住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「妙好人 念仏詩人 浅原才市さん」(その1)

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妙好人というのは・・、
 言葉では言い尽くせない程の、すばらしい念仏者のことです。
 石見(いわみ)[今の島根県大田市]の『浅原才市(あさはらさいち)』さんも、その一人です。
 江戸時代の終わり頃(嘉永三年)、に生まれた才市さんは、初めは[船大工]をし、そののち[下駄職人]として、一生を過ごされました。
 才市さんは思い立てば、仕事中でも「かんなくず」などに、仏さまを想った『詩』を書き綴り、それを十八年間続けられました。
 その数、九千首とも云われています。
 その晩年、町の絵描きさんが、才市さんの肖像画を描いた時、「これは私じゃない。良い顔過ぎる!・・角(つの)を描いておくれ。私は人を憎んだりする浅ましい人間だから・・。」と言った、話が伝わっています。
 それでこのように、才市さんの絵には「つの」があるのです。
 そんな、才市さんまお話を聞いて頂きましょう。
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 浅原才市さんの両親は、訳あって、才市さん11歳の時、離婚しました。
 母親に引き取られた才市さんでしたが、やがて母親は再婚し、才市さんは一人、船大工の親方の所へ奉公に出されました。
 又、父親はその後僧侶となり、一人墓場の隅に小屋を建て、孤独に暮らしました。
 幼くして、両親と別れて暮らさねばならなかった寂しさや、そんな両親への恨みの気持ちなどを引きづりながら、才市さんは成長してゆくのでした。
 のちに、その時の気持ちをこのような懺悔の詩にしています。
 『ゆうも、ゆわんもなく、おやが死ぬればよいとおもいました。
 なして、わしがおやは、死なんであろうか、と思いました。
 この悪業 大罪人(才市)が、いままで ようこれで、今日まで 大地がさけんとこに、おりましたこと。』 つづく
 

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