住職のつぼやき[管理用]

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『信頼関係』って何だろう・・?

 ・・以前、遠方の寺院の《お葬式》のお手伝い僧〔脇導師(導師の横で一緒にお経をあげて、お葬式を執行する役)〕として、お招き頂いた時のこと。
 葬儀会館で、式の開始を待っていた20分ほど前に、その事件は起こった。
 突然、僕達僧侶が控えている小部屋に、その葬儀の喪主さん(50代半ばの男性)が、怒って飛び込んで来られた。
 「・・あんた、この(白木の)位牌の亡くなった母の年齢は、間違っている!・・一才違う!すぐに書き直して欲しい!」と、凄い剣幕であった。
 まず、今からお葬式を執り行ってもらう〔導師〕のお寺さんに対して、・・『あんた!』呼ばわりはないであろう。そして、後20分ほどしかないのに、『位牌の文字を全部書き直せ!』というのも、乱暴だ。
 導師さんは、その喪主さんに対して、「〔数え〕としてではなく、〔満年齢〕として、今は書いているのだ」といくら説明しても、埒がいかない。それで結局、導師さんが折れて、急いで全部書き直した。(それでもまだ喪主さんは、ブツブツ言っておられた)

 ・・まぁ、無事に、(そのやけに緊張感のある)お葬式は、終了したのだが、何とも後味が悪かった。
 僕は導師さんに、「あの方は、ずっと以前からの檀家さん(信徒)なのですか?」と聞いたら、「そうだ」という事であり、「以前も、お葬式で揉めた難しい性格の方」なのだそうだ。
 ・・でも、僕は帰ってきて思った。
 そのような性格の方であるという事が、判っているなら、なぜ、位牌に書く年齢を、前もって、(せめて前日のお通夜の時にでも)その喪主さんに(あるいはご家族に)説明しておかなったのだろうか?・・式の始まるぎりぎりになって、そのような事を言いに来る喪主さんも、大人げないが、説明責任を忘れたお寺さんにも、気配りの怠りが、あったように思える。

 結論として、長いお付き合いではあるのだろうが、『信頼関係』がなかったのかもしれない・・?(そう簡単に、出来ないことはわかっている・・僕も人のことは言えない!)

 これからの時代、きっと、『檀家(信徒)とお寺(僧侶)』との関係は、今までのように、お互いが敬い、信頼し合うという訳にはいかないであろう。
 では、どのようにその『信頼関係』を作ればよいのか?
 僕は、日頃からの何げない《会話》が一番大事ではないかと思う。
 《会話》のない人間関係では、いざという大事な時に、すべてが崩れてしまうような気がするのだ。
 お寺(僧侶)が尊敬され、信頼される時代(はたしてそのような時代が来るのだろうか?)をもう一度作り上げるには、僧侶自身が、(もうひと昔とは違う)その在り方をもう一度考え直さねばならない時が、もうそこに来ているように思える。

 
 

出前先から見た、僕の姿って・・?

 このホームページの〔ブログ〕は、僕の主観で書いている。
 では、出前先の〔相手様側〕から見た《僕》って、いったいどう写っているのだろうか?
 そんな事を考えていたら、気になって、気になって・・。
 ・・それで、出前に行った先の〔ホームページ〕を、恐る恐る調べてみることにしたら、なんといくつか、相手様の〔ホームページ〕に僕の事が書かれてあった。・・それで、今日は(僕の感想を入れず、いや、ちょっと入れ・・)それを紹介することにする。
 
 まず最初は、昨年に行かせて頂いた《島田病院・はぁとふるグループ看護部》様のホームページ。
 http://www.heartful-health.or.jp/kangobu/k_topi08001.html
詳しくは、ここをクイックして見てください。(看護師さん相手に、話が何度か、スベっている事が書かれてあります)
 
 二つ目は、先月に行かせて頂いた《豊中仏教会》主催の「涅槃会の集い」の様子を、主催者側の代表のお一人の『イベント坊主』さんが書いて下さっています。
 http://blog.zaq.ne.jp/hounjisportspark/article/275/
こちらの『イベント坊主に喝!』〔2009 豊中仏教会主催「涅槃会の集い」〕のページに書かれてあります。(イベント坊主さん、いずれ又、きっとどこかでお会いするような、そんな気がしてます!)

 最後は、つい先日、行かせていただいた、河南町立〔白木小学校〕のホームページ。
   http://www.kanan.ed.jp/ele/shiraki/index.cfm/20.8379.16.html
 こちらの、〔1年生のページ〕・〔5年生のページ〕、あるいは、「紙芝居を見ました(1年生と5年生)2009年3月1日」というコーナーに、詳しく書かれてあります。(・・校長先生、さすが編集作業、早いですねぇ。・・又、僕のHPを、学校のPCの「お気に入り」に、早速入れて下さって有難うございました。(ほんまに良かったんですか?・・これから、PTAや先生方が見られるかと思うと、もうあんまりアホなこと、書けなくなってしまいます!・・でもやっぱり書いてしまいますが・・。〔笑〕)

 皆さん、もし良ければ、出前先から見た僕の姿を、是非一度見てやって下さい!

 

2.19《PL病院》「語り合う会」のアンケート結果

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 先月、2月19日に行った、PL病院「語り合う会」のアンケート結果(会の感想)を、担当の中尾ドクターが、まとめてメールで送って下さった。(もちろん、僕の手元に届くものだから、(否定的な感想はカットし、)良い感想ばかりを選んで下さったのだろうと思うが、・・。お心配り有難っとさ~んです。)
 ・・で、今日は、そんなアンケートの結果をここに(少し長くなるが、)ピックアップして書かせて頂く。
 
 「語り合う会」参加者総数44名 アンケート枚数22枚 (内) 医療職以外9名 医療職13名

・初めての参加でしたが、楽しく感動しました。次回も参加させて下さい。
・『三尺三寸のお箸』のお話、とても楽しかったです。お互いを思いやる気持ちについて、再認識できました。今、人を思いやる心を忘れている人が多い中、とても大切な事を感じました。

・会のムードが静かで穏やかなのですが、周囲の皆様の受け入れる、あるがままの素晴らしさを感じました。
・とても心が豊かになりました。今後も仕事をして、又生きていく中で生かせて行こうと思います。

・非常に有意義なお話有難うございました。2時間がとても短く感じました。
・紙芝居を通して、仏教の事や、大切な事を感じました。

・本当に参加させていただき、本当に来て良かったと思います。私は昨年10月に父を亡くし、今までターミナルケアを自分が一生懸命行ってきたのに、父は(遠方の)○○県の為、親とも別れもできず、母が病弱なため、父の病気を母にも告げられず、もちろん本人にも告げられず・・・。ずっと後悔していました。でも、今日の最後の『紙芝居』を聞いて、少し救われたような思いになることができました。父をいつも忘れないでいようと思います。ありがとうございました。

・とても優しい気持ちになれました。人に何かを伝える時には、優しい気持ちで話すのが良いのですね。
・紙芝居『二つの墓穴』が、私の家の状況と似たところがあって、心に残るものがありました。

・紙芝居の絵の色使いが、キレイで良かったです。お話の長さもちようど良いと思いました。難しいお話をして頂くより、紙芝居の方が、わかりやすく私、大変気に入りました。最後のお父さんにお伝えされた『紙芝居』は、私の兄に重なるものがあり、(今入院中ですが、)考えさせられました。

・大変勉強になりました。古い話ですが、考えさせられる事も多く、人はどれだけ年月が経っても、同じ事で苦しんだり、幸せになったりするのだなと思いました。

・『お寺の出前』、手作りがいっそう癒されます。工夫も一杯で感激しました。『出前』というのは、自分のために来てもらえる特別感があります。他者を思う心、自分を見直したり、日常の中の何気ないことから、しみじみ考えていけるのが良いです。お寺を身近に感じました。

・紙芝居で『法話』と聞いて、どんなストーリーなんだろうと興味津々で参加しました。愛・生・善・悪など、普遍的なテーマをわかりやすく、ユーモアも交えて手の込んだ「紙芝居」を語って下さり、とても感じるものがあり、心が浄められた気がします・・。

 ・・まだ、他にも温かいお言葉の数々があるのだが、今日の所はこのへんにしといたる・・(よしもとのギャグでした〔笑い〕) 
 最後に、〔まとめ〕て送って下さった〔中尾ドクター〕、そして医療スタッフの皆様、本当に有難うございました。
 又、会場の雰囲気を優しく演出する為に、最初と中休みと最後に《エンヤ》の曲を〔会場〕に流して下さった医療ソーシャルワーカーの〔島田〕様、有難うございました。・・・《エンヤ》、趣味ですか?・・僕も好きになりました。あの会の後、CDも買いましたよ。(以上は余談でした。・・でも、あの会場の雰囲気、本当に《エンヤ》の曲が合いましたよねぇ。)
 

少し遅い、今年の目標・・・

 先日、いつも行く《散髪屋》の若店長さんから、「今年の目標は何に決められたのですか?」と聞かれた。
 この若店長さんは、僕のこの《ホームページ》を時々、見て下さっているらしく、〔今年の目標〕を、まだこのブログに書いていない事に気づいて下さったらしい。(僕は忘れていました・・すんません〔笑い〕)

 確か、去年の目標は『落ち着く!』であったと思う。意味は、〔突然、何が起こっても、うろたえないように行動する〕という、小心者の自分自身への戒めを込めたものだ。(なんと情けない、ちっちゃい目標だったのだろう・・恥ずかしい)
 結果は、意識していた分、五割ぐらいの目標達成率であったろうか・・。(笑うしかない)
 
 さて、今年の目標であるが、『喜ばれる』にする。
 意味は、〔とにかく、人から頼まれた事は(出来る範囲で)、お引き受けして、結果として『喜ばれる』存在になろう〕という目標だ。
 今年は、少しでも人から『喜ばれる』存在になりたい!・・と思う。 
 

『関西いのちの電話』のこと・・・

 ・・「奥さんとは、どこで知り合われたのですか?」と、お寺に初めて来られた方には、良く聞かれるのだが・・。
 あまり皆には言ってなかったが、妻との最初の出会いの場所は『関西いのちの電話』第20期・相談員〔養成講座〕だったのである。
 そこでお互い知り合って、相談員の認定を受けた後、幸か不幸か(笑い)結婚した。
 つまり、僕も妻も、『電話相談員・カウンセラー』だったのだ。
 まだ20代半ばの頃の話である。
 新婚の頃は、(まだ二人とも、)仕事をしながら、ボランティアとして、引き続き、その『いのちの電話』の相談員をやっていたのだが、お寺に《入寺》してからは、まったく行ってない。(この前、調べたら現在《45期生の募集》となっていたので、もうあれから25年が経ってしまった)

 ついでなので、今日は簡単に、この『いのちの電話』のことについて述べてみたい。
 この団体は『社会福祉法人』であり、全国に組織がある。
 『眠らぬダイヤル』と呼ばれ、《24時間、365日》休みなく受付をしていて、いつでも、誰でも、どんな相談でも、掛けられる。
 又、相談者は名前を告げる必要がなく、相談内容の秘密も守られる。そして、お互いの宗教や主張は尊重される。(僕がよく言っている《超・宗派》の原点はここにある!)
 もちろん、相談は無料である。・・が、金銭的な援助の相談はできない。
 尚、相談を受ける《電話相談員》も名前を言わないし、いつ、誰が『受話器』を受け取るかわからない。正に《一期一会》の出会いとなる。(同じ相談員と話せる可能性は少ない) 
 だから、うまく悩みが解決できる時と、そうでない時が起こってしまう。(・・でも、それはこのようなシステムだから仕方のない事だ)
 僕が『電話のブースター』に入っていた時、(深夜が主だったので、)電話のベルは途切れる間なく鳴り続け、又、重い内容の相談も多かった。それで、帰りはいつも気が重くなったものだ。(たとえば、「今から自殺しようと思っている」という人からの電話がよくあり、その時は必死で止めたり、ひたすら話を聞き続けたりして、気分が落ち着くように、説得したりした。それで、短い通話でも1時間はざらであった)
 ・・・話が長くなった。
 「いのちの電話」についてのエピソードは一杯あるのだが、上にも書いたように、《相談内容》は秘密厳守なので語れない。
 余計なことかもしれないが、電話番号だけはここに書いておきたいと思う。(もし、誰にも言えない悩みを抱えておられる人がおられたら、この電話番号を教えてあげて欲しい。そして、是非一度、電話してもらいたいと思う)尚、つながりにくい時間帯があるのは確かであるから、何度でもつながるまで、チャレンジして欲しい。
 『関西いのちの電話』 電話:06-6309-1121  

筋ジストロフィー青年との会話記録 その10(最終回)

 一週間に渡って書いてきた、この《記録》も今日で最後としたい。
・・というのも、前回で、〔病院訪問〕の記録は終っているからである。(誠に中途半端であるが)
 前回の〔訪問〕の後、突然、僕の人生に〔転機〕が訪れ、そして引越しする事になるからである。
 以前書いたかもしれないが、この年、「一ヶ寺の住職にならないか」というお話を恩師より急に頂き、決心。そして夏に〔入寺〕の為に引越し。そして秋から次の年かけて〔住職継職〕の手続きをし、さらにその次の年に〔落慶法要〕を行わねばならなかった。
 このように、休む暇もない〔嵐のような日々〕が続き、(距離的にも、時間的にも)病院へは行けなかったのだ。
 それでも、N君のことはずっと気になっていたので、お母さんとは手紙や電話でやり取りはしていた。
 ・・が、それから間もなくN君は28歳で亡くなる。
 考えてみたら、わずか三年のお付き合いであったが、〔生きることの意味〕や〔病気や死〕について、これほど深く考えた期間は無かったような気がする。
 
 ・・が、結局、僕は彼と逢って何をしたというのだろう。
 初めは、『《仏教の智慧》というボールを持って行き、それを彼に投げて、彼の苦悩を少しでも楽にするぞ!』と意気込んだが、それはすぐに、『そう簡単には出来ない』という事を悟った。
 それで、僕は彼からの言葉のボールを受けることだけに専念した・・つもりだ。
 (それも上手く受け取れず、後ろに逸らしてばかりいたようだが・・)

 短い期間ではあったが、・・彼は亡くなったが、彼が投げてくれた様々なボールの感触は今も僕の手(心)の中にある。(確かに残っている)
 今、その様々な〔感触〕を大事にし、(それを練りながら)僕はこれから『お寺の出前』の活動に生かしていきたいと思っている。
 ・・本当に長くなった。
 最後に今も『T支援学校の分教室歌』になっている彼の《詩》をここに載せて終りたい。
 
 《真実の翼》
 笑顔を取り戻すために 誰かが決めた勝ち負け捨てて 
 現実と優しさ握り締め 目の前のこの道歩きだそう
 いつか翼になったなら 本当の居場所を見つけ出したい
 泣いてもいいよ みんな一人じゃない 遠く離れていても 見守ってくれる人がきっといるから わかってもらえない悔しさが言葉になったなら いつか本当の居場所にたどりつけるから 
 笑顔を取り戻すために 誰かが決めた勝ち負け捨てて
 現実と優しさ握り締め 目の前のこの道歩きだそう
 歩きだそう・・・
 
  おわり
 
 
 
 
 

筋ジストロフィー青年との会話記録 その9

 そろそろこの《会話記録》も終わりに差し掛かっている。
 この記録をまとめるのは本当にしんどい。
 出来ることなら早く終りたいと思っているのだが、このT病院への『お寺の出前』が、(まだ当時、こう称してはいなかったが・・)今の僕にとって、非常に貴重な(色々な所へ、こちらから出向いて行こうと決心する)体験となっているような気がするので、この際キッチリまとめて置きたいと思っているのである。

平成10年1月13日の記録
 今日、病室に入ったらN君が、僕に「『ミニコミ誌』に僕の《詩》の連載が決まりました」と嬉しそうに語ってくれた。
 そして、その第一回目の《詩》が載った冊子を見せてくれた。
 僕はその『Mっちゃんコーナー』と書かれた冊子の中身を読んで、少し驚いた。そして「なんか重々しい内容の詩やね。・・《死》について、正面から取り上げて作ってるやんか」と言った。
 彼は「そら、僕も成長しますよ。23歳になりましたからねぇ」と答えた。そして「・・でもその冊子の中で、僕の《詩》は浮いてませんかねぇ?」と付け加えて言ったので、「いいや、むしろ重厚になってるでぇ」と笑って答えた。
 
平成10年4月15日の記録
 病室に入った僕の顔を見るなりN君は、「僕この前まで、神経性胃炎で又、個室に移されとったんです。もう大丈夫やけど・・。原因はストレスですわ」と言った。
 僕は「何かあったんか?」と聞いたら、「おそらく、外に長いこと出てないから、それが原因やと思うのですけど」と答えた。
 「宮本さん、例のあの個室ですよ。あそこは嫌ですよ。テレビも無いし、寂しいし。・・今年は気管の手術をしてから、調子良かったんですけどねぇ」と彼は言い、そして
「僕、手術して良かったと思ってるんですよ。・・だって兄ちゃんは、この手術ができなくて死んだんですから。兄が死んでから四ヶ月後に、この病院で、この手術ができるようになったんですよ。兄ちゃんと同じ原因で死ぬのは嫌じゃないですか。・・その時、兄ちゃんは13歳で、僕は10歳でした。・・だから僕は手術する決心をしたんですよ。同じ病室でこの手術を嫌がって死んだ子も見てるしねぇ。・・でも、僕ももうだいぶと兄より長く生きたなぁ。」と言った。
 僕とN君との付き合いは、そう長いものではない。
 しかし、何回かの〔春夏秋冬〕を経た回数の訪問があったからこそ、このような話を彼はしてくれたに違いない。
 改めて、継続は大事だなぁと思った。
 
 ・・が、皮肉なことに、この日が僕の〔T病院〕の最後の訪問日となってしまった。 つづく
 
 
 

筋ジストロフィー青年との会話記録 その8

 僕がなぜ、この頃、頻繁にT病院に行けたかというと、病院近くに檀家さん宅が一件あり、一ヶ月に一回、そこのお宅にお参りさせて頂いた帰りに、病院に寄らせて頂けたからなのだ。
 たいてい訪問時間は、午後の3時ぐらいからで、一回行くと2~3時間は病院に居たと思う。時には1時間以上、病院駐車場でN君のお母さんから、色々な悩みを聞かせて頂いた。

平成9年5月15日の記録
 今日は二つの話題について話した。
 一つは〔西行法師と詩〕について。
 もう一つは〔ピラミッドと病院〕についてである。
 N君は、「自分は〔西行法師〕に似ている」といった。
 それは、「〔西行法師〕は身近の人の《死》を縁として、出家し旅に出て《歌》を作る様になった。自分も幼い頃、兄の《死》に接した事によって《詩》を作り始めたからなのだ」と言った。
 そして「〔西行法師〕も、色んな人の出会いや自然の移り変わりを通して、研ぎ澄まされた《歌》を読んだ。僕もそう有りたいと思う」と続けた。

 そして、〔病院内での自分の悩みについて〕話題は移った。
 お見舞いに来る親同士の感情のトラブル。看護師さんも〔月日〕が経つと、言葉遣いや態度も変わってしまうという話などをしてくれた。
 N君は「僕等はお世話になっている手前、(医療者に対して)何も言えないのです。・・患者あっての病院だと思うのですが、言うのを遠慮してしまう。・・僕等は《ピラミッド》の頂上に居らねばならないと思うのですが、《ピラミッド》が逆さまになっていて、僕等は一番下にいるように感じるのです。・・目の悪い人の嗅覚や聴覚が優れているように、動けない僕等は人の心の中、たとえばドクターや看護師さん達の心の中の変化が、すぐに判ってしまうのですよね」と悲しそうに話してくれた。
 今日はそんな話をした。つづく
 

筋ジストロフィー青年との会話記録 その7

 このブログに書いている《記録》は編集したもので、本当はもっと長い。
 しかも、このタイトルが《青年〔N君〕との会話記録》になっている為、《カット》しているが、実は、N君だけではなく、もう一人〔Sさん〕という、同じ病気を持つおばさんとも仲良くなって毎回、N君との会話が終ったら、Sさんのお部屋にお邪魔してお喋りしている。そして、その会話を記録している。
 年頃の男の子を持つ女性〔Sさん〕の闘病生活とその苦悩も壮絶なものなのだが、テーマから反れてしまう為、やはり書かないことにする。・・いつか又、ひょっとすると発表するかもしれない、・・としておこう。
 
平成9年3月13日の記録
 2月は忙しくて病院へは行けなかった。
 今日のN君は一生懸命に『日本史』の《坂本竜馬》のことについて(彼は歴史が好きなのだ)喋ってくれるのだが、唾液が飲み込め無い為、バキュームで唾液を吸いながらの会話となり、なかなか話が進まなかった。
 今日は僕が、バキュームを口に入れる役をしたし、いつもなら看護師さんに、「頭を右に向けて」とか「手を上にして」とか頼むのだが、今日はそれを僕に頼んだ。微妙な位置の変化、移動は難しかったが、僕に頼んでくれたことは凄くうれしかった。
つづく


 

筋ジストロフィー青年との会話記録 その6

 〔病気よ、お前のおかげで わからない何かを 手に入れることができたよ・・〕 これは(28才で亡くなった)N君の『詩』の一つである。

平成8年10月14日の記録
 N君の体調が悪く、面会ができないと聞いていたのだが、O先生から「彼が是非、僕に会いたいと言っている。何か話したいことがあるらしい」と連絡を受け、T病院に向かう。
 彼はまだ個室にいる。・・が、顔色はだいぶ良いみたい。
 僕を見るなり「あっ」と喜んでくれた。・・が、「何か話したいことがあるの?」と聞いたら、「忘れてしまった」ということで、がっかり。
 それより、(彼が欠席した)先々月の『詩の朗読会』の様子を聞きたがっていたので、「みんな、君の詩に感動してたみたいやったで」と言ったら、行けなかった事を本当に残念がっていた。
 「それより、今日は僕の作った『月の神様になったうさぎ』という『紙芝居』を持って来たんやで。見てくれるか?」と言ったら、
「物語の好きな僕の後輩が大部屋に居るから、一緒に見ても良いですか?」と聞いてきたので、OKして、その(小1ぐらいの)後輩を部屋に呼んで来て、一緒に見てもらった。
 『紙芝居』終了後、その後輩の子は「僕も(うさぎのような)神様になるねん。神様になるねん」と繰り返し感想を言ってくれた。
 N君は「悲しい話やけど、優しい気持ちになれた。・・宮本さん、今度『宮沢賢治』の生涯の紙芝居を作って、ここで見せてくれませんか?」と言った。
 「わかった。いつかな・・」と言って今日は別れた。
 
平成9年1月15日の記録
 今年初めての訪問。N君は6人部屋に移っていた。
 場所は扉側に変わっていたが、前にここに居た小1の子はどうなったのだろう?・・聞けなかった。
 N君の顔色は良いようだ。
 お母さんもしばらくすると来られて、「Mっちゃん、ジュース飲むか?」と言って、ベットの上にぶら下っているガラス瓶に缶ジュースを入れ、チューブで彼の口に流し込み、味を楽しんだ後、もう一本のバキュームのチューブで、吸い取っていった。(もう、喉の器官が塞がっていて飲めないのだ)これは見た者しか解らぬ壮絶な光景だ。彼はこうして、喉の渇きを潤すのだ。
 「N君、食べることができるなら、今何が食べたい?」と聞いたら、「ケンタッキー・フライドチキン」と言った。
 昔、よくお母さんに買ってきてもらって食べたらしい。
 そういえば、彼は料理番組が好きで、よくテレビでそんな番組を見ているなぁ・・。つづく
 
 
 

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