住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「実録 稲むらの火」 ~余話

 少々、マニアックだが、もう少し梧陵さんの話を続けたい。
 実は一昨年の人気ドラマだった、TBS日曜ドラマ『JINー仁』に、浜口梧陵(儀兵衛)さんは出ていた。(ラッパのマークの正露丸CMの〔石丸謙二郎〕さんが演じていた)
 梧陵さんは、ドラマの中で、主人公の医師(違いがわかる男〔大沢たかお〕氏が演ずる)〔仁〕に、医薬のペニシリン作り協力の為、《ヤマサ醤油》の倉を提供し、金銭共に〔仁〕を応援したのだ。(浜口梧陵の近代医学の為の莫大な資金提供は史実である。)
 このドラマの(「世界の車窓から」のナレーター、そして、メロスのような日本初のストリーキング男)〔石丸謙二郎〕さん演ずる浜口梧陵も、義侠心ある梧陵さんを堂々と演じられていて、とても好かった。(第2部でも出るかな?・・楽しみだ。)
ファイル 678-1.jpg(浜口梧陵のお墓)
 もう一つ、浜口梧陵の死因であるが、旅行中にアメリカで亡くなられたというのはすでに述べたが、原因は『腸の癌』の突然の悪化ではないかと云われている。(・・はっきりとはわからない。)
 ただ、ご遺体は日本に持ち帰り、お葬式は和歌山県『広村』でされたと伝わっている。
 それは盛大なお葬式で、導師に西本願寺から有名な〔大洲鉄然〕師が読経に行かれたと伝わっている。
ファイル 678-2.jpg(浜口梧陵旧宅・現:記念館)
 又、これも余談だが、現在『浜口梧陵旧宅』は『記念館』であると共に、『津波防災教育センター』になっている。是非、和歌山県に行かれた時は、お寄りになられたら良いと思う。(『稲むらの火 3D映画』も見れて迫力満点である!)
 又、この記念館の石標碑の文字は、なんとあの元総理〔小泉純一郎〕氏が書いている。(「感動した!」(笑い))・・裏話だが、外国の政治家に『稲むらの火』の話を聞いて、「日本にもそんな人が居たのか!?感動した!(こればっかり・・)」と驚いて、急遽調べて、この石標碑筆のご縁となられたらしい。
ファイル 678-3.jpg(広川町の空)
 最後に、僕がこの和歌山県広川町に取材に行ったのは、去年の夏だった。この最後の写真は、梧陵さん達が避難した『広八幡神社』から写した広川町の空である。
 山の上に(原子力発電ではない)、大きな〔風力発電機〕が回っていた。・・この巨大扇風機も、騒音公害・環境破壊ともいわれているが、今考えれば、原子力発電の恐さから見れば・・・。終わり
 

紙芝居:「実録 稲むらの火 (復興編)」 後編

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 〔浜口梧陵(ごりょう)〕先導のもと、四年間に渡る〔広村堤防改修工事〕は、無事に終了しました。
 これは、その完成直前のエピソードです。
 昔から、人々の為に力を尽した人が、『神様』として祀られることがよくありました。
 〔梧陵〕にも、そんな話がきたのです。
 村の長老が、梧陵に言いました。
「梧陵の旦那様、どうか我々の願いを聞いてくだせぇ。旦那様は、村の復興の大恩人じゃ。だから『浜口大明神』として、お社を作らせて頂けませんですか? 皆で、旦那様を拝みたいんでなぁ。」と。
 しかし梧陵は、「私は人として、やるべき事をやっただけ。『生き神さま』の話は、お断りいたします」と辞退したのでした。
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 その後、時代は『江戸』から『明治』へと変わり、梧陵は、跡継ぎにお店を譲りました。
 このお店が、現在の『ヤマサ醤油株式会社』です。
 そして、そののち、梧陵は『国政』に参加し、〔郵政大臣〕や〔和歌山県県議会 初代県議会長〕などを務めます。
 そして晩年は、アメリカ合衆国に渡り、若い頃からの夢であった、海外視察に出るのです。
 ・・が、明治18年、ニューヨークにて病いで亡くなります。行年66才でした。
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 『稲むらの火』が燃えた、〔安政地震大津波〕から92年後、再び〔昭和南海大地震〕が起こり、大津波が、広村に押し寄せます。
 しかし、〔梧陵〕達が作った『広村堤防』のお蔭で、被害は最小限にとどまりました。
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 現在、広村(今の広川町)では、安政地震大津波が発生した、旧暦11月5日(現在は11月3日)に、全国でも珍しい『津波まつり』が行われています。
 この日は、地元の子供たち一人ひとりが、防波堤に土を運び、郷土の安全を願い、そして、〔浜口梧陵〕の偉業を讃えているという事です。
ファイル 677-5.jpg(現在の広村堤防:歩けます!)
それにしても・・、
 『ごりょ、ごりょ、ごりょう(梧陵)さん~、お金をようさ~ん、使(つこ)たのね、・・ヤ・マ・サ!』・・倒産せんとこが凄い!
 おしまい。

紙芝居:「実録 稲むらの火 (復興編)」 中編

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 〔浜口梧陵(ごりょう)〕の物心伴う援助は、それは手厚いものでした。
 しかし、〔津波〕の村人たちに与えた恐怖は、梧陵の想像を遥かに超えたものでした。
 いわゆる、それは『トラウマ』でした。
 真夜中でも、津波の夢を見る者が増え、『又、津波が来るかもしれない!』という恐怖心から、村を出てゆく者が出始めたのです。
 「・・これではいけない。頑丈で高い堤防を作らなければ、この恐怖心は、いつまでも消えはしない。」と、梧陵はそう思い・・、
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 そこで、藩のお役人に『堤防改修工事』を願い出ました。
 しかも、その工事費は、梧陵が私財を投げ打ってやるというのです。
 「私財でやってくれるなら、願ってもないこと。」と、お役人たちは、喜んで許可を出しました。
 そして、被災三ヶ月後、いよいよ改修工事が始まろうとしておりました。
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 梧陵は、工事が始まる前に、村人達を集めて言いました。
 「皆の衆、いよいよ堤防改修工事を始めることになった。
 ・・そこでだ、今回の工事は、わし等《村民の力》で完成させたいと思うのじゃ。 どうじゃ、みんな、力を貸してはくれんか!?」と。
 それを聞いて、一人の村人が「・・では、わし等は毎日、タダ働きで手伝うのですかのぅ?」と聞きました。 
 梧陵は「いやいや、その日その日の《日当》は、この梧陵が責任を持って支払う。 女子でも子供でも、手伝ってくれたら支払うぞ。 さぁ、皆で頑丈な堤防を築き、元の美しい『広村』を取り戻そうではないか!」と、そう叫びました。
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 梧陵の演説に感動した村人達は、次の日から、皆で力を合わせて工事を開始しました。
 これは、これからの生活に不安を抱えていた村人達に『働き場所』を与えることになり、又、同時に『自分たちの村は自分たちで守るんだ!』という『やる気、元気』をも甦らせることにもなったのです。
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 こうして、工事は順調に進み、安政五年十二月、四年間に渡る〔堤防改修大工事〕は無事に終りました。
 そして工事の仕上げとして、数千本の〔松〕が山より移植されました。 これらの松は、海からの風を防ぎ、そして根を張り、堤をより強固にしてゆくのでした。 つづく 

紙芝居:「実録 稲むらの火 (復興編)」 前編

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東日本大震災が起り、25日間が過ぎた。
 今、日本は悲しみを乗り越え、すべての智恵と力を結集して、復興へと向かおうとしている。 ・・が、まだまだやるべき事は絞り込めず、問題点も抽象的なままだといってもよい。
 もし、今の時代に、この紙芝居の主人公〔浜口梧陵〕が居たなら何をしたであろうか?
 そんな事を考えながら、この紙芝居を発表してみたいと思う。
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 江戸時代末期、安政大地震で壊滅的な打撃を受けた、和歌山県:広村。(今の有田郡広川町)
 今、『稲むらの火』によって、多くの人の命を救った〔浜口梧陵(ごりょう)〕商人は、呆然と荒れ果てた自分の村を眺めていました。 
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 村人:夫「あ~ぁ、何もかも無くなってしまった。」
 村人:妻「明日から、どうすればいいんでしょう?」
 そう、津波は村人の『やる気』も奪っていたのでした。
 それを見た〔浜口梧陵〕は、「何とかせねば・・」と思い、「そうだ、まずは腹ごしらえだ!食べ物が無いと元気も出んわ!」と・・、 
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 江戸にある自分の支店にすぐ連絡し、私財を使い、隣村から米俵を運び入れ、にぎりめしの〔炊き出し〕を始めました。
 「さぁ、みんな、腹いっぱい食べて元気を出してくれよー。」と梧陵は叫びました。
 さらに、梧陵は・・、
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 「住む処も必要じゃ。御上からの援助など待っておれんわ」と、これも又、私財を使い、『仮設小屋』を五十戸建てました。
 さらに、農民には『農機具』を、猟師たちには『網や舟』などを無料で提供しました。
(『どれだけ金持ちやねん!金持ちやからそんな事できたんや』と思いながらも、この武士の時代によくぞ損得抜きに、一介の商人がやったなぁと感心する。) つづく

紙芝居:「実録 稲むらの火 (津波編)」 後編

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(浜口梧陵(ごりょう))「みんな、急げ!急げ!」
(村人)「梧陵のだんなぁ!松明(たいまつ)持って、いったい何をされるんですかい?」
(梧陵)「稲の束、つまり〔稲むら〕に火をつけるんだ!」
(村人)「えっえっえっ?!」
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(梧陵)「よいか、〔稲むら〕は大切な肥料じゃ。・・しかし、人の命の方がもっと大切じゃ!
 この火は、津波で沖に流された者に、この高台を示し、陸地を示す《命の火》なのじゃ!
 さぁみんな、〔稲むら〕に火をつけよ!」
 そして、燃え上がる〔稲むら〕に梧陵は祈りました。
「どうか、どうか、海で彷徨う者が居るならば、この炎を見つけてくれ!
 そして何とかして、ここを目指して帰って来ておくれ!」と。
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 一方、海に流され、どちらが陸地か解らず、暗闇の中を呆然と彷徨う者たちが、やはり居りました。
 そして彼等は、この炎を見つけ叫んだのでした。
「おおっ、火だ!・・あちらが陸地だ。あの火を目指せば陸地に戻れるぞ!・・みんなっ、何とかして、あそこを目指そうぞ。そうすればわし等は助かるぞ!」と。
 こうして、結果的に九人の村人が助かったと伝わっております。
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 さて、助かった村人たちは、次の日、梧陵を囲みお礼を言いました。
(村人)「旦那さま、ありがとうごぜえました。おかげで、命拾いいたしました。
 あの〔稲むらの火〕は、わし等の《命を救う炎》でございました。
 この御恩は一生、忘れません!」と。
 それに対し、浜口梧陵は、
「うん、大地震の後には、必ず津波が来るという言い伝えがあるんじゃ。
 これは、ご先祖様のおかげじゃな・・。
 さぁ、それよりみんな、今からが大変じゃぞ。この村を復興させねばならんからのぉ。みんな、さぁ頑張ろうぞ!『頑張ろう!日本!』」・・と、この時、梧陵が言ったかどうだか?・・が、今の日本と同じような気持ちであったには、違いありません。
 『稲むらの火(復興編)』につづく・・。 おしまい
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 上の写真は、現在の和歌山県有田郡広川町にある『浜口梧陵』のお墓である。
 僕が、この地を訪ねたのは、昨年(平成22年)の夏の終わりであった。
 この時は、観光客も居らず、静かな静かな漁村であった。
 僕は、この町の『(稲むらの火の3D映画が見れる)浜口梧陵記念館』=(大きな映画館であったが、僕しか映画を見る者がおらず、その迫力に圧倒されちょっと恐かった)や、写真の『浜口梧陵のお墓』、又「紙芝居」でも登場した、実際に避難した『広八幡神社』、そしてこの紙芝居の(復興編)に登場する『広村堤防』などを見学させてもらって来た。
 ・・又、余談ながら、のち『浜口梧陵』の会社となった〔ヤマサ醤油株式会社〕の(「ここでしか買えない」と宣伝されてた)『特選醤油』)と、『稲むらの火ハンカチ』を、お土産に買って帰って来た。 
 今から思うと、この時は、取材と言いながら、のんびりとした楽しい時間を、この地で過ごさせてもらったのだが、・・これから、この地は、《防災教育の場》として全国から注目され、子供から大人まで、お客さんで一杯になるに違いないと思っている。
 最後に、なぜこの「紙芝居」のタイトルに『実録』と付けたかというと、・・それは、昔、尋常小学校の国語読本(昭和12年から21年まで)に、この『稲むら火』というお話が教材として用いられた。・・が、それはあくまでも、フィクションとして書かれたもので、この物語の主人公『浜口梧陵』も、「五兵衛」という名で登場している。
 又、実際には、この災害時の『梧陵』の年齢は35歳なのであるが(若い!)、小説では年老いた老人として登場している。
 又、実際の梧陵の住居は〔平地〕にあったのだが、小説では〔高台〕になっている。
 つまり、あちこち、フィクションが入っているので、僕としてはなるべく史実に即して紙芝居を作りたかったのだ。
 だから、『実録』と付けさせて頂いた。
 又、小泉八雲こと、ラスカディオ・ハーンもこの題材を元にして『生き神さま』という小説チックな物を書いている。
 ・・いかん、まだまだ書きたい事が一杯あるのだが、書いてたら日が暮れてしまうので、今日のところは、このへんにしといたる!
 それでは、『稲むらの火(復興編)』につづく・・。
 

紙芝居:「実録 稲むらの火 (津波編)」 中編

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「おーーい、みんなー、山の神社へ逃げろー!
 津波が来るぞー、すぐに逃げろー!」
 と、浜口梧陵(ごりょう)は声を嗄らしながら、皆に声をかけて回りました。
 「ホントじゃろうか?・・津波はホントに来るんじゃろうか?」 と、村人達は半信半疑ながら、取り合えず、山の上の神社へと避難することにしました。
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 「よーし、どうやら皆、避難したようじゃ・・」
 と、静かになった村の中で、梧陵はそうつぶやきました。
 その時です。
 ドーン、ドーン!と、不気味な音が沖から聞こえ、又、ピカピカッと、カミナリが鳴りました。
 梧陵がおそるおそる後ろを見ると、ゴーッ、ゴーッと、大津波が押し寄せて来たのです。
 「しまった!逃げそびれた」と、梧陵はつぶやきました。
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 津波は梧陵を呑み込みました。
 ・・が、運よく、梧陵は大木の枝を発見し、必死でそれにつかまりました。
 ザザーン、ザザーン、ザザーン・・・と、やがて、潮は引き始めました。
 こうして、梧陵は命拾いしたのでした。
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 一方、山の上の神社では、多くの人でごった返しておりました。
(村人A)「それにしても、凄い津波じゃったなぁ・・。」
(村人B)「梧陵の旦那さんの言う事を聞かんかったら、わし等は今頃、海に流されとるとこじゃった。」
(村人C)「そういや、梧陵の旦那さんは、大丈夫だったんじゃろうか?」
 その時です。
 「おーーい、みんなー、わしは大丈夫だぞー!」と、梧陵はずぶぬれになりながら、石段を駆け上がって来ました。
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 こうして、ようやく神社で一休みする事ができた梧陵は、村人達に尋ねました。
 「・・それで、皆は全員無事か?」と。
 すると一人の村人が、「それがのぉー、まだ行方不明の者が何人もおりまして・・・。おそらく、海へ家ごと流されたと思われますだ。」と答えました。
 それを聞いて梧陵は、
「何!では今頃、海を彷徨ってるかもしれん。・・この暗さだ、北も南もわからんで、ボーゼンとしとるかもしれん。
・・よし、わしに松明(たいまつ)を貸してくれ!
 そして、わしに何人か、続いて来てくれ!」と、言って駆け出しました。 つづく 

紙芝居:「実録 稲むらの火 (津波編)」 前編

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 これは『津波』の話である。
 いや、津波被害から村を復興させた男の話である。
 この作品は、去年の夏の終りから現地リサーチをして、秋から(前編・後編)の二部作にして作り始めたものだ。
 完成間際に、突然、東日本大震災が起った。
 あまりにも完成時期がタイムリーだったので、作るのを中断しようかと悩んだが、何かに憑かれたかのように完成させてしまった。
 又、このブログにも載せるのは時期尚早ではないかとも思ったが、この話が「危機的状況下における臨機応変な一人の人間の判断力」と「被災からの復興」をテーマにしたものという判断から、このブログに急遽、作りたての紙芝居をアップさせることにした。
又、これも大阪に居て、『紙芝居屋亭』ができる、被災地への小さな小さな(生き方の)支援になるのではないかとも思ったのだ。 そこのところを了承して頂き、読んで戴ければ幸いである。合掌
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 これは、今からおよそ150年程前のお話です。
 ここは、静かな漁村、和歌山県〔広村(ひろむら)〕。今の有田郡 広川町です。
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 この村に大きな醤油業を営む『浜口梧陵(はまぐち ごりょう)』という商人がおりました。
 彼は、この村で結婚し、二人の子の父親でもありました。
 〔梧陵(ごりょう)〕は、様々な学問を学び、
 そして歴史から考えれば、やがて大きな地震が起き、大津波が襲ってくると予想しておりました。
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 江戸末期、安政元年(1854年)11月5日、夕方の4時頃、ついにその大地震は起きました。
 それは、世に云う『安政大地震』でした。
 (梧陵)「地震だ!みんな外へ逃げろ!!」
 (子供)「キャー、お父ちゃん、恐いよー!」
 壁は崩れ、傾いた家から、梧陵の家族は何とか逃げ出せました。
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 (梧陵)「あれを見ろ!なんという事だ・・。潮が沖へと引いてゆく」
 梧陵は海を見つめて言いました。
 (子供たち)「お父ちゃん、海の水が無くなってるよ~」
 (梧陵)「うん、間違いない。あれは伝えに聞いてる『津波』の前触れだ。 間もなく津波はこの村にやってくる! お前達はすぐに山の上の神社に避難しなさい! 私は村のみんなにその事を知らせに行ってくる!」
 そう言って、梧陵は一人、村の中へ駆け出したのでした。 つづく

紙芝居:「走れメロス」 その8(最終回)

 東北・関東大震災が起こり、「メロス」をほったらかしにしてしまっていた。
このままでは、メロスはただのストリーキングの兄ちゃんだ。 
・・今回で完結させます。ご安心を。
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 疲労困憊の中、刑場に突入したメロスは必死で叫びました。
「待てっ!・・その男を殺してならぬ!・・メロスは帰って来たぞ。約束どおり帰って来たぞー!」
 そして続けて、
「私だ!・・殺されるのは、このわ・た・し・だ!」と、かすれた声で精一杯叫び、吊り上げられてゆく友の両足に、必死で取りすがりました。
 それを見た群集はどよめき、
「あっぱれだー!許してやれー!」と口々に喚きました。
 こうして、友〔セリヌンティウス〕の縄は解かれ、下ろされました。
 「セリヌンティウス・・。」と、メロスは目に涙を一杯ためて言いました。
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 「我が友〔セリヌンティウス〕、私を殴ってくれ。
私は途中、一度悪い夢を見た。君がもし、私を殴ってくれなかったら、私は君を抱きしめる資格がないのだ。」
 それを聞き、セリヌンティウスはすべてを察し、刑場一杯に鳴り響く程、メロスの頬を殴りました。
 そして殴ってから、セリヌンティウスは優しく微笑み、
「メロスよ、今度は私を殴れ。同じぐらい私を殴れ。
 私はこの三日間、たった一度だけ、君を疑った。
 君が殴ってくれなかったら、私は君を抱きしめることができない。」と言いました。 
 それを聞き、メロスも拳にうねりをつけて友を殴りました。
 「ありがとう友よ!」と、
 二人は同時に言い、ひしっと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおいと声を放って泣き始めました。
 それを見た群集からも、すすり泣きの声が聞こえました。
 そして、群集の後ろで、二人の様子をまじまじと見ていた王は、やがて顔を赤らめてこう言いました。
「・・私が間違っていた。
 《信じる》という事は、決して愚かな事ではなかったのだ。
 ・・お前達はそれを私に教えてくれた。
 これから、私をお前達の仲間に入れてくれないだろうか?」と。
 それを聞いたメロスとセリヌンティウスは、深く頷きました。
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 こうして、元の平和な国に戻ったということは、言うまでもありません。 おしまい 

紙芝居:「走れメロス」 その7

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 メロスは、走りながら心の中でつぶやきました。
「さっきのは〔悪魔〕のささやきだ。・・あれは夢だ。疲れていたからあんな夢を見たのだ。
 あぁっ、陽が沈む。待ってくれ・・。」
 メロスは黒い風のように走りました。
 少しずつ沈んでゆく太陽の十倍も早く走りました。
 今やメロスは、山賊との格闘によって服は破れ、ほとんど裸でした。。
 「かまわぬ。・・風体などどうでも良い」と、元祖ストリーキングマン:メロスは走り続けました。
 もう、息も出来ず、二・三度口から血を吐きました。
 その時、遥か向こうに、夕陽を受けたお城の屋根が見えたのでした。
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 そして、メロスは必死の形相で町に入りました。
 その時です。
 一人の若者がメロスに追いつき、声を掛けました。
 「私は〔セリヌンティウス〕の弟子でございます。・・もう間に合いません。走るのをやめて下さい。・・あぁっ、なんと云うことだ! 師匠は、王にさんざんからかわれたのです。しかし、『メロスは来ます!』とだけ答えました。」と・・。
 それを聞いてメロスは、
「だから、走るんだ。信じられてるから走るんだ。
 ・・間に合う、間に合わないは問題ではない!
 私はなんだかもっと恐ろしく、大きなものの為に走っているのだ!」と答えました。
 今やメロスの頭は空っぽでした。
 何ひとつ考えていませんでした。
 ただ、訳のわからぬ大きな力に引きずられて走り続けました。
 そして、ついに刑場に突入しました。 つづく。(次回、最終回)

紙芝居:「走れメロス」 その6

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 ・・・どれぐらい時間が経ったでしょう。
 ふと、耳をすませば、目の前の〔岩の裂け目〕から、こんこんと湧き水が流れている、そんな音でメロスは気がつきました。
 メロスは両手で、その水を一口すくって飲み、「ほっ」とため息をつきました。
 この時、メロスは夢から醒めたような気がしました。
「おおっ、歩ける。」
 肉体の疲労回復と共に、わずかながら〔希望〕が生れました。

(・・余談ながら、僕はこれと同じような話を〔比叡山延暦寺〕の『千日回峰行』を達成された〔酒井阿闍梨〕から直接お聞きしたことがある。・・酒井師は『千日回峰行』の途中、その疲労困憊から、山の中で倒れ込み『回峰行』を諦めかけた事があると、おっしゃっておられた。・・しかし、目の前の清水を一口飲むことによって回復し、又『回峰行』を続けることができたとおっしゃられた。それを比叡山で聞いた僕は思わず、『メロスと一緒やん!』と心の中で叫んだのであった。・・余談おわり)

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「まだ日没までには間に合う・・。 私には待ってくれてる人がいるのだ。
 私は信じられている。
 私の命などは問題ではない。
 私は〔信頼〕に報いなければならない。
 今はただ、その一言だ!
 走れ、メロス!」
 メロスは再び走り始めました。
 『そうだ、メロス!・・寛平ちゃんも頑張ったぞい!』 つづく

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