住職のつぼやき[管理用]

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今年はちょっと涼しかった墓参り

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 毎年恒例の、(小山全体に広がるお墓を一つひとつ登ったり降りたりして読経する)激烈な村の墓参り(イベント)が、先ほど無事に終った。(写真はそのお墓の小山。右上にPLの塔が見える)
 今年は幸いなことに、早朝(5時頃)が涼しかったので、坊さんエネルギーを太陽熱で奪われること少なく多いに助かり、そのままのペースでなんとか最後までお参りし終えた。
 また、喉を痛めてまだ声の出が悪い僕としては、途中声が出なくなったり、日射病で倒れたらどうしようか?と心配もしたが、それもセーブしながらの読経でなんとか凌げた。
 ああっ、これで一年で一番過酷な一日を終らすことが出来た。・・これも、手伝って下った友達の僧侶たちと、(うちわで後ろから扇いで下さった)お手伝い頂いた檀家さん達のおかげだ!ほんと、ありがとうございました。・・これでお盆の前半戦は終ったようなもんだ。
 後は、檀家さん宅の(15日まで連日続く)お盆まいりと、二ヶ寺のお盆法話だ。
 あぁっなんとか、声帯よ、最後まで無事であってくれ!

嬉(うれし)ふれあい通信

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 先月、富田林の嬉地区「ふれあいまつり」に行かせて頂いたことはこのプログにも書いたが、昨日その『嬉地区福祉委員』さんから、「その時の模様を特集した「地区ふれあい通信」が出来ました」と送って下さった。
 ・・もう、半年ほど前にも思えるし、つい先週のことにも思える懐かしい写真が、連続写真の形で掲載されている。
 確か、この時僕は子供たちに「・・さて、それではおっちゃんの仕事は何でしょうか?」と聞くと、「紙芝居屋さん!」と大きな声で答えられて愕然としてしまったが、その後、先々週の学童保育ではさらにその同じ質問に対して、「忍者!」と言われて、もう失笑するしかなかったのを覚えている。
 

井上ひさし作:「しみじみ日本・乃木大将」を見て来ました

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 「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことをあくまでゆかいに・・」という名言を遺された劇作家「井上ひさし」さん。
 僕もこの言葉をいつも胸に「紙芝居」を作っている。
 やはり、とっつきにくい『仏教』を、やさしく、おもしろく、まじめに、そしてゆかいに話す方法は、『紙芝居』しか無いと(勝手に)思っているからである。
 さて、この名言を遺された〔井上ひさし〕さんのお芝居を昨日見に行って来た。(演出は蜷川幸雄さん)
 舞台の前から四列目の席だったので、俳優さんたちの汗の流れやつばきなどもはっきり見えた。(セリフを間違えて噛み、お互いが目と目で苦笑いしている姿もはっきりと見えて面白かった。・・舞台初日は緊張するんやろうなぁ。又、舞台上もものすごく暑そうで、おそらく一回の公演が終ったら体重が二・三キロ減ってると思うわ。舞台俳優さんの体力恐るべし!)

 さて、歴史上の(悲劇の)英雄〔乃木希典〕さんを、(ひょっこりひょうたん島作家の)井上さんがどのように料理するのか?・・その手法も楽しみではあったが、実際このお芝居を見て度肝を抜かれた。
 なんと乃木将軍の生涯を、その愛馬たちが突如として(前足と後ろ足に分裂し人格(馬格)を持ち)面白おかしく語り出すという奇想天外なお話なのだ。
 その乃木将軍とその愛馬の前足に扮するのが〔風間杜夫〕さんで、乃木夫人と近所のメス馬の後ろ足と明治天皇の皇后に扮するのが〔根岸季衣〕さんで、その他周りを、いろんな馬の足や歴史人物たちを登場させ、面白おかしくそして滑稽に物語は進み、やがてクライマックスの主人公の『殉死』へと移ってゆく。
 まじめに生きようとすればするほど、周りから滑稽に見られてゆく人間の悲しさや儚さが一杯つまった、それでいて愉快なお芝居であった。
 
 
 

のどの炎症

 七月がちょっと忙し過ぎたようで、おとといの夜から、(しゃべり過ぎか)喉が炎症を起こし、その痛みで眠れなかった。
 今朝は、薬が効いたせいか幾分か楽になった。
 今月は、一年で一番忙しいお盆月である。
 家内に「遅くまでオリンピックを見ないで早く休みなさいよ。お父さんが応援しなくて、ちゃんと選手は頑張りはんねんから。・・でも、競技の終わった選手はお父さんの仕事を手伝ってはくれへんよ。」と、当たり前やけど、説得力のある事を云われた。
 それで、昨日はサッカーを見ずに早寝した。
 確かに、今朝起きたら、僕が見ようが見まいが、試合は無事に終っていた。・・これも当たり前か。
 少し喉の痛みが和らいだようだ。・・やはり休養は大事だな。 
 

セルモ学習塾「夏のイベント」への出前

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 昨日、奈良市登美ヶ丘にある「セルモ学習塾」の『夏のイベント』へお寺の出前に行って来た。
 こちらは、閑静な住宅街の中にある小・中校生の為の学習塾である。
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 こちらの塾長さんが、教室での『夏のイベント』を企画され、僕はその(子供の情緒教育の一環として紙芝居をして欲しいという)趣旨に賛同し、今回の実現となった。
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 この日は、前半は小学生に、後半は中学生に、紙芝居の中身を変えてお話してきた。
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 紙芝居を見たことが無いと言っていた子供たちではあるが、みんな、いろいろと話に食いついて来てくれて盛り上がった。
 今、教育界は『いじめ』を初め、様々な問題が『社会問題』として再沸騰してきている。
 僕がこの日も感じたのは、子供たちの心は一見元気そうに見えても不安が一杯そうで、他人の事を考える余裕がないように思えた。
 たとえば、『くも糸』の紙芝居でも、「どうしたら〔くも糸〕は切れずに済んだのでしょうか?」と感想を聞いたら、
 「自分〔主人公〕からすぐ下で、糸を切ってしまえば、自分は助かったのに・・」という意見が出て、この思いもせんかった感想に、今のゆとりの無い教育現場の実情を少し垣間見たような気がした。
 又、「僕はゲームが無かったら生きていかれへん。ゲームだけが命や!」と言った言葉もとても印象に残った。
 ・・子供たちは、どこか疲れているんや。(大人たちがオリンピックや政治やで騒いでる場合ではないようやなぁ・・)
 最後、塾長さんが次のように僕にお話して下さった。
 「今の子供たちは可哀想である。勉強と遊びのオンとオフのスイッチをどこで入れて、どこで切れば良いか、解らんような忙しさになっている。これでは心にゆとりが生まれない」と。
 確かに、わずか一日ではあるが、そんな感じがした今回の出前であった。
 

寛弘寺老人クラブ主催「親子のつどい」への出前

ファイル 948-1.jpg(寛弘寺集会所)
 先ほど、お葬式の合間をぬって(告別式と還骨勤行の間に)、地元「寛弘寺老人クラブ主催」の〔親子の集い〕へ、紙芝居の上演に行って来た。
 「お葬式の合間に、紙芝居のサーカス曲芸使みたいな事させてすんませんなぁ」と、老人クラブの会長さんが、すまなさそうにおっしゃってくださった。(紙芝居のサーカス曲芸使って面白い表現だ。気に入った!) だが、僕としては楽しみにしてくれていた子供たちをがっかりさせる方が辛かったのだ。
 だから、曲芸でもなんでも、ダブルブッキングにならないなら、常に上演させてもらう覚悟だ。
 ・・でも、やっぱり体力的にも無理が掛かってか、途中で声が嗄れてしもたなぁ。これは失敗、失敗。
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 でも、楽しそうに見てくれる子供たちの顔が、僕にとっての元気の源になる。
 何より穴を開けず、無事に紙芝居会を実施できたことが、僕にとっては嬉しいのだ。
 

「キッズサンガの集い」in本願寺岐阜別院

ファイル 946-1.jpg(岐阜別院:本堂)
 昨日、岐阜市内にある「本願寺岐阜別院」へ、『紙芝居法話』の出前に行って来た。
ファイル 946-2.jpg(駅前のハデな信長像)
 岐阜といえば、織田信長。・・・そして、
ファイル 946-3.jpg(岐阜城)
 斉藤道三の岐阜城。(時間があったので寄って来たが、疲労で足がつりそうになった・・トホホ)
ファイル 946-4.jpg(岐阜城から見た長良川と町)
 岐阜別院は(写真)の長良川の手前左の方にある・・が、確認不可能。
ファイル 946-5.jpg(140名の子供達と親御さん)
 疲れを知らない子供たちを相手に、約一時間ちょっと、熱気ムンムンの会場で、紙芝居とお話をして来た。
 それにしても、どうやらこの日のスケジュールは過密やったみたいで、朝のラジオ体操から始まり、勤行そして、体を使ってのゲーム大会。そして、お昼はみんなで(セルフで)オニギリを作って食べ(僕も頂きました。おいしかったなぁ。・・中には七つも作って食べた子もあったそうな。すごい胃や!)、その後、お昼から僕の紙芝居大会。
 みんな、疲れて寝るかと思ったけど、さにあらず、真剣な顔で見て聞いてくれた。
 又、休憩時間も、みんな僕の側に集まって来て、いろんな感想などお話してくれたりした。・・ゆっくり休めんかったけど。〔笑〕
 又最後、凍った〔チュウチュウ〕を食べながらも、まだまだ話足りんかったのか、次から次へとみんな集まって来てくれて、お話してくれたなぁ。(この子等、疲れるという事を知らんのかと思たわ!)
 まぁ、(大阪弁と岐阜弁の)方言の違いこそあれど、受けるとこは受けたような。学んでもらえるとこは学んでもらえたような・・そんな気がする。
 ・・僕の方こそエエ思い出を一杯頂いたような・・そんな気がする大会やったなぁ。
 ・・ほんま、お世話になった(教務所のO氏、そして岐阜仏教婦人会の皆さん)有難うございました。合掌
 
 

第5回:仏教婦人交流会は「写経会」

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 昨日の「仏教婦人交流会」は、『お正信偈』の写経会を行った。
 「写経会をやって欲しい」という声は、前々からあった。
 ・・が、お寺の椅子にあった長机が無くて、今まで実現できなかった。
 それがようやく揃える事ができて、実現となったのだ。
 今回の写経会は、皆が真剣に、そして静かに実践することができた。
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 そして最後は座談会をしながら、「これを一回きりとは言わず、何度か連続でやってほしい」と声が皆から上がり、いよいよ、本格的に「交流会」が軌道に乗り始めたのであった。

三谷版:チェーホフの「桜の園」を見て来ました

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 昨日、森之宮ピロティホールで「三谷版 桜の園」(出演:浅丘ルリ子、他)の演劇を見て来た。
 なぜ、喜劇作家:三谷幸喜が「チェーホフ」の作品を演出したのか・・。
 僕は知らなかった・・・、この物語は喜劇やったんや。
 僕はずっと「桜の園」は悲劇の戯曲だと思っていた。(以前、テレビの劇場中継で見たのだ・・、しかし暗く悲しい話であったような記憶があって・・)
 しかし、改めて文庫本から読んでみると、ちゃんとチェーホフは「『桜の園』は喜劇(コメデイ)の戯曲である。」と書いているのだ。
 もっと調べてみると、さらにチェーホフの人生は風変わりであった。
 医学大学を出ながら、演劇作家になり、短編喜劇などを多数書きながら、やがて本格的な文学作品も描き、44才の若さで病で亡くなっている。人生そのものが滑稽やん。
 ・・そうか、だから、三谷幸喜はチェーホフに目をつけたのか。

 こんな、あらすじだ・・。
 20世紀初頭の南ロシアの5月。
 美しく咲いた『桜の園』のある豪邸に、(5年ぶりに)主人公の女当主〔ラネーフスカヤ〕夫人が、フランスから帰って来る。
 思い出に浸る彼女を喜び迎える(一癖ある)屋敷の人々。
 しかし、広大な領地はすでに抵当に入り、まもなく競売に掛けられようとしていた。
 が、財産が底をついているのに、尚浪費を止めることができない女主人。そして彼女を取り巻く滑稽な人々たち。
 落ちぶれてゆく人の悲劇を描きながらも、見ようによったら、それは(愛すべき人間)喜劇。
 「悲劇というものは、(第三者の目線から見れば)それはひょっとすると喜劇なのかもしれない。・・そんなことを(改めて)チェーホフは言いたかったのか?、いや三谷幸喜は言いたかったのか?」と、考えさせられてしまった。 
 そんな作品であった。
 悲劇を大笑いして見ている観客を、(笑えない)僕は冷たい目で眺めていたのだが、その方がよっぽど悲劇かもしれん・・と思った。いや、それは喜劇か?
 
 
 
 
 

「セルモ学習塾」からの出前依頼

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 今日、奈良市より「セルモ学習塾」の塾長さんが、お寺に来られた。
 目的は、今月末に行う「セルモの夏のイベント」の打ち合わせの為である。
 今までいろんな所へ「出前」に行ったが、学習塾は初めてである。
 小学生向けと中学生向けの二回に分けて、「紙芝居」をして欲しいと頼まれた。
 僕も最初は「お受けしようか、しまいか」、少し悩んだのだが、最近、子供たちを中心とした様々な事件や事故が多いと感じていたので、(僕自身の子供たちの心を理解する一つのきっかけにならないかと)思い切ってお受けすることにした。
 さて、僕の紙芝居が「学習塾」でお役に立つかどうかは解らないが、僕自身の勉強のためにも、一度で出前させて頂く。
 その結果は、又このブログで発表させて頂きたいと思う。

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