住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「大石順教尼ものがたり」(その9:最終回)

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順教尼は、身体の不自由なお弟子さんたちに、
「たとえ、両手・両足が無くても、他の人に笑顔や優しい言葉を差し上げることはできる。・・それを忘れてはならない。・・体が悪くても、心の障害者になってはいけません。」と言われました。
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 又、お掃除も徹底して行われました。
 
 片足の悪い御弟子さんとの間に、次のような会話が残っています。
「先生っ、なんで私は、こんなに転ぶのでしょうか?」
 すると、順教尼は、
「片足が悪くても、転ばない方法を教えてあげよう。
 それはな、悪い足を隠さないことだよ。」と言われました。
 これは、《自分自身のこだわりを捨てよ》という教えでした。
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 日本のヘレンケラー。
 身体障がい者の心の母と、呼ばれた大石順教尼は、昭和43年、80歳で大往生されます。
 社会事業家であり、宗教家であり、芸術家であった大石順教尼。
 そのお墓は、現在彼女の[腕塚]と共に、和歌山県の高野山、奥の院参道に祀られています。 おしまい
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(ご子孫:大石晶教尼さん)
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(高野山:大石順教尼の墓)

紙芝居:「大石順教尼ものがたり」(その8)

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(京都:勧修寺)
そして大石順教尼は、昭和11年、京都山科の[勧修寺(かじゅうじ)]様の賛同・協力を得て、敷地内に、身体障がい婦女子の為の精神道場を設立します。
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(仏光院)
 さらに、『堀江六人斬り』等の犠牲者を弔う為、宗教法人『仏光院(ぶっこういん)』を建立。
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(可笑庵)
 そして戦後、その敷地内に『可笑庵(かしょうあん)』を建立。
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 身体の不自由な人達の為、社会復帰の為、施設づくりに尽力を尽くされます。 つづく 

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