住職のつぼやき[管理用]

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夢のはなし

 これは、あくまでも僕の『夢の話』である。

 僕は、今年の三月に『脳内出血』のよる緊急手術をした。
 それは、四時間掛かった手術だった。
 全身麻酔をする直前まで意識があったので、今でも『その事』は、はっきりと覚えている。
 麻酔をして意識を失った僕は、夢を見た。
 砂漠を歩いているのだ。(後で思ったのだが、花畑ではなく、三途の川もなかった)
 その内、目の前に『万里の長城』の規模を小さくしたような壁が見えた。
 僕は、まっすぐに行かねばと思った。
 が、壁が邪魔である。
 「右側から行けば良い」と思って行くと、上から『丸太ん棒』が落ちて来て邪魔をする。
 僕は「危ないなぁ・・」と思って、今度は左側に行くと、又同じこと。
 それで上を見ると、僕の小学校の時に死に別れた『お爺ちゃんとお婆ちゃん』と知らないおっちゃんの三人がいる。(なぜか、父は居なかった。[笑])
 祖父母は、何も言わないで笑っている。
 僕は「お婆ちゃーん、お爺ちゃーん」と大きな声で呼ぶが、笑っているだけ何も言ってくれない。
 僕は、もっと大きな声で呼んだ。
 その内「おばあちゃーん!」という声が、「宮本さーん!」という声に変わって、僕は『うるさいなぁ』と思って、目を開けたら、そこは手術室で、五・六人のドクターが居て僕の名前を呼んでいたのである。
 そして「ああっ良かった。手術は成功しましたよ」とドクターは言ってくれて、その続きの話は、このブログにも書いてきた。
 もう一度言う。
 これは夢の話なのだが、ご先祖様というものは、(有り難いことなのだが)ずっと子孫のことを心配しているのであろうか?・・又、もう一人いた謎の人って誰?
 そして、あの壁の向こう側には、何があるんや?(僕が良くお話してる極楽浄土か?)
 それとも・・?
 

 

思えば、色んな事をやり過ぎたか・・

 ふと、『なぜこんな大病になったのかなぁ?』と、思ったのだが・・(息子にも言われたのだが、)考えてみたら、いろんなことをやり過ぎたのかもしれない。
 『お寺の出前』は、『呼ばれれば、断らない!』と、いうことをモットーとしていたので、・・とにかく、仕事以外の時間は、みんな『出前』に使った。

 老人ホームや地域の老人会などへは、紙芝居「二つの墓穴」や「三尺三寸の箸」などを持って、『老いても生きがいを持つ』をテーマにお話し、

 病院やホスピスなどへは、紙芝居「子供を亡くしたゴータミー」などを持って、『生きること、そして死ぬという事』をテーマに(患者さんや看護師さんなどへ)お話してきた。

 会社の研修には現役のサラリーマンへ、紙芝居「サイオウの馬」などを持って、『運命なんてクソくらえ!誰がなんと言うと、人間らしく自分らしく生きる』をテーマにお話し、

 学童保育には、紙芝居「幸福の王子」や「でんでんむしの悲しみ」を持って、『命の教育やいじめ』について、子供たちにお話した。

 そしてもちろん、お招き頂いたお寺には、紙芝居「おしゃかさま物語」や「アミダブツ物語」などの仏教説話をお話し、『宗教の基本は、皆が幸せになることである』と主張してきた。

 また、最近では、お寺に観光バスで来て下さるお客さまにも『仏教説話』の紙芝居もしていた。

 そしてその間、お寺の法要行事や檀家参りに人生相談、法事・お葬式、寺の掃除に運営会計計算と、全部一人でやって来た。
 おお、そして『紙芝居』の新作も作ってた作ってた。その数、140本!(今、141本目を作っている)
 こりゃ、病気になるわぁ。(息子に言わせると、「一人で五人分働いている」と言われた)
 妻には「それだけ働いているんやから、いつ死んでも悔いはないよね。私は諦めているよ」と言われてきた。

 でも、仏さまから『むちゃすんな。ここらでストップ、ザモーメント!おまえにはもうちょっと生きててもらわなあかん』とお声がかかって病気になったのであろう・・と思う。

 あと、どれぐらい生きれるかわからないが、自分自身の生き方を、もうちょっとここらで方向転換して考え、そして見つめなおしてみたい。
 
 

男の料理

 先日、河南町が実施している『男の料理教室』へ行って来た。
 ・・それは入院をした時、同室の患者さんから、『男でも料理が出きんとあかんなぁ・・嫁さんが逆に入院した時、ほんまに困るぞー。』と、聞いたためだ。
 いるいる、教室には60代70代の「わしは、包丁も握ったことがない!」というおっちゃん連中が。
 さすが、50代前半のおっちゃんは僕だけだったが・・。
 女の先生に「あぁぁぁっ、あぶなぁ・・、包丁握ってはる姿をみたら、冷や冷やするわ。」と言われながら、なんとかナスビ料理ができました。
 味は、まぁまぁ・・やったかな。
 でも、料理って[切る]・[煮る]・そして[後片付け]が、基本であることが、何とかわかった気がした。

病院の一人部屋について

 ・・前回は、僕が救急車で運ばれた病院の[六人部屋=大部屋]での[人間模様]について書いたが、今回はその次に移った『リハビリ病院』の部屋について書く。

 はっきり言って、僕は[大部屋]の人間関係のややこしさには懲りていたので、リハビリ病院の時は、是非[個室の病室]が良いと願った。
 しかし、中には患者仲間から「宮本さん、個室の病室は、お化けが出て気味悪いから、絶対[大部屋]がええよ。」と言われた。
 ・・が、僕は「お化けなんか、どうでもよい。生きてる人間の方が、よっほどややこしいから嫌だ・・。」と思っていたので、[個室]をお願いしたら、運良く部屋が空いていて、(家族もそれを了承してくれたので)入室させてもらった。
 
 そして、個室に入室した次の日の朝、看護師さんが心配そうに、僕に「・・よく寝れましたか?・・みんな最初は眠れなかったと言われるのですが・・」と聞かれた。
 僕は「ぐっすり、眠れました。前にいた病院の二十日間分眠れましたよ。」と答えた。
 「・・それは良かった。」と、看護師さんは言ってくれたのだが、奥歯にまだ物が挟まったような、まだ何か言いたげな感じだったので、例の[お化け出現]の事かな?と思い、「あああ、大丈夫です。僕、お寺の坊主ですので、全然こわくなかったですよ。もう、めちゃめちゃ熟睡できました。・・お化けよりも生きてる人の方が怖いですから。」と言ったら、「安心しました。」と言って笑って、いろんな⁈超常現象談をしてくれた。
 どうやら、看護師さんも、そんなことを気にされていることがよーく解った。
 結果的に、まぁそれで、退院まで(お化けにも合わず(笑))、僕は快適に過ごさせていただいたのである。
 
 

「中外日報」に載ったものの・・

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 僕がまだ入院中(4月4日号)に、「中外日報」という宗教新聞の一面に、『寺を飛び出し 教え伝える ~老人ホームで紙芝居 不安に耳を傾ける~』という題名の記事が載った。
 それは、僕が『寺を飛び出せない』時に掲載されたもので(取材は去年の12月頃だったか⁉)、何とも皮肉なものとなった。
 ・・でも、第一面に載ったので、「よし、又頑張ろう!」と僕を元気づけるものとなった。
 
 「妻が新聞に載ったでー!」と言って、病院まで持ってきてくれたので、看護師さんに新聞記事をもじって、『寺を飛び出し 病院に入る ~不安だ、誰か耳を傾けて~』に題名を変えてくれへんかなぁ。」と言って笑っていた。
 
 

自分の中の[善]と[悪]と[普通]

 この一か月間、ずっと『ジキル博士とハイド氏』という(人間の心の闇をテーマにした)紙芝居の制作を続けているのだが・・。
 ・・それでその間、絵を描きながら、又、セリフや文章を考えながら生活していると、僕自身が紙芝居の世界に入り込み過ぎ、今の僕ははたして「ジキル(善)なのか?ハイド(悪)なのか?」とばかり考え込んでしまって・・。
 もともと、僕は「内気な目立ちたがり屋」のような二重人格的性格なので(笑い)、このお話には入りやすい。
 だから、僕自身を投影しながら作っているのだが(ここも笑い)、それでもやはり人間の本質について、つい考え込み過ぎてしまう。
 すでにこの紙芝居は、もう95パーセントは完成しているので、そろそろ、このお話の世界から抜け出せると思っているのだが、・・今のところ僕は、このお話は[善]と[悪]をテーマにしたものではなく、[普通]と[悪=欲]を主題にしたものではなかったか?とも思っている。(原作者のスティーブンソン氏が聞かれれば苦笑されるだろうが。)
 [善]という言葉をそのまま使えば、それは[偽善]になるような・。だからそれは[普通]なのだ。
 つまり、ジキル博士は[善]ではなく、[普通]だったのではないか?
 [普通]と[欲]の対立・・とした方が、今の僕にはしっくりいく。

 ・・でもでも待てよ、[悪=欲]の行動そのものにも、善(=普通の言い訳)的要素が含まれているような気もするので、これもやはり[欲]と[普通]の対立ではなく、ただの[普通]の心の動きの話のような。・・ああ、訳がわからん様になって来た。

 そう考えれば、このお話は、極、普通の人の話となる。
 
 紙芝居『ごく普通人 ジキルとハイド』という題名に変えようかなぁ。・・いや『みんなのジキルとハイド』の方が楽しいか。待てよ、「あなたもジキル、私もハイド」がいいかなぁ~。(笑)

紙芝居と「小説[水底の村]」

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 今年のお正月に息子が帰って来て、「新しい紙芝居を見せて」と言ったので、最新作の「ダム湖に消えた村」を見せた。
そしたら息子が、「お父さん、その話って、さだまさしさんの小説『水底の村』を元にして作ったん?」と聞いた。
 「えぇっ⁈ それってあの歌手のさだまさしさんか?」と驚いて聞き直すと、「そうやで。・・似てる話やと思うわ。」と返事が返って来た。
 僕は、その小説とは一切関係ないと息子に答えておいたのだが、その時からその小説が読みたくてたまらなくなって・・、そしてこの正月休みに読み終えた。(妻が『解夏(げげ)』というさだまさし作の単行本の中に収録された、この中編小説を持っていたのだ。)
 この話は、近畿地方ではなく、関東が舞台のお話なのだが、土台は『新しい都市の生活用水確保のために、ダム建設の話が起こり、その為に村の一つが水底(みなぞこ)に沈み、そこに住んでいた人々の生活が大きく変わってしまった』という話だ。
 ・・僕は二つのことに驚いた。
 一つは、少し前、日本ではよく似た[開発]という名目の環境破壊(改造というべきか?)があちこちでおこっていて・・そして、その後、そこに暮らしていた人々の生活(人生)は、大きく変らざるを得なかったという事実。
 そして二つ目は、(こっちはどうでも良い事なのだが)息子が、この話を、「紙芝居」を観た瞬間に、思い出したということ。
 いつの間にか、ゲーマーだった息子は(あらゆるジャンルの本を読む)読書家に変わっていたということだった。
 
 
 

今、創りかけの「紙芝居」

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 今、『ダム湖に消えた村』という題名の、[河内長野市滝畑地区]の紙芝居を創りかけているのだが、それを終えたら、すぐに次の作品郡に取り掛からねばと思っている。
 ・・その控えの一つが、『ジキル博士とハイド氏』。
 これは、有名な二重人格者のおはなしだ。(・・これは、僕自身の性格?(笑い)に照らし合わせながら作りたいと思っている。・・原作はすでに二回読んでいるが、自分流に解釈しシンプルに描きたいと思っている。)
 そして、その次に『懺悔の聖者 覚鑁上人』の制作も控えている。
 これは、すでに今年、和歌山県の(覚鑁上人所縁の)根来寺にお参りし、どんな話にするかは、頭の中で描き終えている。(来年、覚鑁上人出生地の佐賀県での取材を終えたら制作を開始したい。)
 それが済んだら、『修験者 役小角』、『大和の清九郎』、『楠木正成ここにあり!』と、(地元のヒーローたちの話を)続けて制作を開始したいと考えている。
 これでは、来年も目いっぱい、健康に気をつけながら、描きまくらねばな・・。
 
 

おもてなし・・

 今、『おもてなし』という言葉が、注目されている。
 まず、この意味だが、辞書で引くと「持て成し」とあり、意味は『ふるまい。とりなし。歓持する事・・』と説明されている。
 つまり、饗応、接待という受け取って良いのだろう。
 話は、僕のことになるが、
 僕もよく、この『おもてなし』を、老人ホームで受ける。
 それは、お寺の出前の『紙芝居法話』が終わった後、個人的に、入所者の方からのお部屋に招かれるのだ。
 「住職さん、後でちょっと部屋に来て、」と言われて、片づけが終わってから、その方のお部屋にお邪魔する。
 たいていは、深刻なお話があるわけではなく、孫や昔のご自分の想い出写真のご披露で、話は終わるのだが・・。
 その時に、この「おもてなし」がある。
 ベット横の机の引き出しから、(賞味期限の切れた[笑い])饅頭やせんべいなどを出して、僕に「これ、食べて」と、もてなしてくださるのだ。
 ・・その『賞味期限』が気になるので、たいていは持って帰るのだが、「どうしても」と言われたら、覚悟して食べる。(後で職員さんに、引き出しのチェックを言っておくが・・。[笑い])
 中には、お金を出して、「これ、お賽銭にしてください」と言われることもある。(でも、これは金銭の事なので、受け取らない。「どうしても」と、言われた場合のみ、担当職員に必ず、相談する。)
 
 お年寄りは「おもてなし」の心を、常識として持っておられる。
 それが、施設内でも当然のように、実行されるのだ。
 その「もてなし」の(気遣いの)お心が、十分にこちらに伝わってくるので、これからも僕は、(賞味期限を少し気にしながら、)「もてなして」もらい続ける・・。
 ああっ「もてなして」もらうのも、ちょっと勇気がいる。
 

親鸞聖人のこと・・

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(京都市伏見区日野)
 浄土真宗の開祖『親鸞聖人』は、今からおよそ八百年ほど前、現在の京都市伏見区日野(ひの)の地で、お生まれになった。
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(日野誕生院)
 現在この地に立つと、京都市内とは思えないほど、静寂な空気が漂っている。・・つまり、なんというか、田舎だ。
 であるから、当時はもっと静かで寂しい場所であったのだろう。
 ここで、親鸞聖人は生まれ育った。
 父は、日野一族の藤原有範(ありのり)。
 母は、源氏の血を引く(源義家の孫)吉光女(きっこうじょ)と言われている。(そう、時代は違いますが、あの日野富子も一族です)
 つまり、閑静な環境のエエトコのボンに生まれたのだ。
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(法界寺[日野家菩提寺])
 しかし、時代は源平争乱の時代に入り、親鸞聖人は(政治的な理由があったのか?)幼き頃に出家させられ、比叡山で修行することに・・。
 そして、波乱の生涯を送られることになる。
 しかし、この長閑な日野の地で育てられたときは、きっと自分にそんな波乱の人生の幕開けが来ることなど、夢にも思われなかったであろう。
 そう、この誕生院のすぐ下にある立派な阿弥陀仏の祀られている『法界寺』で、ある時は無邪気な遊び回り、又ある時は祈り、多感な時を過ごされたのだろう。
 この地に立つと、案外、親鸞聖人の(内観的な)思想の柱となったものは、この日野の地で培われたのではないかと、僕はそんな気がする。 
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(境内の蓮池)
 僕も、親鸞聖人と同じ場所に立ち、同じ空気を吸い、同じ道を歩いてみる。・・そして阿弥陀仏に手を合わしてみる。
・・僕の紙芝居づくりは、いつもそんなところから始まるのである。

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