住職のつぼやき[管理用]

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病院を「恨むな、憎むな、許しましょう」

 今日、《お葬式》を一つ執り行った。
亡くなられたのは75才の男性で、その奥さんが喪主をされた。
死因は〔多臓器不全〕、そしてその原因は〔敗血症〕。そしてその又原因は〔重症肺炎〕であった。(見せて頂いた《死亡診断書》にはその様に書いてあった。)
 喪主をされた奥さんは、僕にこの《死亡診断書》を書いた病院の悪口をさんざん述べられた。
 「最初の手術の後も、何一つお医者さんからの術後説明がなかった。主人はその後、ほったらかしにされ見る見る内に悪くなっていった。もし、違う病院を選んだとしたら・・、こんな目にはあわなかったと思います!今もこの病院が憎いのです・・」と。
 人が亡くなると、虚しさや悲しさの他に《怒り》の気持ちが沸いてきて、その《矛先》をどこかに向けたくなる・・ことがある。
それによって、自分の気持ちを落ち着かせようとするのだ。その方が楽だからと思う。(たぶんに、それは僕の場合であるが・・)
 その気持ちはよくわかるのだが、怒っている内に周りを巻き込み膨れあがって、収拾がつかなくなってしまう事もある。
 僕は〔お通夜〕の後、よく「恨まない様に周りを許しましょう。頑張って許しましょう。故人の為にも許しましょう。自分の為に許しましょう」と怒っておられる家族によく「許しましょう」を連発してお話する。
 僕が言ってもどうにもならないとは思う。・・が、遺族さんの気持ちが救われる事を願いながら、今日も言い続けた。
 「気持ちのワカラン、うっとうしい坊主や!」と言われても良い。僕は「恨むな、恨むな、許しましょう」を言い続ける。
 それはたぶん、自分自身に向かっても言い聞かせているのだろう・・と思う。
 

《どこでも『紙芝居』》

 年々、僕の『紙芝居』を演じる場が(止め処もなく)広がって行っている・・ような気がする。(僕の性格の軽さにも要因がある〔笑〕)
 本来は《医療と福祉》の現場だけを想定して、作り始めた紙芝居なのであるが、その需要範囲が(異業種の方にまで広がり)《なんでも有り》の形を取り始め、僕も「よっしゃ、それなら《なんでも来い!》」と受けている。
 
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・・それで昨日、その又〔変わったご依頼〕があり、《外国講師とのお食事・交流会》に呼んで頂き、『紙芝居』を持って行って来た。
 現在、わが町〔河南町〕では、英語の初等教育の一環として若い外国人講師を数年間お招きして、幼・小・中学校内での活きた英語学習を推進している。
・・が、もっと日本の文化に触れてもらおうと、町内のボランティア精神あふれる〔木口さん〕という一人の女性が、名乗りを上げてもう十年来、この《お食事・交流会》をご自宅で主催されているのだ。(なかなか出来ることではないと僕は感動した!)
 それでここ最近は、日本食・日本文化大好き〔インド系〕カナダ人の『ヒーテン』さんご夫婦が来られているという事で、一度日本の思い出として、日本の『紙芝居』を見せてあげて欲しいとの〔木口さん〕からのご依頼があり、お受けした訳だ。
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 この『ヒーテン』さんは、(写真を見てもすぐ分かると思うのだが、)ご両親はインド人であるが、カナダ人国籍であり、一度もインドには行った事がないそうだ。
 毛髪もクルクルッと天然パーマが掛かって、目は大きく彫りも深い顔立ちで、一目見て「ブッタのお顔と一緒や!」と思い親近感を持ってしまった。又、日本語も堪能で〔おつけもの〕も大好き、そして食事の後片付けも進んでするという、日本人よりも気のつく青年であった。
「カナダには《本の読み聞かせ》ボランティアはありますが、『紙芝居』という《ペーパー・ピクチャー》はありません。大変シンプルでおもしろく感動しました」と言われた。
 「一度、お寺に遊びに行っても良いですか?もっと日本の昔話を聞きたい」とおっしゃられたので、「良いですよ」とお答えした。
 本心は、『うちの寺の仏像と並んで写真を撮って欲しい。(ダブル・ブッタが完成する)』という子供みたいな欲求からOKしたのであるが・・・。〔笑い〕
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「私の宗教は、こんなのと違う!」~白寿苑での出来事~

ファイル 226-1.jpg(今年最後の〔法話会〕記念写真)
 昨日は、今年最後の特養『白寿苑』での〔法話会〕の日であった。
 そこであった失敗談を今日は書く。

 寝たきりになられて、〔法話会〕に出席する事が出来なくなったYさんという(目が見えない)98才の女性がおられ、その方の為に、現在〔法話会〕の様子を職員さんが《カセットテープ》に録音して、お部屋で聴いてもらっている。
 昨日もその録音が終わり、職員さんがお部屋に持って行こうとされたので、「テープよりも生の声の方が良いやろう」と僕は思い、一緒にお部屋まで行かせてもらった。
 すでにYさんは寝ておられたのだが、職員さんが声を掛けられたら起きられた。
 職員さんが枕元で「住職さんが来て下さったよ」と言われたので、僕はYさんの手を両手で握り、いつもテープを聴いてもらっているお礼を言ったのち「一緒にお念仏しましょうか?」と言って念仏を称え始めた。
・・しばらくすると、Yさんも一緒に《念仏》を称え始められたので、(僕は前にこの方の《宗旨》が〔真言宗〕だと聴いていたので、)そのまま《般若心経》もゆっくり称え始めた。
 すると、突然Yさんは「私の宗教は、こんなのと違う!」と言って、手を振り放し、廻され、布団も蹴って暴れ出し始められた。
 僕も職員さんもびっくりしていると、Yさんは「神さんはありがたやー。ありがたやの宗教やー、仏さんもありがたやー」と言ってさらに寝たまま手を振り回される。
 「これは宗旨が違うわ」と思ったので、それから〔題目〕あげたり、〔真言〕を称えたり、色んなお経を即興で試みた(祝詞まで上げた)のだが、本人がパニックになっている為、全くダメであった。
 職員さんが「Yさん、自分の世界に入り込んでしまっている為、もうこうなったらあきませんわ」と言われたので、これ以上お邪魔したらダメだと思い、「お役に立てずにすみません」と言って退散した。
 「そんな事ありませんよ。有難うございました」と職員さんは慰めて下さり、玄関でお別れしたのだが、帰り車の中で落ち込んだ。
 「いったい何が悪かったのか?お経を称えたのが良くなかったのだろうか?お迎えが来たかと勘違いされたのではないか?・・あの時、念仏だけでやめておけば良かった・・。さっと引き上げる勇気を持たねば・・。その場の空気を感じなければ。お経を一緒に称え《心の安らぎ》を得てもらおうなどと思ったのは僕の欲だった」と反省した。

 どれだけの時間をその方に《寄り添えば良いか》。それを瞬時に見極める判断力を持たねばと思った。

チャリティー・ライブ『幕間紙芝居』の感想

 先日、行われた《オウジョウゴクラク・ライブ》に今年も来て下さった〔在宅ホスピス医〕南吉一先生から『幕間紙芝居』の感想を〔詩〕と共に頂いた。
 今日はその感想と共に〔詩〕を掲載させて頂く。
 『(前書き省略)・・ヤングの皆さん、ウサギさんの『紙芝居』にシーンと耳を澄ませていたのが印象的でした。Mさん母娘も驚いていました。娘さんは(福祉)施設で働いていて、『紙芝居』に感銘していたようです。貴兄のご活躍に心から感動いたしました。(五句・詩を贈ります)
《師走の夜 往生極楽ライブ燃ゆ 
 住職が走る冬夜の暖かし
 ライブの幕間いに紙芝居とは
 男性ボーカル頬を膨らませ
 裘(かわごろも)はげしき群れを抜けにけり》
  2008・12・14  在宅ホスピス医 南吉一拝 』

幕間(まくあい)僧侶  ~オウジョウゴクラク・ライブへの出前~

ファイル 224-1.jpg (写真1・《幕間僧侶》〔笑〕)
《幕間(まくあい)芸人》=〔昭和30年代から40年代中頃まで、映画と映画との幕間(まくあい)に形態模写やギターなどを弾いて歌を唄ったりした芸人のこと。なんとも素朴な芸ではあるが、人情味あふれる舞台に観客達の心は和んだという〕
 
 昨日の夜、例年通り《第九回 オウジョウゴクラク(往生極楽)チャリティー・ライブ》が京阪〔樟葉〕駅前のライブハウス《Px9cafe(ピーエックスナイン・カフェ)》で行われた。(写真2) 〔この売上金は(間違いなく)全額ユニセフに寄付される〕
ファイル 224-2.jpg(写真2・ゲーセンの3階にある)
 例によって僕も呼び出され、最初に述べた《幕間芸人》ならぬ《幕間僧侶》として、バンドとバンドの間の〔つなぎ役〕として観客に『仏教紙芝居』を楽しんでいただいた。(写真1)まさに舞台の上は幕が閉まっていて演じるスペースは狭く、しかも会場は暗く『紙芝居』の絵のウラの字が読めず、全部アドリブで演じた。
ファイル 224-3.jpg(会場の風景・紙芝居を見る観客さん)
 ・・まぁ、まだみんな酔っ払う前だったので、なんとか静かに話は聞いてくれた。・・ので良しとしよう。
 しかし、老人ホームやお寺で『紙芝居法話』をするのとは違い、何度来ても、ここは極度に緊張する。〔ホンマ往生や・・〕
ファイル 224-4.jpg(舞台裏の楽屋で出番を待つ僕)
 又、このライブが終ったら着物にタバコの臭いがこびりついて消えない。(ファブリーズをしてもなかなか消えん!)
 ちなみに今年の《ライブ風景》の雰囲気を感じてもらおうと(写真)も1枚撮ったのであるが、タバコの煙であまり見えない!(でも雰囲気はなんとなく感じてもらえるかな・・?)
 ホンマにとにかく、今年も僕が〔往生〕したわい!!
ファイル 224-5.jpg(今年初出場の女性ジャズバンド)
 

『神戸ルミナリエ』に行って来ました

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 昨日、仕事を早めに終らせ、妻と『神戸ルミナリエ』に行って来た。
 この日の関西のお天気は〔小雨〕。その為、会場は案外空いていた。
 今年の《ルミナリエ》のテーマは『光のインフィニート』=(イタリア語で『無限』の意らしい)
 《光は闇を照らし、過去から未来へと『無限』に輝かせる》という事だそうだ。
 この《神戸ルミナリエ》は「阪神・淡路大震災」の犠牲者の鎮魂の意を込めるとともに、都市の復興・再生への希望を託してはじまったものだ。
 妻の実家が震災をまともに受けた〔西宮〕であり、又学校も〔神戸〕で友人もこちらに多い。
 又、僕の恩師や仲人さんも神戸地区に住んで居られよく遊びに来た為、ここに来ると「わ~っ、きれいやなぁー」という感じよりも、あの恐ろしかった震災を思い出してしまう。そして今『命』があるということが奇跡のように感じてしまうのだ。
 ・・この祭典は美しいが、何か《生きている》という有難さを感じさせられるようなお祭りである。
 少なくとも僕は、そう感じる・・。

『法話会(お話会)』のカタチを《チェンジ!》

 来年から『特養老人ホームあんり』の『法話会』の形を少し変えることにした。
 ・・『法話会(お話会)』改め、『坊さんと一緒におやつを食べて語ろう会』にする。〔笑い〕
 これは、今月の『法話会』が終わってから、こちらの施設職員と相談して決めた事で、あまりにも『法話会』進行途中での〔割り込みスピーチ・質問〕が多い為に《チェンジ》する事にしたのである。
 たとえば今月も、僕が喋っている途中に、前列の女性が突然「あ~っ、あんた、前も来てくれたねー。嬉しいわー」とか、「私もいつまでもここで世話ばっかりなっとったらあかんねー。頑張らなぁ! (何を頑張んねん?)」とか、「私のつえが無い、つえが無いい。 (つえはすぐ横にあるがなぁ)」とか・・。突然喋べり始められる為に、その度に『法話』は中断脱線。(これも慣れればおもろいのだが・・。)
・・で、「これは皆さん、個人的に何か喋りたいのだ!」と、結論づけ、取り合えず《実験》として、来年から施設での3時の〔おやつの時間〕に僕も(坊さんの姿で)皆さんの間に混じって、おやつを食べながら会話に参加しようと決めたのである。
 会話が生まれなくても、それも良しとして、取り合えず『混ざってみよう』とそういう試みである。
 不安もあるが、おもしろそうでもある。・・そして〔おやつ〕も楽しみ。

〔夫婦の危機〕を脱しての別れ・・・

 先日、ご主人の〔お葬式〕をさせて頂いた《奥さん》のお話・・。
 その〔ご主人〕は、まだ〔還暦〕前の若さでガンで亡くなられた。
 昨日、お参りをさせて頂いた後、その奥さんは僕に「私達夫婦は《危機を脱して》、別れることができました」と言われた。
 「ええっ」と一瞬意味がわからなくて黙っていたら、奥さんはその意味を詳しく説明して下さった。
 一年前までは、元気であったその〔ご主人〕は大変無口な方であり、家庭の中ではほとんど喋らなかったらしい。
 ご飯のオカズを作っても、子供さんに何かがあっても一切喋らなくて、それが嫌でたまらなくなり奥さんは密かに《離婚》の準備を始めていたそうだ。
 ・・が、今年の春に〔ご主人〕の《末期ガン》が発覚。
《離婚計画》は中止となって看病の日々が始まった。
 病院のベットの中でも無口な〔ご主人〕であったが、ある日、「色々とありがとう」と奥さんに合掌されて、微笑まれたそうだ。
「私はもうそれだけで、今までの胸のつかえがスゥーと落ちて無くなり、夫を許すことができました。・・ほんま《ガン》という病気が後一年ずれて進行していたなら、私は確実に離婚して、夫も私も後悔を残したまま悲しい別れをしたと思います」と奥さんは涙ながらに言われた。
 「死別はつらいけど、良いタイミングの病気の発覚だったと思っているのです」と、続けて言われたその奥さんの言葉に、僕の《ガン》に対する考え方が少し変わったような気がした。

「私、明日死にますねん・・」

 昨日は、特養老人ホーム『甍』の月例《講話クラブ》の日であった。
 (《講話クラブ》という名ではあるが、内容は『紙芝居法話会』である)
 そこで、始まるまでの準備をしていると、初めに来られた車椅子の高齢女性が、僕に向かって一言。
「住職さん、私、明日(あす)死にますねん。生きててもしゃあないし・・」と言われた。
 それを聞いた女性職員が「○○さん、変な事言わんといて下さい!」と慌てて言われた。
 僕は『何かあったのかな?』と思って、「まぁまぁ・・」と間に入り、「へぇ、明日、死ぬんですか?もう決めてはるのですか?・・又、なんで?」と聞いた。
 すると、片手を顔に当てて、下を向いてそれ以上何も言わなくなって、そのまま寝てしまわれた。
 僕は『勝手なことだけ言って、さっさと寝やんといてくれ!』と思ったが、《クラブ》を初めなくてはいけないので、そのままほっておいた。
 この方、最後までずっと気持ち良く休んでおられ、話しが終ったら合掌して、自分が何を言ったかなんて忘れられ、おやつを食べにさっさと帰ってしまわれた。
 僕は「こんなもんなんやろなぁ・・」と思った。
 誰でも、誰かに自分の〔心の叫び〕を浴びせたい時がある。
 この方のそれが、今日はたまたま僕であったのであろう・・。

待っておられた『法話会』

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 昨日、特養『白寿苑』の月例「法話会」に行って来た。
 早めに着いた僕が『苑』の会場に入ったら、すでにNさんは一番前で、(車椅子姿で)ちょこんと待っておられた。
 僕は「Nさん、早くから待ってて下さったんですか?」と聞くと・・、
 「はい、先生。先月はお休みされたでしょうー。前回も、私はずっと待ってたんですよ。何かあったんじゃないかと心配しましたよ。でも今日はお会いできて良かったです」と言われた。
 (そう、先月は《お葬式》が入ったので、「法話会」をお休みさせて頂いたのである)
 そしてNさんは「私は、先月も今月もずっ~と一番で待たせてもらってますよ。だってお話聞くの楽しみですもん」と言われた。
 Nさんは、僕の『紙芝居法話会』に十三年前の第一回目から参加して下さっている。自称〔薩摩の古狸〕参加者なのである。
 この方、鹿児島生まれなので声もデカイ。僕がしゃべっていても、意見があれば話を止めて割り込んでこられる。
 先々月お会いした時は、ベッドから落ちて足と胸の骨を一本ずつ折り、コルセットを巻いて、移動式ベッドで参加してくださった。(今月はもう車椅子姿に戻っておられてホッとしたが、胸にはまだコルセットを巻いておられた・・12月1日には外せるらしい。)

 今回、このように、毎月楽しみに僕を待っていて下さっている方が居られる事に、改めて気がついた。ホンマ嬉しく、そして身が引き締まる思いが久々にした。「これからもずっと「法話会」を続けますからね、〔古狸〕さん!」

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