住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『泣いた赤おに』と『笑った赤おに』

 〔節分〕を少し過ぎてしまったが、僕の大好きな《鬼》の紙芝居を(2本)御紹介したい・・。
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(あらすじ)
 昔々、山深い所に〔赤おに〕が一人で住んでいた。
 この〔鬼〕は人間と仲良くなるのが《夢》だった。
 そこで、『どなたでも遊びに来て下さい・・』という《立て札》を立てた。・・が、疑い深い人間たちは「騙され食べられてしまう」と思って誰も近寄らなかった。
 ・・がっかりし諦めかけていた所に、友人の〔青おに〕が訪ねて来た。
 赤おにが事の成り行きを説明すると、青おには〔一計を案じた〕。それは『自分〔青おに〕が人間の村に行って暴れる。そこに君〔赤おに〕が現れて僕をやっつける、というお芝居をする。・・すると人間は君を信用して仲間に入れてくれるだろう・・』という、(まるで『吉本新喜劇』の劇中劇のような・・)案であった。・・そして決行される。
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 作戦はうまく行き、赤おには人間達と友達になれる。しかし、その後一向に〔青おに〕は姿を見せなくなってしまった。
 そこで、赤おには青おにの家を訪ねることにする。するとそこには一枚の〔赤おに宛〕の張り紙が貼ってあった。
『赤おに君へ、人間達とは、どこまでも仲良くまじめに付き合って下さい。・・(中略・簡略)・・僕が現れたら人間は又、君を疑うかもしれません。だから僕は旅に出る事にします。それは長い長い旅になるかもしれません。けれど、僕はいつでも君を忘れますまい。どこかで又遇う日があるかもしれません。さようなら、体を大事にして下さい。どこまでも君の友達 青おに』・・。
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 赤おには、その手紙を二度も三度も読み戸に顔をおしつけ、しくしく々と涙を流して泣き続けた。おしまい。
 なんと、すばらしい話であろう!このブログを書いている途中でも目がウルウルしてくる。・・《仏様》は登場しないが、なんと仏教的な《慈悲・利他》の心を伝えるお話であろう!
 ・・が、待てよ。「この《青おに》はいったいこの先どうなるのか?青おにの未来に幸せはあるのか?」と、いても立ってもおられず、作者の《浜田廣介》師には内緒で〔続編〕を勝手に作った。
 それが次の『笑った赤おに』である。・・長くなったがもう少しお付き合い願いたい。
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・・赤おにが、大泣きしてから何年も経った。
 ある日、赤おにの所に〔青おに〕から一通の手紙が届いた。
そこには次のように書いてあった。『赤おに君、お元気ですか?僕は元気にやってます。僕は長い旅の途中、かわいい〔白おに〕さんと知り合って結婚しました。そして今では〔水色おに〕と〔ピンクおに〕の子供も生まれ、僕はパパになりました。今とっても幸せです。そのうち君の所に、家族みんなで遊びに行きたいと思っています。人間たちも、このかわいい〔子おに〕を見たらきっと仲間に入れてくれるでしょう。いつまでも君の友達 青おにより』。
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 この手紙を赤おには二度も三度も読みました。そしてニコニコ々笑いましたとさ。おしまい。
 

 
 
 

~その後の安珍と清姫~『清姫を救え!物語』

 ・・何年も前の話になるが、〔安珍〕と〔清姫〕の紙芝居を作るにあたって、現地に(和歌山県の《道成寺》、そして清姫の生家跡《真砂(まなご)の里》)まで取材に行ってきた。
 《道成寺》では今でも、『絵説き説法』と称し、お寺のお坊さんが〔安珍・清姫〕のお話を絵で説明してくださっている。
 僕も〔体育座り〕をして一番前で、そのお話を聴いた。
・・が、説明するのが、《お寺》側からの見方をするので、どうしても〔安珍〕寄りの観方になっている。つまり〔清姫〕は悪者(加害者)として説明されている。
 又、僕も気になっていた〔あの後味の悪い悲劇的な終わり方〕の最後は、・・向こうの説明では、「その後、このお寺の僧侶の称える《お経》の力によって安珍と清姫は救われたのでございます」と言われた。・・この無理やりの《お坊さんの権威》を示す〔ラスト〕のオチも僕は納得できなかった。
 又、清姫の生家跡《真砂の里》の看板説明では清姫側の言い分(つまり悪いのは〔安珍〕だ!彼はプレイボーイだったのだ!)的な事が書いてあった。
 どちらが本当なのかはワカランが、僕は〔清姫〕の墓の前で手を合わせて誓った。「必ず僕があんたの無念を晴らして、納得させて救ったる!」と・・。それで作ったのが、この《続編》である。
〔あらすじ〕(昔話もの13)
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・・あの『道成寺事件』が起こってから何年も経った。
 その後〔安珍〕は、焼け死んだ時の苦しみも癒え、長い階段を登り、今〔閻魔大王〕の裁きを受けようとしていた。
〔閻魔さま〕は安珍に、未だに川の底で苦しむ〔清姫〕を救うようにと命じられる。
 そして、この世に戻る安珍。そこで未だ大蛇のままの姿の清姫に遇う。
 安珍を見つけた清姫は、又襲い掛かって恨みごとを述べる。
・・が、安珍は落ち着いて《愛》について話し始める。
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「良いか清姫、《愛》というのは人を縛るものではない。愛は人を許し自由にするものなのじゃ。そなたの《愛》は私を苦しめ、そして結果的に自分も苦しめている。仏教ではそれを《渇愛(かつあい)》と呼ぶ。・・それはモノを貪り執着する愛の事じゃ。」
 それを聴いて清姫は「けれど、私はあなたを愛さずにはおられなかった。それを誠の愛ではないと言うのか!」と叫んだ。
 ・・安珍は続けた。「私は『愛してはいけない』と言っているのではない。自己中心的な考えではダメだといっているのだ。・・愛する者の立場もよく考える事。そなたはなぜ私があの時『又帰って来る』と嘘をついたか考えてみた事があるか?私は修行中の身で結婚はできない。帰って来ても、そなたを深く悲しませるだけと思ったからじゃ」・・・。
 その後この『紙芝居』は、もう少し安珍と清姫の《恋愛》についての問答が続くのだが、長くなったので一気に《ラストシーン》に移りたい。
 最後、この長い会話の果て、清姫は《誠の愛とは何か?》に気づき始める。そして少しづつ自分自身を取り戻していく。するといつの間にか〔人間〕の姿に戻ることができ、最後は二人仲良く手をつなぎ〔閻魔様〕の元に《誠》の裁きを受けに行くができた・・という結末にした。
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・・もうひとつ忘れてはならない。その一部始終をそっと見ておられた〔閻魔様〕は微笑みながら、《極楽浄土》往きのペアチケットを二枚用意しているという所で終わりにしている。・・長くなりましたが、これにて、おしまい。
 

《愛》と《憎しみ》の果てに~紙芝居『道成寺(どうじょうじ)物語』

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 僕がいうと可笑しいかもしれんが、《恋愛(れんあい)》って昔も今も凄く難しい〔問題〕なのかもしれない・・・。
 ひとつ間違えれば〔殺人事件〕になってしまう事もある。
 この21世紀になった今でも・・。
 この紙芝居は平安時代に起こった〔ストーカー殺人事件〕と捉えてもらっても良いと思う。
〔あらすじ〕(昔話もの12)
 昔々、東北から一人の修行僧が、和歌山の〔熊野権現〕へ詣でる旅に出た。彼は〔安珍(あんちん)〕という名で若く美しい僧であった(まるで〔キムタク〕のような・・こんな事は書いてない〔笑〕)。
 〔キムタク〕いや、安珍は長い旅を経て「いよいよ熊野権現の近くまで来た」・・という所でこの日の陽が落ちた。そこで或る一軒の屋敷に一夜の宿を頼んだ。
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屋敷の主人は快く泊めてくれた。そしてその接待をしてくれたのが、そこの娘〔清姫(きよひめ)〕であった。
清姫は、安珍を一目見て好きになってしまった。
 その夜、我慢できず、清姫は安珍の布団にしのび込んだ。
驚く安珍!拒否する安珍!しかし清姫の気持ちは一途であり、困りきった安珍は「御参りが済めば必ず帰って来て一緒になる」とつい嘘をついてしまう。
次の日「必ず帰って来てくださいね!」と安珍を見送る清姫であったが、何日経っても安珍は帰って来なかった。
たまりかねた清姫は、旅人に安珍らしき僧のゆくえを尋ねると、「その人はもう、とっくに遠くに行ってしまった」と言った。
『騙された!』と、清姫の《愛》が〔ショック〕に、そして《憎しみ》に変わった!
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・・気がつけば、清姫は着の身着のまま安珍を追いかけていた。
 走りに走り、そしてついに安珍の姿を捉えた。清姫は安珍にかけより声をかけるが、安珍は「そなたなど知らん」と言ってさらに逃げた。
 清姫はキレた!そしてさらに追いかけ、いつの間にか不思議な事に清姫の姿は火を噴く《大蛇》の姿へと変わっていった。
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 一方、安珍は逃げる途中、〔道成寺〕というお寺に救いを求めた。
 そしてお寺の僧たちは、ここの《釣鐘》を下ろして、中に安珍を隠すことにする。・・が、しかし清姫に発見され、釣鐘は清姫の大蛇の体に巻きつかれ、メラメラと燃え上がり、安珍ごと焼き尽くされる。
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 そして、釣鐘の中には安珍の骨だけが残り、清姫は川の中に涙しながら消えていく・・。めでたし、めでたし・・。(ちょっと待て!何が〔めでたし〕やねん。これで終わったら、安珍も清姫も浮かばれんぞ!・・と思って、僕が勝手に作ったのが、続編『清姫を救え物語』です。)次回勝手に完結!乞うご期待!つづく・・

紙芝居・『あの世ってあるの?おしゃか様!』

 唐突ですが、・・皆さんは、あの世〔死後の世界〕ってあると思いますか?
 えっ「お前はどやねん?」って・・〔まぁ一応、・・別に~(笑)〕。
 では、その質問を《おしゃか様》にしてみたらどうなるか?
 実はそんな事が実際にあったのです!これはそんなお話です。
『あの世ってあるの?おしゃか様!』〔仏教もの35〕《箭喩経(せんゆ・きょう)》より
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(あらすじ)
昔、おしゃか様の弟子に〔マールンキャプッタ〕という若い弟子がいた。
この〔マールンキャプッタ〕、(舌を噛みそうなので、以後かわゆく〔マールン〕と呼ぶ)・・彼には悩みがいっぱいあった。
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・・たとえば、「この世はいつ滅びるのか?」とか、「空の果てにはいったい何があるのか?」とかで、その中でもっとも頭を悩ませていたのが、「人は死んだらどうなるのか?あの世ってあるのか?」・・であった。
 悩んだ末、マールンはおしゃか様に教えを乞いに行った。
おしゃか様は一つの《たとえ話》をされ、マールンの問いに答えた。
おしゃか様『マールンよ、想像してみよ。お前は一人森を歩いていたとする。その時、どこからか毒矢が飛んできてお前の胸に刺さった。その時、お前は・・、』
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『この矢は自分を狙ったものか?はたまた偶然飛んできたものかと考えるかね?』
マールン「いいえ、そんな事は考えません」
おしゃか様『ではこの矢はいったい何の木でできているかと考えるかね?』
マールン「いいえ、そんなことは考えません」
おしゃか様『では聞く。お前は矢が刺さった時いったい何を考えるか?』
マールン「はい、毒矢をぬくことだけを考えます!」
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おしゃか様『その通りだ、マールン。人間は生まれた以上、何もしなくても《死》に向かって進んでいる。《毒矢》が刺さったのと同じなのだ!・・マールンよ、お前は知らなくて良い事にあれこれ思い煩っている。その内に寿命はどんどんと短くなっているのだ。』
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『魂があるとか無いとか、あの世があるとか無いとか、そんな事に思い煩わず、お前は今、生きている上で最も大事な《苦しみ》を解決する方法だけを考えよ。・・たとえば、憎しみの心で一杯になった時、又悲しみに打ちのめされた時、どうすれば自分の心を安らかに元に戻せるかを考えよ。又争いをなくす為にはどうすれば良いか、苦しむ人々をどうすれば助ける事ができるかを考えよ。・・その方法が見つかった時、おのずと《毒矢》はぬける!悟りが開くのだ。その時、お前の悩みはすべて解決するであろう。』
・・そう、おしゃか様はおっしゃいました。
この《たとえ話》によって、マールンはその後、あれこれ煩うのを止め、修行に専念することができたという事です。おしまい

震災から13年・・紙芝居『地球が動いた日』

今月の17日で、あの《阪神淡路大震災》から13年が経つ。
妻の両親が〔震度7〕だった西宮に住んでいた為、(今も住んでいるが・・)毎年この時期になると、あの地震の凄さを思い出してしまう。
 あの時・・、両親への連絡が取れなかった為、すぐに阪急の〔西宮北口〕まで電車で行き、そこからグニャリと曲がり落ちた線路沿いを歩き、まるでハリウッド映画の戦場跡のような景色の中を、〔苦楽園口〕まで歩いた。両親の住むマンションが無事で、2人して玄関から顔を出してくれた時はホットした・・。
 あれからもう13年・・。あの地震の後、何度も被災地の避難所となった小学校などに〔お手伝い〕に行かせてもらったりしたが、あまりに生々しい思い出なので、今あまり思い出したくないというのが本音だ。・・が、あの時〔この事は忘れてはいけない!〕と思って、勇気を出してこの《紙芝居》を作ったのを今、思い出す。又、原作も素晴しかった!
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《あらすじ》〔現代もの1〕
この物語は、小学6年生の男の子を中心とした1つの家族の震災体験のお話である。
 中学受験を目前に控えたこの物語の主人公《剛(つよし)》は、神戸のマンションに両親と弟の四人で暮らしていた。・・・平成7年1月17日の早朝、突然大地震が襲う。
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家族は全員無事であったが、マンションは半壊の為、近くの小学校に皆避難し、そこでの〔避難生活〕が始まる。
 友人を地震で亡くした《剛》は心に深い傷を負う。
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それを癒してくれたのが、同じ避難生活をしていた元教師のおばあちゃん先生であった。《以後、本文より僕の好きな会話を抜粋》
〔剛〕「ぼくなぁ、みほちゃん、突き飛ばして・・受験勉強の方が大事やと、とうとう作文書かんで・・謝ることもできんと・・それで、みほちゃん死んで、死んで・・。」
〔先生〕「つらいなぁ、だけどな、死はどんな時でも残された人に後悔とくやしさを置いていくもんなんよ」
〔剛〕「誰でもなん?」
〔先生〕「そうや、私も亡くなったお母さんには、後悔ばっかりしとう。ああしてやれば良かった、こうしてやれば良かったってね。だからね、お母さんにしてあげられなかった分、他の人に今してあげているのよ・・」。
《短いが、とても印象深い会話だと思う》
その後、この物語は《剛》の卒業式で終わるのだが、この場面も素敵なので、少し長くなったが抜粋してみたい。
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〔卒業生一同〕「今度の震災で私達は知りました。心を忘れた欲望は人の命を奪い、愛は人の命を救うということを。僕達は阪神淡路大震災で亡くなった人々に誓います。命を大切にする地球を作ります。心を豊かに、思いやりのある人間になります。そして私達は今日、6年間学んだ潮風小学校を卒業します。」そして名前が呼ばれる。次はいよいよ僕の番だ。僕は深呼吸をして力一杯声を張り上げた。「高橋 剛!」。僕は自分の名前を胸を張って言う事ができた。おしまい。

『ねずみの嫁入り』〔《ホトケ》媒酌人編!〕

今年は《ねずみ年》である。
ちなみに僕も《ねずみ年》である。
だからといって僕が〔ちょろちょろ〕するのは《ねずみ年》のせいではない。
僕は《ねずみ》に似ていない。
《ねずみ》が僕に似ているだけである!(なんのこっちゃ・・)
 さて、僕はこの昔話が大好きだ。まるで〔この世に一番強いものなどいない!〕ということを《ジャンケン遊び》のような感覚で教えてくれている、そんな世界観を持たせてくれるこの物語・・。
 この話は僕がまだ小さかった頃、母親がよく寝る前に語ってくれた。47才のおっさんになった今でも、まだよく覚えている。覚えているどころか「紙芝居」にしてしまった。そんな一本。
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〔あらすじ〕(昔ばなし11)
昔、年頃の娘を持つ金持ちの父親ねずみが居た。この娘を嫁にもらおうと近所の若いねずみがプロポーズにやって来た。・・が、父親は「うちの娘は世界一強いものに嫁がせる!」と言って断ってしまう。
そしてこの親子は世界一強いものを探す旅に出る。
ねずみより強いものといえば〔猫〕である。そこで猫の所に恐る恐る「嫁にもらってほしい」と頼みに行くと、なんと猫は自分より〔犬〕の方が強いと言う。それで次に犬の所に言って頼むと、自分より〔人間〕の方が強いと言う。そこで、ねずみの親子はそっと畑仕事をしている人間を観察していると、「おてんと様(太陽)のお蔭で我々は作物をこしらえる事ができる。ありがてぇ」とつぶやいた。
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そこで、親子は〔太陽〕に嫁にしてくれと頼むと、今度は自分より〔雲〕の方が強いと言い、雲は自分より〔風〕が強いと言う。
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そして風は自分よりも〔家の壁〕の方が強いと言い、その壁は、自分をかじり尽くす〔ねずみ〕の方がさらに強いと言う。・・結局最後は、初めにプロポーズに来たねずみに嫁がせることになり豪華結婚式にて、「めでたしめでたし」でこのお話は終わる。
が、まだ終わっていない・・。
 実はこのお話、僕もここで終わろうと思っていたのだが、ある御偉い方から、この紙芝居の完成直前に「あんたの紙芝居、ホトケ様が出て来ない話が多いなぁ・・」とイヤミを言われた。
 それで、カチン!ときた僕は急きょ、ホトケ様にねずみの媒酌人として参加していただくことにした。
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それでは、この紙芝居の最後のホトケ様のご挨拶で終わりたい。
『おっほん、私はホトケであ~る。本日は誠におめでとうございマウス。なんちゃって・・。え~、せん越ではございますが、一言ご挨拶申し上げます。・・誰が世界で一番強いとか、偉いとか、そんなことはどうでも良いことで~す。すべて平等なので~す。上もなければ下もありませ~ん。それをしっかり悟って、みんなで仲良く暮らすように。たのんまっせ!はなはだ簡単ではございますが、これで私のお説教、いやお祝いのご挨拶を終わらせていただきま~す。』
 これを聴き、皆割れんばかりの拍手をいつまでも贈ったということです。これで本当におしまい。

『正月の神さん』と『かさこじぞう』

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 困っているものを助けて、恩返しを受ける話は昔からたくさんある。今回はその中で〔お正月〕がその舞台となるよく似た2つの紙芝居を紹介したい。
1つ目は皆さんよくご存知の『かさこじぞう』〔昔話もの2〕というお話。これは「かさじぞう」ともいうが僕はあえて語呂が優しそうなので「こ」を入れた。
〔あらすじ〕
 貧乏だが、心の優しい老夫婦が主人公のこのお話。・・おじいさんは雪の中、寒そうに立つ六人の〔お地蔵さん〕に売り物の笠をかぶせて帰ってくる。それを怒らず、「善い事をされた」と喜ぶおばあさん。2人は大晦日を空腹のまま・・だが、陽気に歌など唄い年越しをする。
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 その真夜中、笠をかぶったお地蔵さん達がお正月のご馳走をソリに載せて恩返しにやって来る。こうして老夫婦は幸せなお正月を過ごすことができた・・というお話。
・・2つ目は『正月の神さん』〔昔話もの5〕というお話。
 これも貧乏だけど心の優しい老夫婦が主人公。大晦日の雪の晩、この夫婦の家に〔7人のなぞの旅人〕が笠を貸してほしいと訪ねてくる。
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 どうにか家の中を探して、オンボロな笠やカッパは見つけだすが、どうしても1つ足りない。そこでおばあさん、ご祝儀用に取っておいたカッパがあることを思い出し、快くそれを差し出してあげる。それを見て感激し大喜びしながら帰る旅人達。・・やがて1年が経ち、又大晦日の晩がやってくる。
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 あいかわらず貧乏なこの夫婦の元に、突然去年の旅人達がどんちゃん騒ぎをしながら訪ねてくる。実はこの旅人達の正体は〔七福神〕だったのである。七福神はこの夫婦に「去年の恩返しだ!」と言ってありとあらゆるご馳走や小判をプレゼントする。
 そしてこの話、最後は《オチ》がある。
「まだ欲しいものはないか?」と迫る神様。「もういりません」と言うおばあさんだが、一言ぽつんとつぶやいてしまう。「もうちょっと2人が若ければ子供ができたのになぁ・・」と。
 それを聞いて神様は「それなら明日の朝、2人顔合わせて『おめでとうございます!』と挨拶してみよ」と言って帰って行く。
 そして次の朝、2人は言われた通りにしてみると、なんとお互い《17才ぐらいの若者の姿》に変わっていたという・・そんなお話でした。
 この2つの物語を見ておわかりになると思うが、どうやら《最後に幸せになる秘訣》は昔は〔心が底抜けに優しい〕という事と〔貧乏〕である(物欲が少ない)ということがお互い共通しているように思える。又〔陽気〕であることもポイントかな?。
・・この昔話から我々現代人は学ばねばならないことがたくさんある、・・ような気がする。〔人・ものに優しく〕そして、〔足るを知るという事〕。
・・やっぱり今年は無駄遣いをやめて《福袋》買いに行かんとこかな~。でもやっぱり欲しいな~。もう売り切れてるかな?あかん、欲・欲・・一人ごとでした。ちゃんちゃん。

〔清め塩〕と『イザナキとイザナミの神』

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 日本の成り立ちを記す『古事記』・・・。
僕はなぜ、この紙芝居を作ったのか?!
それは毎回思う、《お葬式》の後に使う〔清め塩〕の疑問からなのだ。
毎度《葬儀屋さん》は、お葬式の後に遺族さんにこう言う。「斎場(焼き場)から帰ったらケガレを払う為に、このお塩を踏んで家の中に入ってくださいよー」と・・。
 僕は思う・・。《どうして〔死〕は穢れ(ケガレ)なのだろうか?》又なぜ《お塩はそのケガレ?というものを払う力があるのだろうか?》と・・。
その答えは『古事記』にあったのだ。・・で、この紙芝居を作って「いっぺん葬儀屋さんに言うたろ!」と思ったのだが、(紙芝居は出来たが)実はまだ言ってない。トホホホ・・。
《あらすじ》〔昔ばなし14〕
昔むかしの大昔・・世界ができた、そもそもの始め。
大神はイザナキとイザナミという夫婦の神を生んだ。お二人は愛し合い日本の国を作られた。・・が、しかし、
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妻のイザナミの神は亡くなられた。夫イザナキの神はその深い悲しみに耐えられず、とうとう〔死者の国〕に行って妻を連れ戻す旅に出られた。・・そして〔死者の国〕についたイザナキは無事、妻に会い一緒に帰ろうと説得する。妻は「〔生者の国〕に帰るには、死者の国の王様の許可がいる」との事を言い、今からお願いしてくるので「決して中を覗かないように・・」と言って奥の部屋に入って行った。
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・・が、我慢できない夫は奥の部屋をついに覗いてしまう。驚いたことになんとそこには、体中が腐りウジ虫の湧いたケガれた妻が横たわっていた。その姿を見られ怒った妻は「私に恥をかかせた!二度とあなたを生者の国に帰すわけにはいかない」と言って鬼達とともに追いかけて来た。必死で逃げる夫は途中〔ぶどう・竹の子・桃〕の三つの食べ物を鬼達に投げつけ無事難を逃れる。
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そしてついにイザナキの神は地上に出ることができ、大岩で〔この世〕と〔あの世〕の境の洞穴を塞いでしまう。悔しがる妻は言う「これから地上の人間の命を毎日千人ずつ奪ってやる」と。すると夫は「そんなことをするなら私は毎日千五百人の人間を生むであろう」と・・。
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そしてイザナキの神は〔死者の国〕のケガレを消す為に海(川という説もある)で身を清めた。・・という所でこの段のお話は終わっている。
 長々と書いてきたが、この海水から〔お塩〕だけが取り出され、清めの道具になっていったのではないかというのだ。
 でも僕は思う・・。なんで、この麗しき夫婦愛のドラマが、サスペンス調に、又オカルト的になっていったのだろうか?『わからん!』の一言に尽きる。
 最後に余談だが、この『古事記』のお話から、三つの昔ばなしが生まれることになる。
一つ目は『つるの恩返し』〔「私の姿を決して見ないで下さい」という部分〕。
二つ目は『三枚のお札』〔三つの果物で難を逃れる場面〕。
そして最後は『桃太郎』〔桃を投げつけ鬼をやっつける場面〕である。いずれも有名なこの昔ばなしのルーツは『古事記』にあったのだ。実はもっと面白い(下ネタ的な)エピソードがあるのだが、それは又機会があれば・・。取りあえず今日の所はここまで。おしまい。

運の良し悪しに執われない!『サイオウの馬』

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 或る時僕は、「私ほど運の悪い者はない・・」というお声を老人ホームの中で聞いた。
それで、なんとかその老婦人をお慰めできないものかと作ったのがこの紙芝居である。
 《あらすじ》〔昔ばなしもの9〕
 昔むかしの中国のお話。或る所に小さな牧場を経営するサイオウ親子が住んでいた。ある日、父は息子のサイオウに10頭の馬を買ってこい命じた。喜び勇んで馬市場に行ったサイオウの目に入ってきたのは1匹の光り輝く白馬であった。その馬はたった1頭で10頭分の値段がした。・・が、サイオウは思い切って買ってしまった。帰ってきたサイオウに父の雷が落ちたが、やがてその馬の世話を任されることになった。・・が、しかしその馬は賢い馬で、ある日柵の壊れかけた所を見つけるとそこから逃げ出してしまった。
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それを見た近所の人達は、サイオウを指差し「サイオウほど運の悪い者はいない!」と言って笑った。・・サイオウ自身も〔自分は運が悪いと思った〕。
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・・が、やはりこの馬は賢い馬で、2・3ヶ月経ったある日、野生の馬のボスとなり、たくさんの馬を引き連れて帰って来た。それを見た近所の人達は手のひらを返したように「サイオウほど運の良い者はいない。賢い馬を買ったからこんな幸運が舞い込んだのだ!」と褒め称えた。サイオウも〔自分は運が良い〕と思った。
 ある日、サイオウはその馬に乗って散歩に出た。すると突然、土の中からモグラが現れ、驚いた馬は主人を振り落とした。その打ち所が悪く、サイオウの足は骨折し寝たきりの生活になってしまった。・・近所の人達はそれを見て「やはりあれは悪運をもたらす馬だ!」と言って笑った。又サイオウもそれを信じた。
 その年、中国で大戦争が起こり村の若者は皆徴兵され、大多数が戦死してしまった。・・がサイオウは足を怪我していた為、戦争に行かずに済み、命拾いをしたのだった。それを見た近所の人達は「やはりサイオウの馬は幸運をもたらす馬だ!」言った。
・・が、もうこの時サイオウは自分が運が良いとか悪いとか思うのはやめていた。〔今日良いと思った事でも明日はどうなるかわからない。その逆も又しかり。そんなことに執われず、今日一日を大事にして、この馬をしっかり育てる事に専念しよう〕と・・。
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実はこのお話《人間万事塞翁が馬》という故事をアレンジして作ったものである。ちなみに《塞翁(サイオウ)》という主人公は本当は老人であり、周りの言葉に動じない人物として登場しているのだが、「そんなヤツおらんやろ~」と思う僕はあえて〔周りのうわさ1つ1つに心を動かされる人間くさい〕ひとりの少年の成長のお話にした。その方がずっと共感しやすい話になる!と思ったからである。おしまい

不思議なふしぎな『三尺三寸(さんじゃくさんずん)のお箸』

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「あんたが一番多く何度も演じてる『紙芝居』は何ですか?」と聞かれたら、おそらく僕はこの紙芝居をあげると思う。・・それほどこの作品には僕の思い入れがある。《仏教もの33》
 さてこの紙芝居は横長ブック型の紙芝居で、付録として実際の長さ(三尺三寸・約1メートル)のお箸も持っていき、法話に取り入れながら演じている。《写真参照》
 実はこの作品、〔仏教説話〕といいながらはっきりとした出所の経典名はわかっていない。(僕が知りうる限りであるが・・) だからこのお話が本当に仏教から発生したものなのかは未だ不明なのだ。でもそんな事より、この話の内容が実に仏教的である処に僕はひかれ演じるのである。
《あらすじ》
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 昔ある所に一人の信心深い若者が住んで居た。この若者は一度で良いから〔地獄〕と〔極楽〕が見たいと思っていた。
・・ある晩、仏様がこの男の夢の中に現れ、地獄と極楽につれていってくれる事になった。
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・・さぁ、まずは地獄に着いた。そして仏様は地獄の食堂に男を案内した。そこにはすでに地獄の住人達が席に着いていた。各自お箸を持ち、目の前のご馳走を争って食べようとしたその次の瞬間、なんと不思議なことにニョキニョキっとお箸は長さ三尺三寸に伸びた!それによって地獄では誰一人まともに食事ができなくなり、皆泣く泣く食堂を後にした。
・・次に仏様は男を極楽につれて行きやはり食堂へと案内した。食堂ではすでに皆が合掌をして食事を取ろうとしていた。・・が、やはりここでもお箸が長さ三尺三寸に伸びてしまった。・・さぁ、どうなるかと思った次の瞬間、なんと極楽ではそのお箸で、目の前の人に食べさせ始めたではないか。
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こうして極楽の住人達は皆がお腹一杯食べ、満足そうに食堂を後にしたのであった。
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・・それを見て男は悟った!〔自分さえ良ければいい〕と思う世界の地獄は結局、誰も幸せになれない。・・反対に〔人のことを思いやる〕世界の極楽は遠回りのように見えて、唯一皆が幸せになれるの道なのだと・・。おしまい

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