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紙芝居:『青年よ、大志をいだけ!・・この老人のように (中山久蔵の生涯)』~その1

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 「ボーイズ・ビー・アンビシャス・・、青年(少年)よ、大志をいだけ!」。
 この言葉はあまりにも有名で、誰もが明治初期に、日本の教育指導の為に(北海道大学に)やって来られた《クラーク博士》の言葉であるという事を知っている。
 ・・では、実は(一説によると)、この言葉にはまだ〔続き〕があって、「ライク・ディス・オールドマン (・・この老人のように)」と続き、完結するというのは、知っておられるだろうか。
 では、「ディス・オールドマン(この老人)」とは、誰を指すのか?・・
 「それは、もちろん自分自身(クラーク博士)の事を言っているのだ!」というのが、常識なのかもしれないが、・・ひょっとして、ひょっとすると、今から〔全三回〕に渡ってお話する「紙芝居」の主人公〔寒冷地稲作の父〕と呼ばれた《中山久蔵(ナカヤマ キュウゾウ)》さんの事を言ったのかも知れないのだ。
 「青年よ、大志をいだけ!・・この老人(中山久蔵さん)のように」・・と、クラーク博士に言われたかも知れないこの人は、明治時代の人なのだが、今でも《北海道》では「偉人(ヒーロー)」なのである。
 でも、この〔久蔵さん〕。実は、北海道生まれではなく、大阪府南河内郡太子町春日(カスガ)の生まれなのである。(大阪の人やんけ!・・うちの寺から、近いやんけ!)
 それでは、フィクション交じりの「紙芝居」のはじまり、はじまり~。
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 中山久蔵さんは、江戸時代の終わり頃、文政11年に生まれました。
 記録によりますと、「松村三右ェ門」氏の次男として生まれたとあります。
 次男であるがゆえに、〔家の跡取り〕ができず、悩んだ末、久蔵さんは、17才で家出をして、江戸へ向います。
 「江戸で一旗挙げよう!成功するぞ!」と、頑張りますが、何一つうまくいきませんでした。
 ・・が、しかし、縁あって25才の頃、(どんな縁やったんやろか?・・)
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 仙台藩士の下僕(下働きの男)として、仕える事となり、《仙台》と、その〔北の防備〕の為の出張所『北海道』《白老(シラオイ)》との間を行き来することになります。
 ところが、明治維新がおこり、サムライの時代は終わり、武士は皆、『職』を失います。
 当然の如く、久蔵さんも無職となりました。
 この時、久蔵さんは40才になっておりました。
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 久蔵さんは悩みました。
「今までワシの人生は、失敗続きであった。それに、もう42才の厄年・・。世の中の、何の役にも立たなかったこのワシではあるが、今一度、生まれ変わった気持ちで頑張ってみよう!
 そうじゃ、北へ向かおう。新天地で出直そう!」と決心したのでした。
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 そして、再び、北海道へと渡りました。
 何度も通った《白老》に行き、さらに《苫小牧(トマコマイ)》に移り、当時、誰も住まなかった未開の原野で、一人、森を切り開き、開墾して、生き方を探るのでした。
 やがて、《苫小牧》が、開墾に向かないと判断した久蔵さんは、現在の《北広島市・島松沢》に居を移し、『米作り』に挑戦し始めたのでした。ゆけ、ゆけ、久蔵、どんとゆけー! つづく。
 

 

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