住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「悲劇の哲学者 三木清伝」(その7)最終回

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 そして、昭和二十年九月二十六日。
 終戦後も(三木清は歴史から忘れられたかのように、)釈放されず、豊多摩刑務所の中で病死します。
 死因は、この刑務所の衛生状態が悪かった為だと伝わっています。
 法名『真実院 釋清心』。
 行年 四十八歳の若さでした。
 三木清の寂しさを表わした言葉が、一つ残っています。
『孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである。』
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 三木清は、「正しく美しく生きる事が、哲学であり、知識だけで終わらせてはダメだ。」と言っています。
 現実を見つめながらも、『人間らしく生きる』為に、どうしたら良いかと考え続けた彼でしたが、その志の途中、激動時代の犠牲者になってしまいました。 
 彼の若き日の詩が、一つ残っています。
『しんじつの 秋の日 てれば せんねんに 心をこめて 歩まざらめや』。
 今、彼の故郷、播州竜野市に、この詩と共に[三木清哲学碑]が建っています。 おしまい
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(龍野市 霞城館)
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(三木清コーナー)
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(龍野市 三木清哲学碑)

紙芝居:「悲劇の哲学者 三木清伝」(その6)

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昭和十一年、二二六事件の勃発。
 昭和十六年、太平洋戦争の始まり・・。
 この時期、三木清は日本の思想家として、自分には何が出来るか考えます。
 そして、[軍国主義批判]と[平和を目指した評論活動]を開始しますが、『特高警察』から睨まれる存在となっていきます。
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 そして大学の仕事も辞めて、疎開先で、彼は(最後の仕事となった)『親鸞』の執筆を開始します。
 三木清にとって、哲学の集大成は『親鸞聖人の教え』であったのかもしれません。
 この本の中で彼は、「親鸞の思想の特色は、仏教を人間的にしたところにある。」と述べております。
 おそらく哲学とは、[親鸞聖人]のように、人間らしく真実に生きる事なのだと、(日本国民全体に)述べたかったのかもしれません。
 しかし、この本は完成しませんでした。
 それは執筆の途中に、(特高警察に追われている)共産党の友人を一日匿ったという嫌疑で、警視庁に[治安維持法]違反で逮捕されたからでした。つづく

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