僕は「僧でもあり、俗(人)でもある」。
お経を称え「お布施」を檀家さんから頂き、それで生活し、たまに悩みや愚痴も聞き、僕も言い、一般人と同じように泣き、笑い、悩み、家族を養い暮らして居る。
だから、仏に仕える(職業)僧でもあるが、一般(社会)人でもあるのだ。
ある意味、開き直っている生臭坊主なのだが、僕はそれでいいと思っている。
僕は親鸞聖人とは違う。(「当たり前じゃ」と突っ込みが入りそう) とても真似できない。
この聖人のお言葉に『(私は)僧にあらず、俗(人)にあらず・・』というのがある。「ワシはエエかっこしいの坊主じゃないぞ!・・といっても、パッパライケイケその場しのぎの社会人でもないぞ!」といった叫びのようなものなのだろうか?
「それじゃ、あなたはいったい何モノなの?」と、又つっこみが入りそうだが、お聖人が言われたこの言葉の真意はもっと深いと思う。
きっとご自分の心の奥底から出た叫びのような、自負心の塊のような言葉ではなかったろうか?
僕はそんな風に感じるのだ。・・なかなか、こんなことは言えないし。
勇気と信念を持って90年の生涯を生き抜かれたお聖人。
とても、とても、真似はできない。だからこそ、親鸞さんは『上人』ではなく、『聖人』なのだろうな。 宮本直樹使用人のつぶやき、いや戯言でした。
Event 坊主 URL 2009年06月21日(日)22時26分 編集・削除
弥陀に願われたこの私
光明に照らされたこの煩悩
極楽より願われたこの苦楽
安心してこの苦楽を生き抜き
自分の道を貫いて
非僧非俗のまま
精一杯、親鸞様に報恩感謝の
伝道を共々に頑張りましょうな。