住職のつぼやき[管理用]

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バレンタインデーの次の日は《お釈迦様の命日?》:紙芝居『お釈迦さま最後の旅』

「・・さて、ではここで問題です!2月14日は《バレンタインデー》ですが、その次の15日はいったい何の日でしょうか?」というようなクイズ番組は見たことがない・・。 (悲しいかな・・。)
 実はこの日は〔お釈迦様〕が亡くなられた日だったのだ!〔この日の法要を『涅槃会(ねはんえ)』と云う〕。
ファイル 62-1.jpg (仏教もの39)
 ・・35才で悟りを開かれたのち〔お釈迦様〕は、80才で亡くなられるまで、ずっと旅から旅の旅ガラスの生涯であった。
 それは《仏教》を布教する為の旅でもあったのだ。
 ・・が、80才になられて流石のお釈迦様も疲れた。
 そこで死期を悟ったお釈迦様は、最後はご自分の故郷で亡くなりたいと思われた・・。(僕は思う・・〔お釈迦様〕のようなお偉い方でも、最後は故郷に帰りたいと思うのか?故郷はそんなに良いものなのか?・・でもわかるような気がする。僕も時々育った大阪の下町が懐かしくてたまらんようになるから・・。あぁ思い出す、あの本町通りの〔たこ焼き〕の匂い・・話を元に戻す。)
 ・・それで〔お釈迦様〕はお弟子を連れて故郷へと向かわれた。途中、鍛冶職人の家で一泊され、そこでキノコ料理(豚肉という説もある)をご馳走になったが結果的にこれが良くなかった。
ファイル 62-2.jpg
〔お釈迦様〕はひどい腹痛を起こされ寝込まれる様になってしまった(食中毒と云う説がある)。
・・が、頑張り屋のお釈迦様である。少し良くなったら、又旅を続けようとされた。 この間、まだ〔最後の弟子〕を受け入れておられるから凄い。
 が、しかし《クシナガラ》という所でついに力尽き、2本のサーラ樹の間に床を敷き、北を枕にして(ここから死者の《北枕》は始まる)弟子たちに向かって最後の教えを述べられる。
「・・よく聞きなさい。私が死んでも、私の《教え》はなくならない。だから《教え》を私だと思って、怠ることなく努めなさい。・・たのんまっせ(こんな事は言ってない)。」と言いお亡くなりになられた。
ファイル 62-3.jpg
 この日は、〔バレンタインデーの次の日(えらいこだわるなぁ~チョコほしいんかい?《はい!》と素直に自分で認める)〕の、2月15日の夜であったと伝わっている。
 ・・そしてこの〔お釈迦様〕の教えは、やがて弟子たちによって編さんされ、これが今の《お経》というものになるのである。おしまい

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