
(西行)「・・出家を決意した時、わしはすでに結婚しておった。 そして、幼き子供も一人おったんじゃ。
僧侶になろうと決意し、家に帰った時の事じゃった。・・わしの子供は、わしを見つけ、喜んですがりついて来た。
わしの心は動揺した。・・・が、決めた事じゃ。心のとらわれを振り払おうと、わしは心を鬼にして、その子供を縁側から蹴り落とした!
子供は泣き、妻は動揺して怯えた。
・・が、しかし、わしは急いで部屋に入って髪を切った。」
「・・おそらく、あなた方の疑問は唯一つ。
なぜ、出家したかったのか?という動機を知りたいのじゃろう。・・それは秘密じゃ。人は誰でも内緒にしておきたき事があるじゃろう。
・・が、世間の人達は色々と噂をした。
『西行は、さる高貴なお方との秘密の恋に破れ、世を捨てたのだ』とか。
又『いや、親友の突然の死に、人生の無常を感じての出家だったのだ』とか。
いずれにせよ、今となってはどうでも良い事。仏縁があったという事じゃろう。
えっ、それでは、捨ててしまった妻と子は、その後どうなったかとお聞きか?・・わしは、妻子のことはわしの弟にちゃんと頼んでおいた。・・生活できるようお金を預けてな。
しかし、のち、妻も子もわしと同じように仏門に入ってしまったがな・・。今は罪な事をしてしまったと思っておる。 つづく」
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紙芝居:「願わくば、花の下にて春死なん~西行法師の一生」その3
紙芝居:「願わくば、花の下にて春死なん~西行法師の一生」その2
紙芝居:「願わくば、花の下にて春死なん~西行法師の一生」その1

(西行)「おぉっ、なんと見事な桜吹雪であろうか・・。
わしも願わくば、この桜のように、お釈迦様の御命日(2月15日)に近い今日、(陰暦2月16日)に散って、いや死んでいきたいものよ・・。
そんな願いをずっと持ち続けて、生きてきたような気がする。
そういえば以前、そのような詩を詠んだなぁ・・。
『願わくは、花の下にて春死なん、そのきさらぎ(陰暦二月)の望月(満月)の頃』と・・。
わしも、もう73才。そろそろ散る時が来たようじゃ。
・・いやいや、散る前に、わしの歩んで来た道を、少~しばかり、あんたたちに語っておこうかのぉ・・。
それから散っても、遅くはあるまいて・・。
・・そう、今わしは、『西行』と呼ばれる出家僧ではあるが、昔は、〔北面の武士〕という、京の〔御所〕を警備する、超エリート侍だったんじゃよ。 つづく
紙芝居:「長生きしたや物語~曇鸞大師の話」(後編)
人は大病をしたり、人生の大きな問題にぶつかる時、『カルト』に救いを求めたりする。それは古今東西、変わりがない。曇鸞大師も、きっとそうだったに違いない。だから『不老長寿の法』を探しに出たのだ・・と思う。・・・では、(続き)をどうぞ 
「おおっ、よくぞ来られた!私が仙人の〔陶弘景〕です。あなたが来られる事は、夢のお告げでわかっておりました。さぁ、あなたに私の《秘法》をすべてお教えしましょう。」と、山奥の洞穴に住む〔陶弘景〕仙人(道士)は、喜んで〔不思議な術〕をすべて〔曇鸞〕様に教えてくれました。
そして、「くわしくは、この《巻物》にすべて書いてある。忘れた時に、是非これを開きなさい。これをあなたに差し上げましょう」と、〔曇鸞〕様に差し出されました。
〔曇鸞〕様は、喜んでその『不老長寿』、その他諸々の《秘法》の巻物を頂かれました。
願いが叶って得意の絶頂の〔曇鸞〕さま。
故郷に帰る途中、『洛陽』という町で、一人のインドの〔菩提流支(ぼだいるし)〕という偉いお坊さんに出会いました。
〔曇鸞〕様は、このインドのお坊さんに、自分の《秘法》を少し自慢したくなって、「あんた、いくら《仏教》が凄い教えだと言っても、この《不老長寿の法》には叶わないでしょう!」と言いました。 するとこのお坊さんは・・、
「お前さん、なんとつまらない、情けない事をお聞きになるのですか」と、答えました。
そして続けて、「あなたは、この世に『死なないで済む方法』など、本当にあると思うのですか?そんなの手塚治虫氏の『火の鳥』の漫画の世界だけのお話ですよ・・とは言わず、あなた、この世に生まれたモノは、すべて死ななければなりません。
まぁ、たとえ、相当長生きが出来たとしても、それでも生まれた以上は滅するのです。それが自然の法則というものでしょう。あなた一人がもの凄く長生きしたとしても、それで幸せなのですか?話相手は、浦島太郎ぐらいしか否ませんよ・・とは言わず、それより、仏様の教えこそ、決して死ぬ事のない《極楽》に生れる法が書かれてあるのですよ。」と言いました。
それを聞いて「ハッ」とした〔曇鸞〕様は、「それは、何のお経に書かれてあるのですか?」と聞くと、
「この『観無量寿経』というお経を読めばわかりますよ。」と言われ、そのお経を下さいました。
そのお経を早速、読んだ〔曇鸞〕は、「なんと、どんな罪深い者でも、すべて《念仏》をするだけで救われ、《仏様》の国に往けるのか!なんと有難い事が書かれてあるのだ・・。自分の事だけを考えていた自分が情けない!」と、
仙人から頂いた、《不老長寿、その他の秘法》全十巻(特製バインダー無し)の巻物をすべて燃やしてしまいました。(あああああっー、もったいなくない!)
その後、〔曇鸞〕様は《お念仏》一筋に生きぬかれ、故郷に『玄中寺』というお寺を建て、たくさんの本を書かれ、(一説によると67才で、・・ちょっと長生きとは言いにくいかな?)亡くなられました。 おしまい
紙芝居:「長生きしたや物語~曇鸞大師の話」(前編)
平成20年の日本人の平均寿命は(男:79才)、(女:86才)だそうだ。(厚生労働省の発表より)
ところで皆さんは、この『平均寿命』よりもっと長生きしたいと思いますか?
それでは「長生きしたい」とお答えになった方にお聞きしますが、・・では、それは何のために?
今からお話する方は、学問を究める為に「長生きしたい!」と考えられた、ちょっと変わった(いや、ご立派な)お坊さんです。
今から1500年程前、中国はいくつもの国に分かれていました。
このお話の主人公〔曇鸞(どんらん)大師〕は、《北魏》の〔雁門(がんもん)〕という所で、お生まれになりました。
〔曇鸞〕様、15才の時、近くの《五台山》という山の上にあるお寺へ、お参りに行かれました。
「ああっ、ここは良い所だなぁ~。こんな静かな所で仏様にお仕えしたい。」と、〔曇鸞〕様はそうお考えになり、《出家》なさいました。
ところが、〔曇鸞〕様は熱心に勉強し過ぎて、重い病気になって寝込んでしまいました。
床の中で高い熱にうなされながら、〔曇鸞〕様はつぶやかれました。
「ああっ、私はこのまま死んでしまうのだろうか?・・まだ死にたくない。・・できればもっと、長生きがしたい。長生きしてもっともっと学問がしたい!本が読みたい!・・。」と。
やがて、この病いも奇跡的に癒え、〔曇鸞〕様はご回復されました。
そして、起きれるようになった頃、〔曇鸞〕様は、ある決意をしました。
「うんと勉強する為には、長生きをしなければいけない。・・いや、願わくば、『死なないですむ方法』を見つけ出したい!」と思うようになったのです。
そんなある日、南の《梁》という国に〔陶弘景(とう:こうけい)〕という仙人が居て、『不思議な術』を教えているとの噂を聞きました。
『長生きできる術』を探していた〔曇鸞〕様は、早速、この仙人を尋ねる事にしました。
それは山を越え、川を渡り、長い苦しい旅でもありました。
つづく
紙芝居:「唯円房の歎き~『歎異抄』かく語りき~」 その9&あとがき
(唯円)「あぁ、もうこのような時分・・。夜が明けて参りました。
まだまだ、お話したき事は多々ありますが、今日のところはこの辺で終ると致しましょうか。
・・そうそう、最後に一つ思い出しました。
〔お聖人〕はよくこうおっしゃっておられました。
(親鸞聖人) 「〔阿弥陀仏〕が、迷える我々を救わんが為に《願い》をかけて下さったのは、ひとえに、この罪深い〔親鸞〕一人を救わんがためであった。なんと有り難い、もったいない事か・・」と。
私(唯円)は、このように〔お聖人〕が、常にご自分の事としてお話なされたその真意は、実は、私どもの罪悪がどれ程深いものかを教える為ではなかったか、又〔阿弥陀仏〕の〔ご恩〕がどれほど尊いものであるという事かを、気づかせる為ではなかったかと、・・そう味わっているのでございます。
・・そう、〔お聖人〕は『他人の善悪』を問わず、常にご自身の心の内を見つめながら、我々を教え導いて下さいました。
・・実にすごい御方でございました。
・・さて、今まで私がお話して参りました事は、いずれ『歎異抄(たんにしょう)』=〔お聖人と(異)なった事を云う弟子たちを、私は(歎)いている書(抄)〕と題して、発刊する予定でございます。
〔親鸞聖人〕のお心を、もっと深く味わってみたいと思われました方は、是非一読されます事をオススメ致します。
・・が、しかし、前にも述べましたように、〔お聖人〕のお言葉は、誤解を招きやすき所もございますので、・・ゆえにそのご真意をじっくり味わって、拝読されます事をせつにお願い申し上げます。
それでは皆様、このへんで失礼いたします。合掌
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・。」 
おしまい
〔あとがき〕にかえて
・・ようやくこの『紙芝居』を書き終えました。
実にしんどかった!(笑い)
この作品は、実は『五年程』前に作ったもので、(今から思うと)なんと(この日本を代表するといわれる『宗教書』を)恐れ知らずに(独断と偏見の暴走的解釈で)作ったかと、今読み直しても超恥ずかしい次第であります。
ゆえに、このブログでも、今回は(おかしな解釈部分を)殆んど書き直しました。(それでもこの程度なので・・・、すんません。)
さて最後に、「私(カンネン亭主)は、このように『親鸞聖人』を理解してます!」というコメントを《おまけ》につけて、本当に終りたいと思います。
皆さんは、「〔神様・仏様〕は、私が信じる(拝む)、存在として在る!」と、お考えではないでしょうか?
私が(勝手に)思いますに、〔親鸞聖人〕はそれを『逆の方から(阿弥陀仏の方から)』見られた御方だと思ってるのです。
「まず、仏さま〔阿弥陀仏〕在りき!!(これは絶対第一、前提条件!)」
・・そして、「〔阿弥陀仏〕から、見られた〔私〕」として、すべてをゴチャゴチャと考える!」
・・すると「本当の欲深き自分の姿が見えてくる。・・それでも私は〔阿弥陀さま〕に守られている!・・そんな自分に気づく!・・めっちゃ嬉しい!・・だから感謝の心として〔阿弥陀さま〕のお名前を呼ぶ!・・『南無阿弥陀仏』と・・。」という《思考回路》の御方ではなかったかと思うのです。
そこが、(現代の大多数でもある)『自己中心的、ご利益信仰』とは違う魅力を発信している宗教人として、注目されているのだと僕は思うのです。
そのようなお考えをすでに《鎌倉時代》に確立された御方〔親鸞聖人〕!・・その当時の日本人離れした思考を持たれた《翔んだ人!》とでも云いましょうか。 そんなところが私は大好きなのです。・・さて、皆さんはいかがでしょうか?
以上、〔あとがき〕にかえて。 合掌
紙芝居:「唯円房の歎き~『歎異抄』かく語りき~」 その8
又ある時、お聖人様は、私(唯円)がびっくり!するような事をおっしゃいました。
(親鸞聖人)「唯円、お前は私の言う事を信じるか?」
(唯円)「はい、もちろんでございます。」
(親鸞聖人)「そうか。では、私が今から言う事に決して背かぬか!?」
(唯円)「はい。」
(親鸞聖人)「では、今から町に行って、人を〔一千人〕殺して来ておくれ。 そうすれば、お前は必ず〔極楽浄土〕へ『往生』できる! さぁ、殺って来い!」・・と、おっしゃられたのです。
「ヒェーッ!」と、私はもうびっくりして、
(唯円)「・・いっいかに〔お聖人〕の仰せとはいえ、私のような人間は〔一千人〕はおろか、〔一人〕だって殺すことはできません!」と、言いました。
(親鸞聖人)「ワッハッハッハッ、唯円、びっくりしたか!?・・すまん、すまん。・・だがな、では、どうして先に『ワシに背かぬ』と言ったのか?」
(親鸞聖人)「これで解ったであろう・・。
すべての事が《自分の思い通りになる》と思うなら、『往生』の為と云って、人を何千人でも殺す事ができよう。
しかし、たった一人を殺すだけの《宿業(シュクゴウ)》も、備わっていないからこそ、お前には無理なのだ!
(注:《宿業》とは、「過去世に造った善悪の業のこと。これは過去世になした行為が原因となって、今生の在り方が規定されるという考え方にもとづいている。『浄土真宗聖典(注釈版)』より)
自分の心が《善》だから、殺さぬのではない。
又、『殺すまい!』と思っていても、百人、千人と殺してしまう事もあるのじゃよ。
我々の心が良ければ《善》、悪ければ《悪》、と思って、〔阿弥陀仏〕の『願い』の不思議さに、助けられている事に気づかずにいる。・・それが良くないというのじゃ。」と、おっしゃられました。
つづく (次回、最終回じゃ・・)
紙芝居:「唯円房の歎き~『歎異抄』かく語りき~」 その7
(唯円)「・・このように私(唯円)は、お聖人の〔お言葉〕を、間近かで聞かせて頂ける幸せを味わい続けました。
・・が、しかし、この時、私は新たな〔悩み〕が生じていたのでございます。
そして悩んだ末、ある外出からの帰り道、私は心の内を〔お聖人〕に打ち明けたのでございます。」
(唯円)「・・お聖人様、私は〔お念仏〕を称えていても、一向に踊りたくなるような《喜び》の気持ちが湧かないのでございます。
このシャバ世界が、〔苦しみの(無明の)世界〕と知りながら、一刻も早く、素晴らしい〔極楽浄土〕の世界に往きたいと、思わないのでございます。
・・もはや、私には〔阿弥陀仏〕の《お心》が届いていないのでしょうか?」と、お尋ねしました。 すると・・、
(親鸞聖人)『おおっ、唯円、お前もワシと一緒であったか!』とお答えになりました。 そして・・、
(親鸞聖人)『・・しかしなぁ、よくよく考えてみれば、《お念仏》して〔大喜び〕できるはずの心が、抑えられて喜ぶ事ができないのは〔煩悩〕の仕業だと思わないか?
唯円よ、《阿弥陀仏》のお心は、そのような煩悩まみれの我々を救わんが為に、《願い》を起こされたのではなかったか?!
だから、「煩悩まみれの我々こそが、阿弥陀仏の救いの対象である!」と気づいた時、我々は益々、《阿弥陀仏》を頼もしく思わねばならんのじゃ。
(そう来たか!なんという発想の持ち主!・・以上、ブログ作者の余談)
又、「お念仏の教えを何度も聴きながら、急いで《極楽浄土》へ参りたいという気持ちにならない!」という問いは、一件、教えを頂いていないように思えるが、
・・お念仏の教えを頂いたからこそ、浅ましい(煩悩まみれの)本当の自分の姿が見えてきた!だからこそ急いで往きたくないのだ!・・と思わぬか?
ワシがもし、お念仏の教えを頂いて「すぐに浄土へ参りたい!」と思ったら、それはかえって、「自分には煩悩がないので、阿弥陀仏の救いの対象になっていないぞ!」と訝しく思わねばならないと思うのじゃが、どうじゃな・・。』と、お聖人は申されました。
つづく
紙芝居:「唯円房の歎き~『歎異抄』かく語りき~」 その6

(唯円)「・・・という訳で、私(唯円)は、それからずっと、親鸞聖人のお側で、〔弟子〕として過ごさせて頂く事となったのでございます。
そう言えば、お聖人は、この〔弟子〕という言葉も、お嫌いでございました。
それは、次のようなお聖人のお話があるのでございます。」
(親鸞聖人)『・・ひたすら〔お念仏〕を称えている仲間の内にも、「これは私の弟子だ!」とか、「あれは誰それの弟子だ!」とか《言い争い》があると聞くが、これはもっての他だ!
たとえば、私が面倒をみて、〔お念仏〕をさせる事が出来るなら、「それは我が弟子だ!」と云えるであろう。
しかし、その人が〔お念仏〕をするのは、《阿弥陀仏》の計らいによってするものなのだ。
・・私がさせるのではない!
だから、その人を「我が弟子」などと云うのは、とんでもない思い違いだ。
この世の事は、すべて《縁》によるものなのだ。
一緒になる《縁》があれば、一緒になり、離れる《縁》があれば、離れる。
「師匠を変えたから往生できるとか、出来ないとか」、「あの者の弟子を取ったとか、取られたとか」、まるで、仏様から頂いた〔信心〕を、自分が与えたかのように言う者がいるが、それはとんでもない間違いだ!
自然の理に従い生きてゆくなら、いつかは自ずと、仏様の恩、師の恩がわかるものなのじゃよ・・。』と、そうお聖人は言われました。
又、ある時、お聖人は私に、こうおっしゃいました。
(親鸞聖人)『唯円よ、ワシは亡くなった父母の〔追善供養〕の為に、一度も〔お念仏〕を称えたことはない!
・・唯円、そんな驚いたような顔をするな!わっはっはっはっ。
・・ワシは、《阿弥陀仏》が『皆を〔仏〕にして必ず救うぞ!』と誓われた、その〔感謝〕から、お念仏を申すのじゃよ。
・・ワシはな、唯円、〔自力〕を捨て、急いで《極楽浄土》へ行って〔仏〕となったなら、その不思議な力で、ワシの〔縁〕の深かった父母も含め、すべての縁或る〔生き物〕達を救いだせるに違いないと思っておるのじゃ。』と、そう申されました。
つづく
紙芝居:「唯円房の歎き~『歎異抄』かく語りき~」 その5
(その4)からの続き~
(親鸞聖人)『・・・そんな〔地獄〕にしか、往けぬようなこのワシを救おうと、《阿弥陀仏》は「願い」をかけて下さったのだ!
・・その阿弥陀仏の「願い」が真実だからこそ、それを〔悟り〕を開かれた《お釈迦様》は『お経』の中で、「お説教」としてお説きになられたのだろう!
(注: お釈迦様は「阿弥陀経」・「無量寿経」・「観無量寿経」というお経の中で、《阿弥陀仏》のお話をされている)
・・であるから、その「お説教」をご理解され、解釈された《善導(ゼンドウ)大師》の説に間違いはない!
(注: 善導大師とは、昔の中国のめっちゃ偉い『阿弥陀さま命!』のお坊さんのこと)
そして、その説(教え)をちゃんとご理解され、明らかにして下さった、わが師《法然聖人》のお言葉に間違いがあるはずがない!
・・で、あるからして《法然聖人》の〔お言葉〕を伝えておる、この《親鸞》の申すことに間違いはないではないか!
・・つきつめれば、愚かなワシの〔信心〕は、このようなものなのじゃよ。
この上は、私の言っている《お念仏の教え》を「信じるも良し!」、又、「信じないも良し!」、・・・あなた方の自由じゃ。
皆さんが、ご自分で決めれば良いのじゃよ・・。』
・・・と、《親鸞聖人》はこう申されました。
このお話を聞き、私達の仲間は皆、納得して、『関東』へと帰って行ったのでございます。
・・が、私だけは、《お聖人》のお側にもっと居とうなって、お許しを得て、それからは、ずっと《親鸞聖人》のお側で、その『生』のお声を(テープレコーダーのように覚えながら)聞かせて頂くようになったのでございますよ。
つづく

