)〔さだまさし〕さんの歌を、聞くというのはどうでしょう。
そう、精神状態が落ち込む時以外、それほど聞く必要もないような、(妻を筆頭とする〔さだまさし〕ファンの皆様、失礼な事書いてすみません。)さだまさしさんの『奇跡~大きな愛のように~』を聞くというのはどうでしょう?
ちょっと歌詞を書かせていただきましょう。
『 どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない
僕は神様でないから 本当の愛は多分知らない
けれどあなたを想う心なら 神様に負けない(神様への宣戦布告かいっ?!〔僕のつっこみ〕)
たった一度の人生に あなたとめぐりあえたこと
偶然を装いながら奇跡は いつも近くに居る
ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい
(中略)
僕は神様でないから 奇跡を創ることは出来ない
けれどあなたを想う奇跡なら 神様に負けない
(中略)
ああ大きな夢になりたい あなたを包んであげたい
あなたの笑顔を守る為に 多分僕は生れて来た 』
・・ホントは僕も〔さだまさし〕さんの隠れファンなのです。
あくまでも〔隠れ〕ですが。・・妻の影響かも。
実は今、僕は『お寺の出前』に行く時、ずっとこの曲を車の中でリピートして聴いているのです。 すると少し精神が安定するのです。・・少なくとも僕は。
津波に巻き込まれ魘される夢を見続け、あの日以来、口内炎が直らない僕が言うのですから、本当です。
完全な曲自体を視聴されたい方は、パソコンで『さだまさし 奇跡』と打って検索したら、ぜんぶ聞けます。やってみて下さい。・・みなさんにも、小さな奇跡が起きるかも?
平和を求める祈り
僕の好きな〔お坊さん〕に、『聖フランチェスコ』がいる。
彼は、中世の西洋のお坊さんである。
僕がこの方を最初に知ったのは、大学生の頃であったろうか。
ちょうど、クリスマスの晩、深夜テレビで『ブラザーサン・シスタームーン』という〔フランチェスコ〕の生涯を映画化した番組がやっていて、偶然、僕は録画しながらそれを見た。
・・恥ずかしながら、感動で涙が止まらなかった。それから、この映画を何度も、何度も、何度も、何度もテープが擦り切れるぐらいみたし、映画の中で出て来る〔フランチェスコ〕の詩歌も、静止ボタンにして、全部ノートに写しだした。
あぁ、今思い出してもウルウルしてくる。(これは年のせいかも・・)
余談ながら、のちDVDも買ったし、聖フランチェスコに関するあらゆる本(詩集・研究書など)を買い揃えた。
それぐらい好きなのである。(もちろん、近い将来『紙芝居』にさせて頂きます)
こんな立派なお坊さんはいない・・と思う。
宗教は違うが、『聖フランチェスコ』は僕の理想である!
「お寺の出前」の原点も彼の行動にあると言っても過言ではない。
又、彼に憧れて僕は宗教者になったといっても、大げさにはなってないと思う。(だけど、僕は《仏教》を選んだ。・・僕の中では、やっぱり仏教だったのだ)
実は僕の机の上に、『お釈迦さま』と『ラーマ・クリシュナ』と『聖フランチェスコ』の絵像が飾ってあり、毎日眺めている。・・もちろん、『親鸞さま』の絵像も掛け軸で飾ってある。(コレ言うとかな〔笑い〕)
長くなってしまったが、簡単に『聖フランチェスコ』の生涯を述べる。
13世紀のイタリアで、裕福な商人の一人息子として、彼は生れ何不自由なく育った。いわば、ボンボンである。
青年になったフランチェスコは、仲間と共に〔十字軍〕の戦いに参戦。
しかし、捕まって捕虜となり、又、重病も患い故郷になんとか帰って来る。
生死を彷徨いながら、彼は奇跡的に回復。・・と、同時にフランチェスコは自分の中で起きた大きな変化に気づく。
それは、神への《信仰心》だった。
それから、彼は富や財産を拒絶して、次第に修道の道に進んでゆく。・・ここから先は、レンタル屋さんで借りて見てください。一見の価値は、あると思う人には、あると思う。
長くなり過ぎた。
今回は、その『聖フランチェスコ』の「平和を求める祈り」という(やはり僕の机の上に飾ってある)詩を書きたかったのだ。
もうちょっと我慢して、読んでください。
「平和を求める祈り」
『わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみあるところに、愛を
いさかいあるところに、許しを
分裂あるところに、一致を
疑惑あるところに、信仰を
誤っているところに、真理を
絶望あるところに、希望を
闇にも、光を
悲しみあるところに、喜びを
もたらすものとしてください。
慰められるよりも、慰めることを
理解されるよりは、理解することを
愛されるよりは、愛することを
わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから、受け
ゆるすから、ゆるされ
自分を捨てて死に、永遠の命をいただくのですから。
《アッシジ(土地の名)の聖フランチェスコ》の詩より
ある時は「余興」、又ある時は「法話」、又又ある時は「講話」、はたしてその実態は?
しばらく忙しすぎて、このブログを書く時間が無かった。(今日、久々に書こうと思ったら、今度は何を書いて良いかわからん始末です・・。)
で、先週のおもろかったことを、思い出して書きます。
で、で、僕の『紙芝居を使ってのトーク』って、いったい何?と感じたお話を。
まず、昨日の『寛弘寺老人クラブ』への「出前」の件。
その会では、一年間の決算報告も無事終わり、会長さんが、横に控えて座っていた僕を、おもむろにこう紹介された。
「さあ、それでは、次に《余興》に移りたいと思います。・・観念寺の住職さんに、今から紙芝居をしていただきます。どうぞ、みなさん拍手を」(パチ、パチ、パチッ)と。
で、僕は「こんにちは皆さん、《余興》に参りました観念寺です。それでは今から『稲むらの火』という紙芝居を見て頂き、このほどの大震災、そして命について考えて頂きたいと思います」と。
・・そう、ここでの僕の話は《余興》なのだ。
次に、おとといの夜の〔専光寺〕さまの『春の法事』への「出前」の件。
勤行も終り、本堂にお集まりの皆さんに、ご住職さんが、僕をこのように紹介された。
「さぁ、それでは、今から『法話』に移りたいと思います。観念寺の住職さんは紙芝居を使って『法話』をされます。・・では、よろしく。」と。
で、僕は「こんばんは皆さん、紙芝居を使っての『法話』に参りました観念寺です。今日は『稲むらの火』という紙芝居を見て頂き、このほどの大震災、そして命について考えて頂きたいと思います」とご挨拶をした。
・・そう、ここでは僕の話は《法話》なのだ。
そして、先日の老人保健施設では、司会者職員さんが、僕を
「さぁ、それでは皆さん、お楽しみのお時間です。今から『講話』をしていただきます。・・後、省略。」
で、僕は「こんにちは、皆さま、今から紙芝居を使って《講話》をさせていただきます。お話は『稲村の火』という・・後、省略。」
・・そう、ここでは《講話》なのである。
でも全部、話の内容は一緒。
ある時は『余興』、又ある時は『法話』、又又ある時は『講話』・・はたして、その実態は???
結局、何でも良いのですよね。ネーミングなんて。
大事なのは、僕からのその時その時の『紙芝居』を使ってのメッセージなのです。(まぁ、毎回軽いメッセージですけど。)
後、又なんかおもろい『ネーミング』が飛び出てきたら、書きますね。 『お寺の出前、出前先ネーミング大募集』!
「お葬式」合い間の「出前」とインタビュー
(ゆうせいデイサービス)
お葬式の合間(告別式終了後と還骨(骨上げ)勤行の間の二時間)の福祉施設への「お寺の出前」は、しんどい。
・・プラス、新聞記者の方のインタビューが入ると、もっとしんどい。
ほとんど、(迫り来る)時間を気にして、記者の方の質問にも、しっかり答えられていなかった・・気がした。(サンケイ新聞の記者様、失礼の談、お許し下さい)
今日の話だ。
・・まぁ、こんな日もある。
せっかくの機会なので、どちらかを中止するには忍び難かったのだ。(欲かな~)
もうちょっと、体力をつけなければ。
こんな事でへたばっていてはいけない。
でないと、これからを時代を乗り越えれないぞ・・。
頑張ろう、日本!&お寺の出前!・・どちらも復興の為に!
東京からのお参り
おととい、東京都にお住まいのうちの檀家さん親子孫(三世代)が、お寺にお参りに来られた。(お住まいは東京都だが、ご先祖のお墓は南河内〔うちの寺の近く〕にあるのだ。)
それで、皆での〔お墓参り〕は何年かぶりなのだそうで、又、お孫さん(小学三年生)にいたっては、初めてのお墓参りなのだそうだ。(墓参りデビューおめでとう!)
なぜ、また急にお墓参りを思い立ったかというと、それは〔東日本大震災〕の影響の為との事で、仕事場のビル内で今までにないような大きな揺れを感じ、初めてそこで〔死〕を意識されたらしい。(若いお婆ちゃんの談である)
そして又、計画停電の実施もあり、暗闇の恐怖体験も重なって、ご先祖さまに、又、自分たちのお寺に一度皆でお参りをしておかなくてはと思い立ち、この日の〔お参り〕の実施になったという事である。(最近、そのような方が多い。・・ひょっとすると、大きな災害の後の神仏に祈ろう、縋ろうという気持ちは、平安時代から何も変わってないのかも・・。)
さて、この小三のお孫ちゃんがジュースを飲みながら、僕に言った。「計画停電っていうのに、計画通りに行われないんだよ。突然の中止も多くて、じゃあ今日も中止かなって思ってたら、突然、30分遅れで、全部、灯りが消えちゃうんだよ。信号機も消えたままで、自転車で外にゆくのが恐いんだ。だから、その時は、家の中でずっとじっとしてるんだよ。」と言った。
僕は「早く、そんな停電計画が無くなるといいね」と言うと、「うん」とだけ言って、突然立ち上がり、お寺の畳の上を走り回りだした。
「ストレスたまってるんや」と思った僕は「思いっきり、走り回りってもええよ」とだけ言って、お茶を飲み干した。
西本願寺「日曜講演」『願いと救いを絵に込めて 紙芝居法話15年』
(本願寺総会所)
先ほど、京都:西本願寺の『日曜講演』へ、「お寺の出前」が「お寺へ出前」に行って来た。
(東日本大震災の影響もあり、)今年の春から始まる『親鸞聖人750回大遠忌法要』の準備は、粛々と行われていたが、参拝の方の人数は多かったような気がする。
やはり、このような時期だからこそ、是非、お寺参りをしたいと思われるのかもしれない。
(ヤン坊マー坊天気予報みたいな僕)
さて、今年の本願寺での僕の出し物(紙芝居の演目)は、「稲むらの火」であった。
実は「稲むらの火」ではなく、大遠忌を記念して「親鸞聖人の物語」をテーマにして、紙芝居をしようと考えていたのだが、大震災があったので、急遽この演目に変えさせてもらった。
そして本願寺でも〔震災義援金〕のお願いをしてきた。
反響があったので、結果的にこの演目で良かったのかもしれない。
・・が、僕の本音としては、『大遠忌』を記念し、ちょっぴり『親鸞聖人のおはなし』もやりたかった。・・が、それは又、別の機会があれば・・としよう。
(大遠忌準備中の西本願寺)
募金宣伝用「紙芝居」
募金というものは、箱を置いとくだけではなかなか入れてもらえない。
やはり、人間が直接、声を上げた方が入れてもらいやすい・・ようだ。
・・で、僕は、このHPでも先月発表した〔津波の紙芝居〕『稲むらの火』を、今、お寺や福祉施設などでやらせてもらって、災害募金の協力をさせてもらっている。
つまり〔募金宣伝用紙芝居〕法話という訳なのだ。
名目などどうでも良いのだ。つまり、『募金をしよう』という意識を、皆さんにちょっとでも持ってもらえたらそれで良い。
今、たいてい、どこの施設やお寺などにも『募金箱』がある。
どんな形にせよ、少しでも震災復興に協力できたらと思っている。
お葬式での出来事
今まで、何百回となく『お葬式』をさせて頂いてきたが、さすがに昨日のお葬式最中の出来事は驚いた。
それは、こうだ・・。
読経が始まり、10分ほど経った時の事だった。
突然、僕の真後ろで、「誰か、救急車、救急車を呼んで!・・お父さん、しっかりして!」と、叫び声が上がった。
僕は読経を止めて後ろを見ると、故人のご兄弟の男性(60才ぐらいか?)が、隣の奥さんにもたれ掛り、目を見開いたまま口を開き、息をしてるかしてないか、ピクリとも動かない。・・意識がないのだ。
「脳梗塞や!」と僕は思った。
親戚の皆は「動かしたらあかん。職員さん、布団か毛布を持ってきて!」と声を上げ、葬儀社職員はあわてて外へ飛び出し、急いで簡易ベットと座布団を持って来る。
皆でそっとその男性をそこに寝かし、ネクタイとベルトを緩め、奥さんは声を掛け続けた。
娘さんは「どうして、こうなるのー」と泣き出し、僕は「落ち着いて。呼吸してはるから大丈夫や」となだめる。
すると、男性の意識が急に戻った。
そして、「わし何してたんやろ?・・皆どうしてん?」と言い出した。奥さんはそれを聞き、状況説明をされた。
「・・寝不足やから、わしは大丈夫や。」と男性は言って起き上がろうとしたが、皆が口をそろえて「それは違う違う!寝とき」と促す。
その時、救急車が来て、タンカが運ばれ、男性は皆に手伝われて外へと運ばれた。
そして会場は又、落ち着きを取り戻した。
僕は「そや、お葬式の続きをせな、いつまでたっても終らんわ」と思い、急いで職員たちと一緒にパイプ椅子を元通りにして、続きから読経をはじめる事にした。
しかし、司会者も居なくなり、若い女性職員は呆然としたままだったので、僕はとっさに「司会も、僕が一緒にやりますから」と言って、自分で「はい、皆さん、ここで合掌、お念仏をお願いします」と葬式ナレーションを独自に読経の間に入れ、なんとか無事、お葬式を終えた。
まぁ、こんな事をゆうちょうに書いてると言う事は、この倒れられた男性が、昨日の晩、無事に病院から元気に帰って来られたからなのだが、ほんまに、一寸先は何が起るかわかりまへんなぁ。
みなさんも、ご用心、ご用心。


