住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『恩讐の彼方に』 ~その3~

 『恩讐(オンシュウ)』とは、どういう意味なのか?・・
 《広辞苑》で引いてみたら「〔情け〕と〔あだ・うらみ・仇とする事〕」と書いてあった。
 つまり『恩讐の彼方に』とは、「〔情け〕と〔怨み〕の果てに何があった(ある)のか?」・・という意味だろうか?
 意味の深い、難しい題名だが、この『紙芝居』を作りながら、ずっと、そんな事ばかり考えていた。

 紙芝居:『恩讐の彼方に』~その3~ (今回完結)
 ・・その恐ろしい敵とは、〔了海〕がまだ〔市九郎〕と名乗っていた時、命を奪った殿様の息子であった。
 その息子が大人になって仇打ちに現れたのである。
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 彼の名は〔実之介〕といった。
 父が非業に死んだ為、お家は断絶し、彼は親戚に預けられ大きくなった。
 今や彼の目的は、父の〔仇打ち〕だけが、生きがいとなっていた。
 そんな彼が諸国を回り、ようやく九州の地で、父の仇らしき男の噂を聞いたのであった。
 彼は直ぐに洞窟へ向かった。
 そして「この洞窟に昔、〔市九郎〕と呼ばれていた〔了海〕という僧はおるか?おるならすぐに会いたい!」と人足に言った。
 それを聞いて〔了海〕は、すぐにはいずりながら出て来た。
 〔実之介〕は、〔了海〕に問い質すと間違いないという。
 「ようやく会えた!父の仇、覚悟せよ!」と〔実之介〕は剣を抜いた。
 その言葉に〔了海〕は少しも動ぜず、「誠、その通りでこざいます。覚悟は出来ております。この首、お打ち下さい」と首を差し出した。
 その騒ぎを聞いて、洞窟から〔人足〕達が集まって出て来た。
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 その中の〔棟梁〕らしき人物が、やがて口を開いた。「お武家様、この〔了海〕様は、苦節二十年近く、身を砕かれて、この洞窟を掘られました。いかに自分の悪業とはいえ、《誓願成就》の前にお果てになるのは、さぞやご無念でしょう・・。どうか、この洞窟貫通まで、仇打ちはもう少し待って下さいませんか?・・何、もうそんなに長くはかかりせん。どうかそれまで〔了海〕様のお命、我等に預けていただけませんか?完成のあかつきには、我等もう何も言いませんので・・」と言った。
 他の人足達も「道理じゃ、道理じゃ」と叫んだ為、〔実之介〕はそれを受けざるを得なかった。

 ・・が、そう約束したものの、「〔了海〕は夜にこっそり逃げるかもしれん」と疑い、皆が寝静まった深夜、〔実之介〕は「やはり、今、打とう!」と洞窟に入って行った。
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 深夜ゆえ、中は誰もおらず静まりかえっていた。
 その時、一番奥から「カッ、カッ!」と小さくはあるが、力強い音が聞こえて来た。
 見ると、ただ一身に(槌)を振る〔了海〕であった。
 これを見て〔実之介〕は、「もはや、逃げる気はないに違いない」と思い、今度は好意を持って「〔誓願成就〕の日まで待ってやろう」と思った。
 だが、ただ呆然と待っているだけではなく、「一刻も早く、復讐が遂げられるように!」と思い、気がつけば・・・、
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〔実之介〕自身も(槌)を振るっていた。
 今や、敵と敵とが、合い並んで(槌)を振るうという、不思議な光景が生じ始めていた。
 〔了海〕も〔実之介〕の姿を見て、早く《本懐》を遂げさせてやろうと、懸命に(槌)を打った。

 やがて、月日は二十一年が経とうとしていた。
 そんなある夜、「あっ、」と〔了海〕が声を上げた。
 小さくはあるが穴が開き、向こうから《月明かり》が差したのである。
 「おぉっ!」と全身を震わせ、狂ったかのように歓喜の声を〔了海〕は上げた。
 そして横にいる〔実之介〕に、「〔実之介〕殿、御覧なされ!二十一年かかりましたが、今宵遂に《誓願成就》致しました。さぁ、〔人足〕達が気がつけば、又何を言うかわかりません。早く、私の首を打たれよ。それがお約束でしたから・・」と言った。
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・・が、〔実之介〕は、〔了海〕の手を握り締め、ただ涙にむせぶ事しか出来なかった。
 このような哀れな姿になってまでも、成し遂げたこの《大偉業》に敵とはいえ、ただただ感動し胸が一杯になっていたのだった。
 彼は再び、この〔老僧〕の手を硬く握り締めた。
 そして二人は、そこですべてを忘れ、感激の涙にむせぶのであった。 おしまい。
 

紙芝居:『恩讐の彼方に』 ~その2~

 この〔菊池寛〕氏のお話はフィクションである。
 ・・が、モデルはある。
 主人公〔市九郎〕こと〔了海〕は、《禅海》という実在の僧をモデルにしている。
 前回から続くこの物語の舞台は、今回、江戸から九州・大分県の〔耶馬渓〕という所に移るのだが、この〔耶馬渓《青の洞門》〕には2回程旅行で行った事がある。
 この地には、今でも〔了海〕こと《禅海》さんの像が建ってる。

 『恩讐の彼方に』 ~その2~
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 〔了海〕は、京・大阪・山陽道と〔罪滅ぼし〕の為、行く先々で苦しむ人々を助けた。
 そして、やがて彼は、九州は豊前の国(今の大分県)、山国川の《鎖渡し》という難所に到着した。
 ここは毎年、十数人は谷に落ちて亡くなるという難所で、街道を切り立った山が〔通せんぼ〕していて、その横の細い山壁を鎖を持ちながら越えて行かねば、向こうの国に出られるという難所であった。
 〔了海〕は「この山に穴を開け、向こうの国まで貫通させれば、もうこの難所で命を失う者はなくなる・・」と考えた。
 そう思った〔了海〕は、その日の内に〔ノミ〕と〔金槌〕を手に入れ、穴を掘り始めた。しかし、向こうの国までは三町(約330m)もあった。
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 〔了海〕は、朝に〔托鉢〕をして食べ物を手に入れ、昼から深夜まで穴を掘った。
 そんな姿を見て、里の人々は「身の程知らずのたわけじゃ」と言って笑ってバカにした。
 
 やがて一年が過ぎた。
 が、わずか一丈(約3m)程の洞窟しか出来なかった。
 「あれを見よ。あの変な坊主が一年もがいて、わずかあれだけじゃ!」と言って里人は又、笑った。
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 二年が経った。
 里の人々はもう何も言わなくなった。彼等の嘲笑は、驚異へと変わっていったからであった。
 〔了海〕のヒゲと髪は肩まで伸び、頬はこけ、足はやせ細り真っ直ぐに伸びなくなっていた。
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 ・・九年が経った。
 穴は入り口より二十二間(約42m)までの深さに達していた。
 里の人々は、この頃ようやく〔了海〕の事業の可能性に気づき始めた。
 里人は、自発的にお金を出し合い、数人の〔石工人足〕を雇い、〔了海〕の手伝いを始めた。
 ・・・が、事はそう容易くいかない。
 一年も経たぬ内に、一向にはかどらぬこの事業に、皆嫌気がさし、「入らぬお金を使こうてしもうた」と言って〔人足〕達を引き払った。
 こうして、〔了海〕は又、一人で掘り続ける事になった。

 ・・十年が過ぎた。
 〔了海〕の足はもう立つことも出来ず、目は石の破片によって傷つき、わずかな物しか見えなくなっていた。
  
 ・・十三年が過ぎた。
 洞窟はこの時、全長六十五間(約123m)まで達していた。
 里の人々は、再び驚異の目を開けた。
 そして、今度は十人の〔石工人足〕を雇い、〔了海〕の手伝いをさせた。
 が、やはり今度も、このいつ終るか解らぬ《事業》の出費に皆、不安になり、一人減り、二人減り、やがて皆この《事業》から手を引いてしまった。
 
 やがて十八年が経とうとしていた。
 ただ一人、(ノミ)を打つ〔了海〕であったが、今や彼は〔主殺し〕や〔おいはぎ〕の罪の記憶も薄れ、ただ機械のように(ノミ)を打ち続けていた。
 山の壁は、今や半分まで貫かれようとしていた。

 里の人々は、もはや誰一人、〔了海〕の事業に疑問をもたなくなった。彼等は過去二回の自分達の非を恥、今度は七郷すべての人々に声を掛け、協力を求め、又〔郡奉行〕までが動き、今やたえず三十人程の〔人足〕達が、毎日〔了海〕を助けた。
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「もう穴堀は〔人足〕達に任せて、〔了海〕様は《現場監督》だけしておくんなせぇ」という里人達の声も聞かず、〔了海〕はただ(金槌)を振るった。

 こうして、十九年が経ち、「もう後、二~三年程で貫通する。後少しの辛抱じゃ」と、身に迫る(老い)という敵を感じつつも〔了海〕は懸命に(金槌)を振るった。

 ・・が、しかし この〔了海〕の前にもっと恐ろしい敵が、その命を狙おうとしていたのだった・・・。 つづく

 
 

 
 
 


 

 

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