昨日は、特養ホーム『白寿苑』の第144回目の《法話会》の日であった。
この《法話会》の第一回目(13年前)から参加されている方が、お二人おられる。
お一人が男性のA木さんで、もうお一人が、鹿児島出身の薩摩おご女、N中さんだ。
このN中さんが、おもしろい!
娘さんのご主人の転勤で、大阪にやって来られたN中さん。
・・お身体が弱り、『白寿苑』とのご縁が出来、今は車椅子で片手は不自由だが、頭はしっかりされていて、口はいたって達者だ!(達者過ぎる!)
たいてい、一番初めに、この《法話会》にやって来られて、〔小原節〕を唄い、僕に聞かせてくださる。(13年間、聞いてたから完璧に覚えてしまった)
このN中さん、昨日お会いした時、開口一番こう言われた。
「せんせぇ~い(先生)、私もこの苑の一番の《古株》になってしまいましたよ。・・新しく入って来られた入居者さんは、たいてい私の処まで挨拶に来られるのですよ。そして、この苑でのクラブ活動の様子とか、色々なことを私に聞いてくるのですよ。私もそれが嬉しいから、色々な苑内での〔生活規則〕などを教えてあげるの!」と・・。
僕はそれを聞いて「N中さんは、ここのウラ施設長やな~。給金貰わなあかんね~」と言って笑った。
すると、「そうなのよ~、せんせぇ~い(先生)。私はここの《牢名主》なのよ。古狸、古狸・・」と言って笑われた。
確かにN中さんは、ここの《名物入居者》には違いない。
いつまでも元気で、この『法話会』に参加して欲しいと思うのだが、・・それはいったい、いつまで続くのだろうか?
この日も、帰り際、「気をつけて帰ってくださいよ。私のためにも・・。そして又来月もお話聞かせてくださいよ」と言われた。
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白寿苑の《牢名主》!?
『スーパーコート堺白鷺』への出前
昨日、有料老人ホーム『スーパーコート堺白鷺(シラサギ)』へ、〔お寺の出前〕に行って来た。
ここは、先月オープン仕立ての、できたてホヤホヤの施設である。
まだ、入居者の方も半分程で、スタッフもどこか初い初いしい。(当然か・・)
・・ということで、まだこれと云った苑内イベントがないので、僕の出番となったという訳だ。
(この日は、外部からの見学者も多くおられ、施設のデモンストレーションも兼ねていた・・ような気がする)
又、こことのご縁は、スタッフの一人の看護師さんが、うちのお寺の檀家さんなので、そこから〔お声〕が掛かったという訳である。
今回の演目は、紙芝居『三尺三寸のお箸』・『じゅげむ』・『くもの糸』の三本で、体操なども取り入れながら、約一時間お話させてもらった。
帰り際、一人の入居女性が、僕にお話に来られた。
その内容は、「家に置いてきた《仏壇》が心配」との事で、長男も長女もお参りをせず、三男だけがたまにお参りをされるらしい。「この先、どうなってしまうのか?・・」が、悩みなのだそうだ。
僕は言った。「仏壇を守るのは、三男さんでも良いではないですか。三男さんに希望を賭けましょう」と・・。
「なんか、そう言われたら安心しました」と言われお部屋に帰って行かれた。
「・・悩みというのは、死ぬまで尽きることがない。だから宗教者に入居者の方の相談役として、毎月でも来てもらいたい」と施設長に言われたが、・・うれしい言葉だが、毎月のボランティアをこれ以上増やすのはちょっとしんどい・・・ような。通うのに約1時間かかるしなぁ・・。どないしよか??
映画『西の魔女が死んだ』を見て・・・
昨日、『西の魔女が死んだ』という日本映画を見てきた。
本当は『インディ・ジョーンズ・・』を見ようと思っていたのだが、映画館に行ったら、『西の魔女・・』の上映の方がもう、終わってしまいそうな雰囲気だったので、こっちを取った。〔僕は原作者の<梨木香歩>さんが大好きなのだ!〕(映画は一日二回の上映で、お客は僕ら夫婦を入れても10人もいなかった)
このお話を簡単に紹介する・・。
〔主人公の中学生の女の子《まい》は、学校でいじめに合い不登校となり、心を癒す為に、代々《魔女》の血筋をひくという英国人の《祖母》の家で、しばらくの間過ごす事になる。
この《祖母》は山奥の一軒やで暮らし、草木についての知恵や知識をふんだんに持ち、物事の先を見通す不思議な能力を持つがゆえに《魔女》であるとの事であった。
《まい》も『自分も魔女になりたい!』と思い、《祖母》の元で『魔女修行』を始め、風を受け入れ、光を感じながら大自然の中で、閉ざしていた心を徐々に解き放していくのであった・・〕
・・と、まぁ、このようなお話で、CGも何もない淡々とした素朴な映画なのであるが、内容は或る意味〔宗教的〕で深い。
たとえば、祖母と《まい》のセリフに次のようなものがある。
(まい)「おばあちゃん、人は死んだらどうなるの?」
(祖母)「・・そうですねぇ、おばあちゃんの信じている話をしましょう・・」とか。(・・この続きは本か、映画館で!)
(祖母)「・・自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思うことはありませんよ。 ハワイより北極で生きる方を選んだからといって、誰がシロクマを責めますか」とか。
(祖母)「草や木が光に向かって伸びていくように、魂は成長したがっているんです」とか。
(祖母)「魔女になるために、一番大切なのは意志の力です。自分で決める力、自分で決めたことをやりとげる力です」とか。・・(まるで、《がばいばあちゃん》を上品にしたような、そんなセリフがたくさん出てくる)
実は僕の娘も、今のお寺に10年前に引っ越して来た時、不登校になった。
色々と悩み、さまざまな所へ相談にも行った。
・・が、娘を救ってくれたのは、このお話と同じ、娘の《祖母》であった。
つまり、僕の母親が(魔女ではないが、〔笑〕)、娘を救った・・と思っている。娘は僕らの元を離れ、僕の両親の元へ引っ越した。学校も転校した。寂しかったが、仕方のない選択であった。全部そのままを受け入れてくれる娘の祖母は、娘の心を救ったのかもしれない。
僕ら夫婦はそんなわけで、娘を小学生の頃から育てていない。
後悔しない日はないが、これしか道がなかったと今でも自分に言い聞かす。
そんな娘も今は〔大学生〕になった。
昨日見た映画は、あの時の自分の選択を〔自分で慰めるかのような〕、そんな映画であった。
『ケアリビング楽寿』への出前
(『楽寿』苑内での〔出前〕の様子。)
『ケアリビング楽寿』というのは、大阪市内の都会のど真ん中にある〔有料老人ホーム〕の名前である。
昨日、この施設へ、これで三度目になる《出前訪問》に行って来た。(年一回のペースで行っている)
ここの長所は、賑やかな町中にある為、寂しくなく、家族さんも通いやすい。
そして短所は、交通の要所である為、車の騒音があり、空気も悪い・・ように感じる。・・又、あえて言うなら、《有料老人ホーム》なので諸費が多く掛かる・・らしい。(家族さんの声)
さて、一年ぶりの訪問で、「皆さーん、僕のこと覚えてはりますか?」という挨拶で始めさせて頂いたのだが、半分以上の方が手を挙げて下さり嬉しかった。(中には、意味がよくわからんまま手を挙げておられる方がいたような気もする〔笑い〕)
それでも、しっかりとした或る方は、去年に僕と一緒に撮った記念写真を今もベットの手すりに貼って眺めています、とおっしゃってくださって、これも嬉しいことの一つであった。(今年も又、記念に一枚撮った)
・・そしてここの苑では、「私は『お寺の出前』のファンです!」とおっしゃって、私のお寺に手紙や電話なども掛けてきて下さる熱烈な入居者家族のおばちゃまファンがおられ、一年ぶりにお会いし、又色々とお話を聴かせて頂いて懐かしい一時を過ごすことができた。
「又、来年お会いしましょうね~。それまで皆さん、お元気で!」と言って今年もこの施設を後にした。
宗教の違いも何のその!施設の名前は『十字の園(ソノ)』
『信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。〔聖書より〕』
・・・この言葉が、《寝屋川十字の園》という特養老人ホームのパンフレットの最初の〔挨拶欄〕に記載されている。
・・そう、ここは《キリスト教》を基盤とする老人福祉施設なのである。
この施設は、月一回、苑内で『介護予防教室』という講座を開いている。
対象者は、外部の人も参加自由で、苑内の入居者やそのご家族、そしてスタッフはもちろん、地域の民生委員や他の施設のホームヘルパーさんなども参加される。(今日は子供たちもいた)
この『講座』に年一回、講師として招かれる様になって五年が過ぎた。(お葬式が入って休んだ時もある・・・)
初めは《キリスト教》の施設でお話するというので、「本当に僕で良いの?」という気持ちが強くビビッていたが、五年目ともなると、なぜか慣れっこになってしまうから不思議だ・・。
おそらく、『宗教は、本来皆一緒!』という気持ちが、この施設に一歩入れば、僕を被ってくれるのだと思う。
さて、今日は『愛』について・・、そんなテーマで『紙芝居』とお話をした。
ちなみに仏教では『愛』という言葉は使わず、その代わりに『慈悲』という言葉をよく使ったりする。
でも僕は「仏教徒も《愛》という言葉を使っても良いやん』と思っている。
なぜなら、妻にプロポーズする時も、「愛してるから結婚してください!」と(今ならもう少し考えるが・・)言ったし、その後も(適当に・・?)この言葉を使っている。決して「愛してる」の代わりに「君を慈しんでるよ」とは言わない。〔笑い〕
僕は言葉の表現のこだわりより、常にそれが現実に適応したもかどうかを優先してしまうのだ。・・仏教徒としては、それは良くないのかもしれないが・・・?。
それより、僕は現実を大いに受け入れ、色んな《宗教》や《イデオロギー》を持った人達と自由に交流したいのである。
その方が面白く生きれそうで・・・。〔笑い〕
「見てくれてたのね・・掲示板」
《掲示伝道》って知ってますか?・・
それは、お寺などの門前にはられた〔掲示〕された言葉です。
たとえば、『散る桜、残るさくらも散るさくら (良寛)』とか、『過ちを改めざる これを過ちという (論語)』とか・・、どこかで一度は見たことがありますよね。
これって結構、お寺を身近に感じてもらえる効果があるのです・・・ね。
うちの寺でも、毎月の初めに新しい文句を書いて貼ってます。(写真)
先日、偶然、近所の小学生の女の子がノートに書き写しているのを見てしまいました。
後でその子のお母さんに聞いてみたら、毎月の学校の(お習字)の時間に書く練習の〔文句〕にしているとの事でした。
毎回、写して来ては両親とその〔掲示文〕の意味について、あーだ・こーだと話し合ってるとも聞きました。
この話には驚きました。
こっちは、「あ~、もう一ヶ月が経つ・・、又〔掲示文〕を考えなあかんのか~。・・今度はどこから文章を探してこよかなぁ~、又書かなあかんなぁ・・」とエエ加減な気持ちでやっていたのに、〔そこまでして読んでくれてる人があったのだ!〕と知ると軽いショックを覚えました。
〔これは少なからず、みんなに影響を与えているかもしれん!〕と思ったら、ちゅ~と半端な気持ちではなく、しっかり書かなあかん、と思った次第です。 内容はできるだけわかり易く、考えてもらえるような言葉を選び、しかも短く・・。(それって、このブログの趣旨と一緒かも・・??)
つばめが飛んだ日!
《ボーダーライン》のあっちとこっち
一昨日、特養老人ホーム『甍』に〔出前〕に行った時の事・・。
この日、僕は《僧侶の仕事って何だろう?》というお話を後半していた。
その時に出た、或る男性入所者の方からの言葉が、短いが非常に印象的だったので、今日書かせてもらう。
この方は次のようにおっしゃられた・・。
「病院の医者は、私らを《ボーダーライン》(生死の境界線という意味らしい)のこっち(この世)に引き戻そうと仕事をされますが、住職さんの仕事は《ボーダーライン》のあっち(あの世)とこっち(この世)を、行ったり来たりして、『あっちに行くも良し!こっちに戻るも又良し!』というようなお話をして、私らを安心させて導いてくださる事ではないでしょうか」と言われた・・。
『凄い!なんという深みのある言葉だ!この方は僕の仕事をそのように理解してくださっているのだ』とびっくりした。
ちゅ~と半端な気持ちで仕事をしている僕としては、大変恥ずかしくなった。
『しっかりせな、あかん!自分の仕事に誇りを持て!』と自分自身に言い聞かせた〔出前〕であった。
いわゆる、ひとつの『業界紙』・・
世の中には、色んな『業界紙』がある・・。
僕らが生きる《宗教界》にも、そんなジャンルの雑誌が何種類か発行されていると思うのだが、昨日、〔お寺の出前〕の現場に取材に来られた『月刊 仏事』という月刊業界誌を発行されている《鎌倉新書》という出版社の理念には少し驚いた。
まず、この月刊誌だが、〔葬祭業界〕・〔仏壇仏具業界〕・〔墓石販売業界〕そして〔寺院、神社、教会〕向けの《隣接業界情報紙》として出されていて、そのコンセプトとなる言葉は《供養》だそうだ。(なんか言葉がやけに生々しくて変っている)
・・この雑誌からその会社の《趣旨》を少し抜粋して見る。
『《供養》に対する消費者の意識は日々変化しています。その為に幅広い情報を得ることが、これからの時代の経営には求められています。特に関連業界(葬祭業・仏壇仏具・墓石販売業)の隣接業界の情報を知ることによるメリットははかりしれません。』とある。
そう、この雑誌は《供養》商売(言葉が荒っぽくてすんません)の情報・業界紙なのだ。
・・昨日、僕はこのような情報誌がある事を始めて知った。
今の時代、みんな《情報》を欲している。
上の業界もそうだ。〔仏事〕離れが進んでいる昨今、非常に関連業界は危惧し、生き残りを賭けて頑張ってるらしい。
そしてそこには《供養》には欠かすことのできない《宗教界》のさまざまな〔活動情報〕も欲しいということで、たまたま、ホームページで『お寺の出前』の欄を見つけ、今回のうちへの取材となったそうだ。
・・ただ、僕の活動を雑誌に掲載しても、各業界の〔営業活性化〕には何のメリットもないと思うのだが、記者曰く「・・ただ情報を流すだけではなく、オモシロい試みをしている人間の記事を、たまに載せるのも〔各業界〕と〔雑誌〕の活性化には良いのだ」・・とのことだ。・・それって褒め言葉と取って良いの??
〔ツバメの成長〕と〔ちょっとおもろかった話〕
今日は雑談を二つ!(いつも、そのようなものだけど・・)
まず一つ目は〔ツバメの雛〕の事。
〔写真〕のように、雛はだいぶ大きくなってきた。もう羽毛も生え揃ってきたようで、時々巣の中で広げて、回りの雛達のヒンシュクをかっているようだ。又、親たちは必死になって何度もエサを銜えて往復している。(親というのは皆、大変だ!)
面白いと思うのは、親たちは夜には必ず巣にかぶさって、雛を守りながら眠っていることだ。ライトを当てても(意地悪をしているのではない。警備だ警備・・)爆睡していて気が付かないので余程疲れているのだろうと思う。巣立ちの日も近い、頑張れ!ツバメ。
もう一つ・・。
昨日、〔お墓参り〕の仕事があって、お墓の前で待機していた時に聞いた、退屈していた〔おっちゃん達〕のおもろかった会話。
おっちゃんA:「お前、まだ毎日、酒飲んでんのか?ええかげんに節制せいよ」
おっちゃんB:「わかってるわ。焼酎をちゃんと割って薄めて飲んでるわ」
おっちゃんA:「何で割って飲んでるねん。ソーダか?水か?」
おっちゃんB:「日本酒で割ってんねん・・」
おっちゃんA:「よけい濃くなってるやんけ。それは〔割る〕とは言わん。〔カケル〕ていうんじゃ。しゃあない奴っちゃなぁ・・。これからはウイスキーで割れよ」
おっちゃんA・B:「わっははははっ!なぁ、おもろいやろ、住職さん、こんな会話ばっかりやってまんねん。」
僕:「わかりましたから・・、早よお参りして下さい。」
昨日の実話でした・・。






