住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「歌人 石上露子(いそのかみ・つゆこ)」(その6)

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失恋の傷が、まだ癒されぬ露子に、さらに追い打ちが掛かります。
 それは、師であり心の友であった家庭教師の解雇と、自分の味方であった妹の嫁入りによる別れでした。
 一人ぼっちになった露子が、そのやるせなさを解放できたのは、雑誌への投稿である[文筆活動]でした。
 与謝野鉄幹・晶子夫妻等と知り合いになった露子は、次第に社会へ目を向けるようになるのです。
 次の歌は、与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』の歌よりも、早く発表された露子の反戦歌です。

『みいくさに こよい 誰(た)が死ぬ さびしみと 髪ふく風の 行方(ゆくえ)見まもる』
 (意訳)
「この日露戦争で多くの人が亡くなった。
 今夜はいったい誰が死ぬのであろうか。
 ああ、寂しい。
 私の髪は戦場へ 風と共になびいていくようだ。
 ああ、私はそのように思いやることしかできない。」

 このように、露子は反戦の歌や小説を発表し、社会や国家のあり方に、自分の持つメッセージを込めたのでした。
 つづく

紙芝居:「歌人 石上露子(いそのかみ・つゆこ)」(その5)

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 露子と別れた後、長田正平はどうなったか?
 彼は学校を退学し、貿易関係の会社に就職して、カナダの国へ渡りました。
 そして一生独身を貫いて、カナダの国で一人亡くなったという事です。
 のち露子は、家を継ぐ運命の為に、初恋の正平とのかなわなかった想いを詠んだ、絶唱『小板橋(こいたばし)』を発表します。
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(小板橋跡)
 『小板橋』
「ゆきずりの わが小板橋  
しらしらと ひとえのうばら(=野バラ) いずこより
流れか よりし。
 君まつと 踏みし夕(ゆうべ)に いひしらず 沁みて匂ひき。
 今はとて 思ひいたみて 君が名も 夢も捨てむと
なげきつつ 夕(ゆうべ)わたれば ああ、うばら あともとどめず
小板橋 ひとり ゆらめく」
 [意訳]
「私がよく渡る小さな小板橋。
 橋の下を見れば 白い野バラが どこからか流れて来た。 あなたが来て下さるかと思い、夕べ この『小板橋』まで出て来ると、言い尽くせない この野バラの香りがした。
 もう あなたのことは忘れてしまおうと思うの。
その名前も、夢も・・。
 そう嘆きながら この『小板橋』を渡り、下を見れば もう野バラは 流れ去り無かった。
 あとは この小さな板の橋だけが、私の心のように 限りなく ゆらめいていた。」 つづく
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(小板橋跡近くに建つ、現代の小板橋)

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