住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「悲劇の哲学者 三木清伝」(その1)

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 哲学とは、[智慧]の学問のこと。
 そして、
 哲学者とは、その[智慧を愛する者]という意味だそうです。
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(兵庫県 たつの市)
 播州、竜野市で生まれた[三木清(みき きよし)] も、その一人、いや彼は、当時『日本を代表する哲学者』でした。
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 豊かな揖保(いぼ)川の流れによって、うすくち醤油やそーめんなどを生み出して来た町、竜野市。
 三木清は、明治30年この町でうまれました。
 つづく

紙芝居:「隠れ念仏の里」(その7)最終回

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 しかし、熱心な門徒たちは、負けませんでした。チェストー!
 あるもの達は、舟に乗って、遥か海の上で[お念仏]を称えました。
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 又、あまりに惨い藩のやり方に、絶望した或る村の門徒たちは、「村ごと」新天地を求めて、(宮崎県へ)夜逃げしたという記録が残っています。

 そして、文明開化の明治時代になっても、[念仏弾圧]はまだ続きました。
 それは、[神仏分離令]という、[廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)]運動がおこり、南九州すべての《お寺》が(今度は)潰されてしまったからです。
 ・・そして、明治九年。
 ようやく、新政府は『信仰の自由宣言』を出します。
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 ・・そして、現在。
 鹿児島県を中心とする南九州では、『浄土真宗』の門徒(=信者)が一番多い事で知られています。
 ・・じゃっどん、三百年の念仏弾圧にも負けず、隠れながらも《信仰》というものを捨てなかった南九州人。
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(現在の鹿児島県)
 その強靭で崇高な精神を、我々は忘れないでおきたいですね。
 おしまい

紙芝居:「隠れ念仏の里」(その5)

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 ・・ここに一人の男がいました。
 名前を山田村の[伝助(でんすけ)]といいます。(※『伝助べえ』ではありません)
 この男性、現在の熊本県人吉市=[相良藩(さがらはん)]出身の熱心な《隠れ門徒》でした。
 伝助は、昼間は[百姓]をし、夜になると、野を越え山を越え、念仏布教の熱心な旅に出歩いていたのでした。
 そして、遠くは(変装をして)京都の本願寺まで、皆から集めたお布施(浄財)を納めに行き、往復していたそうです。
 ・・が、しかし、
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 ある日、村の悪いバクチ打ちに騙され、密告されて、藩の役人に捕まってしまいました。
 そして伝助の厳しい取り調べが始まりました。
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 「仲間の名前を吐かんとかっ!」、「念仏信仰ば、止めんとかっ!」などと、役人たちは伝助を拷問に遭わせました。
 しかし、一切口を割らず、信仰も捨てず、「罪業深重の、わがままな私をば、今日までお育て下さった仏祖の恩徳に、謝すのみじゃ・・。」と、仏様に感謝の言葉を残し、60歳で処刑されたということです。
 当時、この伝助のような殉教者はたくさん居たそうです。
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(今も残る「鹿児島別院」内の拷問石、『涙石』=涙を流して、拷問に耐えたそうです。・・僕はこの石の前で涙しました。)
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・・が、密告され、捕まり、苛酷な取り調べに耐えられず、仲間の名前をしゃべってしまった村人も多くいたそうです。
 そして、彼らの多くは、隠してあった仏像や経典を取り上げられ、村の中で焼かれたそうです。 つづく

紙芝居:「隠れ念仏の里」(その4)

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 又、個人で隠れて信仰する者の中には、
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 [傘]の中や、[まな板]の中に、仏様の[掛け軸]を直して、夜更けに、それをこっそり取り出して、お念仏を称える者もいました。
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 又、タンスのなかに[仏壇]を隠して、拝む者もいたそうです。
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 つづく

紙芝居:「隠れ念仏の里」(その3)

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一説では、南九州に《19万人》も居たと云われる門徒の数・・。
 いくつかの村では、秘かに自然の[洞窟]などを改造し、秘密の[念仏集会所]を作ったのでした。
 でも、これはお役人に見つかれば、磔(はりつけ)や斬首などの処罰が降りかかる、正に命がけの《信心》だったのです。
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(南九州市知覧町:立山かくれがま=洞窟)
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(洞窟の中{たくさん虫がいて気持ち悪い})
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(鹿児島市:花尾念仏洞)
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 そして京都の本願寺から、秘かに[布教使]を招き、嵐の夜などに、洞窟で[法座]を開いたのでした。
 本願寺から来た[僧侶]も、正に命がけの布教でした。 つづく

紙芝居:「隠れ念仏の里」(その2)

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 ここでもう一度、《浄土真宗(=一向宗)信仰禁止令》が、出ていた地域を見て見ましょう。
 九州の北側から見ますと、現在の熊本県の[人吉市](当時の[相良藩])。
 宮崎県の一部を含む、現在の鹿児島県全土。当時の[薩摩藩]全土でした。
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 正式には、薩摩の殿様が[一向宗禁制令]を出したのは、慶長二年(1597)でした。
 殿さまの[島津義弘]公は言いました。
「オイの国、薩摩は一向宗を禁止にすっど!
 じゃっどん、もし、一向宗の念仏を信心するものが居ったら、厳しく処罰すっからな!そう思えっ!」と・・。
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 それを聞いた念仏信者(門徒)たちは、びっくり!
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(全門徒)「殿さまっ!それは、なかっ!
 殿さまの命令は、絶対じゃけんど、・・じゃっどん、おいたちは、先祖から念仏を信仰しとるもんで・・。
 念仏は、おいたちの心の拠り所でごわんど。
 親鸞さまのみ教えを捨てるなど、おいたちには、とてもできもはん!
 ・・何とかせにゃあ、ならんのう⁉」と、各地域の門徒たちが、それぞれに集まり、秘かに話し合いが始まりました。 つづく

紙芝居:「隠れ念仏の里」(その1)

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これは、江戸時代初期から、明治時代の初めに掛けての、およそ《三百年間》に渡るお話しです。
 南九州の[薩摩藩](今の鹿児島県)や、[熊本県・宮崎県]の一部では、キリスト教と並んで、浄土真宗(当時は[一向宗]と呼ばれていました)は、『禁制=(禁止)』されていました。
 その理由は、
・・親鸞聖人の教えには「徹底した自由・人権・平等思想」が含まれていたため、それを想像以上に、薩摩藩の武士たち権力者が、恐れたからだと云われています。・・おそらく、農民による一向一揆を恐れたのでしょう。
 それで、浄土真宗の『お念仏』を禁止しました。
 しかし、南九州の熱心な[念仏門徒(信者)]たちは、秘かに個人で信仰したり、[洞窟]などに集まってお念仏を称え、信仰を続けました。
 ・・これは、そんな『隠れ念仏者たち』のお話なのです。 つづく

紙芝居:「良寛さまの涙」(後編)

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 この日以後、
 馬之助の放蕩はピタリと止みました。
 そして、一生懸命に仕事に専念するようになったのです。
 由之夫婦は、その姿を見て、心から喜びました。
(由之)「これは一度、兄さんの所へ御礼を言って来ねば・・。」と、早速、手土産を持って、良寛さまの庵に向って出発しました。
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 そして、由之が庵近くまで来たとき、偶然、向こうからやって来る、托鉢途中の良寛さまに出会いました。
(由之)「あっ、兄さん!」
(良寛)「おおっ、由之。」
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(由之)「兄さん、この前は有難うございました。
 兄さんの一滴の涙が、馬之助を改心させました。」

(良寛)「いや、わしは何も出来んかった。
 お前には謝らねばならん・・。
 三日間、何度もわしは、馬之助に注意をしようとした。
 しかし、とうとう、出来なかった。
 ・・聞いてくれ、由之。
 実は、馬之助としゃべっておると、わしの若い頃の姿と重なってなぁ・・。
 馬之助の悩みと苦しみが、よーく解るのじゃ。
 それで、わしはとても説教など出来んかった。
 そう思ったら、居てもたってもおられず、恥ずかしくなって、帰ろうと決心したんじゃ・・。
 帰り際、せめて、馬之助に何か一言、声を掛けてやろうと思ったんじゃが、馬之助の姿を見て居ったら、切のうなって、涙しかこぼれんかった・・。
 これが、真相じゃよ。」と言って、恥ずかしそうに良寛さまは、由之に謝りました。
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(由之)「兄さん・・、馬之助のことでは、ご心痛をお掛けしてしまいました。・・本当に申し訳ございません。
 しかし、兄さんの、・・いや、良寛さまの涙は、確実に馬之助に届きました。
 本当にありがとうございました。」
 と、由之はつぶやき、良寛さまの後姿に合掌したのでした。  おしまい

紙芝居:「良寛さまの涙」(中編)

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良寛さまと馬之助は、よもやま話に、時間が経つのも忘れて談笑しました。
 その様子を由之夫婦が「いつになったら、意見をしてくれるのだろう」と、二人の話題を絶えず、盗み聞きするのですが、さっぱり、良寛さまの口から、それらしき言葉を聞き取ることができません。
 ・・やがて、二晩が経ちました。
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・・ところがです。
 三日目の昼過ぎ、良寛さまは「もう、山の庵に帰る。」と、言い出したのです。
 それを聞いて、弟夫婦は「なんと、頼み甲斐のない兄さんだ!」と思いましたが、仕方がありません。
 みんなで、玄関まで送ることにしました。
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 良寛さまは、玄関口へ腰をおろして、ワラジのひもに手を触れながら言いました。
(良寛)「馬之助、すまんが、ひもを結んでくれんかのう?・・年を取ると、うつむくのが苦手でのぉ・・。」
 馬之助は、上機嫌で「はいっ」と答えて、すぐに土間に降りました。
 そして、良寛さまの足元にうずくまって、ひもを結びかけました。
 その時です⁉
 馬之助の頭に、一滴の水が落ちて来たのです。
 「あっ」と、
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 馬之助はびっくりして、あお向きますと、良寛さまの眼には、涙が一杯たたえられているのです。
 馬之助は、急にこころが打ちのめされたような気がしました。
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 そして、何も言わず、トボトボと帰ってゆく良寛さまの後姿に向って、馬之助は思わず、合掌をしました。
 この時、馬之助は何を考えたのでしょう。 つづく

紙芝居:「良寛さまの涙」(前編)

 紙芝居『良寛さまの涙』
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 昔、越後の国(今の新潟県)に、[良寛(りょうかん)]様という、心の優しいお坊さまが一人で住んでいました。
 ある晩、良寛さまの庵に、実弟の[由之(よしゆき)]が訪ねて来ました。
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 由之は、長男であった良寛さまが出家した為に、家業を継いだ弟です。

(由之)「兄さん、実はご相談があって参りました。」

(良寛)「なんじゃ、改まって・・。」

(由之)「実は、一人息子の[馬之助]のことなのです。
 息子の馬之助は、ここ最近、まじめに働かないのです。・・よく家を抜け出しては、夜遊びをします。
 朝方帰って来て、私が注意をすると、今度は何日も部屋に閉じこもってしまい、出てきません。
 何を考えているやら・・、いったいどうしたものかと・・。
 そこで、お願いなのですが・・。」
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(由之)「兄さん、この通りです。
 どうか、馬之助に説教をしてやって下さい。
 馬之助は、兄さんをたいへん尊敬しております。
 兄さんが注意をして下されば、馬之助はきっと反省して、真人間に戻るでしょう。」と、由之は頭を下げました。

(良寛)「困ったのぉ・・。」
 良寛さまは、本人の心が動かねば、説教など、まったく無駄になる事を知っていました。
 しかし、弟の心中を察すると、断ることが出来ませんでした。
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 そこであくる日、良寛様は生家へと向かいました。
(良寛)「やぁ、馬之助。元気か?遊びに来たぞ。」
 何も聞いていない馬之助は、
(馬之助)「おじさん、お久しぶりです。よくいらっしゃいました。さぁ、上がって、上がって・・。」と大はしゃぎ。

(良寛)「では、上がらせてもらいますよ。」 つづく
 

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