住職のつぼやき[管理用]

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中山久蔵さんと聖徳太子とライスカレーと・・(カットした二つの場面)

 ・・中山久蔵さんの「紙芝居」を作るに当たり、カットした二つの場面がある。
 一つ目は、久蔵さんが故郷の大阪・太子町から、真夜中に家出をする場面の次のページで、久蔵さんの自宅近くにあった〔聖徳太子〕のお寺《叡福寺》とお墓(現在でも歩いて10分程だろうか・・)の横を通り過ぎる時、突然、〔聖徳太子〕の幽霊が現れて久蔵さんに言う。・・「久蔵、どこに行っても、ワシの説いた『和をもって尊しとなせ』という仏教の教えを忘れてはならんぞ!自分一人だけが良いという考え方は、ダメじゃぞ」という場面。(これは、説教臭くなると思ってカットした。・・が、17才まで、太子町に居たのだから、恐らく嫌でも、太子の教えは何度も何度も、聴かされたであろう。・・それが久蔵さんの優しい性格の基礎を作ったのではないかと推測される。)

 もう一つのカットは、クラーク博士と久蔵さんの対面の場面。
 この時、久蔵さん宅で、博士と北大の学生たちは、昼食を取るのだが、ここで、僕は昼食に〔クラーク博士〕に《ライスカレー》を食べてもらい、(博士のご飯(お米)嫌いは有名だが、カレーだけは《ご飯》に掛けて、多いに召し上がったという逸話は有名。・・余談だが、《ライスカレー》という呼び名の名付け親と言う説もある。・・変わった親父やなぁ。(笑い))、満足そうな顔の博士に、久蔵さんは「どや、やっぱり米(ご飯)はうまいじゃろう?!」というと、博士は笑いながら、「う~ん、まいった!学生達よ、この老人のように大志をいだけ!ワッハッハッハッ」というと、久蔵さんが「誰が老人なんじゃい!あんたとワシはそう年が変わらんじゃないかい、ワッハッハッ」という風にしようかなぁと思ったのだが、コメディみたいになってしまうので、やめた。
 しかし、今思えば、カットしない方が良かったのではないかと思ってしまう。

 ・・そういえば、これも余談になるが、先日、久蔵さんの檀那寺《光福寺》のご住職から、お聴きしたのだが、久蔵さんの子孫の方が、お寺に訪ねられて来られた時、「私は、久蔵が《米作り》に成功した事より、その後、多くの人に無償でその苗を配って歩き、育て方を教えたという所が偉いと思うのです」と言われたらしい。
 ・・本当に僕もそう思う。宝くじで三億円当たっても幸せになれない人はいる。幸せはやはり、みんなで分かち合わないと・・。

 根っからのお百姓ではなかった久蔵さんは、わずか、二~三年の努力で《米作り》に成功しており、確かににラッキーな人でもあった。しかし、《赤毛種》という寒冷地に強い、東北の冷害にも生き残り、突然変異したという稲穂は、・・《神仏》が、そして日本の国を想う《聖徳太子》が、中山久蔵さんという一人の人間を使い、北海道の窮乏する人たちを救った不思議な計らいではなかったかと、思ってしまうのである。

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