住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『中村與次兵衛と寺ヶ池』(その6・最終回)

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 新しくなった[寺ヶ池]完成後、與次兵衛さんはご領主から呼び出されました。
「與次兵衛、ようやった!あっぱれじゃ!褒美としてそなたに、今の家とは別に土地をやろう。そして、そなたをそこの代官にしよう。これからも励むよう!」
「ありがとうございます。」
こうして、河内郷代官となった與次兵衛さんはさらに励みました。
 そして、いつしかその新田開発により、昔の100倍のお米が取れるようになったそうです。
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 その後、與次兵衛さんは子供達に仕事を任せ、自分は父と同じように頭を丸めてお坊さんになりお寺に入ります。
「極楽にいる親父さま、いやご住職、私は万人の幸せの為に働く事ができました。住職が言われたように、人の幸せを願って働くことは、自分自身をも幸せにすることでした。皆は私に感謝し、私は私で今幸せを感じています。私は大事な事を学びました。これからはその心で、この水路(井路)を通って流れ来る清らかな水のように、悩める人の心にそっと寄り添いながら、仏様の教えを伝え生きてゆきたいと思います。」
お坊さんになった與次兵衛さんは寺ヶ池の前でそう思いました。
 與次兵衛さんは『祐和(ゆうわ)』というお坊さんの名前になり、晩年を過ごされました。
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 今も人々の為に豊富な水を満たしてくれている、河内長野市にある寺ヶ池。
 恩恵を受けた多くの人により、與次兵衛さんの活躍を讃えて、今も池の北に「祐和」の碑という石碑が建っています。
おしまい
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(中村與次兵衛さんのお墓)

紙芝居:『中村與次兵衛と寺ヶ池』(その5)

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こうして総年数16年、延べ約4万人が関わった大工事は、慶安2年(1649)ついに終わりました。
 その周囲2200メートル、深さ29メートルの大きさでした。
 石川上流から流れ来る大量の水を見て、大きくなった寺ヶ池が、水で埋め尽くされたのを見た與次兵衛さん達村人は、言葉にもできぬ程の感動があったでしょう。
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 こうして完成した寺ヶ池の周囲は2197メートル、南北650メートル、東西約108メートル、貯水量は60万トン。
 そして池より、南西の水源地の底までの水路(井路)は、約3.8キロメートル以上ありました。
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(写真右下が現在の水路(井路)。いまも現役なのです。)
つづく

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