そんなある日のこと。
メアリーは風邪のような症状が出て寝込んでしまった。
「ゴホッゴホッ、いやだわ。どこかで風邪をうつされたんだわ。‥丈夫なだけが取り柄の私なのに・・、早く治しましょう。」。と彼女はしばらく休んで、又職場に復帰した。
それから、10ヶ月ほどして・・、
ある日、同じ職場の家政婦が突然倒れた。
病名は『腸チフス』だった。
その同僚はすぐに仕事を辞めさされた。
その頃、ニューヨークでは、毎年3千人から4千人の『腸チフス』の患者が出ていた。
腸チフスは、サルモレラ菌によって感染者の便や尿から何らかの形で汚染された食べ物から発症するといわれていた。
その症状は、高熱や腹痛などで、命などにも関わる。
メアリーは怖くなって、その仕事場を辞めて、次の職場を探した。
そして、次にある弁護士の家で働くことになった。
がしかし、そこでも又チフスが発生し、一家9人のうち7人まで発症した。
メアリーは、その家でも献身的に看護し、家族みんなから感謝された。
・・が、しかし、彼女はやがてその職場も辞めて、又違った仕事場に移った。
こうして、メアリーは1900年から1907年にかけて、勤め先を転々とする。
が、どこの家でもチフスが発症し、彼女だけが無事だった。 つづく
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記事一覧
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紙芝居:『無症状感染者 チフスのメアリー』(その2)
紙芝居:『無症状感染者 チフスのメアリー』(その1)
今から100年ほど前のお話。
アメリカのニューヨークに『チフスのメアリー』と呼ばれた女性がいた。
彼女は善良で勤勉であった。
が、彼女は自覚症状の無いまま、周囲に[腸チフス]をうつして感染者を増やした。
その数、47名。内3人が亡くなった。
新聞は『アメリカでもっとも危険な女』と書いて報道した。
・・これは無症状であるがゆえに、多くの人に病いを移してしまった一人の女性のお話です。
はじまり、はじまりー。
彼女の本名は、メアリー・マローン。
ヨーロッパはアイルランドの出身。
貧しさゆえに1883年、家族でアメリカ・ニューヨークに渡って来た。
彼女は料理が得意だった。
それで、自然と彼女は大人になると、お金持ちの家の家政婦となり、料理代行を任されるようになっていった。
本来マジメな彼女は、雇い主からも信頼され、貧しいながらもそれなりに、幸せな人生を送っていたのだった。つづく
紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その7 最終回)
オレはお上人の葬儀に参列させてもらった。
この後、オレのすることはただ一つ・・。
「お上人、上人にお育ていただいたこの蓮崇。すぐに私も上人の居られるお浄土に参ります。お待ちください!」と。
こうして、オレの栄光と挫折の数奇な人生は終わりをつげた。 おしまい
[終わりに]
僕は蓮崇が好きだ。
自尊心が強くて、ズルくて、努力家で、船からほり出される間抜けさがあって、涙もろくて、一途で、すべて共感できてしまう。
だから、この紙芝居を作った。
それと、最後の蓮崇の切腹は僕のフィクションです。
蓮崇なら、こうすると思ったので、こう描きました。
事実、蓮崇は蓮如上人が亡くなられてから、すぐに亡くなっている。
蓮崇を味わうために、北陸に二回行って調べた。が、わからない事だらけだった。最後に、僕は「もうちょっと、真宗教団は蓮崇を大事にしてあげても良いのになぁ」と思う。もう、ちょっとだけ!
紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その6)
あれから24年が経った。
蓮如上人は、北陸を離れられても勢力的に布教して、活動されたらしい。
そしてやがて、京は山科という所で病に倒れられた。
上人は床の中で、しきりにオレの事を思い出されたらしい。
「蓮崇は今、どこにおる?・・蓮崇を許してやろうぞ⁉」と蓮如さまは言われた。
すると、そこにいた門弟たちは、一斉にオレの悪事を並べて、「許すなど、とんでもない事⁉。又、蓮崇との面会なども考えてはいけません」と。
そう、オレは蓮如上人とお会いしたくて、京都まで行き、一目お会いしたいと門弟に頼んでおったのだ。
蓮如上人がオレの悪口を、門弟からさんざん聞かされた後、こうおっしゃれたそうだ。
「お前たち、それがいかんのだ!・・何と嘆かわしい事を言うのだ。‥こころさえ改めるなら、どんな者でも救うというのが、仏の本願ではなかったか⁈・・どうしようもない者を許していくところが、わが宗旨の面目があるんじゃなかったか⁈‥蓮崇を探しだして呼んでまいれ。」と。
こうして、北陸でお別れしてから、24年ぶりにお上人にお会いすることができた。
お上人のお顔を見た瞬間、オレの目から涙が猛烈にあふれだした。
「お上人⁉お会いでき、かたじけない事でございます。・・あぁ、お許しください!お上人、私は私は・・」ともう後は涙で何も言えなかった。
「蓮崇、破門を許す」と、お上人は一言、目に涙を浮かべておっしゃられた。
それから、五日目、蓮如上人は御往生された。つづく
紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その5)
蓮如上人は驚いて言われたそうだ。
「何!わしが百姓たちを扇動しておるとっ⁉そんなことは一言も言っておらん!・・・えっ何、蓮崇が『わしがそう言った』と吹聴しておると。・・・うーん、蓮崇・・、蓮崇は破門じゃ!」と。
そして、上人は一揆が大きくなるのを恐れて、その日のうちに北陸を船で脱出された。
もちろん、オレにも言い分はあったので、船に隠れてついて行こうとしたが、見つかって頬り出された。
オレは叫んだ。
「お上人さまー!私は本願寺教団発展のために、つい嘘をついてしまったのです!・・私もお連れくださーい!」と。
がっ無駄であった・・。
そして、何もかも取り上げられて、オレは教団を頬り出された。
反省しても無駄であった。
・・それからオレはあちこちと歩き回って、どうにか生き延びた。
そして、いつしか24年間が経とうとしていた。
つづく
紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その4)
その頃、時代は大きく変わろうとしていた。
いわゆる戦国時代の始まりだ。
それは、本願寺教団にとっても、無関係ではいられなかった。
ある日、守護代名と争って負けた門徒の百姓たちが、蓮如上人の元にやって来た。
彼等は、お上人に「代名との仲直りを取り持って欲しい」と頼みに来たのだ。
この時、取り次ぎ役のオレは『本願寺の力を見せてやれ!』という気持ちで、つい嘘を言ってしまった。
「その大名を成敗せよ!」と蓮如様はおっしゃっておられるぞ!力を尽くせ」と。
門徒の百姓たちは、半信半疑ながら、しぶしぶ帰った行った。
が、この意向が、北陸一帯を瞬時に駆け抜けて大騒動になっていった。
「蓮如様が、守護代名を成敗せよ!とおっしゃっておられるぞー!
我らは仏が付いておられるぞー!皆の者、力を尽くて仏敵をやっつけろ!!」と、大百姓の一揆になったのだ。・・いや、これはもはや、一揆という次元ではなかったかもしれん。
そして、これはのちの話になるが、結果的にこの一揆は、大名を滅ぼして、加賀の国は百年に渡って『百姓の持ちたる国」といわれるようになった。
が、しかし、この事にビックリされたのは、蓮如上人だった。
つづく
紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その3)
そして、オレは蓮如上人の信頼を得た。
やがて、上人の懐刀とまで呼ばれるぐらいまで出世したのだ。
オレは嬉しかった。尊敬する蓮如さまの元で働けることが嬉しかったのだ。
その頃、上人は京の山法師たちからの迫害に合って、都からオレの故郷[越前の国]に避難されて来られたので、オレと上人の距離は益々近くなっていたのだ。
ところで、蓮如上人の分かり易いお手紙・伝道方法[ご文章(御文)]に、最初に目を付けたのはオレだ、オレだ、オレだ!
『この(みんなに向かっての)手紙という、新たな布教方法を使えば、お念仏のすばらしさに、たくさんの者はきっと目を開いて信仰心を持ってくれるはずだ!』と、オレは思った。
そして、蓮如さまに(お手紙=)『ご文章』の執筆をより多くお願いした。
これは当たった!
この結果、この方法で、全国各地に膨大な信者(門徒)の数が増えたのだ。オレの鼻は高々だった。
そしてオレは[本願寺大教団]の中で大出世した。
足利幕府や守護代名たちとの、難しい付き合いや舵取りも任されるようになったのだ。
オレは、この教団をもっと大きくしたい、蓮如さまをもっと有名にしたい、喜んでもらいたいと頑張った。
そんな頑張っている姿を見て、蓮如さまはオレを秘書にして外交すべてを任してくださった。
・・やがて、オレのもとに、金銀の財宝・米俵などがわんさか入るようになった。
それはいわば、オレの一言で、教団内の地位・あるいは行政が決まるものなのだから、門徒や各地のお寺の僧侶からの付け届けが、このオレ様のもとにたくさん入ってくるようになったのだ。
いつの間にやら、オレの直属の部下は数百人。
そして、財宝の蔵は十三棟にもなった。
オレは、得意の絶頂だった。 つづく
紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その2)
そもそも、オレが蓮如上人に出会ったのは、旅の途中、京の都に寄った時であった。
偶然、[大谷]という所にある寺で、オレは蓮如上人のお説教を聞いたのだ。
「念仏一つで、仏さまに救われるのです!」という、蓮如上人の言葉にオレは度肝を抜かれた。
そして、その場でオレは蓮如上人に弟子入りをお願いしたのだ。
お上人は喜んで快諾してくださった。
オレは、浄土真宗という教え、いや⁈
蓮如上人のお人柄に惚れたのだ。
オレは浄土真宗の僧侶になった。
が、元来、文字の読み書きが出来なかったオレだ。
一人前の坊主になるには、絶対、教養は必要だ。
そこで、オレはもう勉強を始めた。
四十の手習だ。
文字の習得は、イロハから始め漢字も覚えた。
そして、やがて開祖・親鸞聖人のお聖教を写せるようにまでなった。
そんな姿を見て、師匠の蓮如上人は本当に喜んでくださった。
つづく
紙芝居:『蓮崇(れんそう)と蓮如上人』(その1)
[はじめに]
蓮崇(れんそう)という名の悪僧がいる。
・・いや、悪僧とも一概には言えない。
精いっぱい自分の置かれた地位で、尊敬する人の為に、愛する教団の為だけに生き抜こうとしたことが、誤って悪僧と呼ばれた由縁かもしない。
いや、愛することがいつの間にか、ちょっとした錯覚でそれが野望へと変わり、いつの間にかとんでもない大事件を起こし、その名を歴史に『悪僧』という汚名を刻んだのかも・・。
それが浄土真宗の中興の祖[蓮如(れんにょ)上人]の右腕とまで云われた『下間蓮崇(しもつま・れんそう)』である。
それでは、今からその[蓮崇]の波乱万丈の生涯を紙芝居で見て頂きます。はじまり、はじまりー。
[蓮崇]「オレの名は下間蓮崇(しもつま・れんそう)。
本願寺の中興の祖、蓮如上人の名参謀と呼ばれた男だ。
そもそも、オレは[蓮崇]と言う名ではなかった。
越前の国(今の福井県)出身の無名のオレが、わが恩師・蓮如上人から篤い信頼を得て、[下間蓮崇]という大そうな名を頂いたのだ。
それでは今から、オレの栄光と挫折の話を聞いて頂こう。」つづく
紙芝居:『1665年ロンドン伝染病の記録』(その9・最終回)
ペスト禍の翌年1666年、ロンドンは大火事に見舞われた。
この火事によって、ロンドン市内の住宅の85%(13200戸)は、焼失した。
が、幸いな事に、(これだけの大火事の割には)死者は少人数であった。
のち、ペストの原因とも言われたネズミも、この大火災で死に絶えこの伝染病が収束したと言われている。
そして、このペスト伝染病の恐怖は終わり、平穏な暮らしにどうにか戻った。
が、私はこの伝染病というものは、滅びたのではないと思っている。
ただ眠ってくれているだけだ・・と思う。
おそらく、いつか又形を変えて、人間世界で目を覚ますに違いない。
その時の為に、私はこのイギリスロンドンで起こった事を、後世の人々に(我々がこの伝染病に対して行った精一杯の(愚策ともいえるかもしれないが)対策や事件などを)記録した。
後世の人々よ、どうかその時が来たなら、その時代の智恵を出し合って、試練をどうにか乗り越えて欲しい!
おしまい
終わりに
イギリスにも行った事が無い人間が、この国難とも言えるコロナ禍に、何か、紙芝居でお役に立てないだろうか?と大急ぎで資料を集めてこの紙芝居を作りました。原作は『ペスト』という長編です。この機会に一度読んで見て下さい。
それと、うがい、手洗い、マスクを忘れずに・・。