住職のつぼやき[管理用]

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テレビ放送の影響

 テレビ放送の影響というものは、ホンマに凄いものだ。
 もう、一年も前に放送された番組(関西テレビ『よーいどん』)なのに、今でもちょくちょく「見た」と言われてお客さんが来られる。
 つい先日も、(アポなしで突然)ご年配のご夫婦が「テレビを見て来ました」と言って、泉北から来られた。
 そのお客さんは、「『よーいドン』という番組を見て、こちらのお寺を探して参りました。・・「紙芝居法話」というのは、毎日お寺でやっておられるのですか?・・できれば見せて頂きたいのですが?」とお尋ねになった。(去年の夏に放送されたものなのに、よくぞ、ここをお探しになられて来られたものだと感心した。)
 僕は「自分のお寺では、毎日「紙芝居」を演じてはいないのですよ。・・僕は出前を専門にやってますので。・・日頃は檀家さん宅のお参りをして生活をしておりまして。・・紙芝居法話はいわゆるボランティアでして。」と説明したが、
 「でもまぁ、せっかく遠方から入らしたので、何かリクエストの紙芝居があったら演じさせてもらいますわ。」とも言った。
 「それでは、テレビでやっておられた『長いお箸の話』をお願いします。」とおっしゃったので、本堂でお参りして頂いたのち、披露させて頂いた。
 その後、そのご年配のご夫婦は、喜んでお帰りになられたが、この日この時間、ほんまに、たまたまお寺に居てて良かったと思った。
 ・・つくづく思うのだが、テレビ放映の影響は大きいものだ。一度インパクトがゆくと、月日や時間を超越して、人を動かし始める。観光バスが時々来るようになったキッカケも、このテレビ放送にあったではないか・・。

 余談になるが、今、テレビとラジオのふたつの(出演)番組予定が入って来ている。・・これが放送されたら、いったいどうなるのだろうか。
 新たな出前は、今以上に増えるのか? 
 まぁ、どうにもならんかったら良いが・・(それはそれで少し寂しいかも。〔笑〕)
 でも、これ以上忙しくなるのは(傷んでいる喉のことを考えると)少し恐い。
 

臨死体験のはなし

 先日、うちの檀家さんから貴重な体験談を聞かせて頂いた。
 いわゆる「臨死体験」の話だ。
 詳しく書くと長くなるので、聞いたところを掻い摘んで述べるとする。
 その話を語ってくださった年配の女性Yさんは、先月、突然自宅で腹痛を起こし、救急車で病院に運ばれた。
 レントゲンの結果、腸閉塞を起されていたようで、手術をするかせぬかで、ドクターも迷ったそうだ。
 それで、全身麻酔をされて、肛門から腸へと管を入れている最中、その麻酔が強かったせいか、意識を完全に失われて、命があぶなかったらしい。
 その時に、その体験をされた。
 ベットの中で自分の人生を一瞬にして、全部映画のように走馬灯の如く見たかと思うと、気がつくと、自分は暗いトンネルを抜けて、ある大きな広場に到着された。
 そこには、たくさんの人がいたそうだ。
 その人達は(自分も含めて)身体にたくさんの黒い《塊り》が付いている。
 それを一所懸命に剥がそうとするが、剥がしても剥がしても、磁石のように元に戻って来てしまう。
 各自、目の前に仏さんのような人がいて、一緒に手伝って剥がそうとしてくれている。
 しかし、皆なかなか剥れない。
 Yさんは、その黒い《塊り》は、生きて居るときに経験した《執着=迷いや悩み》である事がなぜだか解った。
 それで、「もう自分は、子育てもちゃんとしたし、仕事もきっちりした。お寺のお手伝いもしっかりした。(そう僕に言われた〔笑〕)・・後に残す夫のことは気がかりだが、子供もいるので、もう人生悔いは無い!良い人生だった。」と思った瞬間、自分にまとわり付いていた塊りがすべて剥れたそうだ。
 その次の瞬間、自分は真っ白く光輝く(それは気持ちの良い=言葉では言い表せない)世界にたどり着いたらしい。 
 「これは、お寺で言っていた極楽浄土だ!」と直感で解ったそうだ。
 ずっと自分はここに居たいと思ったそうだが、又意識が遠のいて、気がつくとベットにいたそうだ。・・腸も通ったそうだ。
 そのことをはっきりと覚えていると、僕に話された。
 Yさんは最後に「もう死ぬ事は恐くなくなりました。・・今生きているのは、貰った命だと思います。・・後は、世の為・人の為と尽す生き方をしたいと思います。・・お寺の仕事もしっかり手伝わせて頂きます。」と云われた。
 感動的なお話だった。又、有り難い言葉もおまけに付けてくださり、とってもうれしかった。
 さて、Yさんが少しの間、行ったのは、はたして極楽だったのだろうか?
 が、・・そんなことは事はどうでも良い。Yさんが助かったこと、そして残りの人生は「世の為・人の為」に尽すとおっしゃったことがすばらしいと思う!
 
 

二日続きのデイサービスへの出前

ファイル 972-1.jpg(河南町:カナンデイサービス)
 昨日、今日とデイサービスセンターへの出前が二日続いた。
 昨日は、地元の「カナンデイサービスセンター」へ出前。
 こちらは、利用者さんにうちの檀家の方も居られるので、話し易いような、又そうでも無いような・・。微妙な感じであった。でも、緊張はせんかったなぁ。慣れかな。
ファイル 972-2.jpg(羽曳野市:くすのきデイサービス)
 そして、今日は隣のとなりの町、羽曳野市の「くすのきデイサービスセンター」へ出前。
 こちらも四回目となるが、一年のうちに2回ほどしか寄せてもらってないので、初めてお顔を逢わす方ばかりであった。
 だから、前と同じ重複する話でも、皆さん、「うん、うん」と頷いて聞いて下さっていた・・みたいだった。

 でも・・さすがに、二日続いたら、お寺の出前もしんどい。
 出前だけなら良いが、仕事の合間の出前なので、時間も気持ちも制約させるような。・・まぁ、これがボランティアの宿命か。
 

京都西陣:興徳寺さまの「秋季彼岸法要」への出前

 昨日、京都は西陣にある浄土真宗本願寺派『興徳寺』さまの「秋季彼岸法要」に出講させて頂いた。(今回で二回目になる)
 さて、こちらの御住職もたいへん忙しいお方なのだが(昨日もお葬式が入ってタイムスケジュールが大変だったようだ)、この日は僕も朝からバタバタしていて、お寺での法事を済ませたのち、あわてて京都に車で向かったものでカメラを持ち出せず、結局、こちらのお寺での写真は一枚も無い。(まぁ、しょうがない・・か)
 でも、無事に安全に遅刻せずお寺に着くことが出来たので良かったとしよう。
 本当に、こちらのお寺の周辺は、昔ながらの京都の町並の風情をそのままに残している。
 西陣織の「ガッチャン、ガッチャン」というあの音が、あちこち家の格子戸から聞こえてきそうな所だ。
 もし、次の機会があるならば、今度はゆっくり町全体を散策して、写真を写したいと思った。
 ああっ、もちろんこちらの(町並にマッチした)立派なお寺の佇まいも写し捲りたい。

法雲寺の風雲児(秋季彼岸会)

ファイル 970-1.jpg(音楽法話)
 おおとい、自坊「観念寺」にて定例の『秋季彼岸会』をお勤めさせて頂いた。
 そして、檀家の皆さんと共に読経の後、今回のメインイベント、レディース・エンド・ジェントルメン、ミスターイベント坊主こと、豊中・法雲寺の風雲児、辻本純昭師(住職)による『ギター音楽法話&お笑い真宗落語』を披露して頂く。
ファイル 970-2.jpg(お笑い法話)
 まったく彼は、まれな才能を持つ『エン(縁)ターテイナー』だと思う。
 物怖じしないというか、恐いもん知らずというか(どっちも一緒か〔笑〕)、威風堂々とギターをかき鳴らしながら、歌を交えて〔お念仏〕のお話をされる。(おもろいやっちゃで・・)
 又、後半は、一変して『創作(真宗)落語』をちゃんと笑いとご法義とご自身の反省いや、半生を交えながら、お話された。
 皆さん、たいへんご満悦でお帰りになりました。
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 イベント坊主さん、いや師匠、本当に(大熱演)ありがとうございました。
 それでは、又のお越しを楽しみにお待ち申しております!合掌

190回目を迎えた「白寿苑」法話会

 昨日で、特養老人ホーム「白寿苑」での、月例『紙芝居法話会』が、第190回目を迎えた。
 平成18年から始めた『法話会』なので、今年で17年目となる・・か。
 この法話会も、第一回から参加して下さっている方は、女性のNさんしか居なくなってしまった。
 だから、いつもお会いする度に、昔の話に花が咲いてしまう。
 たとえば、「あの亡くなったSさんは明るく朗らかな人やったなぁ~。」とか、「あのAさんは、毎回来られたけど、途中でよく寝てはったなぁ」とか。
 老人ホームで長い事、このようなクラブ活動をしていると、参加される人が変わって(逝く)のは、仕方がない。

 先日、あるマスコミの方に「なぜ、命の寿命が尽きてゆこうとされる人たちのところへ、率先して仏法を伝えようとされるのですか?」と聞かれた。
 元気な方にとっては、素朴な疑問だろう。
 それに対しての僕は「ただ、皆さんが、毎月楽しみに待っててくださるからです。」としか答えられなかった。
 
 昨日も帰り際、皆さんから「住職さん、くれぐれも車の運転は気をつけて、帰ってくださいや。・・私等、法話会が無かったら、心の拠り所が無くなりますねんから・・」と言われて、車椅子でエレベーターの中に去ってゆかれた。
 このような御方等にお会いする事に幸せを感じるからこそ、きっと僕は、こちらに毎月伺うのであろう・・と思う。

泉慶寺「仏教婦人会」の皆さまの来院

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本日、滋賀県高島市今津町より(同朋観光バスツアー)にて、〔泉慶寺〕さまご一行(住職ご夫妻&若住職夫妻プラス仏教婦人会の皆さんプラス、ワンちゃん)が、ご来院下さった。(ワンちゃんまで、お越しになったのは初めてで、たいへんほのぼのとして楽しかった。・・又おとなしい犬で、一度も鳴かなかった。絶対自分も人間やと思ってるわワン。〔集合写真参照〕)
 さて、こちらの婦人会の皆さんは『おはつ紙芝居』という、泉慶寺さまにゆかりのある「おはつ」さんという女性が主人公の(蓮如上人の身代わりとなり命を失う)悲しく、そして美しい物語を(今、お寺を中心にして)演じられている。(この婦人会の皆さんが演じるお話は、新聞などにも紹介され、たいへん有名なのだ。)
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 ・・で、今日、この貴重なご縁に(ご無理をお願いして)その紙芝居セット一式を、うちの寺まで持って来て頂き、僕との『紙芝居競演会』という形で、交流会を開かせて頂いた。
 それで、僕はいつもの『三尺三寸のお箸』という紙芝居と『アミダ仏物語』をさせてもらい、その二つの間に(サンドウイッチの具のように)、音楽付き超大作『おはつ紙芝居』を演じて頂き、見せていただく。
 さて、びっくりして感動したのは、お一人お一人の皆さんが(紙芝居の中の登場人物の)お役に成り切って演じておられるお姿と、皆さんの息がぴったり合っておられることだった。(皆さん相当練習を積んでおられるのだろう。)・・ああっ、それとカセットの音響係をされていたご住職のタイミングもばっちりでした・・よ。
 僕自身、他の方が演じられる紙芝居を観賞させて頂く機会が、あまりなかったので、この豪華な紙芝居ショーの世界に酔いしれてしまいました。
 ホンマありがとうございました。・・とても私には真似できましぇん。
 泉慶寺御住職ご家族さま、又仏教婦人会の皆様、ご遠方までようこそのお越しでございました。ほんとに良いご縁をありがとうございました。合掌
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唯称寺さまの定例法座(彼岸会)への出前

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 先ほど、大阪市港区にある「浄土真宗本願寺派:唯称寺」さまの『定例法座(彼岸会)』に、「お寺の出前」が「お寺へ出前」に行って来た。
 さて、今回の出前先は〔港区〕で(大阪湾の近くでもあり)、今撮っているNHKの(大阪の津波のニュース特集)取材にぴったりマッチするとの事で、(記者の方がお寺にアポをとられ、取材OKも出たので、)紙芝居法話のライブを撮影する事となった。
 で、話が終ってから、御聴聞された皆さんに、記者さんが「津波の話の」感想などをお聞きになられたようだ。
 その場に僕は居なかったので(放映を見ないと)詳しくは解らないが、記者さんに後でお聞きすると、「皆さん、この「津波の石碑」の存在自体は知っているが、その(漢文で書かれた)意味までは知らなかった。勉強になった」と、たくさんの方がおっしゃられたそうだ。
 その感想をお聞きして、「ああっ、この紙芝居をこちらでやらせてもらってホンマに良かった」と、心から思った。
 さて、まだ、今回撮影の放送日は決まっていないらしいが、どのように編集されているか、今から放映が楽しみである。・・また、でっちどん姿で、皆さんに笑って頂きましょう。

七回目の『ゆうせいデイサービス』への出前

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 先ほど、富田林市にある『尾崎クリニック』内「ゆうせいデイサービス」へ、お寺の出前に行って来た。
 こちらは、年2~3回のペースでお話に行かせて頂いている。(今日で七回目だ)
 一番初めに「僕の顔を覚えておられる人は手を上げて下さい」と言うと、半分程の方が手を挙げられたので、結構顔見知りになって来たと思った・・。
 で、今日は「お彼岸」も近く、又「敬老の日」も近いという事で、テーマは〔老いと悲しみと死と心の再生〕として、紙芝居は『二つの墓穴』という話と、新作の『でんでんむしのかなしみ』という二本を持って行き、お話させてもらった。
 僕が話を始める前から、「・・何ごとも人を怨んだらあかんのや。怨んだら地獄落ちや」と、一生懸命に僕に話掛けて下さる老女性の方が居られて、この二つの紙芝居を熱心に聴いて下さったのち、「そや、感謝や。感謝が大切なんや。怨みはあかん」と、感想を述べられ、何か深く考えておられたようだ。(時間が無かったから、それが何かは聞かず終いやった)
 又、最後に「今日は何かしんどくて、デイサービスを休もうと思ってましたが、お話が聞けてホンマ来て良かったです」とおっしゃってくださった方もあり、まだ喉の調子が万全で無い僕であったが、寄せて頂いて良かったと心から思った。
 で、最後に(いつも僕をお招き下さる)担当の職員の女性と、センターの前で記念撮影。
 車の送迎係りのおじさん、うまく写して下さってありがとうございます。
 良い思い出になりました。それこそ感謝。
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「はい、住職さん質問です。・・ 『幸せ』っていったいどんな気持ち何ですか?」

 老人ホームで「法話会」をしていると、時々、もの凄く難しい質問をしてくる人がいる。
 先週の金曜日にも、そんな質問が出た。
 その日、僕は『でんでんむしのかなしみ』という紙芝居をした。
 ・・それは、「或る日、一匹のでんでん虫が自分の殻の中に〔悲しみ〕が一杯詰まっている事に気づく。そして、悩んだ末にそのでんでんむしは、いろんな友達のところに行って相談するが、皆同じ体験をしていて、自分ばかりではないと気づき、その後、元気に生きようと決心する。」というお話である。
 僕はこの紙芝居をした後、「悲しみを一杯抱いて生きてるのは、自分だけではないのですよね。・・悲しみの大小の違いはあってもみんな一緒ですね。・・不平不満よりも感謝の気持ちを持って生きた方が〔幸せ〕なんじゃないでしょうか?そんな風に生きませんか?」と言い、内心『よっしゃぁ~、うまくまとまった。・・さぁ帰ろ。』と思ったら、その時、一人の老婦人が手を挙げられたのだ。

 「はい、質問です。・・あの、私はずっと父親に言われ続けた言葉があります。それは『お前が生まれた時が一番幸せやった。・・そやけど、その後、ずっと何一つ良いことが無く、人生不幸のままやった』と。そして父は亡くなりました。・・この言葉が今も頭から離れません。
 私は今ここ(苑内)で、何不自由なく暮らさせてもらってますけど、『だから幸せか?』と言われたら、何かそうでもないような気がしてます。
 住職さん、『幸せ』っていったいどんな気持ち何でしょうか?」と、来た。
 難しい質問だ。・・お経の中にこの回答が載っているのだろうか? いや、お経の中の回答を探してきても、この人は納得されるだろうか?

 ・・で、僕は(自分が思ったままを)言った。
 「・・残酷なことをお父さんに言われはったように感じました。何か、『お前はこの家にやって来た貧乏神や!』と言われたような感じですよね。・・でも、お父さんにとっては、あなたが生まれた時が、一番幸せやったんかもしれませんね。そんな事が言いたかったのかも。・・けどずっとその後、苦労をし続けはったんで、あなたを見たらそんな言葉がポツポツ出たんかなぁ?
 ・・結局その言葉はお父さんの愚痴みたいなもんやったんとちゃいますやろか?・・でも言われたもんは、たまったもんやないですよね。

 さて、ご質問の『幸せって何?』ということですけど、人によって違うように思います。・・お金持ちでも幸せでない人も居るし、貧乏でも満ち足りた精神の人も居るし、・・やっぱり人によっての心の取り方とちゃいますやろか?
 『僕はどうなのか?』と言われたら、さてどうやろ?・・仕事もあるし、まぁまぁ健康やし、家族も居てるけど、時々、他の左うちわの大寺院に比べて、僕はなぜこんなに(色んな意味で)苦労せなあかんのかなぁ?と思ったりします。これって、幸せじゃないですよね。さぁ困りました。・・さて、皆さんはどう思いますか?」と、後は皆に振って逃げた。
 その結果、誰も何も言わんかったので、「じぁ、今日は時間が無いのでこれで終わりましょう。」と言って、法話会を終ったが、車の中で自分自身にずっと自答し続けた。
「お前は今『幸せ』か? お前にとって『幸せ』って何か?」と。 宗教でご飯食べてる僕が、このざまです。
 ・・はてさて、その答えは?? 
 いつか、見つかるんかいな?
 
 

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