住職のつぼやき[管理用]

記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

紙芝居:「唯円房の歎き~『歎異抄』かく語りき~」 その9&あとがき

 (唯円)「あぁ、もうこのような時分・・。夜が明けて参りました。
 まだまだ、お話したき事は多々ありますが、今日のところはこの辺で終ると致しましょうか。
 ・・そうそう、最後に一つ思い出しました。
 〔お聖人〕はよくこうおっしゃっておられました。

(親鸞聖人) 「〔阿弥陀仏〕が、迷える我々を救わんが為に《願い》をかけて下さったのは、ひとえに、この罪深い〔親鸞〕一人を救わんがためであった。なんと有り難い、もったいない事か・・」と。
 私(唯円)は、このように〔お聖人〕が、常にご自分の事としてお話なされたその真意は、実は、私どもの罪悪がどれ程深いものかを教える為ではなかったか、又〔阿弥陀仏〕の〔ご恩〕がどれほど尊いものであるという事かを、気づかせる為ではなかったかと、・・そう味わっているのでございます。
 ・・そう、〔お聖人〕は『他人の善悪』を問わず、常にご自身の心の内を見つめながら、我々を教え導いて下さいました。
 ・・実にすごい御方でございました。

 ・・さて、今まで私がお話して参りました事は、いずれ『歎異抄(たんにしょう)』=〔お聖人と(異)なった事を云う弟子たちを、私は(歎)いている書(抄)〕と題して、発刊する予定でございます。
 〔親鸞聖人〕のお心を、もっと深く味わってみたいと思われました方は、是非一読されます事をオススメ致します。
 ・・が、しかし、前にも述べましたように、〔お聖人〕のお言葉は、誤解を招きやすき所もございますので、・・ゆえにそのご真意をじっくり味わって、拝読されます事をせつにお願い申し上げます。
 それでは皆様、このへんで失礼いたします。合掌
 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・。」 
ファイル 456-1.jpg
おしまい

〔あとがき〕にかえて
・・ようやくこの『紙芝居』を書き終えました。
 実にしんどかった!(笑い)
 この作品は、実は『五年程』前に作ったもので、(今から思うと)なんと(この日本を代表するといわれる『宗教書』を)恐れ知らずに(独断と偏見の暴走的解釈で)作ったかと、今読み直しても超恥ずかしい次第であります。
 ゆえに、このブログでも、今回は(おかしな解釈部分を)殆んど書き直しました。(それでもこの程度なので・・・、すんません。)

 さて最後に、「私(カンネン亭主)は、このように『親鸞聖人』を理解してます!」というコメントを《おまけ》につけて、本当に終りたいと思います。
 皆さんは、「〔神様・仏様〕は、私が信じる(拝む)、存在として在る!」と、お考えではないでしょうか?
 私が(勝手に)思いますに、〔親鸞聖人〕はそれを『逆の方から(阿弥陀仏の方から)』見られた御方だと思ってるのです。
 「まず、仏さま〔阿弥陀仏〕在りき!!(これは絶対第一、前提条件!)」
・・そして、「〔阿弥陀仏〕から、見られた〔私〕」として、すべてをゴチャゴチャと考える!」
・・すると「本当の欲深き自分の姿が見えてくる。・・それでも私は〔阿弥陀さま〕に守られている!・・そんな自分に気づく!・・めっちゃ嬉しい!・・だから感謝の心として〔阿弥陀さま〕のお名前を呼ぶ!・・『南無阿弥陀仏』と・・。」という《思考回路》の御方ではなかったかと思うのです。
 そこが、(現代の大多数でもある)『自己中心的、ご利益信仰』とは違う魅力を発信している宗教人として、注目されているのだと僕は思うのです。
 そのようなお考えをすでに《鎌倉時代》に確立された御方〔親鸞聖人〕!・・その当時の日本人離れした思考を持たれた《翔んだ人!》とでも云いましょうか。 そんなところが私は大好きなのです。・・さて、皆さんはいかがでしょうか?
 以上、〔あとがき〕にかえて。  合掌 

コメント一覧

たけちゃん Eメール 2010年02月21日(日)00時35分 編集・削除

御院様ありがとうございました。
また リクエストですが七高僧のお一人の
曇鸞大姉の紙芝居は、ありますか?
仙経を焼き捨てて浄土門に帰依されたんじゃ
ないいですかね?
それから源信僧都は、子供の頃の話で僧が川で
弁当箱を洗っていたら反対にやりこめた話がありましたよね
比叡山にあがるきっかけとなった話です

カンネン亭 2010年02月21日(日)08時44分 編集・削除

たけちゃん様

コメントありがとうございました。
・・さて、ご質問にお答えします。
 曇鸞大師の「紙芝居」は、(僧侶もの7)の『長生きしたや物語』というものでそのエピソードを描きました。・・もちろん、仙経を焼く場面も入れました。
 それは又、いつか別の機会に発表させて頂きます。
 それと、源信僧都のお話は、(僧侶もの11)第一部『源信さまとお母さん』という紙芝居で描きました。
これはすでに発表済みです。・・が、その弁当箱のエピソードは残念ながら入れてません。 少年時代のエピソードは、曇った鏡の話を描いた次第です。
 もし宜しければ、見てください。合掌

 

たけちゃん Eメール 2010年02月21日(日)18時22分 編集・削除

カンネン亭様
有り難うございます!
了解です

たけちゃん Eメール 2010年02月22日(月)00時36分 編集・削除

事というものを、なぜするのだろう?
 その意義は、いったいどこにあるのだろう?
 亡くなった人はどこへゆくのだろう?

 そんな素朴な疑問が、じつは念仏の道を聞きひらく、大事な手だてとなることを、わたしたちは忘れてしまってはいないだろうか。
  そこで、わたしたちはいま、この欄において、この方の疑問を、わたしたちみんなの疑問として、法要というものはなぜ行うのかということについて考えてみたいと思うのであります。

 まず、「法事」「法要」と聞けば、「死んだものへの追善供養である」と思われる方が多いのではないでしょうか。

 亡くなったものが、あの世で、地獄か餓鬼道かに迷い込んでおるかもしれない。そこで命日に坊主を呼んで、お経の一巻でもあげてもらって、その功徳によって、迷わず成仏してくれよとたのむ―。

 これが法事だと考えている方が以外に多い。ところが、これは他宗、他門のものがいうことで、わたしたち親鸞聖人の教えをうけている浄土真宗では、このようなことはいわないのであります。

 なぜなら、親鸞聖人がおひらきになった浄土真宗―お念仏の道というのは、阿弥陀如来の本当の願いより出ているもので、このわたしが、如来様に救われて、安心のうちに力強く生きぬき、かならずお浄土に生まれて仏のさとりを得るのであります。つまり、亡くなった方々は、間違いなくお浄土におられて仏となり、如来様と同じお仕事をなさっているのです。

 ですから、そのような方たちにお経の功徳で、迷わず成仏しろとか、さぞや草葉のかげでよろこんでいるだろう、などということは必要でないどころか、失礼にあたるわけであります。

 さて、それでは、わたしたちお念仏をいただく浄土真宗の門徒にとっては、法事、法要というものは、どのように受け取ってゆけばよいのでしょうか。そうです。法事は、死者への追善供養ではなく生きているわたしたちが、亡くなられた方の命日を「ご縁」として故人をしのび、経典を読み、仏徳を讃嘆し、仏様の「ご恩」をよろこばせていただくためにあるのです。

 「ご縁」をよろこび「ご恩」をよろこぶ―つまり、わたしたちは仏様の「おかげさま」で、いまこうして生かされているのであり、「ありがとう」と手を合わせて生きぬいてゆけるのであります。

 このように考えてまいりますと結局、法事、法要というものは、亡くなられた方(いまは仏となられた方)の命日を「ご縁」にしてその方たちの「おかげさま」で生かされておるという、そのよろこびの表現そのものであり、「ありがとう」と生き抜く力を与えて下さった仏様への感謝のありだけということになるのでありましょう
善功寺様ブログより
 こんな 感じの紙芝居作れませんかね
ようは 浄土真宗のほうじについてって感じの

カンネン亭 2010年02月22日(月)22時36分 編集・削除

たけちゃんさま

 ・・熱いですねぇ!!
 今、作りかけの紙芝居を三本作ってます。
 それが完成したら、考えてみましょう!

たけちゃん Eメール 2010年02月24日(水)02時26分 編集・削除

カンネン亭様
ありがとうございました。
リンクより拝借しました。
しかし 私もホントそうだと思いますよ
浄土真宗の親鸞聖人の教えは、誰もが救われますよ
との教えですから。
だから法事は、追善供養では決してない(そこまでみんな思ってない)でもそこから抜け出せない(他宗はの影響かも?)
だから、 浄土真宗の教えせめて 門徒産だけでも
一人でも 理解を拡げていきたいななななnと思いますよ!!!!!

カンネン亭 2010年02月24日(水)09時09分 編集・削除

たけちゃん様
 コメントありがとうございます。
 さて、私は浄土真宗の教えというよりも、〔親鸞聖人の思い〕を、門徒さんだけではなく、現代の迷える一般の人たちに、一部分でも〔共感〕してもらいたいと思っています。
 その〔共感〕という部分を、いかにお伝えすればよいか・・悩んでいます。
 今、現代的な視点で描きたいと思っている紙芝居、〔倉田百三〕さんの『出家とその弟子』を三部作ぐらいで製作しようかと思っています。
 キリスト教的視点から、浄土真宗を描こうと試みた戯曲『出家とその弟子』を、史実に忠実ではなく、教義に忠実ではなく、言葉を自由にし、今の私達が抱えている悩みをいかに、親鸞聖人は解決しようとされたかとテーマに作りたいと思っています。

たけちゃん Eメール 2010年02月25日(木)01時28分 編集・削除

カンネン亭様
期待しています!
明日連研(お寺)があります!
その話を してみます!
話は変わりますが、もう一つ連研でお話しを
しなければならないのですが、大恩忌に 組単位で
お参りのご案内がきているんですね!
その話で、連研としては、大恩忌を終わって
翌年、本山えお参りを(2回お参りをしています)
しましょう。
最低でもその時にはお会いしたいです!
いま カンネン亭をこちらえ 来ていただきたいなな
と その話もだそうと思いますので!
心の 日程の準備を・・・・・・

カンネン亭 2010年02月25日(木)10時56分 編集・削除

 たけちゃん様

 了解致しました。
 スタンバイしておきます!

上に戻る