住職のつぼやき[管理用]

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もう少し、『血染めのお聖教』の話を・・・〔雑話〕

 昨日は『血染めのお聖教』の紙芝居を紹介させてもらったが、・・もう少し、このお話の雑話を書かせてもらいたい。
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 上の写真は、浄土真宗(本願寺派)の現在の『聖典』である。
 見ての通り《赤い》。
 これは『血染めのお聖教』の話から、聖典の色を《赤》くしたという説がある。(余談の余談だが、もちろん違う色の聖典もある!)
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 この《血染めの赤色・聖典》説を確かめたいと思って、以前、西本願寺に問い合わせてみたことがある。答えは『はっきりとは、わからない』との事だった。(・・ついでに、これは宝物なので見せられないとも言われた・・)
 そこで、そういう事に詳しい布教使の先生、何人かに聞いてみた。答えは『その言い伝えは聞いているが、はっきりとはわからない』と、皆から言われた。
 そこで、今度は《有名仏壇店》に、問い合わせたら、《仏壇店》の若社長も、「なぜ、浄土真宗さんの聖典は《赤色》が多いのか、私も以前から疑問だったんです」と言われ、それで、何社かの《聖典出版社》に連絡をして聞いて下さった。・・が、やはり答えは『その話は聞いてはいるが、よくわからない』とのことだった。
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この話の舞台、福井県の『吉崎御坊』跡にも行ってみて、資料館の方にも聞いたが、「『聖典』の色の事まではわからない」との事だった。
 (残るは『探偵!ナイトスクープ』に依頼するしかないか!?〔笑〕)

 ・・考えてみたら、『聖典』の色など、どうでも良いのかもしれない。
 しかし、この『命を懸けて護った血染めの聖典』の〔色〕の話は、『もったいない』を忘れ、〔粗末〕にモノを扱う現代人には、とても良い話だと思うのだがなぁ・・。
 
 ・・もうひとつ最後に余談。この紙芝居をうちの檀家さんに見てもらったら、賛否両論分かれた。
 賛成派「命をかけて、継承されてきた大切な教えのある事に感動した!」
 反対派「理解できない。一つしかない大事な命まで捨てて、一冊の本を護るなんてナンセンスだ」・・・。
 あなたは、どっち??・・

 

「どうして、お迎えが来ないのでしょうか?・・・」

 毎月、お寺の出前で行かせてもらっている《特養老人ホーム》で、毎回、玄関でお会いする(軽度?の認知症)の〔おばあちゃん〕がいる。
 この方〔仮にAさん〕は、いつも自分のいる○階から、車椅子で移動してエレベーターを使い、玄関前の職員室に来られているのだ。(一人でいるのが寂しいのだろう・・と思う)
 僕が僧侶の服装で、玄関から入って来るのを見つけられると必ず、こう言われる。
「まぁ、お久しぶりです。ごっ住~職さん。私、まだこのように生きております。・・どうして、早く(あの世から)お迎えが来ないのでしょうか?・・私は《業》が深いのでしょうか?・・早くお迎えが来る方法をどうか教えてください」と。
 毎回、毎回、毎回、毎回、僕はこの言葉を聞いているので、おそらく、職員さんは、その何十倍も聞いておられるのだろうと思う。
 ・・施設長さんは慣れておられ、この前もAさんが、このセリフを言われた時、「まぁAさん、その話、いっぺん一緒にお風呂でも入りながら、ゆっくり聞かせてもらえませんか?」と言われた。(この施設は屋上に露天風呂があるのだ)
 すると、Aさんは「まぁ、なんてはしたない!もう結構です」と言われ、去って行き、十分後には又同じセリフを抱えて帰って来られた。
 このAさんは、旦那さんを亡くし子供さんもおられない。
 ・・先月のこと、僕はこのAさんの話にちょっと食い下がってみた。
 「いつも言われる『《業》が深い』ってどういう意味なのですか?」と聞いてみたのだ。
 すると、「ごっ住~職さん、《業》というのは、自分のやってきた行いの事です。善い事をすれば善い結果が出る。悪い事をすれば悪い結果が出る。そういう事の表われをいうのです」とロボットみたいに淡々と言われ、その的確な答えに『まいった』と思った。・・しかし、自分のやってきた《業》の具体的内容まではまだ言われていない。
 そして、「私の《業》が深いのか、まだお迎えが来ないので、いっその事、自分の部屋から飛び降りて死のうと思ってるんです」と言われた。
 それで、「○階の自分の部屋から落ちて死ぬのは不可能やと思いますよ。下は芝生やし。痛い思いするだけ損やと思いますけど・・」と言うと、Aさんはしばらく考えられ、「やっぱり止めときます。今のは、年寄りの愚痴なのです」と言われた。
 「この人、どこまでわかって、モノを言ってるのか?」と不思議な感じがした・・。
 おそらく今月も又、顔を合わせたら『ごっ住~職さん!どうして・・・』の言葉が待っているのだろうなぁ・・。

『怨みを捨てて・・・』後日談

 昨日は、『怨みを捨てて・・・』という紙芝居をダイジェストで、紹介させてもらった。
 実は、この紙芝居について、もう少し述べたいところが(三つほど)ある。
 まず最初、経典では〔チョウジュ王子〕は〔長寿王子〕、〔チョウサイ王〕は〔長災王〕と漢字で書かれてあるのだが、設定がインドなのに中国人のような名なので、わざとカタカナの名前にした。
 ちなみに〔チョウジュ〕と書きながら、〔チェ・ジュウ〕ばっかり、思い出してしまった僕は、〔煩悩王〕だ・・。

 二つ目。このお話(経典)には、実はまだ続きがある。
 紙芝居の終わりでは、主人公の〔チョウジュ王子〕は、父の仇であった〔ブラフマダッタ王〕と和解し、自分の国を返してもらい、それから共に親睦を深めた・・という所で終わったのだが、実は〔ブラフマダッタ王〕はお詫びの証として、自分の娘を〔チョウジュ王子〕に妃にと嫁がせるのである。そして、やがて二つの国は大いに繁栄するという所で本当に終わる。
 これはこれで良いのだろうが、僕の心はひっかかる。
 和解までは良いとしても、お詫びの証として娘を差し出したというのは、いかがなものか?
 又それを〔チョウジュ王子〕は、どう思ったのだろうか?仇を許したとしても、その娘を妻とし、王子はどのような気持ちで妻を愛したのだろうか?
 僕なら心中穏やかではない。・・そんなことを描いた後に思った。

 三つ目。なぜ、仇が討てる瞬間に、父の言葉を思い出してしまったのだろうか?
 「それで良かったのか!〔チョウジュ王子〕!」と今でも《忠臣蔵》大好き人間の僕は思ってしまう。
 これについて、以前この紙芝居をした後、お客さんとディスカッションしたことがある。
 その方は言われた。「王子は無意識ではあるが、ずっと自分の心に、父の遺言が根を張り、《怨みに対して、怨みで返したとしても誰も幸せにはなれない。父も決してそれを望んでいない》と思っていたのではないだろうか?だから決行できなかったのではないか?」と・・・。今もこの言葉が僕の心に残っていて、僕を揺さぶる。
 無駄になるかもしれないが、大事なことはやはり言っておくこと・・それが大切な事なのかもしれない。

 ・・怨みの連鎖、それを止めるのは、やはり《怨みを捨てる》という方法しか、ないのだろうか?
・・そうなのですか?おシャカ様! どうか教えてください! オウ、マイ、ブッダ!!
 

《白寿苑》法話会、13年目突入!

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 平成8年から始めた、特養老人ホーム『白寿苑』での〔紙芝居〕法話ボランティア活動が、昨日でめでたく(自分で勝手に言ってますが・・、)13年目に突入しました!
 ここまで毎月一回休むことなく、やってこれたのは施設側の協力と、マンネリで進歩のない拙い私の話を、我慢強く聴いて下さっている〔入居者〕の皆さんのお蔭であるとしみじみ思っております。本当に未熟な私を育てて頂き、感謝、感謝です。
・・・そこで今日は、この12年間を改めて振り返ってみたいと思います。
 題して『忘れられない思い出ベスト5!』はじまり、はじまり~。
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○第5位、『緊張の中での第1回、食堂での法話会』(平成8年6月)。・・・今は多目的ホールでやらせてもらっていますが、第1回は〔食堂〕でやったんです!
○第4位、『テレビ局が来た!』(平成13年1月)。・・・NTV『宗教の時間』が取材に来ました。もうガチガチでした。
○第3位、『来苑途中でのパンク騒動』(平成14年9月)。・・・白寿苑に行く途中、車のタイヤがパンク!あせったが間に合いました。
○第2位、『台風の中での法話会』(平成10年10月)。・・・暴風雨の中、無謀にも頑張って行きました。着いた時、皆から拍手されました。
○第1位、『左肩骨折での法話会』(平成9年7月)。・・・昼間に自転車で転倒、骨折。しかし夜の法話会には、車の片手運転で行き、片手紙芝居という、これも無謀な曲芸師みたいな事をやってしまいました。(今考えたら、ここまでしなくても良かったのに・・と思います。あほみたい・・)  ・・・以上。
 振り返れば、ハプニングの時ばかり覚えているものですね。
 毎月一回の『紙芝居法話会』。これからも頑張ります!!

 

ポッキリ、コッキリ、ハッキリと・・・

 先日、近くに引っ越して来られた方から、《年忌法要》の依頼の電話があった。
 日時を決めて、それから『お布施』の話になった。
 そこで「お布施の値段をハッキリ言って頂けませんでしょうか?」と問われたので、僕は「皆さん、○○円ぐらいですかねぇ・・・」と答えた。
 すると、「えっ、そんな○○円ポッキリでいいんですか!」と言われた。
 その『ポッキリ』という言い方が面白かったので、僕は「はい、○○円コッキリです」と答えた。
 ・・すると「はっきり言って頂いて有難うございます」と言われ電話は終わった。
 お布施の値段を聞かれると、たいていの場合「お心持ちで結構です」と言ってしまうが、この言い方はひょっとすると不親切な言い方なのかもしれない・・・。
 これからは、「年忌法要は○○円ポッキリ、コッキリです。」と言う事にしようかなぁ・・・。
 言えるわけないかぁ・・・。
 

《父の死》を思い出して・・・

 僕の父は、おととしの夏に75歳で亡くなった。
 死因は肝臓ガンであった。
 父の病名を知らされてから、亡くなるまでわずか二週間たらずで、今思い出しても( 余り思い出したくないが・・)、あっという間の出来事だった。
 先日、本棚を整理していたら、告知を受けてから亡くなるまでの簡単なメモが出てきた・・。
 いつかは整理せねばと思いながら、ほったらかしてあった〔メモ用紙〕・・。良い機会なので、勇気を出してまとめてみたい。
 ○8月3日 足のむくみと腰の痛みが取れないとの事で、父の入院を家族で話し合い、今日、O病院に〔検査入院〕をする。
 ○8月4日 お見舞い。(元気そうな父の顔。退屈なので本を買ってきてくれとの希望。好物の柿の葉ずしをペロリと食べる。)
 夕方、病院からお寺への帰宅途中、母から携帯電話に緊急連絡が入る。〔肝臓ガンとの事。ガンはすでに心臓と肺の手前まで侵蝕していて、直る見込みはないとの事。〕 急遽、車をユーターンさせて病院へ返る。 
 午後8時、主治医の先生が待っておられ、母と娘と共に説明を聞く。レントゲンを見ながら、もう手術は不可能との事。来年まではとてももたないとの話を聞く。病院では処置できないので、自宅につれて帰っても良いとの話。又、最後は吐血し、器官がつまり窒息死をする可能性もあるとの事で、母は動揺。「このまま入院させて欲しい。又、余命も病名も告知しないで欲しい」と母は希望を述べ、今日は帰宅。 
 三重県の弟に電話で報告、途中涙が止まらない。
 ○8月5日 家族会議。僕は父の〔在宅死〕を希望。母も弟も最後は賛成する。ガン告知は父にはしない事に決定。
 ○8月6日 この日から弟は〔奇跡〕を信じ、あらゆる治療薬を買い始める。僕は、いかに人間らしく最後を迎える事が出来るかを、知り合いのホスピス医に相談しまくる。
 ○8月7日 僕たち兄弟夫婦で、〔在宅看護〕の為の日程の打ち合わせをする。又この日から、交代で病院に付き添う。
 ○8月8日 病院側の配慮で、父と二人でお風呂に入れた。頭を洗ってあげたら「極楽や~」と言ってくれた。
 ○8月11日 吐血の恐れがある為、胃を検査し入院が長引いたが本日、父退院。(・・ガンの進行は思ったより早く9月まで命が持つかと先生に云われる)
 ○8月12日 僕は〔お盆参り〕の仕事がある為休めない。14日まで、弟に付き添ってもらう事にする。
 ○8月14日 弟と交代。兄弟ふたりで父をお風呂に入れる。最後の親孝行か?
 ○8月16日 父の眼孔、閉じず。もう会話もできない。 
 ○8月17日 知り合いのホスピス医、南先生がスイカを持ってお見舞いに来てくださる。近所の主治医にもアドバイスをして下さった。本当にありがたい。明日がヤマとの事。 
 帰り際、「吐血の恐れはもうないだろう。眠るように亡くなるよ」と言ってくださった。
 ○8月18日 午前8時33分、往生。眠るように静かに亡くなった。

飛び出す観念寺!

昔、僕が子供だったの頃、《(ばんそう)の飛び出す絵本》という〔しかけ絵本〕があった。
 それは、本を開けば、パッと《絵》が飛び出すしかけになっていて、僕はそれが大好きでハマッていた。
 でもその絵本はけっこう高価なもので、なかなか買ってもらえず、本屋や図書館でいつもその〔しかけ〕を触っては覚え、家に帰ってそのコピーを作って遊んでいた。
 僕は『紙工作』が大好きだったのである。
 しかし、大人になっても、まさかまだ作り続けるだろうとは思ってなかったが・・。(幸か不幸か・・〔笑い〕)
 ・・で、本題に入る。
 『お寺の出前』に行くと、必ず最初は自己紹介をするのだが、「こんな○○風な感じのお寺から来ました」と言うのではインパクトがなく、分かりにくい。
 そこで僕は、「今日は僕のお寺を持って来ました。ご覧下さい!」と言って、(写真の)『飛び出す観念寺』の絵本をパッと開くことにしている。〔エエ年してこんなん作りましてん!〕
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 ・・するとたいていの人が「おー!」とか言って、拍手とか歓声が起こり、下を向いていた人も、こっちを向いて〔ニヤッ〕と笑ってくれる。
 そう、これは僕の話を聞いてもらう為のセコイ〔つかみ〕の小道具なのである。
 良かったら、どうぞ皆さんも一度自分の家を〔飛び出す絵本〕風に作ってみてはいかがでしょうか?
 きっと、どこかで(?)役に立つと思います!・・・・か?(〔か?〕と違うやろ、〔思います〕やろ!《吉本新喜劇風にここは読むとこです》)。
 ちなみに、姉妹品の『飛び出す仏壇』もあります〔笑い〕
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『看病用心鈔』 第六条 「死を覚悟するということ」

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 ミャンマーの水害、そして中国での大地震・・。
 ここ最近、次から次へと《大天災》が起こっている。
 そして、たくさんの犠牲者の方のニュースが報じられ、連日涙がこぼれる・・(僕は泣き虫なのだ)。思いも寄らぬ突然の天災による《死》。お亡くなりになられた方々は、まだまだこの世でやりたい事がいっぱいあったであろうにと思うと、つらく悲しい。
 ・・話は変わる。・・先日、このブログに書いた『看病用心鈔』の(第六条)にも「突然やってる《死》についての覚悟」について書かれてある章があり、今日はそれを抜粋して書いてみたい・・と思う。

 『どのような病気や事故で、どのように《命》が終わってしまうかなどわかりません。
 あまり私達の知る余地のない《死に様》についてあれこれ悩なまい様にしたいものです。なぜなら、思い通りの《死》は決して訪れないからです。戦争・火事・水害などにみまわれ命を失ったり、突然死などがありえるからです。
・・私達は日頃から持つべき信仰を持ち、生きる目的をしっかり持って、これを備えとしたいものです。そしてその上で、心安らかに自らがあこがれ願う次の世界へ旅立ちたいものです。(以下略す)』
 ・・良忠上人はこのように述べられている。きっと鎌倉時代も、目も当てられない様な〔天災〕や〔戦争〕があり、上人は心を痛め、この《章》を書かれたのだろうと思う。
 今、平成の時代に生きる私たちにも、突然の思いがけない《死》はいつやって来るかわからない・・。
 それに備えることができるような、しっかりとした《信心》を常に固めておきたい・・と僕は思った。
 
 
 

《看護の日》にあたり・・ 『平成版 私訳 看病用心鈔』

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 昨日は《看護の日》・・、ナイチンゲールの誕生日だった。
『お寺の出前の会』をやっていた頃、この『〔ナイチンゲール〕に負けてたまるか!・・かつてこの日本でも《看護》の本は有ってんぞー、胸を張れニッポン!』と日本人に《エール》を送りたくて、(先日、このブログでも紹介した)『看病用心鈔』の小冊子を作り《頒価 八百円》で出版した事がある。
 実はこの冊子、今でも時々地方から〔電話注文〕があってお頒けしている。(今でも在庫がたんまり有るが、別に儲けたいが為に作ったのではないので、売れなくてもかまわない。・・本当は三百円ぐらいにしたかったのだが、『紙芝居』を挿絵としてカラーで載せたのでこの値段になってしまった)
 実は、どうしても僕はこの『看病用心鈔』という〔仏教看護〕の本を、読み安くして世に出したかった。絶対にこの書物は《医療と福祉と宗教》の架け橋になるであろうと思ったからである。(一部の大学の研究書としてしまって置くのはもったいないと思ったのが本音だ)
 この書と出会って一番驚いたのが、実は僕で、「日本にここまでターミナル・ケアを事細かく解説する書物があったのか」とマジでびっくりした。その気持ちが日に日に大きくなって、出版となったわけだ。
 小さな冊子ではあるが、ご縁があって有難い事にあの『聖路加病院』の理事長である《日野原重明》先生に推薦文も書いて頂くことができ、『医療』の世界に少しだけ、知れる事ができた。・・もうこれで十分だと思っていたら、まだ今もあちこちの病院やお寺から、この『紙芝居』を《医療者》や《ヘルパー》そして《僧侶》の前でやってくれとの連絡があるので、本当に出して良かったなと思っている。
 ・・そんでもって、後はこの書物の内容を少しでも実践してくれるような、そんな《医療・福祉従事者》や《僧侶》の出現を待つだけでなのである。(たのんまっせ!・・誰に言うてんねん??)

人が亡くなるということ・・

 今年は《お葬式》が多い・・。
 人が亡くなると、なるべく早めにその方の枕元で《読経》せねばならない為(・・これを一般に〔枕経(マクラキョウ)〕という)、常に僕のいる場所や、携帯電話の番号などは〔門徒さん〕や〔葬儀屋さん〕にお伝えしてある。
 人が亡くなるのは昼夜を問わない。・・だから深夜でもその電話がかかってくることがある。
 深夜に電話が鳴ると「ああ、どなたか亡くなられたな・・」といつも覚悟する。そして時間を聞いて《読経》に伺う。
 その〔枕経〕の現場は、いつも独特の空気が流れている。
 泣いておられる方や看護疲れの為か憔悴しきっておられる方、テンションが上がりすぎて〔葬儀〕の打ち合わせの声がでかくなっておられる方、などエトセトラ・・である。
 それで、・・僕はいつも思うのだが、〔人がおひとり亡くなる〕というのは、大変な事だと感じている。
 この世からその方が完全に姿を消すのだから、それは仕方がない事だと思うのだが、家族・親戚は悲嘆に暮れる時間がなく〔お葬式〕の準備の為、その瞬間・瞬間に即決していかねばならない事がなんと多いことか!〔たとえば、葬儀の場所の設定・時間・連絡する知人・親戚の宿泊場所・細かい所では焼香の順番などもある〕。
 それは御家族にとって慣れてない事だと思うので、神経を使い、凄いエネルギーがいるに違いない。
 だから、僕はなるべく〔葬儀〕に関しては細かい事は言わないようにしている。・・たとえば「うちの宗派は、こんな事は絶対しませんよ!」などとは、まず言わないようにしている。おかしな事があれば、そっと葬儀屋さんに言ったり、自分で直せる所は直してしまう。
 それぐらいしか僕には協力出来ないからだ。聞かれたら答えるが、なるべくこちらからは言わない。
 時々、なんで《お葬式》って、こんなしんどい事を一遍にしなければならないのだろうかと思うが、すでに或るものは仕方がないので、僕はなるべく遺族さんの精神的負担が(宗教的な面では)最小限になるように心がけて行ってるつもりだ。
 そんでもって・・今日の最後の一言。お葬式というのは、しんどい儀式やから、最近はみんなちっちゃく《家族葬》で済ますのやろなぁ・・と思う。

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