住職のつぼやき[管理用]

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舞子から明石へ行って来ました

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 一日の「元旦法要」を終えてから、大阪市内にある僕の実家に行き、母親の顔を見てからお墓参りを済ませ、次の日の二日、今度は妻の実家の西宮へ、両親に挨拶に行きました。
 そしてその足で、十二月末のぎりぎりになってインターネットで予約した『舞子ヴィラ神戸』と云うホテルで、一泊して来ました。
 お寺は、いつお葬式が入るか解らないので、なかなか前もって旅行の計画が立てられないのです。・・ラッキーなことに今年の正月はお葬式が無くて、(ビジネスホテル並みの低価格で、)一つ部屋が空いていて泊まれました。「こいつぁ春から縁起がいいぜぇ~」と予約が取れると、(昨年の暮れに得度をした)妻から「縁起というのは、そういう意味で使うのと違うでしょ!」と、早速叱られました。(うるさい坊主が、我が家に一人増えました。目出度やらそうでないやら・・ブツブツ、仏)
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 このホテルは、小説『白い巨塔』にも登場する由緒あるところです。(小説の主人公が宿泊したのですが、今は現在風の高層ホテルです。)
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 特に庭園が立派でした。(今は明石海峡大橋が見えます)
 そして次の日の三日。
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 僕が一度行って見たかった、明石駅前の『魚の棚』商店街に「明石焼き」を食べに行きました。
 お正月で開いてる店が少なかったのですが、それでも何軒かは開いていて、二件、明石焼きのはしごをしました。
 「思いっきり食べるぞ」と、思っていたのですが、それでも年のせいか食べれないものですね。
 二件廻ったら、もう腹いっぱいで後はお土産に買って帰りました。明石焼きって、どこの店も味は同じかと思っていたのですが、やっぱり微妙にたれの味や、明石焼きのふんわり感が違うものなのですね。勉強になりました。(何の勉強や・・)
 まぁ、昨年の疲れが少し取れたような感じで、リフレッシュできた(今年は)ゆっくりしたお正月でした。

謹賀新年

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 新年、明けましておめでとうございます。
 どうぞ、今年も『紙芝居屋亭』を(ごひいきに)よろしくお願い致します。
 さて今回は、今年初めの観念寺『元旦法要』の事を書きます。
 十五年前は、午前六時から始めていたこの『元旦法要』も、「始めるのが早すぎる。眠い!」とご指摘を頂き、「さもありなん」と、十年ほど前から午前八時開始に変更しました。
 が、「まだ早すぎるわ。・・それに遅く始めた方がお参りの人も増えますよ」と、そのご指摘と甘い言葉の誘惑につられて、来院人数増加の夢に欲を出し、五年ほど前より、現在の午前十時に始めることにしました。(・・が、夢は儚く消え、現在に至るまで、あまりお参りの人数は増えてません。・・が、が、結果的に寝坊できるので、僕も楽になりましたが・・〔笑〕)
 ・・まぁ、そんなことで、今年も午前十時から「元旦法要」を始めました。 今年は九人来て下さいました。
 そして最後は、皆で記念撮影。
 その後一階ホールで、皆さんと一緒に小梅の入った昆布茶で乾杯。
 一年の始まりを、よろこんぶ(昆布)で、「うめえ(梅)」と(昭和のダジャレで)お祝いしました。
 正月早々、お参りに来て下さった檀家の皆様、ありがとうございました。合掌
 
 

『お掃除ロボ』がやって来た!

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お寺の年末大掃除は(掃除範囲が広くて)たいへんです。
 ・・が、今年は強力な助っ人がお寺にやってきました。
 それは皆様ご存知の『お掃除ロポ』です。
 この『ロポ』、実は携帯電話のポイントをずっと使っていなくて、それを使ってもらったのです。
 はっきり言って、『こんなん役に立つんかいな?』と内心思っていたのですが、意外と狭いところへも入ってゆきゴミをとってくれています。
 今、このロボの後ろから、ちゃんと仕事をしとるかついて行き(見張って)見ています。・・『そんなに見やんと、お前も働け』と、このカブトガニのような奴に言われているような錯覚も覚えてます。(その通りや・・)
 まぁ、たまに、コードに巻きつき立ち往生したりして動けんようになっている時は『可愛いやっちゃ』と思って助けていますが。 
ファイル 1030-2.jpg(ソファーの下にも入って行きます)
 充電時間が長いのが(約五時間)、ちょっと気になりますが、それでも(仕事量の多い僕としては)助かります。
ファイル 1030-3.jpg(段差では自動で方向転換します)
 おや、又、コードにからまって動けないような音が聞こえます。
 助けにいかねば・・、手間のかかるやっちゃで。

「今年の出前を振り返る」in2012

 今年も無事に、すべての「出前講座」が終わりました。(よかった、よかった)
 ・・といっても、すぐに来年1月からの出前が始まりますし、又、再来年(2014年)の12月まで出前予定が入っているので、なんとか元気を保たねばと思っております。(・・来年の事を言うと、『鬼が笑う』と言いますが、再来年のことを言うと、『鬼が引き攣る』と言いながら、今、注文をお受けしています。〔笑い〕)
 ・・まぁとにかく、今年はめちゃめちゃ忙しくて、特に7・8月と11月は(過労と喋り過ぎで)かつて無いひどい風邪に掛かり、(特に11月は)一ヶ月近く、声が出ない状態が続きました。(・・歳ですね)・・が、なんとか、出前法話だけは、こなしました。
 今年は全部で、99回の出前をさせて頂いたのです。
 これは、一ヶ月に約八回、一週間でいうと3・4日に一回のペースで出前をしてた訳で、(お寺の出前は)すべて仕事の合い間に行っているので、たいへんハードでした。・・来年はもうちょっと、やり方を考えたいと思います。
 そして今年の特徴といえば、子供たちの会への出前が多かったのと、出前だけではなく、遠くから観光バスで(お寺へ)紙芝居法話を聞きに来て下さる方が多かったことです。
 お寺の出前は、老人ホームや病院・ホスピスなどへの訪問を専門にやっていましたので、これはちょっとした変化でした。(でも面白かったです)
 と、このプログを書いてる間に、又お寺に「おっちゃん、紙芝居をやってー」と、子供たちがやって来たようです。(冬休みなんですね)
 さぁ、それでは、子供たちに好きな「紙芝居」を一本選んでもらって、演じましょうか。それが終ったらお昼ご飯を食べて、又檀家参りに出発です。・・それでは又。 
 
 

堺市SS倶楽部塾への出前

ファイル 1028-1.jpg(堺市総合福祉会館)
 昨日、堺市総合福祉会館へ、『SS(セカンド・ステージ)倶楽部』主催による月例講座「SS塾」へ、『お寺の出前』に行って来た。
 この『SS倶楽部』というのは、「シニアの生きがいづくりと、地域の活性化を目的に集まり、活動されている(仲間作り)交流倶楽部」である。
 今年の半ば、こちらの倶楽部のスタッフの方達が、お寺に来られ、打ち合わせをして今日の日の開催となった。
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 この日、冬の雨にも関わらず、40名近くの倶楽部会員の方達が集まってくださり、僕の『紙芝居法話』を静かに(時に大笑いしながら)聞いて下さった。・・ホンマ有り難いことでした。
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 講演時間の1時間半は、あっという間に過ぎ、『さぁ、後片付けをしよう』と思っていると、次から次へ、僕の所へいろんな方が今回の感想や、ご自分がなさっておられる『ボランティアの会』への出前依頼の要請などに来て下さり、お話をお聞きしているだけで、すっかり自分も堺市民の一人になったような錯覚に陥ってしまった。
 又、特に面白かったのは、一人の女性が「私は、お坊さんが話をされるというので、難い話を想像していたのですが、実際は『難くもなく』といって『軽くもなく』、ちょうどよいあんばいで、とても楽しかったです。」と言われた感想だった。
 この感想、『わが意を得たり!』。
 今年最後の『お寺の出前』は、このように、めでたく終わりました・・とさ。めでたし、めでたし。

今月の「吉本百年物語」を観てきました

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 昨日の夜、「なんばグランド花月」へお寺の仲間たちと一緒に、『吉本百年物語〔12月公演〕日本全国、テレビで遊ぼ』を観て来た。
 この公演は、吉本興業の創業百周年を記念して、一年を掛けて100年に渡る吉本の歴史を振り返る壮大な物語である。
 ちなみに、出し物は毎月変わり、昨日は『1970年 大阪のテレビ番組、全国へ!』と題して、1970年頃の吉本お笑い芸人の担い手たちが、人気者となり、全国進出し、やがてテレビ界の人気ものとなってゆくという、涙と笑いのストーリーだった。
 そして出演は、西川きよし役(西川忠志)、横山やすし役(矢野勝也)、桂三枝役(なだぎ武)、西川へレン役(瀬戸カトリーヌ)、小林プロデューサー役(石田靖)などで、今の売れっ子吉本芸人たちが、若き日のお笑い芸人たちを熱演した。はまるで、しかし・・。
 では、なぜにお寺の仲間たちとこの公演に行ったかというと・・、(僧侶有志で)来年の2月に行う『東日本大震災三回忌法要&チャリティイベント』のゲストとして、西川きよしさんが来て下さり講演してくださる、その御礼の意味として、ささやかながら、我々も先に演劇を、見に行かせて頂こうと(イベント協賛者の方がチケットを取って)企画して下さったからなのだ。
 さて、僕個人としても、新しくなった〔なんばグランド花月〕は初めてだったので、(昔はよく行きました・・)そのあまりの立派さと綺麗さにちょっと戸惑ってしまった。およよ・・。
 お芝居も面白かったが、お客をとことん楽しませる大阪(よしもと)魂のようなものから、多くのものを学ばせていただいたような気がする。
 充実した一時でありました。感謝の気持ちでまんまんちゃん、あん。あっりがっとさ~~ん。
 
 
 

今年最後の『白寿苑(月例)法話会』

 昨日の晩、今回で192回目となった『特養白寿苑:月例法話会』に行って来た。
 例年の事だが、12月の平日の夕方になると、阪神高速は毎年大渋滞をする。
 それで、昨日も法話会が始まる二時間前には、お寺を出たのだが、案の定、途中で渋滞プラス事故渋滞にも引っ掛かってしまい、当初の予定が完全に狂ってしまった。
 それで、急遽予定のコースを変更し、大阪市内の北をほぼ半周する迂回コースを取って、なんとか間に合った。(あせったわ。・・毎年こんなんやなぁ)
 まぁ、それで無事に会を始めることが出来、今回は、今年の締めくくりということで、『地獄のはなし』と『極楽のはなし』という紙芝居の二本立てをさせてもらった。
 いつもは、12月は苑内に大きなクリスマスツリーが飾ってあるので、西洋の紙芝居(マザー・テレサの話やら、イエス・キリストの話)をしたりしているのだが、今年の締めは(たまには)仏教的な話でいってみようと趣を変えて演じてみたのだ。
 結果的に、(職員さんを含め)皆さんから拍手喝采を浴び、会場が一つになったような雰囲気になって、たいへん良かったと思う。
 又、終り近くになって一人の女性から、「私も一度、手術で死に掛けて、夢の中で、閻魔さんにお会いし、極楽行きを命じられ、そこのハスの葉の上に立つ亡くなった主人に会って来たんですよ。」と言う話など飛び出し、(それって「紙芝居のお話と一緒ですね。奥さんがこのお話のモデルやったりして」と言って、皆で笑い合って)大変充実した「法話会」になった。
 来年、いよいよ200回を迎えることになる『白寿苑:法話会』。
 すでに、17年前の第一回目から出席して下さっている方は、Nさん一人だけになってしまったが、(後のお方は皆さん、お浄土に還られた)まだまだ、(やれる所まで)来年も続けてゆきたいと思っている。 白寿苑の皆さん、来年もどうぞよろしく!合掌

東日本大震災物故者追悼三回忌法要/復興支援チャリティイベントvol.3 予告

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 来年の2月9日(土)午後12時半より、富田林すばるホールにて、『東日本大震災物故者追悼三回忌法要/復興支援チャリティイベントvol.3 ~大切なあなただから~』を開催することになりました。
 主催は今年も(石川南組の若手僧侶を中心とした)『浄土真宗本願寺派僧侶有志』です。
 今回も、スライドショーあり、追悼法要あり、法話あり、吹奏楽あり、トークショーありの盛りだくさんです。
 又、今回の法話の時間は、僕が紙芝居を使って『稲むらの火(津波編)・(復興編)』を演じお話させて頂きます。
 そして、なんとっ、今回の(正に)目玉は!タレントの『西川きよし』さんに来て頂き、「大きな目で見た震災復興」と題したお話をしていただきます。(ほんま、有り難いことですっ!)
 尚、チケットは無料ですが、「整理券」が必要となりますので、ご参加ご希望のお方は当寺『観念寺』まで、ご連絡下さいませ。  又、申し訳ございませんが、チケット枚数に限りがございますので、浄土真宗の門徒さまを最優先させて頂く所存でございます。
 そこのところ、何卒ご理解の程、よろしくお願い申し上げます。合掌

『社団法人 大阪中国帰国者センター』からの出前依頼

 平成七年にNHK放送局が、山崎豊子さん原作の『大地の子』という大河小説をドラマ化し、放送して大反響となった。
 これは、太平洋戦争の敗戦によって、満州で残留孤児となった主人公が、中国の養父母への愛情と日本の実父への愛憎に揺れ動きながらも、文化大革命の荒波を乗り越えてゆくドラマだった。
 再放送もされたので、僕も何度も見て心を揺り動かされた。
 では現在、大阪に『社団法人 大阪中国帰国者センター』という組織があり、ここでは、中国残留邦人の肉親探しや、帰国援助、日本語教育、生活相談等を行なわれていて、彼らが立派な社会人として自立できるよう運営されているのはご存知だろうか。
 恥ずかしながら、僕はまったく知らなかった。(・・反省)

 そんな折、突然、こちらの団体から、日本文化の一つの紹介方法として、『紙芝居法話』をしてもらえないかと、依頼が来たのだ。
 もちろん、中国語の通訳の方が僕について下さり、訳して頂きながら話を進めるということだ。
 僕の作った紙芝居の中でも、中国が舞台のお話が何本かある。
 それを日本仏教の紹介とリンクさせながらお話したら、少し何かお役にたてるのではなかろうかと、今思っている。
 期日は来年の2月に予定している。・・まだ時間はある。ゆっくりと話の筋を考えたいと思う。

ちなみに、大阪中国帰国者センターホームページはこちら
 http://www.ock.or.jp/
 

大阪の川の流れを変えた男「中 甚兵衛」のこと

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 大阪には、現在二本の大河が流れている。
 その一本は、京都から大阪湾へ(北東から南西へ)流れ込む「淀川(よどがわ)」。
 そしてもう一本が、奈良を越え柏原市から堺港へ(東から西へ)一直線へと流れ込む「大和川(やまとがわ)」である。
 では、その現在の「大和川」は、人工的に作られたものだというのはご存知だろうか。
 江戸時代初期、奈良から流れて来た「大和川」は、現在の柏原市を境に(北西の)大阪市へと、何本も川が分かれて、大阪城あたりで「淀川」と合流し、大阪湾に流れ出たのである。
 ゆえに大雨が降ると、これらの何本もの川は、大阪平野で耐え切れず、大洪水を起こし、住民にとって大きな被害を出していたのである。
 そこで、「(旧)大和川」を(現在のような流れにして欲しいと)付け替え工事を幕府に願い出て、反対意見にも負けず(50年近くも嘆願書を出し続け、粘りに粘って)ようやく、付け替え工事を完成させた男が、誰あろう『中 甚兵衛(なかじんべえ)』その人なのである!パパン、パンッ!(ハリセンを叩いた音)
 彼は、庄屋(お百姓さんの代表)出身でありながら、たぐいまれな粘り強さで、人生のほとんどをこの事業に費やし、みごとに大和川の流れを現在のように変え、大阪平野を見事に豊かな土地へと生まれ変わらせたのである。
 現在の大阪の発展は、彼のお蔭であると言っても良い。(しかし、新しき川の流れを作るために、(提案された流れの上に住まう人々は)土地の立ち退きを強いられ、彼らは間違いなく『甚兵衛』を怨んだ。・・ゆえに、現在でも『甚兵衛』をアンチヒーローと呼ぶ土地の人々もいる。・・それは当然かもしれない。
 彼は、自分が行った事によって、多くの人の運命を変えてしまったを悔やんだに違いない。(ひょっとすると、上の(ちらしの)出家した後の『甚兵衛』の肖像画の、おでこから目の上にある傷跡のようなものは、怨みを持つ誰かに襲われて出来たものかもしれんと僕は思っている。・・あくまでも想像だが)
 だから、『大和川付け替え工事』が終った次の年、彼は突然『出家』をして、浄土真宗の僧侶となる。
 うまくやれば(その晩年)栄誉を欲しいままに、出来たにも関わらず、彼は一人の僧侶となったのである。
 それが又、すがすがしいではないか。
 長々と書いてきたが、僕は今、『中 甚兵衛』の紙芝居製作に取り掛かっている。
 きっかけは、今年の三月、甚兵衛さん生誕地近くの(東大阪市今米の)お寺で、甚兵衛さん所縁の子孫のお方と出会い、お話を聞かせて頂いたからだ。
 その時、甚兵衛さんの逸話をいろいろと聞かせて頂き、いつか、紙芝居にしたいと思ったのである。
 それから、機会があれば、甚兵衛さんゆかり土地を歩き、又資料を集め、今、ようやく製作開始までこぎつけたのである。
ファイル 1021-2.jpg(大谷本廟)
 そして、昨日、京都に行く用事があったので、大谷本廟にある『中 甚兵衛』さん夫婦のお墓にお参りをして、紙芝居がちゃんと出来ますようにと手を合わせて来た。
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 順調にいけば、来年の2月までに完成させたいと思う。 
 お浄土で、甚兵衛さんにお会いしても、恥ずかしくないものを作りたいと思っている。頑張ります。

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