住職のつぼやき[管理用]

記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

DJブースからの「紙芝居法話」

ファイル 610-1.jpg
 昨日の夕方、ライブハウスに到着するなり、「今日は、ステージ横の『DJブース(写真)』から、紙芝居をお願いします。」と『往生極楽チャリティーライブ』の司会者から言われたので、しばらく呆然とした。
ファイル 610-2.jpg(ライブハウスpx9cafe)
 毎年のことながら、ここへの『お寺の出前』は、驚かされる。
 これも毎年のことながら、僕の役目は、バンドとバンドとの間の交代時間の『つなぎ法話』である。
 音楽を楽しみに来ておられる方には、退屈きわまりない僕の『法話タイム』かもしれないが、主催者から「仏教の話を若者たちに頼む」と言われたので、毎回しかたなくやっている。・・うそである。本当は僕も楽しんでやっている。だって、お寺の中の雰囲気とは180度違うのだから・・。 
ファイル 610-3.jpg(ライブ風景)
 でも、毎回思うが、この短い時間を使っての(コントのような)『法話』は本当に難しい。(みんな携帯電話を掛けたり、煙草・お酒・トイレに忙しいのだから・・。)
ファイル 610-4.jpg
(僕のまん前では、おでんが売られてます。・・ちょっと気になりましたが、客観的に見てたらおもろかったです。)
 おそらく、こんな奇妙な経験(ライブハウスで、バンドのつなぎで、紙芝居を使っての法話)を、毎年させて頂いている僧侶は、日本では僕だけだろう・・と思う。・・おそらく。(必要なのは勇気とノリだけです。・・でも、僕の法話を聞いてくれてない人達に、僕は心の中で叫んでいたんですよ。『俺の法話を聞け~、二分だけでもイイ~』・・と。
 これは、僕にとっての毎年の修行である。(笑い・・合掌)

表の顔、裏の顔、・・いや、闇の顔

 テレビでは、歌舞伎役者〔市〇海老蔵〕氏の受けた暴力事件で、毎日やんややんやと、報道されている。
 マスコミの今の段階の報道では、はっきりとした事実はわからないが、これだけはいえる。
 彼には〔表の顔〕を保つ為に、相当な精神的プレッシャーがかかっていたのではなかろうか・・と。(宗教者も似たような処がある。・・少なくとも僕はそうだ。)
 これは、「本当の俺さまは、こんなんじゃない!俺さまは、もっとワイルド(悪)なのだ!」と、無意識で世間に知らせたかった事件だったのかもしれん。(結果的に。)
 ・・そら、そうやろと思う。
 なんせ、歌舞伎界を背負って立つプリンスやし、映画やテレビでも華やかに活躍していたのだから。
 あの若さで、看板を背負って生きることは、さぞかし大変であったろう。
 結婚したら、もっと楽になると思ったかもしれない。
 しかし、やはり、何も変わらなかったのだろう。
 だから、ズルをして、キャンセル騒動を起し、逃げたのかもしれん。
 たえず、彼の心の底から、救助信号が発せられていたのかもしれん。
 「本当の俺はこんなんじゃない!もっと、ずるい顔があるのだ!弱い裏の顔があるのだ!本当の俺をさらしてみたい。・・しかし、それはできん。俺はここから逃げ出すことはできんのだ。・・こんなに耐えて生きているんだ。だから、ちょっとぐらい酒癖が悪かったってかまわないだろう。我儘したって、許されるだろう。これは神様から頂いた俺さまの特権だ!・・そう、良い子とばっかり付き合って酒を飲んでる俺は、本当の俺じゃない。だけど、むなしい。・・誰かそんな俺をもっと誉めてくれ!・・いや、助けてくれ」と救援信号を発していたのかもしれない。
 考え過ぎかもしれんが、これって、誰の心にも起こる葛藤だと思う。
 〔表の顔〕の裏は、〔裏の顔〕ではない。自分の心の底に潜む〔闇の顔〕だと思う。
 当然、僕にも汚い〔闇の顔〕がある。
 ただ、僕には信仰という〔くもの糸〕がある。・・それだけが、助けである。
自分に闇があるから、光に憧れ、敬い、救いを求める。
 その(ホトケ様に見守られているという)光の信仰によって、僕はどうにか、バランスを(あやふやながら)保ち、生きているのである。

104歳のバースデー ~五回目のゆおびか~

 昨日、五回目の訪問となる〔グループホームゆおびか〕さんへ「お寺の出前」をさせていただいた。
 職員の詰城さんから、前もってこの日は、Hさんの104歳の誕生日だとお聞きしていたので、僕も(クリスマスが近いので)大きな(プレゼント用)靴下の中に〔数珠〕を入れてプレゼントさせて頂いた。(仏教とキリスト教のステキな出会いです〔ここ笑うトコです〕)
 Hさんは、しっかりしておられ、(このジョークがわかって下さったか?・・どうかはわからんが?)大変喜んで下さった。
 「特にこの齢になったら、急いでやらなあかん仕事がありませんから、忘れっぽうなってあきまへんわ・・」(そらそうやろ〔笑い〕)とか言いながら、微笑んでお話してくださった。
 そして、お誕生日の日もあってか、90歳になられるお友達もこの日訪ねて来られ、本当にHさんは終始、嬉しそうなお顔をなさっていた。
 最後は、職員さん手作りの〔牡丹餅〕にロウソクを104本、(うそである、・・4本たてて、つまり一本24本分のつもりで・・)立ててお祝いし、おいしそうによばれていた。
 「とても、ステキな誕生日会ができて良かったです。ありがとうございました。」と言われ、少々照れながら、僕は仕事に戻った。

「あっ、しまった!」と思った出前

 昨日、カナン・デイサービスへ、『出前法話』に行った時の話。
 デイサービスの皆さんに、昨日は、紙芝居『地獄のはなし』をした。
 こちらは、お寺の近くの施設なので、当然檀家(信徒)の方もおられる。
 しかも、一番前に、何人か陣どって座っておられた。
 僕は、『地獄紙芝居』をしながら、途中で気づいた。
 ・・この紙芝居には、子供たちが親より先に死んだ罪(僕は自殺にしたが)により、地獄でいじめられる場面があり、
・・それは、前に座っておられるSさんという女性に(病死で子供さんを亡くされたのであるが、)該当してしまう。
 それで、紙芝居を見ることによって『気持ちを傷つけないか?』と思ったのである。
 しかし、もう始めてしまったので、止めることはできず、なんとか話の本筋を変えなければと思った。
 そこで、その場面には、ト書きにない説明(セリフ)を急遽アドリブで入れ(皆、助かる事にして、)話を(無理やり)進めた。
 そして、話が終った後も、なぜ、『子供地獄が、作られたのでしょうか?』という話も、おまけとして少し付け加え、皆と話しあった。
 まぁ、紙芝居の話の筋は、多少おかしくなってしまったが、そんな事はかまわない。
 Sさんのほっとした顔が見れたので・・。これで良いのだ!
 
 
 
 

幻覚に悩む奥さんの話の続き

 それは突然の電話であった。
 今日、お葬式から帰って来たら、(先日書いた、)〔認知症〕になった奥さんの家族さんから、電話があった。
 「今、外から、お寺に電話を掛けてますねん。
 院主さん、助けてほしいんですわ。・・やっぱりうちの母親おかしくて、『ずっと家の中に観音様が居てはる。お地蔵さまも来てはる。・・私をあの世から向かえに来たんや。うちは死ぬんや!』と言って騒いでまして、私等が『それは幻覚や』と言っても、聞きませんねん。
・・院主さんの口から『大丈夫や』と言ってもらえませんか?そしたら、落ち着くと思いますねん」と言われた。
 僕がOKしたら、しばらくして家から電話があり、奥さんに電話を代わってもらった。
 僕は『大丈夫ですよ。・・観音さまは、あの世からは向かえに来られませんよ。それは、奥さんを守ってはるんですよ』と言うと、「あら、うれしいー。そうでしたんか。よかったわー」と言って安心されて、受話器を置かれた。
 しかし、電話を切っても僕はホッとできなかった。
 これは一時のものである。・・しばらくすると、又、同じことが繰り返されると思う。
 〔認知症の資料〕は、家族さんに手渡してきたが、やはりそれだけでは不十分だ。
 僕は素人である。できる事に限界があるし、危険もある。
 やはり、専門の医療機関にお任せするしかない。
 こんど、知り合いのケアマネージャーに、こんな時、どうすれば良いのかと聞いてみよう。
 

みんな泣いた話

 今日の〔法事〕の席でのこと。
 読経と読経の合間の休憩時間に、ご主人がしみじみとおっしゃった。
 「今日は父親の〔法事〕ですけど、先に亡くなった母親と弟の事を思い出してしまいました」と。
 「なぜですか?」と、僕が聞くと、ご主人は「今から60年ほど前のはなしです。」と続けられ・・。
 「私には、23歳で病気で亡くなった弟がおりまして・・。はい、もともと体は弱かったんです。
 その弟が小学校2年の時です。歯が痛いと言いまして、歯医者に行っても直りません。それで、大きな病院で診てもらうと、歯茎の中が腐ってたみたいで、結局、三度、大手術することになりました。今みたいに、よく効く麻酔が無くて、弟にとっては病院に行くのが苦痛で、その日になると、外の竹藪の中に逃げよるんです。
 母親は、当時小学校5年の私に、そんな弟を『摑まえて来い』と言うので、私は可哀想やけど、摑まえると弟が『いやや!』と泣き叫ぶんです。 私もつらいから、一緒に泣きながら母親の所につれて行くと、母親も泣いてて、私等二人を『ギュっ』と抱きしめてくれたんです。・・そして皆で泣きながら、バスに乗って病院に行きました。
 貧乏やったから、父親も治療費を工面するのに、頭を下げ回って借金して、夜に泣いてました。・・そう、みんな泣いてばっかりでした。・・こんな(ひ孫が居る)年寄りになった今も、はっきりと、その時の事を覚えてますねん。母親の感触も。不思議なもんでんなぁ・・」と目に涙を一杯ためて、おっしゃられた。それを隣で聞いていた奥さんも泣いておられた。・・又、その姿を見た僕も貰い泣きをしてしまった。 そう、今日は読経中にみんなで泣いていたのです。
・・みんな泣いた話でした。
 

幻覚に悩む奥さんの話

 《認知症》にも、さまざまな種類がある。
 大きく分けて『アルツハイマー型』と『脳血管性』の二つと言われている。(昔、特養老人施設で教えてもらった。)
 ・・が、これはひょっとすると、『レビー小体病(幻視や妄想が出る病気)』と呼ばれる(近年、注目されている)認知障害かもしれない、・・と思った今日の話。
 今朝、或る檀家さん宅へお参りに行ったら、ご主人が出てこられて、「妻(74~5歳)はまだ寝てますが、拝んでください」と言われた。
 僕は『おかしいなぁ~、いつもはキチッとされている奥さんが・・。風邪でもひかれたかな』と思いながら、お参りをさせて頂いた。
 そして、帰ろうとしたら、ご主人が「院主さん、最近、妻が〔幻覚〕を見るようになって、困ってますねん。・・昼夜も逆転してしもて、夜中ずっと起きてるんで、私がまいってます。仏壇の上に誰か居るとか、ずっと狸がいててうるさいとか・・。動作も遅いし物忘れもひどくなって・・。」と、深刻な顔で話された。
 僕は素人なので、ハッキリした事は解らないが、『それって、〔レビー小体病〕という認知症の初期症状やん』と、とっさに思った。(この疾患は、早期の正確な診断で治療効果が出ると云われている)
 僕はご主人に、「すぐに専門のお医者さんに掛かった方が良いですよ。ボケてきましたでは、手遅れになりますよ。又、今のままではご主人が倒れてしまいますよ。介護サービスを利用した方が良いですよ」とも言った。
 「はい、そうしますわ。・・でもうちの家内はプライドが高いので、診てもらうの嫌がりますやろなぁ・・」と、ご主人は言われた。
 僕は、早めに《認知症》のガイドブックをコピーして、持っていってあげようと思ったのであった。 待っててや!
 

鏡の中の私

 京都の寺院へ、〔夜間特別拝観〕に行った時の(ちっちゃな)エピソード。
 僕と妻は、早い晩御飯を食べておこうと、京都駅前に新しく出来た《イオンモール》に入った。
 そこでまず、僕はトイレに入った。
 手を洗って、出入り口から出ようとすると、僕と同じような姿形をした人間が入って来る。
 僕が右に除けようとすると、相手も右に動き、左に除けようとすると相手も左に。
 「あぁ、すみません・・。」と謝ると、向こうも謝る。
 よく見ると、(出入り口横に作られた)等身大のピカピカに磨かれた鏡であった。
 道理で同じように動くはずや。
 僕は、おかしさと共に、突然恥ずかしくなって、誰も見ていなかったかと回りを見渡したが、・・運よく誰もいなかった。
 絶対、誰かいてたら笑ったはずや!
 トイレを出てから、何か猛烈におかしくなって、一人笑っていたら、妻から「何があったか?」と尋ねられ、今起こったことを話した。
 妻は、「信じられんことするな~。ちゃんと前を見て歩きや」と、僕を叱った。
 そして、「それ、他人に見られてたら、絶対《ブログ》ネタやわ!」と、ぬかしおったので、僕は今日、先に発表してやったわい!・・あぁ、むなしい。(笑い)
 
 

「永観(えいかん)、遅し!」・・夫、騒がし、妻、恐し

ファイル 601-1.jpg〔みかえり阿弥陀〕のちらし
 今年も、京都へ『夜間寺院拝観』に行ってきた。
 今年は、大泥棒:石川五右衛門が、登って「絶景かな!絶景かな!」と叫んだといわれる『南禅寺』と、もみじの名刹『永観堂』へお参りさせて頂いた。
 『永観堂』のもみじは、まだ全部が真っ赤にはなっていなかったが、僕は《もみじ》より、闇夜にライトアップされる《みかえり阿弥陀》像が、見たかったのだ。
 この《阿弥陀》像は、名前の通り、首が横を向いておられて、真横からも拝むこともできる。
 こんな伝説がある。
 はじまり、はじまり~(紙芝居と違うっちゅうねん!)
 昔、永観(えいかん:〔ようかん〕)という、修行僧がいた。
 永観は、真夜中、本堂内を「念仏」を称えて回り続ける『行道』という修行をしていた。
 或る晩、行道中の永観は、自分の前を歩かれる一人の僧の姿に気づく。
 よく見ると、阿弥陀仏像が、自分を先導しておられたのだ。
 驚き、立ち止まった永観に、阿弥陀仏は振り向き、こう言われたという、「永観、遅し!」。
 そのお姿が、忘れられなかった永観は、実際にその時のお姿に真似た阿弥陀仏像を作られ、祀られたという。(あくまでも伝説)
ファイル 601-2.jpg〔永観堂〕たくさんの参拝者だった
 それを実際、雰囲気の出る夜分に見たかったのだ。
 僕は少し興奮していた。
 「永観遅し・・」「永観遅し・・」「永観遅し・・」「永観遅し、見たい」と、ブツブツ一人事を言い続けて並んでいたため、「お父さん、うるさい!」と、阿弥陀仏像のように妻は振り向き、「恥ずかしい!」と睨まれてしまった。
 この時の妻の顔をいつか絵にして、「父さん、恥ずかし!」という紙芝居を作ってやろう! いつか・・。

常念寺さまの報恩講 ~草履が無い~

ファイル 593-1.jpg(富田林:常念寺さま)
 昨日、富田林市にある〔常念寺〕様の「報恩講」法要があり、「紙芝居法話」に行かせて頂いた。
 その帰りのこと。
 玄関に行ったら、僕の雨用「草履」が無い。
大きな法要には、たくさんの僧侶方が参集される。
 おそらく、誰かが間違えて、僕の草履を履いて帰ってしまったのだろう。 
 そこには、誰かの違う僧侶用「草履」がポツンと揃えてあった。
 僧侶の草履は、皆同じ形をしていて、本当にわかりづらい。
 だから、僕の草履には、みやもとの《み》と、鼻緒にマジックで書いてある。
 だから、今まで間違えはほとんど起らなかったのだが・・。
 お寺の檀家さんも探して下さったが、やっぱり解らなかった。
 それで、結局、残った草履を履いて帰ってきた次第である。
 違う人の「履物」で帰って来るというのは、どこかぎこちないものだ・・。
 僕の雨用「草履」、いずこへ!?
 
 

上に戻る