住職のつぼやき[管理用]

記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

紙芝居:『悲劇のゼンメルワイス医師「それでも手を洗え!」』(その2)

ファイル 2132-1.jpg
ゼンメルワイスは、赤ん坊を産んで亡くなってゆく母親達を見て、何とかこの『産褥熱』の原因を突き止めようと研究しました。
 しかし、なかなか原因は分かりません。
 他の医師達は「これは[瘴気]という空中に漂う悪い空気が原因ではないだろうか?」というのですが、ゼンメルワイスは納得がいきません。
ファイル 2132-2.jpg
ある日ゼンメルワイスは、近代医学をマスターした医師達がお産の手伝いをする「第一産科」が、
助産婦達だけでお産の手伝いをする「第二産科」よりも、死亡率が高い事を発見します。
 彼は「なぜ、医学知識を豊富に持った医師達の「産科」の方が、お産後、母親達が大勢亡くなってしまうのか?」と、考え続けました。
そして、ある結論に達したのでした。
つづく

紙芝居:『悲劇のゼンメルワイス医師「それでも手を洗え!」』(その1)

新型コロナウイルス感染症を防ぐ為に大切な事。
マスクの着用、ソーシャルディスタンスの確保、そして、手指の消毒。・・そう、手洗い。
 これは、その手洗いの重要性を世界で初めて説いた医師の物語です。
はじまり、はじまり〜
ファイル 2131-1.jpg
19世紀、ここはオーストリア・ウイーン総合病院。
「そうだ!手洗い、手洗いだ。感染症対策には『手を洗い消毒する事』が大事なのだ!」と一人の医師が叫んだ。
 彼の名は(瀬戸わんや)ではなくて、[ゼンメルワイス]!。
 まだ当時、手洗い『消毒法』というものが発見されていませんでした。これは一人の産科医師の悲劇的な一大発見のお話です。

(不謹慎な余談) ・・ピッピ、ピヨコちゃんじゃ、アヒルじゃガーガー・・。昔このギャグで一世風靡した「てんやわんや」の漫才が僕は大好きでした。この紙芝居の主人公と、故[わんや]師匠のあまりにもお顔が似ていたので、(そして、すぐ向きになる真っ直ぐな性格も似てましたので・・)ずっとピッピピヨコちゃんと呟きながら、この紙芝居を描きました。全く不謹慎です。すみません。反省
ファイル 2131-2.jpg
1846年、ここはウイーン大学総合病院。
ハンガリー人、イグナーツ・ゼンメルワイスは一人前の(漫才師、いや間違えた)、医者になるべく、医学部に入学し、懸命に学問に励んでいました。  
 そして、やがて彼はこの大学病院の産婦人科の助手になり、勤務を始めたのでした。
 その頃、産科病棟では、『産褥熱(さんじょくねつ)』という、お産の際に[細菌]が入り込み、発熱を起こして死に至る病気が流行っていました。
つづく

紙芝居:「ハスラー博士の叫び『マスクを付けて命を守れ!』(その4 最終回)

ファイル 2128-1.jpg
・・次の年、1919年の1月。
 サンフランシスコでは、新たに3000人の感染者、195人の死者が出ました。
 これに驚いた市議会は、今度は強行採決して『マスク着用条例』を再び出します。 
 ・・がしかし、この二回目の条例では、市民の9割がこれを無視。
 警察官も平気で違反したそうです。
 が、やがて、このスペイン風邪パンデミックは、生き残った者達が[抗体]を得て、集団免疫を作り自然と減少してゆきます。
 そして終息・・、この「マスク騒動」も収まりました。
ファイル 2128-2.jpg
 100年前、ハスラー博士が命を狙われながらも、健康の大切さを考え、着用を訴え続けたこの[マスク]。
 我々は、今一度、感染者を半減させ、多くの命を守ったこのマスクの重要性を考えねばなりませんね。 おしまい 

(後書き)
さて、その後、ハスラー博士はどうなったのか?・・結論からいいますと、このスペイン風邪騒動が終った後も、博士はアメリカ公衆衛生協会会長を務め、62歳で、心臓病で亡くなっています。つまり、最後までご自分のお仕事を全うされているのです。・・今の時代から考えればお若い天寿ではありますが、それは幸せなご一生であったかもしません。テロに巻き込まれず、時限爆弾で亡くなられず本当に良かった。

紙芝居:『ハスラー博士の叫び「マスクを付けて命を守れ!」』(その3)

ファイル 2127-1.jpg
 スペイン風邪第二波の報告を受け、ハスラー博士は再び、
「もう一度、市民にマスクを義務付けましょう!感染拡大を防ぐ切り札は、やはりマスクなのです!」と強く提案しました。
 ・・がしかし、市議会は否決しました。
 その訳は・・、
ファイル 2127-2.jpg
 市民の声でした。
 ただでさえ、不便で不快なマスク着用を、又強制される事を嫌った市民たちが強く反対したのです。
 「マスクがあるからタバコが吸い辛い。」とのお客の声や、店主の「タバコが売れない!」との声。そして、「マスクをした物品販売店主から買う気がしない」などの声が上がり、しまいには、
反マスク狂信者が『反マスク同盟』を結成したりしました。
 又、教育委員会に対して、マスク反対の親が子供達を学校に行かせなかったりする運動を起こしたりしました。
 そして、最後には、ハスラー博士の元に時限爆弾を送り付ける事件も起きたのです。
 これらの事によって、『マスク着用条例』は白紙になったのです。
ファイル 2127-3.jpg
 その時、ハスラー博士はこう呟いたそうです。
「お金の問題が、健康の問題よりも優先されてしまった・・」と。
つづく

紙芝居:『ハスラー博士の叫び「マスクを付けて命を守れ!」』(その2)

ファイル 2126-1.jpg
 ハスラー博士は、新聞広告を使って市民に訴えかけました。
『マスクを付けて、自分の命を守りましょう!
ガーゼマスクは、インフルエンザの予防に99%有効です。
マスクはあなただけでなく、隣人やあなたの子供も守ります。』
と、『マスク着用条例』制定後に広告を出しました。
 この広告の宣伝効果もあって、マスクはサンフランシスコの街中であっという間に広がりました。
・・この時、サンフランシスコで新たな患者は、9000人。死者は、734人になっていたのです。
ファイル 2126-2.jpg
 がしかし、当然、違反者もおりました。
 この違反者達はマスクを付けずに外出し、警官に見つかれば、最初は罰金で済みましたが、それでも従わなければ、刑務所に入れられました。
ファイル 2126-3.jpg
1918年11月・・。
 第一次大戦も終わり、インフルエンザの流行もほとんど収束。
 サンフランシスコ市は、11月の終わりに『マスク着用条例』を解除します。
・・が、戦争が終わった安堵とクリスマスが近づいた喜びに浮かれた市民は、又、街中に繰り出して・・、スペイン風邪、第二波の流行が起こり出してしまいました。(いつの世も同じ・・) つづく

紙芝居:『ハスラー博士の叫び「マスクを付けて命を守れ!」』(その1)

 世の中、マスク、マスク、マスク。ああっ、めんどくさい!・・でも、マスクは命を守る大切なアイテム。
 これは、マスクと一人の博士の成功と挫折のお話です。
 はじまり、はじまりー。
ファイル 2125-1.jpg
 今から100年程前のお話。
 アメリカ人、ウイリアム・C・ハスラー博士は、医学者であり、サンフランシスコ市保健委員会委員長でした。
 彼は史上最悪のインフルエンザと呼ばれた[スペイン風邪]に対して、史上初となる『市民マスク着用条例』を発令。
 そして、違反する者は「逮捕します」と発表しました。
 そして、その患者数を半減させる事に成功しました。
 これは、スペイン風邪という感染病と戦った、ハスラー博士とマスクのお話しです。
ファイル 2125-2.jpg
 1918年、春。第一次世界大戦の最中。
 ヨーロッパ戦線で、人類の新たな脅威、『スペイン風邪』という感染病が、蔓延しようとしていました。
 戦場では狭い塹壕の中、多くの兵士がひしめき合い、インフルエンザは一気に広がったのでした。
 さらに兵士の移動により、わずか四か月で世界中に拡散されていったのです。
ファイル 2125-3.jpg
 ここ、アメリカのサンフランシスコでも、1918年の9月、最初のインフルエンザ患者が発生するや、感染拡大の兆しを見せていました。
 このサンフランシスコの危機に立ち向かったのが、予防医学と衛生学の専門家で、市の保健委員会会長を務めるウイリアム・C・ハスラー博士でした。
ハスラー博士は、ワクチン接種を進める一方、他にも対策として、娯楽施設の閉鎖など行いました。
 そして第三の策として、当時、一般市民に馴染みの無かった[マスク]の着用を訴えたのでした。 つづく

紙芝居:『無症状感染者 チフスのメアリー』(その6 最終回)

ファイル 2117-1.jpg
 メアリー・マローンは、再び隔離島[ノース・ブラザー島]に、拘束されることになった。
 この島でその後、彼女は亡くなるまでの23年間を過ごすことになる。
(※余談ながら、この島は東京ドームの約1.3倍の小さい小島でで現在は無人島になっている。この島からニューヨークの街並みがはっきり見える。‥メアリーは何を思いこの街を眺めたであろう⁉)
 最後の救いは、本来勤勉でまじめな彼女が、島の病院内で医療関係者から信頼を得て、給料をもらいながら生きがいを得て院内で働き過ごせることになったという事であろう。
 その後、メアリーは62歳で脳卒中を発症し倒れ、69歳でこの島の病院で肺炎の為に亡くなったそうである。
ファイル 2117-2.jpg
『チフスのメアリー』という名は、その死後も「純粋な悪の化身」、又は「無垢の殺人者」と言う意味の言葉になって、今も独り歩きしている。
・・・これは100年前のお話。
 が、『チフスのメアリー』のような、無症状感染者になる可能性は誰にでもある。
‥メアリーは好んで病気になった訳ではない。
 がしかし、彼女は自分がチフス菌を持っていると分かった後も働き続け、多くの人を感染させて、結果的に苦しみをもたらせた。
 その行動は安易で、今日でも批判されている。
(きつい言い方になるが)自分の欲を優先し、周りの迷惑を省みなかった彼女の弱さは、今日の私たちも気を付けねばならないだろう‥。 おしまい

(あとがきにかえて)
 先日とある新聞で、メアリー・マローンは『毒婦』や『悪女』と今でも呼ばれているらしい‥と書かれていた。
 が、果たして、彼女は本当に悪女だったのだろうか⁈
 この紙芝居を描きながら、ずっとメアリーの気持ちを考えてきた。
 僕は『悪女』ではなく、一人の『弱女』のような気がしてならない。
 ‥確かに、フォークを持って衛生士や警官相手に立ち回りもする気の強さはあったであろう。
 しかし、追い込まれれば誰でも抵抗はするだろう。
 又、(うすうす自分では感づいたと思われるが)、チフスと自分とが何らか関係し、その発生場所からそっと姿を消し続けるという行動はまさに心の弱さを感じてしまう。

 そして、その彼女の弱さ、悲劇を助ける、つまりメアリーには夫(又は恋人)や仲間が居なかったのだろうか⁈ 又、裁判の時の弁護士はどうなったのか?と思って調べてみた。
 これは、どちらも居たらしい。が、それは夫ではなく恋人であったらしいが、どちらも(恋人も弁護士も)早死にしてしまったのだそうだ。何という悲劇!
 メアリーが再び、又[調理の仕事]に戻ったのは、その仲間の死の寂しさが原因ではなかったのだろうか?
 ・・答えは見つからないが、彼女が(料理のたぐいまれな才能を持ちながら)辛い人生を送らざるを得なかったことを考えると、悪女にはとても思えず、どこにでもいる一人の女性の悲劇と思うのだ。

紙芝居:『無症状感染者 チフスのメアリー』(その5)

ファイル 2116-1.jpg
隔離されて三年近く過ぎた。
 裁判にも負けたメアリーだったが、[衛生局]の中にも彼女に同情する声があり、
『今後、一切[料理]の仕事をしない。そして居住地をいつも明らかにしておく。』という、二つを守れば解放しても良い、という[誓約書]が出された。
 メアリーは、その誓約書にサインをした。
 そして彼女は、三年ぶりにニューヨークの街に帰ることが出来たのだった。
 ・・それから、五年が経った。
ファイル 2116-2.jpg
 ある日、ニューヨークのとある産婦人科病院で、腸チフスの集団発生が起きた。
 医師・看護師など、医療スタッフ25名が感染し、内2名が亡くなった。
 事態を重く見た[衛生局]は、調査に乗り出した。
 「チフスは出来るだけ早く、感染源を突き止める事が大切です。‥新しく入ったという料理人はいませんか⁈」と、以前、メアリーを捕えた女性の衛生士が、病院の調理室に入ってみると・・・、
ファイル 2116-3.jpg
 なんとそこには、名前を変えて、調理しているメアリーがいたのだった。 
 「メアリー!あなただったの⁉でもなぜ、誓約書までサインしたのに‥⁉」
 「あー、見つかってしまった。
 ・・私も最初は、洗濯ばかりの仕事をしたの。でも、生活が苦しくて、苦しくて・・。私には料理しかなかったのよ・・。」
 そして、その場で彼女は拘束され、再び、隔離病棟の島に送られることになったのである。つづく
 
 

紙芝居:『無症状感染者 チフスのメアリー』(その4)

ファイル 2115-1.jpg
そして[衛生局]は、強制的にメアリーの排出物を検査した。
 すると、便からかなり濃度の高い『チフス菌』が検出されたのだった。
 そこでメアリーは、ニューヨークに近い川の中ほどにある小さな無人島(ノース・ブラザー島)に作られた[リバーサイド病院]に隔離された。
 そこで彼女は、不本意ながら3年近く、隔離生活をして過ごすことなるのだった。
ファイル 2115-2.jpg
 その隔離生活の中、彼女は[衛生局]を相手に「不当な扱いを受けている!」と、起訴裁判を起こした。
 ・・が、結果的にこの裁判には負けてしまう。
 さらに、新聞記者などのインタビューにも応えたりする。
 がしかし、1909年、『ニューヨーク・アメリカン』紙は、このメアリー事件をセンセーショナルに報道する。
 そこには、「アメリカで最も罪が無いとはいえ、最も危険な女」と書かれ、料理に骸骨を入れて平然と料理をしているメアリーの姿が描かれていたのだった。
 『チフスのメアリー』はアメリカ大衆に、この記事によって強烈なイメージを与えたのである。 つづく
 

紙芝居:『無症状感染者 チフスのメアリー』(その3)

ファイル 2114-1.jpg
そこに気がついた一人の衛生士がいた。
 名前を[ソーパー]といった。
 ソーパー衛生士は、「・・勤め先の家族全員がチフスにかかっているのに、なぜ?いつも彼女だけが感染しないんだ?・・ひょっとすると、彼女はチフス菌の保菌者で、料理によって皆を感染させていたのかもしれん・・。メアリー・マローン。一度、調査してみるか?!」と思った。
 そして、彼女の職場を訪ねた。
ファイル 2114-2.jpg
「ごめん下さい。私は衛生局から来た『ソーパー』というものです。
 ひょっとすると、あなたはチフス菌の健康保菌者かもしれません。
 調査の為に、あなたの尿と便を頂きたい。」と、突然やって来て尋ねたものだから、メアリーはパニックになった。(・・余談ながら、まだ検便・検尿など無い時代です。)
「なんですって!?私の尿や便が欲しい!この変態オヤジ!帰れ!」と、怒り狂い[肉刺しフォーク]を振り回して、追い返した。
ファイル 2114-3.jpg
そこでソーパー衛生士は、次に女性の衛生士を派遣することにした。
 しかも、前回のことがあったので、警官を数名ボディガードにつけての派遣であった。
 案の定、メアリーは暴れて抵抗した。
 が、最後は警官に押さえつけられ、救急車で病院まで連れて行かれた。
 この時、メアリーは37歳。
 1907年の事であった。 つづく

上に戻る