住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『ダンテの「神曲」(地獄界)』 その1

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ダンテ「・・その時だった!私の目の前に突然、三匹の猛獣が現れ、その行く手を阻んだ。
・・その獣とは、一匹は〔暴力〕の象徴、《ライオン》。
 そして後の二匹は、〔色欲〕の象徴《ヒョウ》と、〔物欲〕を表す《オオカミ》であった。
 この三匹は、私に襲い掛かろうと、こちらに向かってやって来た。
 私は『もうダメだ!』と、思ったその次の瞬間・・・、」
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「突然、天から光り輝く『古代ローマ人の姿をした男』が現れ、猛獣たちを追い払ってくれた。
 そして彼は私に言った。
『私の名は〔ウェルギリウス〕。あの世から来た人間だ! 君は今、《迷いの森》に入り込んでしまった。
・・ここはすでに《人間界》ではないのだ。
あの邪悪な猛獣たちから逃れ、この森を脱出するには、《あの世》、・・つまり『死後の世界』の「地獄界」・「煉獄(レンゴク)界」・「天国界」を通り抜けて、進むしか方法がないのだ。
しかし、『死後の世界』を一人でゆくのは、大変危険だ。だから、私が、この紙芝居の最後の方にちょこっと登場する或る偉い御方から、君の《案内役》を仰せつかったのだ。・・どうだ、「ダンテ」一緒に行くか。それとも、ここでいつまでも迷い苦しみ続けるか?』と。
 私は「わかりました。ご一緒に参ります!」と答え、この森をようやく、通り抜けることが出来た。
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ウェルギリウス「見よ!ダンテ。 あれが『地獄門』だ。人間の世界に戻るには、まず「地獄界」からスタートしなければならないのだ。さぁ、『地獄門』を通り抜けよう!」 つづく 

紙芝居:『ダンテの「神曲」 (地獄界)』 プロローグ

 いったい、「死後の世界」ってあるのだろうか? 
 僧侶という仕事をしていながら、そんなことを度々考え、そして悩む。
・・この『神曲』という「紙芝居」を作ろうと思ったのも、そんな想いが日に日に強くなり、(以前は、仏教の死後の世界「往生要集」という紙芝居を作ったので、)今度は、西洋の「あの世」観を自分自身で、勉強してみたくなったからである。・・いや、違う。本当は「死」に向かって「生きる」って、いったいどういう意味があるのか?と、年を寄り(怖くなり)知りたくなってきたからかもしれない。
 
 さて「ダンテ」であるが、この人は中世のイタリア人である。
 変わっているのは、この『神曲』という叙事詩(リズム感のある暗記しやすい長編物語)は、あくまでも《空想物語》なのであるが、やけに細部に渡って生生しく描かれていて、「ひょっとして、これって『ダンテ』自身の《幽体離脱》体験談!」って思ってしまう。
 又、もうひとつ変わっているのは、この不思議な物語の《作者》「ダンテ」自身が、物語の主人公まで、やっちゃっちゃっちゃっているのだ。(ただの目立ちたがり屋のおっさんだったのか?・・はたまた、自分を出すことによって、もっと深い政治的意味を持たせようとしたのか?・・ワカラン! まぁ、そんな事どうでも良い)
 そして、この「紙芝居」には登場させなかったが、原本には、歴史的偉人たち(クレオパトラやカエサルなど)や、自分の亡くなった知人なども、物語に登場させている。(「物語なので、何でもありかい!」と突っ込みを入れたくなる)
 ・・とまぁ、前書きが長くなったが、いわゆる一つの『物語』として、この「紙芝居」を見て頂けたら幸いである。
それでは、はじまり、はじまり~、
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 これは、今から約600年も前の、不思議な不思議なお話。
「私の名前はダンテ。 イタリア人だ。
 政治抗争に破れ、私はフィレンチェの町から逃げ出した。
・・気がつけば、私は黒い森の中にさ迷い込んでいた。
ここはいったいどこなのだ。・・・あぁっ、息苦しくなってきた。 もう駄目だ。私の人生も、この暗い森の中で終るのか。
・・と、そう思った時、遥か彼方に、一つの光り輝く星が目に入った。 おおっ、あの星をたどって行けば、この森を抜け出せるぞ! が、その時だった!・・目の前に突然!」 つづく・・引っ張るかー(笑い)
 
 

紙芝居:『良寛さま』 エピローグ

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 70才になった〔良寛〕さまは、さすがに山の庵への昇り降りがきつくなり、村の後援者の家の離れを借りて、そこで住むことになりました。
 そこでの暮らしが始まったある日のこと。
 一人の若い〔尼僧〕さんが、〔良寛〕さまを尋ねて来ました。
その女性の名は〔貞心尼(テイシンニ)〕といい、夫と死に別れ、出家した人でした。
「良寛さま、わたくしは、あなた様のお噂をお聴きし、常々、一度お会いしたいと思っておりました。 本日、このようにお出会いでき、益々あなた様を慕う気持ちが、強うなりました。これから度々お伺いしても宜しいでしょうか?」と、〔貞心尼〕は言いました。
 〔良寛〕さまも、この孫娘のような美しい尼僧さんが気に入りました。「良いですよ。いつでも通っていらっしゃい。一緒に歌でも詠みましょう。」
〔良寛〕さま、晩年の恋愛にも似た感情でした。
しかし、すでにこの頃、〔良寛〕さまの身体は病に侵され始めておりました。
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〔良寛〕さまの病気は、今でいう《直腸ガン》(違う説もある)でした。
 その病が悪化し、寝たきりになった時、〔貞心尼〕が駆けつけ、一心に〔良寛〕さまを看護をしました。

 そしていよいよ、最後の時を向えようとしておりました。
〔貞心尼〕は涙を払いながら、〔良寛〕さまの耳元で歌を詠みました。
『生き死にの 境離れて住む身にも 避らぬ別れのあるぞ悲しき』と。
その歌を聴いた〔良寛〕さまは、かすかな声で・・、
『うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ』と返しました。
 それからまもなく〔良寛〕さまは、〔貞心尼〕のささげる末期の水を味わいながら、その74年の生涯を閉じたのでした。
 時に《天保二年一月六日》であったと伝わっております。
・・ちなみに、〔貞心尼〕は《明治五年》行年75才で、その生涯を終えたと伝わっております。  おしまい

紙芝居:『良寛さま』 その4

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これは〔良寛〕さま、60才の頃のエピソード。
 いつものように、庵(イオリ)近くにある厠へ行って用を足して、何気なく床下を覗いて見ると、一本の〔竹の子〕が、頭を床板に当てて、窮屈そうにしておりました。
「おやおや、これは可哀想に・・。お前は何で黙っておったんじゃ。今、楽にしてやるからのぉ」と、まるで人間の子に話すようにして、急いで金槌とのみを持って来て、床に穴を開けました。「そーら、これで楽になったじゃろう。ぐんぐん伸びろよ!」と、言って。
 竹の子は日毎に大きくなりました。
 ところが、ついに〔竹の子〕の頭が屋根まで伸びて、それ以上伸びなくなってしまいました。
「これは困った。竹の子よ、どうすれば良いかのぉ?」
 そして、今度はロウソクの火で、屋根のワラを焼いて、穴を開けようとしたのですが、風が強く、火事になってしまいました。(ここまでいくと、もはやコメディやね・・。)
 その煙を見た、村人たちは、急いで駆けつけ炎を消しました。
「良寛さま、大丈夫ですか?」と言われ、「いや、ワシは大丈夫じゃが、竹の子がのう・・。気の毒なことをした」と言って、黒く焼けた〔竹の子〕に手を合わす〔良寛〕さまでした。
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 〔良寛〕さまの庵には、子供のお客以外にも、招かざる客が来ることがありました。
・・そう、泥棒です。
「ふーん、何か盗んでやろうと思って入ったが、何一つない庵じゃのう」と、泥棒はつぶやきました。
 そんな様子を〔良寛〕さまは、薄目を開けてじっと見ておりました。
 そして、ついに泥棒は、〔良寛〕さまの寝ている布団を盗もうと引っ張りはじめたのでした。
「しょうがない泥棒じゃのぉ。よっぽど貧乏なのじゃろう。・・よし、こんなボロ布団でも良かったら持っていけ。う~ん、むにゃむにゃ・・」、ゴロンッと、
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 ころがり、泥棒に盗りやすいようにしてやりました。
 泥棒は喜んで盗んで行きました。
 後に残った〔良寛〕さまは、一人ポツンとお月さまを見つめ、「おおっ、一句できた!『盗人に盗り残されし、窓の月』。お月さんや、あんたは盗られんで良かったのぉ・・」とつぶやいたそうです。
 ・・次回、エピローグ。その最晩年を書かせてもらいます。 つづく

紙芝居:『良寛さま』 その3

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或る秋晴れの昼下がり、托鉢もそこそこに、〔良寛〕さまは、里の広場に向かいます。
 子供達が待っているのです。
「あっ、良寛さまだー。かくれんぼしよう!」
「おーっ、よしよし、やろうやろう!」と、早速、鬼を決めてかくれんぼが始まりました。
「もういいかい?」「まぁだだよ~」
〔良寛〕さまは「なかなか良い隠れ場所がないのぉ~」と、あっちへふらふら、こっちへふらふら。「あっ、よし、ここが良い!」と、大きなワラの山の中に隠れました。
「もぉ、いいよー」
「あっ、ミヨちゃんみっけ!」「わーい、わーい!」と、鬼はどんどん子供達を見つけ出しました。
・・が、〔良寛〕さまは、なかなか見つかりません。
「あーっ、もうお日様が沈む。きっと良寛さまは山に帰ったに違いないよ。オレたちも帰ろう。カラスが鳴くから帰ーえろ!」と、子供達は帰ってしまいました。
 一方、〔良寛〕さまは、ワラの中でうつらうつら、眠ってしまっておりました。
 もう外は真っ暗で、大きなお月様が出てきておりました。
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 「・・おおっ、そこにいるのは良寛さまじゃねえですかい?こんな遅くにいったい何を・・?」と、村人が見つけて言いました。
「しっー!、そんなに大きな声を出したら、鬼に見つかってしまうではないですか!」と、〔良寛〕さま。
 「はっはっはっ、かくれんぼですか。もう子供達はとっくに家に帰ってしまいましたよ。まったくおかしな人だ」と村人。
 バツの悪そうな顔をして〔良寛〕さまは、とぼとぼと山に帰って行きました。

子供たちと遊ぶのが大好きな〔良寛〕さまでしたが、生活の為に毎日、托鉢に出ました。
〔良寛〕さまは人気者でしたので、托鉢に出ると、あちこちの家で《お経》をあげて欲しいと頼まれました。
「良寛さま、あっしの家の御宗旨は『ナムアミダブツ』ですが、拝んでいただけませんでしょうか?」
「はいはい、お参りさせて頂きましょう。ナムアミダブツ、ナムアミダ仏・・・」とお参りし、
又、「良寛さま、私の家は『ナムミョウホウレンゲキョウ』なのですが、拝んでいただけませんかい?」
「はいはい、良いですよ。ナムミョウホウレンゲキョウ・・」と、〔良寛〕さまは『宗派・宗旨』にこだわらず、お参りされました。
 そんなある日のこと・・。
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いつもお参りをする作平さんのお家に行くと、子供が〔おリン〕をおもちゃにしてそのまま忘れたのか、掛け軸の前に置いたままになっておりました。
 すると〔良寛〕さまは、掛け軸の前に座って、お経を読み始めました。
 それにはみんなもびっくり。そして大笑い。「なんと、あわてもののお坊さんだ。・・そうだ、今度は庭の縁側に〔おリン〕を置いてみろ」と、イタズラ心で主人は言いました。
 すると、今度も〔良寛〕さまは、縁側に座って、庭に向かってお経を読み始めました。それを見て、又みんなは大笑い!
 「おい、次はお膳の上に〔おリン〕を置いてみよう」と言って、〔良寛〕さまを待っていると、案の定、〔良寛〕さまは、お膳の前でお経を上げ始めました。
 これにはさすがの作平さん、「良寛さま、あなたはいったいどこでお経を上げているかご存知なのですかい?」と言うと、
「はいはい、わかっていますよ。ここはお膳じゃ」と〔良寛〕さま。
「ではどうして、ご仏壇の前に〔おリン〕を持っていかないのですか?」
「あのなぁ、作平さん。仏さまは、ご仏壇の中だけに居られるのでないんじゃ。・・掛け軸にも、・・庭にも、そして食卓にも居られる。 お前さんは、この前から〔おリン〕をあちこちに置いて、それを実践しておるなぁ、と思って感心しておったんじゃが、ナムアミダブツ、ナムアミダブツ・・。」
「あーっ、なんともったいない!そんな心も知らずにわし等は、笑っておった。許してくだされ、許してくだされ」と、作平さんは、〔良寛〕さまに、深く頭を下げられ、合掌されたということです。 つづく

紙芝居:『良寛さま』 その2

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 お寺に入った〔良寛〕さまは、一生懸命に修行しました。
 毎日、お経を読み、座禅を組み、托鉢に出ました。
 そして、さらに修行をすべく、新潟から岡山の〔円通寺〕というお寺に移りました。
〔円通寺〕には、《国仙老師》という偉い師匠がおられ、その師の元で〔良寛〕さまは、さらに厳しい修行に励んだのでした。
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 岡山に移り、いつしか11年が過ぎようとしておりました。
〔良寛〕さま、33才の時、ついに《国仙》和尚から『印可状』を授けられる時がきました。『印可状』というのは、「禅の奥義に到達した」という証です。
 その内容を要約すると「・・良寛よ、そなたは一見愚かに見えるが、どうしてどうして、お前の行く道は、広々とした良い道だ。そんなお前の到達した素晴らしい境地は、誰も見取ることは出きないが、ワシは褒美として、杖を授けよう。これで、思う存分歩き回れ。到る所、お前の世界が出来るであろう・・。」というような内容のものでした。
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 そののち、〔良寛〕さまは、岡山を離れ、諸国を旅して回ります。
 そして40才の頃、ふるさと『新潟』に帰りました。
 すでに両親は亡くなっておりましたが、〔良寛〕さまにとって、故郷こそが、心の休まる場所であったのかもしれません。
 住む当てのないまま、〔良寛〕さまは、あちこちのお寺で寝泊りしましたが、47才の時、『国上(クガミ)山』の〔五合庵〕という空の庵を見つけ、そこを腰の落ち着ける場としたのでした。
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「良寛さまー、今日は何して遊ぼう!」
「・・そうじゃのお、まりつきはどうじゃ。ワシはうまいんじゃぞう、見ておれ・・。『おらが殿様・・焼餅好きで、・・夕べ九つ、今朝また七つ、一つ残して、たもとに入れて、馬に乗るとて、ポタリと落とし・・・、』・・ありゃ、しもうた。ホンに落としてしもうた!」。「良寛さま、一貫貸しー!」と、このような調子で、毎日毎日、〔良寛〕さまは、子供達と遊んで過ごしました。
 子供達と一生懸命に遊ぶのが、〔良寛〕さまの修行だったのかもしれません。 又、大人たちも子供の面倒を見てもらえて大喜びでした。 つづく

紙芝居:『良寛さま』 その1

 昔々の江戸時代・・。
 これは子供達と遊ぶことが大好きだった『良寛』というお坊さまのお話です。
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 良寛さまは、越後の国、今の新潟県・出雲崎(イズモザキ)という海岸沿いの村で生まれました。
 良寛さまの本名は、〔山本栄蔵〕といい、父・山本以南、母・おのぶとの長男として生まれました。
 山本の家は、《神官》と《大名主》を兼ねていました。
《名主》というのは、今の『村長』とでもいいましょうか、村の中心的な存在で、『お代官』と『漁・村民』との〔調停役〕などの難しい仕事をしなければなりませんでした。
 〔栄蔵〕こと、のちの〔良寛〕は、内気で愚直で、融通の利かない性格でしたので、この仕事を継ぐには、余りにも不適格でした。
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 〔栄蔵〕は16才になりました。今や立派な『若名主』です。・・しかし、仕事はうまくいきません。
 ある日、漁師たちが、〔栄蔵〕の家にやって来て言いました。
「栄蔵様、今年の漁は不漁でした。なんとか、税金を負けてもらえないかと、お代官様にお願いしてもらえませんか?」と。
「はい」と返事をして、代官屋敷に向かった〔栄蔵〕は、漁師たちの訴えをそのまま『お代官』に伝えました。
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「何をぬかすか!一文たりとも負けんわい。栄蔵、あやつらは本当は金を隠し持っているのだぞ!」と、お代官は〔栄蔵〕にそう言いました。
 それを聞いて、〔栄蔵〕は、漁師たちに〔お代官〕から言われたままを伝えたので、漁師たちは返って怒りを増し、両者の関係は一層、悪化していったのでした。
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 このような事が毎年続き、〔栄蔵〕は、『お代官』にも『漁民』にも嫌われました。
 悩みに悩んだ〔栄蔵〕は、やがて酒に溺れ、悪所通いが続き、ついに18才の時、「私はこの仕事に向いていない」と言って、「お酒を飲みに行く」と言ったその足で、お寺に駆け込み、髪を切って出家してしまったのでした。
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そして、もう二度と家に帰ることはありませんでした。
家族が来ても会いませんでした。(のち、山本の家は、弟が継ぐことになりました)
 さて、〔栄蔵〕は名を『良寛』と変えて、仏道修行に邁進していくになったのでした。 つづく

紙芝居:『良寛(リョウカン)さま』 プロローグ

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・・子供の頃、僕の母親は、よく寝る前に「りょうかんさま」という絵本を読んでくれた。
 「良寛」さまは、お坊さんではあるが、いつも子供達と一緒に、〔かくれんぼ〕をしたり、〔まりつき〕をしたりして遊んでいた・・。 
 又、泥棒に入られたら、わざと布団を盗られたり、竹の子が軒下から伸びて来たら、敷居の板を壊してまで育てようとされたり・・、そんな変ったエピソードが子供心に面白く、心に深く沁み込み、何度も何度も母親にせがんで、同じ本を読んでもらった事を覚えている。
 ひょっとすると、僕が僧侶になったのも、この「りょうかんさま」という絵本が、一つのきっかけになったのかもしれない。
 いや、きっと、「良寛」さまは、僕の理想の姿なのだと思う。
 とても、このような(徹底した変人の)偉いお坊さんにはなれないだろうが、いつも僕は「良寛さま」に、憧れている。
 この紙芝居は、長い間、温めてきた僕の理想のお坊さんの姿を描いた作品である。
 子供心に感動したエピソードも一杯入れた。だから長編紙芝居になってしまった!
 次回より〔全4回〕に渡って、書こうと思います。よろしく。つづく・・

紙芝居:『天親菩薩三兄弟』 (その3)

・・ここでもう一度、(前回からの復習の意もあり・・?)『だんご3兄弟』の歌を振り返りたい。
(3番)「・・弟想いの長男〔無着〕、兄さん想いの三男〔獅子覚〕、自分が一番次男〔天親〕、だんご3兄弟!」 この歌はある意味、《真理》です。 それでは続きを・・・。
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「兄さん、大丈夫ですか!?」と、汗を掻きかき〔天親〕さまは、兄〔無着〕さまの家に飛び込んで来ました。
 それを見て「おおっ、天親!来てくれたか」と、床からムクッと〔無着〕さまは起き上がりました。
「あれっ、兄さん。重病ではなかったのですか?・・まぁ、良かったですが・・。」と、〔天親〕さまは答えました。
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 すると〔無着〕さまは、「ふむふむ、すまんすまん、天親。身体はこの通り元気なのだが、心は重病だったんだよ。 私はお前のことを考えると、心が痛くて苦しくて、弟の〔獅子覚〕と相談して、お前を呼び寄せる為のお芝居をしたんだ。」
「・・でっでも、どうしてそこまでして、私を呼び寄せようとされたのですか?」と、〔天親〕さまは尋ねると・・・、
「私達はお前の『考え違い』を改めさせようと思ったんだ。お前は最近、『大乗の教え』の悪口ばかり言っておると聞く。・・出家だけが仏様に救われる方法だというのは、どこか間違ってはいないかい?」と、〔無着〕さまは、懸命に『大乗の教え』を説きました。
 元々、頭の良い〔天親〕さまです。〔無着〕さまのおっしゃることがすぐに解りました。
 そして、「兄さん、獅子覚、私が間違っていました。これからは私も『大乗の教え』をしっかり勉強したいと思います」と答えました。
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それからというもの、〔天親〕さまは、一心に『大乗』を学び、やがて、『浄土論』という立派な本を中心に、その生涯、一千冊の本を書かれ、《千部の論主》とまで言われるようになりました。そして、その名はやがてインド中に知れ渡り〔天親菩薩〕と呼ばれる程の仏教学者になられたという事です。
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〔天親〕さまは生涯に渡って、皆に次のように言われました。
「極楽浄土に往生する為には、厳しい修行などはいらないのです。ただ、《一心》に仏さまを信じるだけで良いのです。・・そして突き詰めて考えるならば、その《一心》さえも、仏さまから元々、我々は戴いたものなのですよ。 だから私たちは、その『有難さ』に気づき、『感謝』しましょうね」と・・。
 〔天親〕さまは、やがて80歳でお亡くなりになりましたが、この仲の良い『三兄弟』は、仏教会全体に永遠にその名を残すことになりました。 
 やがて、彼等の功績を讃え、NHKの『おかあさんといっしょ』の中で『だんご3兄弟』の歌として、彼らは永久に歌われる様になったということじゃ・・。嘘じゃ おしまい 『だんご!』

紙芝居:『天親菩薩三兄弟』 (その2)

昔々の〔北インド〕のお話。
〔ケンダラ〕という国に、たいへん仲の良い三兄弟が住んでいました。
この兄弟の名は、長男を〔無着(ムチャク)〕さま、次男を〔天親(テンジン)〕さま、三男を〔獅子覚(シシカク)〕さまといって、三人ともたいへん頭が良く、大きくなって皆、お坊さんになりました。
 長男の〔無着〕さまと、三男の〔獅子覚〕さまは、『自分一人だけが救われるのではなく、皆も一緒に、仏様によって救われる教え《大乗(ダイジョウ)》』という名の学問を勉強しておりました。 
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 ところが、次男の〔天親〕さまは考え方が違っていました。
「人のことなど、かまってられるかい!とにかく、まず自分一人が救われる方法を勉強したいんだい!」と、《小乗(ショウジョウ)》という名の学問を勉強していたのです。
 この「自分が一番大切だ!」という考えの「串団子次郎」、いや、〔天親〕さまは、一生懸命に《小乗》を学び、やがて、仏教学者たちも、言い負かせる程になりました。
 そして、「そうだ、この教えをみんなに説いて回ろう!」と決心し、町に出かけて行きました。
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「みなさーん、悟りを得るには修行をしなければいけません!今すぐ、出家して皆で僧侶になりましょう!それしか救われる方法はないのですよー!」と、町で辻説法を始めました。
 しかし、町の人は「でっでも、私には家族があります。あっしが出家したら家族はいったい、誰が養っていけばよいのですかい?」と答えました。
「・・そんなことでは救われませんよ!」と、〔天親〕さまは必死で説得しましたが、みんな、話もそこそこに「ダメだこりゃ!」と〔故・いかりや長助〕のように言って去っていきました。
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 そんな噂が、弟想いの「串団子一郎」こと〔無着〕さまと、兄さん想いの「串団子三郎」こと〔獅子覚〕さまの耳に入りました。
 「おい、獅子覚。どうやら天親は、出家しなければ救われないと、町で言い回っているらしいぞ」。
「はい、兄さん。その話は私の耳にも入っております。天親兄さんの《小乗》の考え方も一つの方法ですが、あれでは皆を混乱させてしまうだけです。なんとかしなければ、天親兄さんは益々孤立してしまいますよ!」と相談し合い、・・やがて「あっそうだ!僕に良い考えがあります。この前、テレビの吉本新喜劇で見た方法です!」と〔獅子覚〕さまは言いました。
「何々、それはどんな方法だ?」と身を乗り出すお笑い好きの〔無着〕さま。
「ごにょ、ごにょ、ポニョ・・」と、〔獅子覚〕さま。
「おおっ、それは良い考えだ!」と、すぐに話はまとまり、さっそく実行に移す段となりました。
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それから何日かしての事です。
〔天親〕さまの元に、弟からの一通の手紙が届きました。
その中身は、「たいへんだ、兄さん!無着兄さんが重い病気になって倒れてしまったよ。明日をも知れぬ命なんだ!早く帰ってきて! 獅子覚より」と、書いてありました。
 「これはたいへんだ!」と、〔天親〕さまは急いで旅の仕度をして、兄さんの元に出発しました。 つづく。

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