住職のつぼやき[管理用]

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こんな「お布施」の袋、初めて見た!

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(写真)は、先日お参りをさせて頂いたお家の方から頂戴した「お布施」の袋である。
 「お布施」という文字の変わりに「お世話さまでした」と印刷されてある。・・はたして、僕は仏様にお世話したのだろうか?
・・・思わず笑ってしまい、楽しい気分になったので写真を撮り、掲載しました。
 檀家さま、こちらこそ、お世話さまでした(笑)・・以上

僧でもあり、俗でもある・・

僕は「僧でもあり、俗(人)でもある」。
お経を称え「お布施」を檀家さんから頂き、それで生活し、たまに悩みや愚痴も聞き、僕も言い、一般人と同じように泣き、笑い、悩み、家族を養い暮らして居る。
 だから、仏に仕える(職業)僧でもあるが、一般(社会)人でもあるのだ。
 ある意味、開き直っている生臭坊主なのだが、僕はそれでいいと思っている。

 僕は親鸞聖人とは違う。(「当たり前じゃ」と突っ込みが入りそう) とても真似できない。
 この聖人のお言葉に『(私は)僧にあらず、俗(人)にあらず・・』というのがある。「ワシはエエかっこしいの坊主じゃないぞ!・・といっても、パッパライケイケその場しのぎの社会人でもないぞ!」といった叫びのようなものなのだろうか?
「それじゃ、あなたはいったい何モノなの?」と、又つっこみが入りそうだが、お聖人が言われたこの言葉の真意はもっと深いと思う。
 きっとご自分の心の奥底から出た叫びのような、自負心の塊のような言葉ではなかったろうか?
 僕はそんな風に感じるのだ。・・なかなか、こんなことは言えないし。
 勇気と信念を持って90年の生涯を生き抜かれたお聖人。 
 とても、とても、真似はできない。だからこそ、親鸞さんは『上人』ではなく、『聖人』なのだろうな。   宮本直樹使用人のつぶやき、いや戯言でした。
 
 

名言:「明日できることは、今日しない!」

 昨日の晩遅くまで、頼まれた原稿を書いていた。
 この原稿は、今月末までに書けば良いのだが、僕はギリギリになって慌てるのは嫌なタイプなので、一生懸命にやっていた。
 すると妻が、ポツンと一言・・。
「そんなにコン詰めても、エエもん書かれへんよ。早く寝なさい。・・私の仕事の同僚がいつも言ってるで、『明日できることは今日しない』と。」
 それを聞いて僕は思わず、「へーっ、その人どんな人なん?悟ってはるの?」と言うと、妻は「いいえ、ただの残業嫌いの人。でも彼女、すごい哲学的な人やで!」と言った。
 「その言葉気に入った!今日はもうしんどいから寝るわ。『明日できる事は今日しない!』か・・。ほんまエエ言葉やなぁ。味わって寝るわ」と言って、自分を甘やかすにはピッタリのこの言葉を、僕は布団の中で何度もつぶやいた。

落語の元祖のお坊さん!? 

ファイル 319-1.jpg (安楽庵策伝)
「《笑い》って、とても大事なことだ!」と、常日頃から思っている・・。
『お寺の出前』に、施設や病院に行かせてもらっても、ステキな《笑顔》《笑い》の絶えない会場は、とても話やすい。そして雰囲気も良い。
『(仏教)法話』をするにも、絶対に《笑い》の導入(ジョーク・ユーモア)が不可欠である・・と思っている。
 それをすでに『戦国(安土桃山)時代』から、実践されているお坊さんがいる。
 『落語の祖』と云われている〔安楽庵策伝(アンラクアン サクデン)〕さん、その人である!
 この方は、非常に多彩な方で、茶道にも精通されている。
 でも、やっぱりこの方と言えば、〔元祖・笑いのネタ本〕と云われる『醒睡笑(セイスイショウ)』の作者であることが有名であろう。
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 このネタ本、すべて〔オチ〕が付いているから凄い!
〔策伝〕さんの、この本を読んでいると、現代の〔お笑い〕を見ているような錯覚がおこる。
 たとえば、〔策伝〕さんの俗名は、〔平林(ヒラバヤシ)〕という名前なのだが、自分の名前を使って、〔小話〕を書いている。
 その 一部を、(少し脚色して、)述べてみると・・・、
「・・一人の文盲の人が手紙を預かったが、(『平林』という)宛名が読めない。そこで、道行く人に手紙を見せて聞いてみると、皆が違う読み方をして、この主人公をさらに迷わせ、笑いをさそう。或る人は『たいらばやし』と読み、又ある人は『ひらりん』と読む。そして『いちはちじゅうのもくもく』又は『ひとつとやっつで、とぅきっき』と文字を分解して読む者など、ドタバタ劇は続き、最後に、あて推量では、何も当たらぬ」とオチを付ける。
 これに、さらに尾ひれを付けたモノが、『平林』という落語である。
 今、この話の『紙芝居』化を練っている。近々、発表します!
 

『三人党』の思い出

 高校から大学時代にかけて、とても仲の良い友達が二人居た。
 ・・今から30年近く前、ずいぶん昔の話だ。
 名前を出すのも恥ずかしいので、仮に〔G空〕と〔O上〕としておく。
 〔O上〕は軽音楽部。僕は陸上部。そして〔G空〕は帰宅クラブ(・・笑)と、皆、それぞれ考え方も趣味も違っていたが、とてつもなく気が合った。
 〔G空〕と〔O上〕と僕の三人は、『三人党』という名のミニサークルを作って、日本中を旅行して回った。
 もちろん、学生時代なので、「暇はあるけど金はない」。
 だから、とにかく、授業はそこそこ出るだけで、バイトばかりして金を貯めた。
 そのバイトも、〔O上〕は、テレビ局の下請けのその又下請けのバイトをやり、僕は〔本屋〕や〔ファンシーショップ〕の店員、〔清掃屋〕や〔ぬいぐるみ〕の中に入って子供に風船を配るバイトなどし、〔G空〕は、食堂の皿洗いや、新聞配達などした。そして、その稼いだお金で、春休み、夏休み、冬休みと、ユースホステルを使って、長期の旅行ばかりしていた。
 七日間で九州を一周したり、東北にも、東海道も、北陸にも、山陰・山陽、日本中のあちこちを回った。
 お金が勿体なかったので、朝は四時頃からユースを出発し、次のユースに着くのは、僕等一番が遅かった。(いつも、ユースの方に嫌な顔されたなぁ・・)
 又、朝食代を浮かせる為に、ユースの晩ご飯を多めにもらい、それをオニギリにして、次の朝、食べながら走って移動した。
 いつも強行軍の日程を計画する為、どの旅行でも、途中熱を出して倒れる者が出るし、財布や切符を無くしたりして、計画はむちゃくちゃになったが、それでも楽しかった。

 そして、月に一度の空いてる土・日には、〔私鉄沿線〕大旅行と称して、近畿の《私鉄沿線》をすべて歩いて制覇するという計画も立てて、決行した。
 〔阪急・阪神沿線〕だけは、すべて歩いたが、〔京阪沿線〕の途中で、皆が、学校を卒業してしまったので、(いや、〔G空〕は留年したなぁ・・)〔私鉄沿線〕制覇は、中途半端に終ってしまっている。
〔近鉄〕も〔南海〕沿線もやれなかった。

 今、〔O上〕は、二人の子を持つサラリーマン。〔G空〕は、独身の派遣社員。・・そして僕はお寺の住職になったが、・・いつか老いぼれに成って時間が出来たら、又〔老いぼれ三人党〕を結成し、私鉄沿線大旅行の続きを決行したいと、(密かに、僕だけ)思っている。(いや、みんなきっと、やってくれるだろう!)

お寺の番犬!『ポッキー』

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 上の写真は、うちのお寺の番犬『ポッキー』である。
 正式名は『宮本ポッキー』という。(動物病院の診察券に、そう記されてあった)
 この犬、白と黒色が交じり合うメスの柴犬で、チョコレート菓子の『ポッキー』を連想してしまうというので、僕の子供たちがそう名づけた。
 ・・今、10歳である。(すでに老犬である)
 『ポッキー』は、こちらのお寺に入寺した時、知り合いの方に頂いた犬で、元は捨て犬だったそうだ。
 拾われた子犬の時、すでに『クロ』とか『ポチ』とか、そういう名で呼ばれていた様で、今でもそう呼ぶと振り向く。
・・で、今日は、この犬と『紙芝居』の事を少しお話したい。

 僕の書く『紙芝居』に、犬が登場する場合、たいてい、うちの『ポッキー』がモデルとなって現れる。(身近にいるのでモデルにしやすい)
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 上の写真は『ポッキー』が古代インドに登場した場面。
 これは、「すべてのものは仏さま」という紙芝居で、『ポッキー』も仏さまとして、拝まれている貴重な一枚である。・・(笑)
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 これは、現代の日本の臨終の場面(ターミナル・ケア)の場面に登場した『ポッキー』。(真ん中で、亡くなっていく人を見守っている場面。)
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 そして、これは昭和20年の広島に登場した『ポッキー』。(主人公の女の子を見つめるが、この後『ポッキー』も原爆を体験してしまうことになる。・・・ただの通行犬キャラなので、その後の生死はまったく不明。)

 まだまだ、うちの『ポッキー』は、時代と国を超えて、あちこちで僕の紙芝居に登場しているが、・・どこで、どのように書いて登場させたか、作者の僕自身も忘れてしまっているので、(・・それぐらいエエ加減なキャラです)その内、出演しているトコ、また見つけたら書くことにします。 以上
 (出演料を払わなあかんなぁ・・)
ファイル 313-5.jpg (観念寺前での、弱番犬『ポッキー』)


 

幻の『王舎城の喜劇』?

 『悲劇』は嫌いだ!・・と思いながら、9年前に、紙芝居『王舎城の悲劇』を作った。
 これは(仏教の中では)あまりにも有名な話なので、気軽にハッピーエンドに変えるわけにいかなかった。
 ・・が、作りながら、「これはいつかきっと、この『裏』紙芝居を作って、ハッピーエンドにしてやる!」と、(いつもの)僕の天邪鬼な気持ちは、ムクムクと起こっていた。
 それで、以前に作った、未完ではあるが、紙芝居『王舎城の喜劇!』のさわりの部分だけを今回は紹介してみたい。(しょうもない話なので、大変申し訳ないが・・)

 『王舎城の喜劇!』
 王舎城の悲劇から、2500年経った日本のお話・・。
 舞台は、とある『有名私立・仏教系小学校』。
 今日はその小学校の入学式である。
 式も終わり、午後からは、新入生と保護者達を歓迎する為の『仏教青年会(若手僧侶の会)』主催による『王舎城の悲劇』のお芝居が行われようとしていた。
 開演三十分前、会場は期待でざわめいていた。・・が、しかし、その舞台裏では、とんでもないドタバタ劇が起こっていたのだった。
 それは、日頃より学校運営を心良く思っていなかったPTA会長が、「子供が親を幽閉し、殺すというのは、時節がらどうかと思う。・・その場面を変えてもらえないか」と急遽、話に横槍を出したからであった。
 「これは史実ですから・・」と必死で抵抗する校長であったが、それを聞いた仏教婦人会の会長が、「私も、イダイケ夫人の裸に蜂蜜を塗って、王に舐めさせるシーンは教育上良くないのでカットすべきだ」と同調し始めた。
 そして、僧侶の校長先生はついに逆切れになり、「そっちがそう言うなら、悪役ダイバダッタ僧侶も、善い僧として登場させてもらうぞ!」と、険悪な雰囲気になり、一瞬即発の危機となる。
 戸惑う、俳優役の若手僧侶達と仲裁役の演出家の苦悩。自分勝手でわがままな教育者と、後援会との妥協と死闘。
 開演したものの、妥協したがゆえに、史実がどんどん変わり、「悲劇」がいつしか「喜劇」へと変わってゆき、誰も死なない、生まれ代わりもない、それでもアジャセが登場する、全員が善人の超ハッピーな大団円へとストーりーは展開していく。
 はたして、この「悲劇」はいったいどうなってしまうのか?
 いつか、この紙芝居を発表したいと思います。(しない方が良いだろうか?・・・(笑い))

もう一つの「西本願寺・(日曜講演)」でのエピソード

 今日は、先日の「西本願寺・総会所」での『日曜講演』の時の、恥ずかしいが、面白いエピソードを書いてみたい。
 この『日曜講演』のお話を「西本願寺」から頂いた時、家内が喜び、「お父さん(僕の事)、そんな、京都の『本願寺』でお話させて頂ける機会なんて、一生の内に一回、有るか無いかよ。・・是非、お母さんを呼んであげなさい!私も両親に声を掛けとくわ」と言った。
 僕はその時、なぜか嫌~な胸騒ぎがした。・・が、家内に言われた通りに母親に電話した。
 「・・お母さん、別に来んでもいいよ。遠いし、・・忙しいやろ。来んでもエエねんで!」と、遠まわしに『来るなサイン』を送って電話を切ったのに、・・案の定、当日、僕の母親は来ていた。(・・しかも、前列に!)
 (ついでながら、一番後ろに家内の両親も居た)
 母親の顔を気にしながら、皆さんにお話するのは、実にやりにくい。
 それでも、どうにか『紙芝居』と講話を終えて、司会者の方が「一度、ここで『控え室』にお戻りになって、五分ほど休憩を取って下さい。それから質疑応答の時間にしたいと思います」と言って下さったので、その通りにした。
 そして、お茶を一杯よばれ、又すぐに会場に戻ったら、・・なんと母親が、前に出て来ていて、僕の『紙芝居』をせっせ、せっせと直しているではないか。
 その姿を会場のお客さん達は、じぃ~っと見て居られる。
 僕はあわてて、「お母さん、今、直さんでもエエから!後でやるから、席に戻っとって!」とあせる僕の声がマイクに乗ってしまい、軽やかに会場に流れ、苦笑と爆笑を生んだ。
 僕は心の中で「絶対、『マザコン』やと思われてるわ。明日から僕はマザコン坊主の烙印付きや」と悲しくなって、僕はこそこそと直していると、なんと母親は、会場のお客さんの方を向いて、頭を下げて「いつも、うちの息子がお世話になってます。有難うございます」と中央で言っているではないか!
 あわてて、「別に、今日の会場のお客さんに、僕はお世話になってない!なってない!」と喉まで出て来たが、ぐっと止め、会場のお客さんに向って、「ありがたいもんですね。本当に母親とは・・」と、思ってもない裏腹なことを言って、場を繕った。
 でも、絶対、会場の皆さんは「このマザコン紙芝居坊主!」と思ったに違いない。
・・こうなるような予感がしたんや。だから嫌やったんや!母親呼ぶのは!(ちなみに家内の両親はそそくさと帰ってしまわれた)
 最後に裏腹な一句。「親思う、心にまさる親心。今日の訪れ、なんと思わん」by(吉田松陰)

中山久蔵さんと聖徳太子とライスカレーと・・(カットした二つの場面)

 ・・中山久蔵さんの「紙芝居」を作るに当たり、カットした二つの場面がある。
 一つ目は、久蔵さんが故郷の大阪・太子町から、真夜中に家出をする場面の次のページで、久蔵さんの自宅近くにあった〔聖徳太子〕のお寺《叡福寺》とお墓(現在でも歩いて10分程だろうか・・)の横を通り過ぎる時、突然、〔聖徳太子〕の幽霊が現れて久蔵さんに言う。・・「久蔵、どこに行っても、ワシの説いた『和をもって尊しとなせ』という仏教の教えを忘れてはならんぞ!自分一人だけが良いという考え方は、ダメじゃぞ」という場面。(これは、説教臭くなると思ってカットした。・・が、17才まで、太子町に居たのだから、恐らく嫌でも、太子の教えは何度も何度も、聴かされたであろう。・・それが久蔵さんの優しい性格の基礎を作ったのではないかと推測される。)

 もう一つのカットは、クラーク博士と久蔵さんの対面の場面。
 この時、久蔵さん宅で、博士と北大の学生たちは、昼食を取るのだが、ここで、僕は昼食に〔クラーク博士〕に《ライスカレー》を食べてもらい、(博士のご飯(お米)嫌いは有名だが、カレーだけは《ご飯》に掛けて、多いに召し上がったという逸話は有名。・・余談だが、《ライスカレー》という呼び名の名付け親と言う説もある。・・変わった親父やなぁ。(笑い))、満足そうな顔の博士に、久蔵さんは「どや、やっぱり米(ご飯)はうまいじゃろう?!」というと、博士は笑いながら、「う~ん、まいった!学生達よ、この老人のように大志をいだけ!ワッハッハッハッ」というと、久蔵さんが「誰が老人なんじゃい!あんたとワシはそう年が変わらんじゃないかい、ワッハッハッ」という風にしようかなぁと思ったのだが、コメディみたいになってしまうので、やめた。
 しかし、今思えば、カットしない方が良かったのではないかと思ってしまう。

 ・・そういえば、これも余談になるが、先日、久蔵さんの檀那寺《光福寺》のご住職から、お聴きしたのだが、久蔵さんの子孫の方が、お寺に訪ねられて来られた時、「私は、久蔵が《米作り》に成功した事より、その後、多くの人に無償でその苗を配って歩き、育て方を教えたという所が偉いと思うのです」と言われたらしい。
 ・・本当に僕もそう思う。宝くじで三億円当たっても幸せになれない人はいる。幸せはやはり、みんなで分かち合わないと・・。

 根っからのお百姓ではなかった久蔵さんは、わずか、二~三年の努力で《米作り》に成功しており、確かににラッキーな人でもあった。しかし、《赤毛種》という寒冷地に強い、東北の冷害にも生き残り、突然変異したという稲穂は、・・《神仏》が、そして日本の国を想う《聖徳太子》が、中山久蔵さんという一人の人間を使い、北海道の窮乏する人たちを救った不思議な計らいではなかったかと、思ってしまうのである。

「三谷幸喜」氏と呼ばないで・・!

 今日は軽~い話。
 先日、〔ご法事〕に、お参りさせて頂いた時の、〔檀家さん〕宅での話。
 勤行が終り、少しお話をさせて頂き、お茶をよばれ、『さぁ、帰ろう』と思ったその時、そこのお宅の《裏・・ちゃうちゃう、うら若き女性》のご親戚の方が、「あの~、質問があるのですが・・」とおっしゃられた。
 僕は『ドキッ』として、「はてさて、どんな質問やら?」と一瞬凍りついたら、なんとその方は「あの、住職さんは、作家の〔三谷幸喜さん〕に似ているなんて言われませんか?」と言われた。
 思わず、「なんじゃそれは!」と思ったが、そこは冷静に装い、「それは、喋り方がですか? それとも顔ですか?・・」と聞き直した。
 すると、「どっちもです。・・失礼な事をお聴きしてすみません」と、肩で笑いながら、又言われた。
 僕はその問いには直接答えず、「それは光栄な事と受け取ったら良いのでしょうか?・・それとも、変な性格の坊主やなぁと、受け取れば良いのでしょうか?」と、僕もお腹で笑いながら答えた。
 その女性は、「エエ様に、受け取ってください」ときり返されたので、「初めて、言われた様にも思えるし、昔むかーし、両親に言われたような気もしますし・・」と答えて、笑いながら退散した。
 これで、この話は終わりかと思ったら、この前の『講演会』でも、最後の質問コーナーで、同じことを、又別の人に問われた。(「結婚してますか?」とか「おいくつですか?」とか、僕には、こんな質問ばっかりかい!・・楽やけど。)
 ・・『三谷幸喜』氏に似ていると言われることは、僕にとって、はてさて、良い事なのかどうか・・?まぁ、気さくに喋れる奴なんやと、エエように僕も受け取っておこう。
 これからは、「仏教界の三谷幸喜を目指しています!」を売り文句にして、アチコチ回ろうかなぁ・・。

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