そして晶子は、昭和17年、狭心症の為、63歳で亡くなります。
法名は『白桜院鳳飛晶耀大姉(はくおういん・ほうしょうしょうようだいし)』。
その波乱の生涯を振り返れば、夫、鉄幹あって有名人になれた晶子であり、天才、晶子あっての、名プロデューサー鉄幹であったと思われます。
本当の意味で、良い夫婦だったのでしょう。
現在、二人のお墓は、東京多摩霊園に仲良くならんで、建っています。
おしまい
[管理用]
記事一覧
※画像をクリックすると拡大されます。
紙芝居:「与謝野晶子(よさの・あきこ)」(その9:最終回)
紙芝居:「与謝野晶子(よさの・あきこ)」(その8)
大正12年、関東大震災が与謝野家を襲います。
幸い、晶子の家族は、皆無事でした。
・・が、この頃、鉄幹と二人で教授を務めてきた『文化学院』という学校は、焼失してしまいました。
そして、その学校に置いてあった晶子のライフワーク『源氏物語』の全・現代語訳文も(完成目前で)すべて燃えてしまいました。
絶望する晶子。
・・が、家族は生き抜かねばなりません。
晶子たちは、東京郊外に引っ越して、新しい家を建てます。
そして、もう一度『源氏物語』の現代語訳に、挑戦するのでした。
『妻をめとらば才けて、みめ麗しく情けある・・』と歌った(一代の風雲児)与謝野鉄幹は、昭和10年、62歳で亡くなります。
が、晶子は悲しんでばかりもいられません。
「私の人生も、残り少ないわ。生きている内に『新・源氏物語』を完成させなあかん・・。」と、頑張って執筆します。
そして、昭和13年。ついに『新・新訳源氏物語』全六巻が完成し、刊行させたのでした。つづく
しばらく、日記を付けてませんでしたので・・
忙しくて、最近、日記も紙芝居も書けてません。
・・すんません。
それで、今回まとめて三つの事を書かせていただきます。
(中島組:萬福寺さま)
6月29日、柴島の萬福寺さまが会所となる『中島組仏教婦人会総会』の記念法話会にお招きいただきました。
たくさんの御方の前で、たっぷりとお話させていただきました。
(観念寺:寺カフェ)
7月9日は、月例の観念寺寺カフェ。
この日もたくさんの御客さんが来ていただきました。
もう、アイスコーヒーの季節です。
(勝光寺さま:定例会)
そして昨日は、東住吉の勝光寺さまの定例法座へ。
今年で、何回目になるのか⁈
とにかく、毎年7月10日は『勝光寺』の定例法座!
今年も、新作紙芝居を四本させて頂きました。
ありがとうございました。合掌